第82話 彼女がそうしたように
『戯れの指名がなされました。
武藤一真様。対戦ルームへとお越しください』
アナウンスを聞くと、武藤一真は黙ってソファを立った。
対戦ルームは部屋の隅。扉を押すと、椅子に腰かける男の姿が目に飛び込んできた。
桂木千歳だ。
「キミから“戯れ“を求められるとはね」
ディーラーに促される間もなく、武藤は桂木の対面に腰を下ろした。
「覚悟が固まったかな。人間同士、命のやり取りをする覚悟が」
「その前に話があって呼んだ」
桂木は膝に両手を組んだ姿勢のまま、頭だけを武藤の方へと向けた。
話というのは、そう。桂木がアリスにした内容とまったく同じものだった。
このゲームの勝者は1人に限らず、5人のスコアが横並びに終われば、全員がチップ100枚を獲得して終わることができる。説得の意志を隠さずに桂木は話した。そんな夢のような話を。
桂木の話が終わったとき、武藤は「魅力的な提案だね」柔和な顔でそう言った。言葉とは裏腹に、寂しげな表情だと桂木には思えた。
「とても魅力的だよ、本当に。
僕だって他の人が傷つかずに済むならその方がいい。僕が生き残れて、他の人も生き残れるならそれが一番いい。
それが理想だ。
……僕だって、それがいいと思ってたよ」
「気づいてたのか。お前も」
武藤が頷く。
「ルールを聞いてすぐにね。この“禁じられた遊びゲーム”のルールには、ドローで終わる可能性が存在する。そこに気が付いた時点で、桂木クンの言った方法は頭に浮かんだよ。
気が付いてたんだ。理想の結末は。
そしてそれが、理想でしかないことも」
ステンドグラスから射す紅い月光が、武藤の瞳に光った。
「確かにプレーヤー5人全員の意志が揃えば、敗者を出すことなくこのゲームは終えられる。
けれど5人のうち1人でも裏切り者が出たら、作戦は破綻。その時点で他人を信用することはできなくなる。
そして裏切った者が確実に他者を出し抜けるこのゲームで、全員の協力なんてあり得ない。
無理なんだ。協力なんて、最初から。
今までだってそうだった。手を組んだ仲間だって、誰もが最後は裏切った。
だから僕も、そういう奴らを沈めて生き延びてきた。
言い訳をするつもりはない。僕だって他人の寿命を奪って生きてきた。
でも、ここではそれが正義。
勝たなきゃダメなんだ。勝ち残らなきゃダメなんだよ。
生きて、元の世界に帰る為に」
武藤が嗤う。冷たい言葉を並べて、自らの心を語る。
まるで自分に言い聞かせるかのように。
敵意を向ける青年が、みじめにも哀れにも桂木には思えなかった。
ただただ、助けを求めているみたいに見えた。
「同感だ」
小さく頷くと、桂木は言った。
「ここでは勝つことが全て。力のない正義に何かを語る資格なんてない」
「——だったら、やるしかないね。どちらかが消えなきゃ戦いは終わらない」
「ああ、勝負しよう。でも一つだけ違う。
俺はお前を殺さない。
誰もが生きて終われる可能性を、お前に見せてやる」
言い終わるのと同時。桂木はポケットから1枚のカードを切り、テーブルに置いた。
「……。カードをディーラーと僕に見せたその状態で“勝負”を宣言すれば、勝敗が確定する。
いいのかな? こっちのステータスは探らなくて」
「構わない。俺のカードは決まっている」
自信たっぷりの声。武藤は返事をすることなく、カードの柄に目を落とした。
桂木はカードを決めたと言った。が、勝負を宣言するまでは確定じゃない。しれっとカードを差し替える可能性もある。
これは桂木の揺さぶりだと武藤は踏んだ。ここから心理戦に持ち込み、ステータスを探る気なのだろうと。
こんな駆け引きで下手を打つほど耄碌しちゃいない。隙など見せやしないさ。
表情を引き締める武藤に、桂木は言った。
「最初に見当がついたのは、鳴海要のステータスだ」
桂木が口にしたのは、武藤への質問ではなかった。
「武藤。お前はアリスと対戦ルームに入っていた時だから知らないだろうが、鳴海は俺と此処条の前でこんな発言をしている。
『真っ先に動けるということは、負ける恐れがないのだということ。となれば第1ピリオドで唯一の“死者”だったのは奴か』と」
