第87話 密約
投票から45分が経過し、第2ピリオドも残り数分を残すのみとなった。
桂木とアリスが2人きりで話す様子を見て、武藤は苛立つように椅子を立った。
あいつら何を考えてやがる。裏切り者が出たんだぞ。
協定はもうなくなったも同然、なのに何をつるんでやがる。
アリスか桂木。どちらかが作戦を破綻させたのか。あるいは2人の共謀なのか、武藤にはわからない。けれど確かなのは、もうあのチームで手を取り合うことはできないということだった。
信じられるものがなくなった今、僕はどうしたらいい?
鳴海要、あるいは此処条未夢と真っ向勝負で戦うのか?
——それは駄目だ。愚直な考えを浮かべた自分自身を、武藤は戒めた。いくら自分が読みあいに長けるとはいえ、敵もまたこのゲームまで生き残る程の実力者。分のいい賭けであるとは言い難い。
絶対に生きて帰らなきゃならない。
だったら、命を預けられるだけの策略を探さなきゃ駄目なんだ。
武藤の強い生への執着が、捨て身の勝負に向かいかけた彼を止めた。
仕切りなおそう。武藤はホールの片隅にある階段を下りた。そして男子トイレの扉を開け、ライトを点けた。すると目の前に、ゲーム開始前にはなかった張り紙を見つけた。
“武藤一真、あるいは鳴海要へ”
冒頭に書かれた自分の名前を見つけ、武藤は反射的にその下に続く文章を目でなぞった。
“このゲームにおける敵は、アリスと此処条未夢。これから奴らを倒すための仕掛けを打つ。
興味があるなら、この先を読んでほしい。
桂木千歳”
桂木……!?
武藤は考える間もなく、余白を挟んだ先に綴られた文を読んだ。桂木を信じる信じないにかかわらず、情報は得るに越したことはないのだから。
書かれていた内容は、第2ピリオドで起きた裏切りの詳細と、逆転の為に桂木が打った布石の一部だった。
「女子トイレにメモ……。そういうことか。上でお互いを監視しても無意味だったわけだ。
けどまさか、桂木クンの必勝法が敵に誘導されたものだったとはね」
振り返って、武藤は自分の手落ちを認識した。
同時に敵の手強さも。
一人で挑むのは分が悪い。自分の判断は誤りではなかった。
やはり必要になる。必殺のロジックと、それを成立させるだけの強い組織力が。
自覚したとき、武藤の眼にはひときわ強い真剣味を帯びていた。
そして読み込んだ。桂木の策を。
そして文末に綴られたメッセージを、食い入るように見つめた。
“……以上が、俺の作戦の全てだ。
俺の作戦を信じてくれとは言えない。
俺という人間を信じてくれとは言えない。
それでも信じてくれるのなら、一緒に戦おう。
きっと、俺たち人間は悪魔に勝つことができる”
武藤はメモを壁から剥がすと、それをポケットにしまい込んだ。
桂木のことを完全に信用したわけじゃない。けれど馬鹿正直に、自分の推理と策略を明かした桂木の戦いはどんな結末を迎えるか。
……この際だ、見届けてやろうじゃないか。
自分に言い聞かせるように呟くと、武藤はホールへ戻った。
心は、もう決まっていた。
「それでは戯れを始めましょぉ。それでは武藤様、カードをお切りくださいませ」
第二ピリオド終了間際の対戦ルームにて、武藤は鳴海と対峙していた。
戯れにおいては初の顔合わせとなる2人だった。
なぜ武藤が自分を指名してきたのだろう。それが分からず、鳴海はその態度に警戒の色を強めていた。
「そんな怖い顔しないでくれよ。話があって、来たんだ」
「私にはないな」
「そっか。じゃあ勝手に話すから、気分が向いたら返事してよ」
カードの代わりに、武藤は端の破れたメモを取り出した。桂木の残したメモだった。
「これが、トイレの中にあった。差出人は桂木クン。僕と鳴海さんに宛てた手紙だから、読むよ」
鳴海は何も答えなかった。しかし武藤はかまわずに続けた。
態度には出さないが、鳴海の耳は自分の話に傾いているのがわかったからだ。
第二ピリオドで起きたこと。アリスと此処条の打った仕掛け。そして桂木の秘策。
武藤はメモにあった内容を淡々と話した。
「それで……桂木は信じられるのか」
メモの読み上げが終わると、鳴海はようやく閉ざしていた口を開いた。武藤は「さてね」と、肩をすくめてみせた。
「このメモにはいかにもそれらしいことが書かれてるけどさ。桂木クンだって、腹の中じゃ何考えてるかわかったもんじゃない」
「ではなぜ、この話を私に?
君が桂木の申し出に乗らないのなら、こんなメモ、握りつぶしても同じだったろう」
「申し出に乗らないとは言ってないよ。桂木クンの話を信じる信じないは別として」
鳴海は訝しげな視線を武藤に向けた。「だから睨まないでって」武藤は茶化すように言った。
「提案には乗る。あくまで自己責任でね。
少しでも怪しい動きが見られたら、すぐさまこっちから桂木クンを切る。その覚悟で作戦に乗るのさ。
大きくリードを奪ったアリスと此処条を止める手段がない以上、とりあえずは桂木クンの作戦に協力しておくのが一番いい。鳴海さんと一緒にね。
だからわざわざ、桂木クンの作戦を伝えに来たんだ」
「成程、よくわかった。だが武藤君。君は一つ見落としている」
鳴海は親指を立てると、自分の喉元に当てた。
「桂木や君の言う作戦が成立するのは、私が“悪魔”ではないという前提があってのもの。
もしも僕が悪魔ならチップなど関係なく君たちを裏切ることができる。
しかし私には、私が悪魔でないことを証明するすべがない。それをどうクリアしたら……」
「証明なんて必要ないでしょ。だって鳴海さんはどう考えたって人間じゃん」
「——なぜ」
武藤の即答に、鳴海は目を丸くした。
「鳴海さんは無理をしてる。寿命100年を奪われるかもしれない恐怖のさなか、必死で冷静さを保って、強い自分をそこに留めようとしている。
それが伝わってくるよ。僕も同じなんだ。わからないわけない。
命の重さがわからない悪魔とは違うんだ。僕たちは人間だから、恐怖がある。弱さがある。いろんな気持ちに抗いながら、それでも戦ってる。
桂木クンもきっと同じじゃあないかな。だから……人間である僕たち2人に声をかけた。
一緒に、戦おうってさ」
そう言うと武藤は笑った。いつもの張り付いたような笑顔とは違う、穏やかな微笑みだった。
恐怖と戦っている、か。武藤も。桂木も。
私と同じで。
「私にどういう動きを期待しているか、話してくれ。
残り時間の許す限り、できるだけ詳しく」
鳴海は返事をした。
この世界に連れてこられて以来、はじめて晴れやかな表情だった。
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