第70話 君は最後まで

 霧継きりつぐに遅れること数分。タテハが部屋に戻ったとき、目の前には理解できない光景が広がっていた。


 カードが管理されていたはずのテーブルに残された、カードの燃えカス。

 大きなジュラルミンケースを開く霧継きりつぐ

 

 その正面では表情を硬くしたつじがケースの中を見つめている。

 

 いったいなにを……。

 現状を知らないタテハは尋ねようとするが、先に口を開いたのは霧継きりつぐの方だった。


「タテハさん。作戦の変更よ」


 この場にいる誰にとってももはや見慣れた笑顔が向けられる。しかしその微笑の節々に、タテハは異質なものを感じた。


「何、でしょう」


 聞き返すタテハに応えることもなく霧継きりつぐはソファに腰掛ける吉田へ歩み寄った。


「わたくしが預けたカードは?」


「僕の手にはないぜ。テーブルにあったカードと併せてつじさんが焼却したからな」


「そう。結構よ。

 

 これでわたくしが持つカードは1のみ。吉田さんが持つカードは4のみ。このまま対戦をすれば、この対戦に限ってはわたくしの勝ち。


 しかし1ポイントしか減らせない現状では、御代さんのスコアに追いつくことはできないし、次のゲームで桂木さんにも抜かれる。状況を見て当然、悪魔ミシロも私を指名するでしょう

 

 そうなれば私は僅差のスコアで桂木チームに敗れることになる。


 けれどね。最後の瞬間にわたくしと対峙するのは桂木さんではない。辻さん、あなたでもない」


「何だと」


 視線を受け、つじの表情にやや不機嫌な色が混じる。霧継きりつぐ


「最後にゲームの行方を決めるのは吉田さんだということよ」


 そこまで言うと霧継きりつぐは吉田を振り返った。

 開いたジュラルミンケースが吉田の目に入る。中には少々の小物と、数本のチップ・ケースが詰め込まれていた。


 もしあのケースが空箱でないのなら、チップ100枚などゆうに超えている。吉田は明らかに困惑の色を見せた。

 それはそうだろう。チップ100枚をすでに持つプレーヤーは元の世界に帰ることができるはずなのだ。そんな人間が今、このゲームに残っている理屈が吉田には理解ができない。


 そんな彼の疑問をよそに、霧継きりつぐは吉田へ五本の指を立てて見せた。


「吉田さん。わたくしと取引をしましょう。

 

 次のゲームでわたくしを勝たせてくださったら、ゲームセット時にチップを10枚支払うわ」


「っ!? 何を……!」


 そう遮ろうとするつじを無視し、霧継きりつぐが言葉を続ける。


「わたくしを裏切れば、あなたが得られるチップは40枚。けれどもしわたくしの取引へ応じて下されば、それより10枚も多いチップが手に入る。

 

 もちろんわたくしもチップを失うことに変わりはないけれど、負ければチップ-40枚。あなたと取引をすればチップのマイナスは10枚で済むの。お互いに利益のある取引でしょう?」


 桂木を裏ぎればチップ50枚の獲得。それもノーリスクで。

 どう考えても魅力的でしかない提案が吉田の前にちらつく。つじは思いもよらない提案に唇を噛んだ。


 この局面は霧継きりつぐに有利。それがつじにもわかったからである。


 なぜなら霧継きりつぐは吉田を買収できるが、この場にいない桂木は吉田と取引ができない。交渉を妨害することもできない。


 またつじもチップに余裕がない以上、霧継きりつぐを上回る条件で吉田を引き込むことができない。


 この条件を吉田が呑めば桂木は負ける。これまで積み上げてきた何もかもが終わってしまう。


 つじは固唾を飲んで吉田の返事を待った。


「わかった。1のカードは僕が使う。

 タテハさん、霧継さんに5のカードを」


「……。ええ」


 霧継のプランが崩れたら自分の敗北も決まる。タテハは吉田に1のカードを預けた。

 

「行こう。霧継きりつぐ


 そう残して吉田が背を向ける。

 

 勝負あり。


 この部屋にいたプレーヤーたちはこの瞬間、ゲームの決着を予感した。


 ——ただ一人。決意を胸に秘めた男を除いて。



 


『それでは第19ゲーム。吉田様と霧継きりつぐ様のゲームを始めます』


 二人が着席し、五分が始まる。

 対戦の結果次第で最後の五分となる1ゲームだ。


「貴方が賢い選択をしてくださって助かったわ」


 霧継きりつぐはカードをそっとテーブルにセットした。


「賢い選択?」


「ええ。情に惑わされることもなく、チップを増やすことを貴方は選んだ。


 けれどそれでいいの。ここではそれが正しい道。

 つじさんや御代みしろさん、桂木さんとあなたは違う。

 わたくしの目に狂いはなかった」


「そうだね」


 テーブルへ目を落としたまま、吉田は呟くように言った。


「僕は桂木くんたちとは違った」


 脳裏に、かつて共に戦ってきた者たちの面影が蘇る。


「寿命を失うのが怖くてさ。自分が本当にすべきだとわかっている選択からずっと目を背けてた。


 でもね。桂木くんと御代みしろちゃんの戦う姿を見て、ようやく目が覚めたんだ」


 顔を上げる吉田と霧継きりつぐの視線が交錯する。霧継きりつぐは向かい合う青年の瞳に輝きを見た。


 それは決意を秘めた人間の眼だった。

 

「まさか……でも貴方、結論はもう出ているはず!


 もう桂木さん側につくメリットは何もない。そんなことあなただってわかっているでしょう!?」


 初めて声を荒らげた霧継を前に、吉田はククク……と静かに笑った。

 迷ってばかりだった自分を笑い飛ばし、決別するかのように。

 

「そうだよ。僕が桂木くんにつくメリットは何もない。


 つじさんだってそうだった。御代みしろちゃんだって桂木くんだって、みんなそうだった。

 僕を救うメリットなんてなかった。


 ミシロに嵌められた僕を見捨てて、自分たちだけで勝つことだってできたはずだったんだ。


 それでも僕を救おうとした。

 それでもこのカードを、僕に託した」


 吉田はこのゲームで出すはずの1のカードではなく、桂木が彼に預けた4のカードを出して見せた。


「それでも、最後の最後。僕を信じてくれたんだ」


 ゆっくりと、4のカードがテーブルへ向かう。


「っ! わかったわ!

 チップを20枚……! いえ、30枚出しましょう。駄目なら……っ」


「嫌だね。

 大事な約束を思い出したんだ」


 鋭く霧継を見据える吉田の脳裏に浮かんでいたのは、一回戦「クラッシュ・チップ・ゲーム」の終了時。


 そう。と仲間になった時のこと。



『私たちは一緒に悪魔と戦いました。だったら、もう仲間でいいじゃないですか』



 そう微笑んだ御代みしろに、彼は約束を口にしたのだ。


 きっと君たちの力になるから、と。


「仲間は売らない

 ——そう、僕たちは仲間だッ‼︎」


 弾くような音とともにカードが叩きつけられる。霧継は瞳孔の開いた両目でそれを見つめることしかできなかった。


 カードから指を離すと、吉田はホールに設置されたカメラの一つへ目をやった。


 そして吉田は満面の笑みを浮かべ、カメラの向こうにいる仲間へ親指を立てて見せた。


『カードが出揃いました。

 挑戦者のカードは5。オーナーのカードは4。このゲームは吉田様の勝利となります』


 そして最後。


 戦いは、最終局面を迎える。

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