第33話 必勝法があるの

「必勝法」という言葉の威力は絶大だった。

 プレーヤー6人は霧継きりつぐの召集を受け、すぐにルームCへと集まった。


 模擬ゲームで芽生えた疑心暗鬼の心。それがプレーヤーたちの胸から消えたわけでは、決してない。


 だが霧継の言葉には悲観すべき現状を忘れさせるような、あるいは錯覚をさせるような何かがあった。


 穏やかに微笑む霧継。

 彼女を囲むプレーヤーたちは、不審の中に、淡い期待をも含んだ視線を向けていた。桂木も含めて。


 そんな彼らを前に、霧継は必勝法の説明を切り出した。


「このゲームを攻略するには、正確な情報のやりとりがなによりも重要。

 つまり自分の情報に嘘がないことさえ証明できれば、確実に仲間を作り、勝つことができるの。


 だったら方法は簡単。情報を、目に見える形で残せばいい」


 目に見える形? 疑問がざわめきに変わろうとした瞬間だった。


 霧継は隣の立羽から受け取ったものを桂木たちの前に掲げた。

 二台の携帯電話だった。


「携帯電話のカメラ機能。これを使えば、嘘のない正確な情報を残すことができるわ」


 ……!


「……な、なるほど!」

「そんな方法が!」


 口々に驚きの声が上がった。

 声さえ出さなかったものの、桂木も盲点を突かれた思いだった。


 魔界に来て以来、まったく電波を拾わなくなった携帯電話。桂木はその有用性など考えたこともなかった。


 しかしカメラ機能の使用に電波は関係ない。

 これなら誰でも簡単に示すことができる。


 自分の正直さを。誰の目にも見える形で。


 よくこんな手を思いついたものだ。しかもこれを使えば……他のプレーヤーの嘘を抑止することも可能じゃないのか?


