第69話 預かった命

 疑問や推測が浮かぶよりも先に霧継きりつぐは走り出していた。


 同じくホールにいたタテハを置き去りにして控え室まで走る。勢いよく扉を開けたそのとき、膝を折って床を見下ろすつじと、少し離れたソファに腰掛ける吉田の姿を見つけた。


 ここでいったい何が。


 その問いが喉元まで出かかったとき、彼女は足元に散らばるの存在に気がついた。

 黒に近い灰色の粕。その粕は床と、テーブルの一部にまで残っている。


 そして第18ゲームが始まるまではテーブルに置かれていたはずのカードの束が、姿を消していた。


「辻さん。あなた、まさか」


「推察の通りだ」


 握った手から床に放り投げられたのは、ほとんどオイルの尽きたライターだった。


「ここに残ったカードは全て処分させてもらった」


「何を……」


「血迷ったわけではない」


 つい先ほど失格を宣告された身とは思えないほど、つじは淡々と口にした。


「これも策略の内だ」


「策略ですって?」


 霧継きりつぐの口調がわずかに早まる。


「失格になることの何が策略なの? 反則は最下位なのよ?

 こんなことして何のメリットが」


「メリットならある。

 これで、儂は仲間の信念に報いることができた」


「——まさか桂木さんたちを勝たせるために?


 嘘。それは嘘よ。そんなの寿命を四十年も失ってまでできることじゃない。桂木さんたちが救われても、肝心のあなたが大きなリスクを負うことになるのよ?


 プレーヤーの中でもっともチップの枚数に執着のはあなたのはず……」


「チップへの執着、か。

 霧継きりつぐ。それがお前の最大の誤認だ。

 そしてそこに、桂木君たちの仕掛けた最後の論理ロジックがある」


 つじは懐から円柱状のケースを取り出した。そして二つのケースには、寿命の代わりとして扱われるチップがぎっしりと埋まっている。


 その数、ちょうど60枚。

 その数に、霧継は大きく目を見開いた。

 

「一回戦で説明のあった、チップ1枚=寿命という基本ルール。そして我々に配られた最初のチップの枚数は、残りの寿命と同じだという説明があった。


 プレーヤーの中で最も年齢が上なのは儂。

 必然、チップ100枚というゴールから最も遠い位置にいることになる。

 

 だがな。霧継きりつぐ。お前は知らなかっただろう。

 前のゲームで儂と悪魔ミシロの交わした契約の中身を」


 明かされつつある真相に、霧継きりつぐの瞼が大きく開かれる。


「気づいたか。悪魔ミシロの最大の目的は、第二ゲームで自分に屈辱を味あわせた霧継おまえに報復すること。

 儂はそのためだけの手駒だった。


 だから奴は第一ピリオドでの対戦の直後、儂のチップを60枚に調節した。

 悪魔ミシロにより、儂のチップの数は、この零ゲームの勝利によってちょうど魔界を脱出できる枚数に管理されていたのだ。

 

 霧継。お前もある程度は推測していただろう。誰がどの程度のチップを所持しているのかを。

 しかし見るからに老齢で最初のチップが少なく、第三ゲームでも敗者ブロックに沈んでいた儂が、60枚ものチップを持っているとは思わなかった。


 仮にチップが40枚以下なら、失格はそのまま死に直結する。

 だから流石のお前でさえ選択肢にすら浮かばなかったはずだ。

 儂が自ら失格を選ぶなどという策は」


 辻の自爆作戦で失われるチップは40枚。チップが40枚以下なら、そんな作戦は取れるはずがない。


 辻の指摘した通り、霧継の想定にこのような展開はなかった。

 だがそれもそのはず。そもそもメリットがないからだ。


 これが桂木の指示だとしても、辻が首を縦に振った理由がわからない。

 なぜなら悪魔ミシロに従っていればチップ40枚を得て魔界を出られた。


 桂木が辻に自爆作戦を実行させるには、必要なチップ40枚に加え、敗北で失うチップ40枚まで補填しなくてはならなくなる。

 

貴方あなた……桂木さんに騙されているのではなくて?

