第81話 交渉
桂木が声をかけると、アリスは無言で椅子を降りた。
小さな歩幅でカウンターの裏側へと歩く。そして冷蔵庫からボトルを取り出して注ぐと、グラスを桂木に差し出した。アイスコーヒーだった。
「……。どうも」
きょとんとした顔で桂木が頭を下げると、アリスはカウンターの高い椅子へぴょんと飛び乗った。
そしてグラスに半分ほど残る、いちごミルクのような色の飲み物に再び口をつけた。
「席が整ったことだし、話をさせてもらっていいかな」
ちびちびと飲み物をすする外国人少女に、桂木は他のプレーヤーを相手にするのと変わらない口調で話した。
ルールを理解できていた時点で日本語がわかることは確認済み。
そして今ここにいる時点で、ただの子供ではないことは間違いないだろう。
桂木の問いかけにアリスは小さく頷いた。それを受け、桂木が手持ちのカード2枚をテーブルに伏せて見せる。
「話というのは、取引だ。
武藤一真との“戯れ“で知った情報を売ってもらいたい。報酬は、俺自身のステータスを君に明かすこと」
その言葉に、アリスは静かに桂木へと視線を向けた。
ブルーの瞳が桂木の両目を覗く。その真意をはかるかのように。
「君は武藤に“戯れ”を挑まれ、そして負けた。
しかしその場で挑み返すことはしなかった……いや、できなかった。
騙されたんだろう? あいつに。
手を組んでお互いのチップを増やそうと持ちかけ、自分は正しいステータスを明かさない。
奴はそんな手を使ってきたはずだ」
桂木は自身にも持ちかけられた武藤の提案を辿りながら話した。アリスの表情は相変わらず人形のように変わらない。
そんな反応に、桂木もまた一定のトーンを保って続けた。
「だから俺が情報を買おうと思う。君を裏切った武藤の情報を。
その代わり君には俺の情報を売る。
そうすれば君は俺に“戯れ”を挑んで勝ち、失ったチップを取り戻すことができるはずだ」
どうだ? 桂木が視線で訴えると、アリスは両手で持っていたグラスをコースターに置き、その口を開いた。
「あなたは、信頼できる?」
あまりにシンプルな疑問。
それはそうだろう。アリスは一度、武藤によって取引を反故されている。
しかもこの取引は、どちらかといえばアリス側に利益の大きな取引だ。
「信用してくれとは言えない。だが」
桂木は先ほど伏せたカード2枚に手を置いた。
「情報と引き換えに、俺は手持ちのカード全てを君に見せよう。そうすれば俺は君に売るステータスを誤魔化すことができない。
そしてもう一つ。
俺が君にカードを見せてまで、武藤を倒そうとしている理由も正直に話すよ。
俺はこのゲームを“完全なドロースコア”で終えることを狙っている」
桂木はこの『禁じられた遊びゲーム』のルールを反芻しながら語った。
「勝者は最もチップを増やすことができたプレーヤー。そしてそれ以外は全員が敗者。そういうルールだったな。
これは一見、1人の優勝者がチップ100枚を得て、他4人がチップ100枚を失うという極めて過酷なルールに思える。
だがこのルールにはポイントが一つある。ゲームの勝者が1名に限るとは決められていないことだ。
だったら全員が横並びのスコアでゲームが終了した場合は、全員が勝者。
敗者はひとりも生まれない。
プレーヤー達は5人全員がチップ100枚を得て終えられるというわけだ。
そしてその実現の為には」
桂木がスコアボードを見やる。
そこにはただ一人、戯れに敗北してしまったアリスのスコアが刻まれている。
「なんとしても武藤のリードを許すわけにはいかない。
そして同時に、君を救わなくちゃならないんだ」
言葉だけが宙に浮いたみたいに、二人の表情は変わらなかった。
けれどその言葉は。その思いは、少女の唇を動かすのに足るものだった。
「武藤一真の出したカードは、
アリスの口から情報が伝えられる。桂木が自らの情報を明かすよりも先に。
もちろん桂木はその情報の真偽をすぐさま検討している。
自らの推理と、アリスの言葉に矛盾がないことは照合しなければならないからだ。
けれど桂木は、それ以上の詮索をすることなく自らの生命線である2枚の手札を晒した。
「ありがとう、アリス。
君が取引に応じてくれたこと、絶対に無駄にはしない」
青年の眼が、少女のブルーの瞳を真っ直ぐに捉えた。
そして5分後の対戦ルーム内。
「アリス様のカードは“
よってこの戯れはアリス様の勝利となります」
ディーラーのコールとともに桂木とアリスの戦いが決着する。
これでアリスのスコアは+10、桂木のスコアが-20。
ただ一人、桂木だけが単独の最下位へと転落する。
彼が武藤に勝つことがない限りは。
「行くの? もう」
アリスの言葉に、桂木は小さく首を振った。
「ここで確かめておきたいことがある」
桂木は椅子から腰を上げると、二人の脇に立つディーラー、クラリッサへと視線を向けた。
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