 桂木が視線を送ると、霧継はにっこりと微笑んで返した。

 彼女もすでに桂木の考える論理に気付き、実施の準備ができているようだった。


「わたくしと立羽たてはさんの見たアルファベットの映像は、この携帯電話に収めているわ。これでわたくしたち2人は絶対に嘘をつけない。


 そして同時に、他の方が嘘をついた場合にそれを見抜くことが可能なのよ」


「見抜くことができる?」


「ええ。もしまだ皆さんが全員で勝ちあがりたいと思うのなら、今から配るメモ用紙に自分の名前と、第1ピリオドで見たアルファベットを書き込んでくださるかしら。


 そしてメモの情報を、画像と照らし合わせる。

 もしもその中に矛盾を生じさせるアルファベットを書き込んだ人がいたなら……」


 固唾を呑んで霧継の一言を待つ。

 彼女が何を言わんとしているか、もうわかっていた。


「そのひとが“嘘つきさん”というわけよ」


 誰も嘘をつけない抑止……つまりは完全な必勝法。それが形になった瞬間だった。


 彼女の手段に異を唱える者はなかった。

 ここで協力を拒めば、模擬ゲームで嘘をついた犯人の疑惑もかけられることだろう。


 桂木・御代みしろ・吉田・神谷かみやの4人はメモを受け取り、それぞれの情報を書き込んで霧継に手渡した。


 彼女の元に情報が集まる。

 霧継はほんの5秒ほどで全ての情報を照合し、その結果を発表した。


「Bが2票に、AとCが1票ずつ。

 そしてわたくしと立羽さんが見た文字は」


 霧継が携帯電話を操作し、その情報を公開する。


 携帯の画面にはAとBの文字がそれぞれ写されていた。


「見ての通り、結果はA2票、B3票、そしてCが1票。


 セーフルームはBだと証明されたわ。


 これで第1ピリオドの避難は成功が確実ね。

 そして次からは携帯電話を持つ全員が写真を残せば、さらに確実に罠を回避しきることができるようになるわ。


 これで“トラップルーム”は攻略したも同然。

 なにか異論のある方はいらっしゃるかしら」


「あ、ええと」


 手を挙げたのは吉田だった。


「すみません、僕の携帯……電池が切れてた。魔界に来た時点でだいぶ減ってたから」

「それは仕方のないことだわ。神谷さんの携帯は?」


「大丈夫そうです。ほとんど触らないもので」

「では次のピリオドは、神谷さんの携帯に二人分の画像を残せばいいわね」


 そんなやりとりを見て、桂木と御代も電池の残量を確かめた。

 かなり減ってはいたものの、このゲームが終わるまで使用する分には問題がなさそうだった。


「他に心配事はあるかしら」

「……一応」


 軽く手を挙げ、申し出たのは桂木だった。


「集まったメモと、画像をよく見せてもらえると助かる」

「もちろんよ。むしろ、そういう提案は大歓迎。

 注意を払うのはとても大切なことだわ」


 桂木の手に携帯とメモが渡された。


「御代。いま何時だ?」

「え? あ、はい。えっと……午後の9時20分です」


 御代が腕時計を見て答える。桂木は手早く、画像の撮影された時刻を確かめた。


 撮影されたのは10分と少し前。

 第1ピリオドの開始時刻と合致する。他に小細工を施した痕跡もない。


「どう? 桂木さん」


 霧継の問いに


「問題なさそうだ」


 そう答えて、桂木は携帯を返した。


 これで決まりだった。桂木が問題ないと断じた時点で、ほぼ全員が、このゲームの円満な決着を確信した。


 それからすぐに6人はルームBへと移動を完了させた。

 皆が晴れやかな表情で、談笑を交わしながら残りの時間を過ごしていた。


(全員、気が抜け切ってるな)


 そんな中、桂木だけが会話に混じらず、ぼんやりとプレーヤーたちの姿を眺めていた。


 霧継の編み出した手段は紛いもない必勝法。疑いなんてない。

 それでも桂木の表情は、いまだ硬いままだった。


「どうしたの? 桂木さん。難しい顔をして」


 安穏とした空気の中、ひとり険しい顔の桂木に声をかけたのは霧継だった。


「まだ、なにか心配事でも?」

「心配事というほどではないんですが」


 引っかかっていることは、ある。

 談笑する他のプレーヤーを尻目に、桂木の声色は真剣だった。


「結局、模擬ゲームでは誰が嘘をついてたんでしょう。それ、気になりませんか?」


 霧継は人差し指を口元に当て、桂木を見た。


「確かに。模擬ゲームで嘘をついたのは誰か……その件は解決していなかったわね。気になるといえば気になるわ。


 でもあれは練習でのお話。本番の結果には響かないし、これから先は誰も嘘をつけないシステムも確立できた。

 さほど気にすることはないんじゃないのかしら」


 やっぱりそうか。

 霧継の認識も、他の4人とそう変わらないらしい。桂木は視線を落とした。


「それがどうかしたの?」

「あくまでも仮の話として聞いてください。

 もし模擬ゲームで俺たちを騙した“嘘つき”が、なにかとんでもない策を仕掛けてきたらどうします?」


「? なにかとんでもない策って?」

「いやそれは……全く思いつきもしないんですが」


 漠然とした不安に説明をつけられず、桂木はうーん、と小さく唸った。


「俺も霧継さんの策は完璧だと思っています。嘘じゃありません。


 でも模擬ゲームで他のプレーヤーを騙した敵は、いまだに俺たちの中に混じってるんです。

 嘘つきは相当に凶悪で、頭も切れる。


 そいつの正体がわからないのって、やっぱり怖くないですか」


「なるほど。監視の意味も込めて、嘘つきの正体を突き止めておくにこしたことはない、ということね」


 瞬時に意図を飲み込んだ霧継に、桂木は小さく頷いた。


「ではまず、目の届く範囲から気を配るのはどうかしら。とりあえずの措置として」


 霧継の提案に、桂木は視線を彼女から移した。


「目の届く範囲……。

 霧継さんの場合は立羽さん、俺の場合は御代を監視する、ってことですか」


 歯に衣着せぬ言い方にも、霧継は「理解が早いのね」と満足げだった。


「わたくしたちが最も監視をしやすいのは、同じルームで情報を受け取るプレーヤー。

 少なくとも立羽さんと御代さんに変わった動きがあれば、すぐに察知できるはずよね」

「いや、でも御代は」


 言いかけて、桂木は言葉を飲み込んだ。

 御代が敵のはずはない。このたゆたった局面のさなか、桂木が唯一、確信を持って言えることだった。


 けれどそれを霧継に理解してもらう手段がない。霧継は気持ちを察したように微笑んだが、


「疑えるものは全て、疑ってかかるべきではなくて?」


 柔らかく発した言葉は、シビアな現実を桂木に突きつけた。


「御代さんがどんな人なのかを、わたくしは知らないわ。けれども彼女がどんなに綺麗な心を持つ人だからって、今は盲目に信じていい根拠になりえない。


 昨日の敵は今日の友。だったらその逆も然り、だとわたくしは思うの。


 それにもう一つ言うなら」


 霧継は御代を一瞥すると、声のトーンを落とした。


「御代さんが、本物の御代さんである保証もない」

「!?」


「悪魔には人間の姿を写しとる能力がある。

 桂木さんも知っているわね」


 畳み掛けるように、霧継は恐ろしい仮説を口にした。


 ゲームとゲームの間に設けられた24時間のインターバル。その間は誰とも連絡を取れない。

 つまりは控室の外で起きている事象について、プレーヤーにとっては完全なブラック・ボックスになっている。


 もしもその間に、プレーヤーの入れ替わりがあったなら。御代が偽物にすり替わったとしたら。

 確実に見分けることなどできるのだろうか?


