第71話 霧継玲奈

 部屋の大きなモニターに、勝利した吉田の顔が大きく映った。


 御代みしろとともに仲間の勝利を見届ける桂木。

 第19ゲームにして、彼らの結束はようやく勝利への道をこじ開けた。


「やりました! 吉田さんがやってくださいました!」


 子どものような笑顔で御代みしろがはしゃぎ、桂木の手を取った。

 桂木は御代のようにはしゃぐことさえ抑えたが、思わずその手を強く握り返していた。


 勝利が確定したことの喜び……確かにそれもある。

 ただそれ以上に、最後の最後で吉田が戻ってきてくれたことが嬉しかった。


「こういうのは俺らしくなかったかな」


「え?」


 桂木の呟きに御代みしろは目をぱちくりとさせた。


「俺はずっと理屈頼りの戦いをしてきた。でも今回は勝敗を分かつ選択を吉田の感情に任せた。


 霧継きりつぐが吉田の買収に踏み切ることは分かっていたけれど、その対処を吉田への信頼に委ねたんだ。

 

 探ればもっと確実な方法はあったかもしれない。なのに」


 俯きかけた俺の言葉を遮るように、御代みしろは優しく首を振った。


「いいえ。

 とても、桂木先輩らしい勝利だったと思います。少なくとも、私は」


 御代みしろの言葉が染み入ってゆくかのように、桂木は胸に温かみを帯びていくのを感じた。


 皆を信じてきて良かったと思った。

 それに、きっと。


「——優理ゆうりがいたから、辻さんと吉田は最後、俺たちの仲間であることを選んでくれた。

 ありがとう。優理」


 そんな桂木の言葉に、御代は照れくさそうにはにかんだ。


『それではこれより第20ゲーム。桂木様と霧継きりつぐ様の対決を始めます。観戦者の皆様は投票を行ってください』


 篭ったアナウンスが耳に届く。

 桂木はテーブルのカード全てを胸のポケットに入れた。


 第19ゲームを終えた現在の残りポイントはこう。


 1位 吉田  2pt

 2位 御代みしろ  3pt

 3位 タテハ 霧継きりつぐ  5pt

 5位 桂木 6pt

 6位 ミシロ 9pt

 7位 つじ   失格


 吉田と御代みしろの勝ち抜けは現時点で確定だ。失格のつじもチップ140枚を確保している。負けて40枚のチップを失ったところで魔界の脱出は揺るがない。


 あとは俺が霧継きりつぐを沈めて終わりだ。

 桂木は全員のポイントを眺め、ゲームの勝利を確信した。


霧継きりつぐは5のカードしか持っていない。俺が100%勝つ。

 そして最後は、同じようにミシロが霧継きりつぐを指名するだろう。


 優理ゆうり。どちらに賭けるかは打ち合わせ通りに」


「——はい」


「じゃあ、ケリをつけてくるよ」


 桂木が立つと御代みしろは言葉もなく頷き、見送った。

 扉を閉めても、彼女の視線がこちらを向いていることがなんとなく感じられた。




 

 ホールに下りる頃には観戦者全員の投票が確定していたのか、桂木の着席と同時にゲームは始まった。


 ちなみにこの対決、観戦者たちは全員が桂木の勝利に賭けている。それはそうだろう。さっきのゲームで霧継きりつぐの手札が一枚しかないことは、ミシロ以外の全員に知れている。


