第35話 見つけた

 なにがあろうと時間は進む。


 何かが変わっても、変わらなくても。

 自分が動いても、動かなくても。


 時間だけは進む。


 時が止まればいいのに、という願い事は不毛でしかない。

 中身のある時間も、ない時間も、進むスピードは同じ。究極の平等だ。


 いつの世も、どんな場所でもそうだ。

 この魔界でも同じである。


 第2ピリオド。

 桂木かつらぎたちに許された時間は半分に迫ろうとしていた。


「吉田を説得するか……いや、いっそ霧継きりつぐに協力を求める方が現実的か?」

「……」


「いや、霧継も写真の証明を破られて行きづまっているはず。だったら……」

「……」


「そろそろ聞くけど、なにをじっと見ている」


 両頬に手を当てて自分を見上げる御代みしろへ、桂木は突っ込んだ。


「いやぁ、先輩のひとりごとってすごい珍しいなぁ、って思いまして」

「そりゃあ慌てもするだろ。むしろなんでそんな、緊張感ゼロなんだお前は」


「でも先輩。私まで深刻な顔してたら、もうやってられなくないですか?」

「身も蓋もないな」


 そしてぐうの音も出ねえ。

 口のほつれた風船みたいに、桂木の身体から力が抜けた。余分に入っていた力も含めて。


「私ってば、わりとちゃらんぽらんですから」


 てへへ、と御代は笑った。


「頭もあんまり良くないですし」

「? なにを」

「その、こういう形でしかお役に立てませんから」


 明るい声と、表情で御代は言った。不自然なほどに。


「無理……してないか? 御代」


 桂木の眼差しが、御代の瞳を覗きこんだ。「だめです先輩」逃げるようにして御代は顔を逸らした。

 声に震えが混じっていた。そのことに、桂木はようやく気がついた。


『なんでそんな、緊張感ゼロなんだお前は』


 ——緊張感がゼロのはずなどなかった。

 桂木はやっと、御代という少女の戦いを知った。


 回を重ねるごとにレベルの上がっていく悪魔のゲーム。

 普通の娘である御代の知恵がついていける領域は、もはやとっくに超えていた。


 それでも彼女は彼女なりに、桂木の役に立とうと戦っていた。

 彼の傍にいられる資格を得ようとしていた。


 冗談を言ってみたり。

 笑顔を作ってみたり。

 前向きな言葉で、自分を繕ってみたり。


 桂木の心が少しでも軽くなるように振舞った。


 “きっと先輩の力になる“


 ここへと来たときの思いを、御代は一度も忘れたことなどなかった。


「私のことは気にしないで大丈夫です」


 だから視線を背けたまま、彼女は叫んだ。


「心配しないで大丈夫ですから……先輩は、先輩のことに集中してください。

 私なんかがお邪魔しちゃいけませんから。

 私のことなんか、気にしなくていいから……!」


「馬鹿を言うなよ」


 静かな一喝がルームBに響いた。

 そして少しだけ遅れて御代の背中に届いたのは、桂木の温かさだった。


「御代が邪魔なはずなんてあるか」


 抱擁とともに、桂木は額を御代のうなじに押し当てた。


「御代がいなかったら、俺はここまでやれなかった」

「桂木、せんぱ……」


「頼む。気にしなくていいなんて寂しいこと、言わないでくれ。

 御代に、傍にいてほしいんだ」

「……」


 ばっ、と身体を翻すと、御代は桂木の首に腕を回した。


 そして抱きしめた。彼女の込められる力のいっぱいまで。


 お互いの鼓動が感じられる距離まで。


 身体を重ねて、御代は目じりを拭った。


「すみません。私のほうが、元気をもらっちゃいました。本当は私の役目なのに」

「いいよ。お互い様だ」


「先輩も……元気になっていただけましたか」

「そうだな。

 ……ああ。御代のおかげだ」


「えへへ。やった♪」


 惚けたような声で、御代は笑った。

 そして名残惜しそうに、ゆっくりと身体を離した。


「——それにしても、やっちゃいましたね。私たち。

 これはもう他の男性に嫁ぐことは許されません。

 新婚旅行はどこにしますか? 私、グアムに行ってみたいです。

 まあ先輩と一緒ならどこでもいいんですけど」


「今さらだけど、お前のネタはいつも飛躍しすぎだ」

「ネタって……」


 頬をむくらませ、御代は目いっぱいの不満をアピールした。

 最初から全部本気なんですけど。


「切り替えるぞ。時間が押してるんだからな」


 桂木は時計に目を落として、顔を引き締めた。


「——そうですね。いちゃつくのは後にしないとですね」

「別にいちゃついて」


 なかったこともない、か。

 急に頬が熱くなるのを感じて、桂木は「とにかく!」と声を張り上げた。


「攻略の糸口を探るぞ。このまま負けるわけにはいかないからな」

「いえっさーです先輩!」


 御代の元気な返事がこだまする。いつの間にか、二人はいつものペースを取り戻していた。


「で、何をしたらいいですか?」

「……」


 沈黙する桂木。

 そう。彼らの仲はちょっぴり進展したかもしれないが、ゲーム攻略は何ら進展していなかった。


 ただテンションが上がっただけなのである。


「わ、私も一緒に考えますか?

 すごいアイディアがでるのはちょっと期待できませんが」

「いや、御代は普通にしててくれ。お前が静かだと逆に落ち着かない」

「わかりました! なにかしら喋ってます!

 ——あーあ、今日は素敵な日だったなぁ」


 桂木に独り言を命じられ、御代はなにもない場所に語り始めた。

 一人きりで空間と対話する女子大生。斬新な光景だった。

 あるいは触れちゃいけない光景でもある。


「桂木先輩が私に“そばにいて欲しいんだ”って言ってくれたもんなぁ」

「……いや、やっぱり気が散る。少し声を抑えてくれ」


「“傍にいて欲しいんだ”って言ってくれたんだもんなぁ」

「せめて、その微妙に似せた声マネをやめてくれ……! 恥ずかしすぎる」


 しかし御代ワールドに入り込んだ彼女に、桂木の注文が届くことはなかった。

 なおも御代の独り言は進む。


「あーあ、写真撮っておけばよかったなぁ」


 誰が撮影するんだよそれ。


「映像があるなら、買い取ってあのシーンだけリピートするのになぁ。延々と」


 悪魔から買い取る気か……発想が半端ないな。

 そもそも売ってもらえるわけが


「ん?」


 意識せずして、桂木は声を出していた。


「御代、ちょいストップ」


 肩を叩くと、御代はやっと“戻ってきた”。


「どうかしましたか?」


 きょとんとした御代に、桂木はルーム内を見渡して言った。


「カメラがない」

「え?」


「御代の独り言で気がついた。

 この会場、監視カメラらしきものが一つもない」


 コンクリートだけの殺風景な部屋。模擬ゲームのときにも感じたが、あまりに物がなさすぎると桂木は改めて思った。

 ゲームを行うというのに、その場にディーラーすらいない。


 あるのはコールのためのスピーカーと蛍光灯。プレーヤーが持つ私物、そして装置と地図のみ。


 ここでようやく桂木は疑問に思った。


 そういえば、ディーラーはどうやって俺たちの避難場所を見てるんだ?


「もしかして、この装置」


 桂木は自分の手首にはめた装置を見つめた。各ピリオドの開始時に信号が送られてくるこの装置は、もしかして……


 こっちから信号を送ってもいるんじゃないか?


 だとしたら、あの時のアレは……。


「見つけた。攻略の糸口」


 光明を見出した桂木の眼が、鋭く光った。

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