第86話 悪魔の見えざる手
なんて奴だ。
敵の姿を捉えたとき、桂木の胸に湧いたのは怒りではなく驚きだった。
勝利の筋書を思いつかせ、その上でねじ伏せる。
まるで未来を操作されたかのような感覚。それは桂木が味わったことの無い感覚だった。
フジウラミサト。サクラミアヤ。ミシロユウリ。
彼の戦ってきた悪魔はどれも強敵と言ってよかった。
だが今度の相手は、おそらく今までの誰よりも……。
手の汗を拭うと、桂木は手元のカードに視線を落とした。死者と、悪魔の2枚のカードがそこにある。
もう彼には、このピリオドで戯れを求める権利がない。
そしてトップとの差はチップ90枚。
——それでも勝たなくちゃならない。
どんなささいなものでもいい。糸口を探すんだ。
桂木はまず、今何が起きているのかという点に絞って思考をめぐらせた。
わかっていることはひとつ。アリスは敵で、此処条と共謀しているであろうことの一点だ。
しかし問題は山積していた。
まず、アリスと此処条はどのように共謀をはかったのか。桂木はずっと武藤とアリスを監視していた。2人とも、他のプレーヤーと接触をした場面はなかった。
桂木と武藤の監視をかいくぐり、アリスが此処条とコミュニケーションをとることなど可能だろうか。
……眼の届かないところは投票ルームの中と、対戦ルームの中だけ。
投票ルームは1人しか入れない。2人が入れば反則負けになる。
対戦ルームなら外から見られず打ち合わせが可能だが、アリスと此処条は“戯れ”をしていない。だからそれも違う。
他に接触できる場所なんてあるのだろうか。
部屋を物色していると、桂木はある場所に目が留まった。
下りの階段。その先には男女別のトイレがあった。
もしかして。
桂木はプレーヤーたちの顔ぶれを思い浮かべた。
桂木千歳。武藤一真。鳴海要。
そして、此処条未夢。アリス。
「成程な。盲点だった」
桂木は呟くと、ホールに残るプレーヤーたちの挙動を窺った。鳴海と武藤は、それぞれかなり離れた場所で思案に耽っていた。
そしてアリスはというと、此処条未夢とともに対戦ルームへ入る目前だった。
千載一遇のチャンスかもしれない。桂木は女性2人の姿が扉の向こうに消えると、静かに階段を下りた。そして躊躇うことなく、扉に手をかけた。
Womanと書かれた扉に。
5名のプレーヤーの中で女性はアリスと此処条の2名だけ。
女子トイレ。
ここならば、男性プレーヤー3人の目を欺いて接触をはかることができる。
推理の裏付けを取るべく、桂木は狭い室内を物色した。目的のものはすぐに見つけることができた。
鏡の隙間にはメモが挟まれていた。
“悪魔に投票して。私が死者に投票する”
英語で書かれた綺麗な文字は、アリスと此処条が結んだ共謀の証拠そのものだった。
「上では接触のそぶりを見せず、やりとりは全て女子トイレ内のメモで完結させる作戦か」
分かってしまえば単純なトリックだ。事態を深刻に捉えていた桂木は、少し拍子抜けをしたような思いさえもした。
「あとはこれを逆手に取れば……」
桂木は笑みを浮かべて扉を出た。
しかしその時、桂木の体にわずかな悪寒が走った。
ささいな違和感。ひっかかり。
桂木は敵のトリックに行き着きながら、どこか不自然な思いを拭えずにいた。
こんな単純なトリックひとつで、本当に終わりか?