「?」
桂木の語りに、武藤が内心で首を傾げた。探りを入れている様子ではない。
しかしその直後の発言で、桂木の意図を知ることとなる。
「わざわざ自分の読みを他のプレーヤーに教えてやるメリットが鳴海にはない。そしてこのゲームまで生き残っている奴が、ミスでそんな発言をするとも思えない。
ということは、奴は自分のステータスを読み誤らせるために嘘の推理を口にしたと考えるのが妥当。
つまりは、唯一の“死者”であったのは鳴海。
そして、武藤。
この時点でお前のステータスは、“悪魔”か“生者”のいずれかに絞られる」
桂木の見立てに、武藤はギリギリのところで表情を崩さないよう耐えた。しかし桂木は意に介すことなく話を続けた。
「そして鳴海vs此処条。この戯れは鳴海が戯れを仕掛け、結果は引き分けに終わっている。
ゲームの展開は本人たちとディーラーにしかわからない。けれど推理である程度のところまでは読むことができる。
確実なのは先に勝負を仕掛けた鳴海。彼は“悪魔”のカードを切っただろう。
だって唯一の“死者”は自分。悪魔のカードを切れば負けることはない。
しかし引き分けに終わったということは、運悪く此処条が“生者”ではなかったからだろう。
ということは、此処条のステータスは“悪魔”」
少しずつ、少しずつ推理の包囲網が狭まってゆく。
桂木の狙いは心理戦なんかじゃない。論理による詰みの攻めなのだと武藤は知った。
しかしもう遅い。
「この時点で“鳴海=死者”“此処条=悪魔”
そして俺と取引したアリスは『悪魔のカードを出された』と俺に話した。
そして負けたということは、“アリス=生者”
そして俺は自分で投票したからもちろん、自分のステータスが“悪魔”だと知っている。
ということは」
桂木によってカードが表に向けられる。禍々しい剣を手にした悪魔の絵柄が顔を覗かせた。
「お前のステータスは確定する。生者だ。
だから俺はこのカードで勝負する」
沈黙の中、ディーラーの瞳がカードの絵柄を捉える。そして
「桂木様のカードは“
よってこの戯れは桂木様の勝利となります」
勝者を告げるコールが、狭い部屋の中に響いた。
「おかしい……どういうことなんだ、これ」
武藤は視線を泳がせ、ディーラーと桂木の方へふらふらと視線をやった。
「だって桂木クンのステータスは“悪魔“なんだろう?
なのになんで、投票したはずの“悪魔”のカードを持って……」
「このカードは、アリスのカードだ」
桂木はそっとカードを拾い上げて言った。
「ディーラーに確認を取ったが、カードは絵柄さえディーラーに判別できれば、誰のものでも戯れで使用することができる。
それを知ったアリスは、手を組んだ俺にこのカードを預けてくれた」
「嘘だろ。だってカードを預けるのは……」
途中で飲み込まれた武藤の言葉に、桂木は頷いた。
「ああ。お互いに危険な取引だ。アリスは俺にカードを処分される危険があるし、俺にはアリスの訴えひとつで“カードの強奪”という反則を取られる危険がある。
でもアリスは俺を信じて、このカードを預けた」
そんな。どうして、信じられる……。
武藤の声は桂木に聞こえるはずもない、小さな呟きだった。しかし桂木は、全てわかっているかのように言った。
「信じることを諦めていないプレーヤーが、まだこのゲームにもいたんだ。だから俺も、諦めないと決めた。
人間から寿命は奪わない。皆で、生きて元の世界へ帰るんだと。
——これで俺とアリスとお前のチップは+10。引き分けに終われる可能性はつなぐことができた。
武藤、お前はどうする」
桂木が右の掌を差し出す。武藤はその掌を見つめながら、震える唇を小さく噛んだ。
一回戦での裏切り。信じた仲間からあとわずかのところで寿命を奪われかけた。
甘い言葉は全て嘘だった。
あの時、もう誰も信じないと決めた。
それでも彼は目を背けられなかった。
どこかで、信じたいと願っている自分がいることを。
——優しく開かれた掌に、俯いた青年の指が重なる。
仲間が、また一人増えた。
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