 今の彼に、チップ80枚を補填する余裕があるとは思えないもの」


 ——先ほどの説明だけで、80という数字を弾き出すか。


 霧継の言葉に、辻は思わず固唾を飲んだ。

 この認識速度……なるほど。あれほど警戒されていただけのことはある。


 桂木君が……いや。


 桂木君と御代みしろ君の二人が、あのような人間でなければ敵わなかっただろう。


 つじはもう一度懐に手を入れた。その手には、先ほどとは色の異なるチップケースが握られていた。


「儂が持っているチップは140枚。

 若い二人は文字通り、儂に命を預けたのだ。お前を倒すためにな」




 ◇◇




 桂木vsミシロの直前。

 桂木・辻・御代みしろの3人は最後の打ち合わせをしていた。


 そこで桂木が語ったのは、ミシロを倒した後のこと。

 その先に立ち塞がる、霧継の攻略についてだった。


 辻が霧継チームに入れば、奴らは間違いなく裏切りを警戒する。

 そうすればカードをチームで管理する展開になるはず。桂木の読みはこのようなものだった。 

 

「プレーヤーがカードに触るのは、対戦で使う1枚のみ。霧継ならそんな提案をするはずだ。

 もしそうなったら、辻さん。奴らが部屋に残したカード18枚を使用不能にしてください」


 もちろん、失格で失うチップは補填します。


 桂木はそう付け加えたが、辻は慌てて言葉を返した。


「しかし儂が失格となれば、チームとしてはチップ40枚を失うことになる。

 もともと必要としていたチップ40枚と合わせて、合計80枚。

 そんなに大きな負担をかけるわけには」


「だいじょーぶです!」

 

 辻の心配に元気いっぱい答えたのは、御代だった。


「わたし、いまチップ85枚があります。80枚を辻さんに預けても即死にはなりません!」


「いやそういう問題では」


 言葉を詰まらせる辻に、桂木が横から「そうはさせるか。俺も半分出す」と付け加えた。


「——優理ゆうりが思いついたんです。カードを吉田に預ける戦略も、カードに触らせて失格に追い込む作戦も、霧継きりつぐなら見抜いてくるかもしれないって。


 でも流石にカードを焼き払う作戦までは読み切れるわけないって。


 いやそりゃ読み切れるわけないですよね。だってそれを実行するには、辻さんにチップ80枚を保証しなくちゃいけないですから。


 でもコイツはそれをやるって言ったんですよ。辻さんに自分のチップ80枚を預けると。


 そしたら辻さんはきっと上手くやってくれる。

 そこまで意表を突けば、あとは俺がチームの勝利まで持っていってくれるはずだと。


 正直イカれてますよね」 


「ああ」


「つ、辻さんまでぇ」


 拳をぶんぶん振って抗議する御代みしろ

 そんなリアクションを見ながら、どういう精神をしているのだと辻は息を飲んだ。


 自分のチップ80枚を預けることで、霧継チームの手札を壊滅させる。

 そしてチームとして勝利することで、賞金のチップを山分けする。

 

 そこまで渡りきれれば良いが、一つ間違えば80年の寿命が失われる作戦だ。

 

 なぜそんな真似ができる——辻が唖然とした表情を向けると、御代みしろは困ったように頬を掻いた。


「だって私、辻さんに大見得おおみえを切っちゃいましたもの。脱獄ゲームの時に」


「何……?」

 

「桂木先輩なら必ず見つけてくれるって。皆が助かる道を」

 

 そう言ってまっすぐ辻を見据える御代。

 その表情を見て……あの時と同じだと辻は思った。


 第二ゲーム、脱獄ゲーム。

 サクラミに追い詰められ、一人孤独に打ちひしがれている辻の元にやってきたのが御代みしろだった。


 そして彼女は辻に手を差し伸べて言った。

 みんなが助かる道はある。自分は信じている、と。

 

 辻は薄く唇を噛むと、再び顔を上げて御代へ視線を返した。

 

「——桂木君の策を。自分の信念を。

 そして儂の選択を。


 全てを信じることができなければ成立しない策のはずだ。

 仮に儂がチップを持ち逃げするようなことがあれば……!」


 そこまで言いかけた辻に、御代は人差し指を立てて彼の口元に寄せた。

 そして穏やかに微笑んだ。


「脱獄ゲームの時、私たちを助けてくれてありがとうございました。

 辻さんと会えて、私、よかったです」




 ◇◇



 

「あの時、彼女に助けられたのは儂の方だ」

 

 辻は静かな眼光を霧継に向けて口を開いた。

 