胸を押さえて、桂木は階段の下に立ち止まった。
心臓が強く跳ねていた。何かを知らせようとしているかのように。
何なんだ。この感覚……。
とくん、とくん、とくん、とくん。
うるさいほど響く鼓動の音から逃げるように、桂木はホールへ向かう階段を駆け上がった。
ホールへ戻った桂木は、ひとまずバーへと向かった。
クールダウンの必要があると感じていたのがひとつ。そしてもうひとつは、あることを確かめるためだった。
アルコールの原液を冷蔵庫から取り出し、トニックウォーターを注ぐ。
薄いジントニックで喉を潤すと、桂木は改めてカードを注視した。
「何を、しているの」
背中から聞こえた幼い声に、桂木は驚きの声を殺して振り返った。
此処条と通じているアリスは敵。それはもはや確実。
そのアリスの側から接触してくるというのは、桂木の想定になかったからだ。
「——此処条未夢には、勝てた。あなたが、先に挑んで情報をくれたから」
アリスの言葉は、今の桂木には意図のつかめない言葉だった。
撹乱のつもりか?
「何をしに来た」
桂木はストレートにそう聞いた。敵意を隠そうともしなかった。
ただアリスは対象的に、小首を傾げて言った。
「わたしは、ただ戻ってきただけ」
「よく言えるな。そんな台詞が」
桂木の語気は強かった。だが、やはりアリスの反応は変わらなかった。
「……?」
アリスの仕草は、桂木が何を言っているのかわからない、といった風でさえもあった。
ここまでやってシラを切る気か……? 最初、桂木はそう思った。しかしすぐにもう一つの可能性にたどり着く。
あえて俺との協定を切らず、他のプレーヤーもまとめて沈めにきたか。
その可能性に行きついた瞬間、桂木の目は大きく見開いた。
「だったら見せてくれ、アリス。君が裏切り者でないという証明を」
疑っていることは隠さず、桂木はアリスに要求した。
戸惑う様子も渋る様子もなく、ただほんの少しの間を置くと、アリスはその小さな両手にカード2枚を広げた。
「今の私の、手札はこれ。生者と悪魔。
だから間違いなく私のステータスは“死者”。
裏切ったなら、生者と悪魔のカードはここにないはず」
アリスは素早く、最も手っ取り早い手段をとった。
アリスのステータスが悪魔ならばここに悪魔のカードがあるはずがない。
「信頼、できた?」
アリスはか細い声で聞いた。けれど桂木の態度は頑なだ。
「カードを調べさせてくれ。偽造の可能性だってゼロじゃあない」
「偽造? そんなこと、できるはずが……」
言いかけ、アリスは口をつぐんだ。続いた言葉は「それで、気が済むのなら」だった。
いままでのゲームにおいてもそうだが、カードの強奪は無条件の反則負け。条件さえ整えば、他のプレーヤーにカードを渡すことは決して無理な要求でもない。それは2人ともわかっていた。
アリスより2枚のカードを受け取り、桂木の観察が始まる。生者も悪魔も、桂木が持つものとまったく同じだった。無論カードの材質も。カードが本物であることは誰の目にも明らかだった。
裏を見るが、やはり黒の幾何学模様の柄。細工の痕跡はない。
4枚のカードを並べたまま、桂木は押し黙った。
カードを見つめたままの桂木を尻目に、アリスは棚からグラスを取った。そしてストロベリーシロップとココナッツのジュースを混ぜ合わせ、口をつけた。
「カード、調べられた?」
アリスの問いに、桂木は黙って2枚のカードを返却した。
「偽造の痕跡はなかったよ。疑ってすまなかったね」
桂木は落ち着いた調子でそう言った。
胸に秘めた本心とは裏腹に。
悪魔のカードを持っているなら、アリスは裏切り者ではない。
そんなのは何の証明にもならないと桂木にはわかっていたからだ。
アリスは此処条とメモで通じていた。
だったら、メモと同時に渡すことだってできたはずだ。
此処条の持つ“悪魔”のカードを。
(はっきりした。アリスと此処条はメモの他にも、追求から逃れられるようにカードの受け渡しまで行っている。
お互いに相当、強く信頼している証拠だ。
手強いかもしれない。けど、そこに付け込めば)
逆転の算段を、桂木は頭の中で組み立てた。
不確定要素はある……だが、ギリギリのところまで踏み込むしかない。
氷だけになったグラスを、桂木千歳は静かに置いた。
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