 そのミシロですら、ゲームの展開を見れば、霧継きりつぐの状況は推測できているに違いない。


 俯くようにして腰掛ける霧継きりつぐは何も声を出すことなく、桂木に目を向けることもなくカードをテーブルに置いた。

 『トラップルーム』の終わりに覗かせた獣の威圧感は、今の彼女にはもうなかった。


「あんたは、どうしてここまでやれた」


 桂木は目の前の女に、賞賛とも疑問ともつかない言葉をかけた。


「手持ちのチップは100枚を越えているんだろう? とっくの昔に魔界を脱出する権利は得ていたはずだ。

 それなのにあんたは危険なゲームを続ける道を選んだ

 何がそこまであんたを動かした」


「余った寿命は人間界に持ち帰ることができる」


 霧継きりつぐはテーブルに視線を落としたまま呟いた。そして口元を吊り上げ、薄く笑った。


「前にも話したことがあるわね。

 100枚を越えた分の寿命(チップ)は元の世界に戻ってから自由に扱うことができるの。

 とても、魅力的だとは思わない?」


「それは自分のために、か?」


 その問いにも霧継きりつぐは表情を変えることはなかった。ただ少しだけ、彼女の淀みない口調が乱れた。


「自分の……そう、かしらね。

 私は私の望むことのために戦った。それだけのことだったのだわ」


「そうか。他人の寿命を自分のために、か」


「あなたにはわからないでしょう。

 あなたに……わたくしの気持ちはわからない」








 ——そんなやりとりを別室のモニターで見ながら、口を開いた者がいた。


 桂木に二回戦で敗れた悪魔。サクラミアヤだった。


「私がこのゲームに連れてきた人間……霧継玲奈には妹がいます。

 彼女が100枚を超えたチップを手に入れてなお、ゲームを続けているのはその妹のためです」


 室内にいる悪魔たちの視線が一斉にサクラミへと向けられる。

 人間とは全く別の価値観を持つ悪魔たちでさえ、霧継玲奈というプレーヤーは異質の存在だった。そんな彼女がなぜゲームを戦っているのか。実は悪魔たちの間でも尽きない話題だったのだ。


「妹とは言っても腹違いの妹です。しかしその妹が、ほぼ天涯孤独の霧継玲奈にとって家族と呼べる唯一の存在でした。


 その妹が5年前に事故に遭いました。それ以来、病院で息をするだけの状態が続きました。


 医者の見立てでは、いつか目を覚ますかもしれないし、いきなり死ぬかもしれない状態。しかし霧継玲奈はいつか妹が目覚めると信じて、高額な入院費用を支払い続けました」


「へえ。じゃあチップを売って入院費用に充てようと?」


 悪魔フジウラの言葉に、サクラミは首を横に振った。


「違います。チップの寿命を妹に捧げるためです。


 寿命を伸ばせる限り、妹が死ぬことはありません。そしていつの日か妹が目を覚ました際、そばにいられるように、自分の寿命をできるだけ伸ばしたいと望んだのです」


 寿命を欲したのは妹を死なせないため。そして妹を支え続けるため。


 霧継を支えていたのは、家族を失いたくないという感情。

 

 戦い続けたのは、彼女があくまで人間だったからだ。


「私の体……この桜海さくらみあやの体は、霧継の妹から写し取ったものです。

 “心臓が右にある“という珍しい体を手に入れるために人間界の病院に潜り込んだ際、私は姉の霧継玲奈と出会いました。


 詳しい経緯いきさつは省きますが、私はこの時に彼女とゲームを戦うことになり、そして敗れています。


 霧継の実力を目の当たりにした私は、彼女こそがへの参加にふさわしいと判断しました。

 一方の霧継は私についてくることで寿命を得られることを聞き、自ら望んでこの世界へとやってきたのです。


 病室を離れる際、霧継は病室のベッドに眠る妹に声をかけました。


 わたしは負けない。

 だからわたしが戻るまで、あやも負けたら駄目よ、と」

 



 ——サクラミたちがモニター越しに見つめる中、霧継の口から動機の多くが語られることはなかった。しかしそれでも、悪魔のように伊達や酔狂でゲームを遊んでいたのではないことは桂木にも伝わっていた。

 

 彼女もまた、何かしらの信念のもとに戦っていたのだろう。


 そして桂木がカードを切る。

 会場のタイマーが音もなく止まり、ディーラーのアナウンスが流れた。

 

『勝負の札が出揃いました。それではカードをオープンしてください』


 その瞬間に緊張はなかった。


 桂木の出した4のカードを前に、霧継きりつぐも躊躇いなく5のカードをオープンした。

 突きつけられた刃を自分の手で身体に押し込むような潔さだった。


『オーナー、4。チャレンジャー、5。このゲームは桂木様の勝利となります』


 モニターに表示された俺のポイントが4つ減る。これで俺のポイントは御代みしろと並ぶ2pt。

 そして霧継きりつぐは賭けを当てたタテハにポイントを抜かれた。


 霧継きりつぐはテーブルのカードを戻し、席を立った。うろたえる表情のひとつも見せることなく会場を後にした。


『それでは第21ゲーム。最後の対決を開始いたします。

 ミシロ様は対戦相手の指名を行ってください』

 

 ——いよいよラスト1ゲーム。

 俺も戻ってベットを行わなければならない。


 霧継きりつぐが持つのは5のカードのみ。ミシロもそれを分かった上で指名しているはず。

 勝敗はもう決まっている。穏やかにゲームの行く末を見送ろう。


 テーブルに桂木が背を向ける。

 4回戦『零ゲーム』は静かな結末を迎えようとしていた。

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