「そんな御代君と桂木君が、儂に命を預けて託したのがこの作戦だ。

 

 お前は見抜くことができなかったな。

 たった今、彼らの勝利が確定した。

 

 なぜなら霧継きりつぐ

 お前はこれ以降、手元にあるそのカード1枚しか使用することができないのだから」


 1枚のカードしか使用できない。

 その宣言は、霧継きりつぐの額に冷たい汗を滲ませた。


 他のカードをすべて処分された今、霧継きりつぐの出せるカードは現在手にしている一種類しかない。


 つまりは残り3ゲーム。

 全てのプレーヤーが霧継きりつぐを指名し、カモにされる展開が見えているということだ。


 そして桂木は作戦を遂行する上でつじにチップ80枚を支払っても、手札が1枚となった霧継きりつぐをカモできるとなれば話は変わる。なぜならゲーム終了後に、桂木と御代の賞金チップ80枚を得られることが確実になるからだ。


 仮に吉田を引き抜けばチップの枚数そのものは黒字で終わることさえも可能。

 

 となれば最終的なチップの増減はどうなるか。


 つじ +40枚

 桂木 +13枚

 御代みしろ +13枚

 吉田 +13枚

 霧継きりつぐ -40枚


 その結果を霧継きりつぐはすぐにはじき出すことができた。

 このまま何もできなければ、桂木の完全勝利が待っている。


(廃棄されたカードは18枚。……ということは吉田さんに預けたカードもつじさんが“強奪”して焼却してしまっている)


 つじの口ぶりから、ゲームの開始前に吉田へカードを預けた布石が無意味になったことを霧継きりつぐはすぐに悟った。


 では残り札で桂木チームの攻撃を防ぐ手段はあるか。霧継きりつぐはさらに考える。


(ここに残るカードはわたくしの持つ1のカードとタテハの持つ5のカード。2枚あれば駆け引き勝負には持ち込むことができる。

 けれど……)


 論理を紡ぐ過程で霧継きりつぐの脳裏にタテハという女の姿が浮かぶ。もはやこのゲームに集まった誰もが知っての通り、彼女は悪魔だ。チップの増減に執着がないため買収は難しい。


(——。……っ!)


 この窮地に置かれて尚も霧継きりつぐの思考は速かった。だがそれゆえに悟る。思い描いた勝ち筋が、この時点でほぼ潰えてしまったことを。


「お前は恐ろしい女だった」


 辻の告白が静かな控え室に響いた。


「七十年近く人間を見てきたが、窮地でこれほど冷たく思考を働かせられる者を儂は見たことがない。それこそ桂木君の言うように、最強の敵と呼んでなんら差し支えはないだろう。


 もし個々の力で争ったなら、我々は抵抗すら許されずにお前の勝利は決まっていたかもしれない。


 だがな。桂木君には仲間がいた。彼によって救われてきた、信頼のできる仲間がいた。

 それが全てを分けた違いだ」


 厳密に言えば、勝負を分けたのはつじがチップ60枚を持つことを知っていたか否かにある。

 霧継きりつぐとてつじのチップが悪魔ミシロによって調整されていることを知っていたなら、つじの自爆作戦を見抜き、それを防ぐチャンスはあったかもしれない。


 しかし力で劣ると自覚する桂木は“自分だけが知っている情報”を利用し、そこに罠を仕掛けた。

 知らないことの対策は立てられない。


 そして何より、御代みしろという娘の存在が、霧継にとって最大の誤算になったのだろう。


「終いだ。霧継きりつぐ


 つじがゲームの決着を宣告する。しかし


「そうかしら」


 そう一言、霧継きりつぐから返された声は本当にささやかで、穏やかだった。


 そして笑った。霧継きりつぐはその表情に笑みを覗かせた。

 しかしただ一点……その瞳だけを除いて。


「確かにわたくしはこれ以降、手元に残った“1”のカード以外を出すことはできない。このまま桂木さんのターンに回ればわたくしの敗北が決まるでしょう。

 だったら“その前に終わらせてしまえばいい”」


 穏やかな口調と相反する視線がプレーヤー達を射抜く。


「見せてあげる。わたくしの戦いを」


 言葉の終わる瞬間、つじは背筋の震えと共に息を呑んだ。そして否応なしに痛感させられる。


 最後の敵は、まだ死んではいないと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る