「このゲームにいる御代さんの方が本物なのかは……わたくしには判断がつかない。だから今のは少し飛躍した考え。

 けれど、そういう可能性も存在することを、心に留めておいて」


 霧継の言葉に桂木は息を呑んだ。表情は輪をかけて険しさを増していた。


 もしも仲間と悪魔の入れ替わりがあり得るとしたら。

 そう考えたら、心のどこかで信じたいと思っていた御代や吉田にまで疑惑の幅は広がる。


 信じきれるものがなにもなくなってしまう。


「……。霧継さんの考えが、可能性のままで終わることを願いたいですね」

「そうね。わたくしも同じ気持ちよ」


 すがる思いで口にした桂木に、霧継は穏やかに頷いた。


『時間です』


 第1ピリオドの終了を告げるアナウンスが桂木たちの会話を遮った。


『現在の所在地が、皆様の避難場所とされました。

 それではただいまのピリオドの結果を発表いたします。出発時のルームへお戻りください』


「——時間ね」

「そうですね」


 霧継はスカートを軽く払って立ち上がった。


「わたくしの方でも、もう少し考えを詰めてみるわ。

 機会があるなら、次のピリオドでも相談に乗ってくださるかしら」

「もちろん。こちらからお願いしたいくらいで」


「嬉しいわ。桂木さんはとても冴えた方だから、一緒に考え事をするのが楽しみね」

「そ、そうですか?」


 考え事が楽しみだなんて、不思議なこと言う人だなと桂木は思った。


 品のある笑顔と香水の香りを残してルームCへと向かう霧継。

 そんな彼女の背中を見送りながら、桂木は軽いため息をついた。


 ちょっと変わってるけど、才色兼備ってああいう人のことを言うんだろうか……。


「なんなんですか先輩。溜息なんかついちゃって」

「おわっ!?」


 背後から聞こえた声に、桂木は思わず跳び上がった。

 冷ややかな目で口を尖らせる御代がそこにいた。


 まったく気配に気づけなかった……忍者かこいつは。


 思わず後ずさる桂木。しかし御代は逃亡者の眼に視線を釘づけ、ずずい、と身を乗り出した。


「見とれてましたよね」

「別に見とれてなんか……」


「誤魔化そうったってそうは問屋がおろしませんよ。

 先輩ってばちょっと目を離すとこれなんですから。乙女の純情をもてあそんだ責任、とってもらうんですからね」

「せ、責任?」


「印鑑を押してもらいます」

「何にだ!?」


 桂木の挙げた声などどこ吹く風で、御代はバッグを漁り始めた。


「ええと、あれ? しまった。今日は持ってなかったみたいです。婚姻届。

 もう! こんな時に限って!」

「普段は持ち歩いてんのかよ!

 ……はぁ。もう無駄に疲れるわ。冗談ならゲームが終わった後にしてくれ」


 嘆息とともに桂木はひとりごちた。


 あくまで御代の言うことを100%、冗談だと思っているあたりが彼らしい。

 そして冗談だと思われるあたりが御代らしかった。


「や、でも御代ちゃんがかまって欲しがる気持ちも、わからなくはないかな」


 やりとりに横槍を入れたのは吉田だった。


「霧継さんと桂木君が話してる雰囲気……内容は聞こえなかったけど、とても口を挟める感じじゃなかったもん。

 僕らの手の届かないレベルにいるような気がしてさ。


 正直お似合いで、いい感じにも見えたし。

 なんか他の人なんかいなくても、二人で充分みたいな」


「——馬鹿なこと言ってないで早くルームAに戻れ。

 あんまり遅いと、反則を取られるかもしれないぞ」

「……そうだね」


 吉田は踵を返して、ルームAへと帰って行った。

 最後に桂木へ向けた顔は、笑っているのにどこか寂しげな、複雑な表情だった。


 ルームBに桂木と御代だけが残る。

 それを見届けたかのように、3つのルームを仕切るシャッターが下りた。


「要注意です。霧継さん」

「どういうことだ? 御代」

「美人さんです。先輩が手玉に取られかねません」

「ああそう」


 呆れたように桂木が呟く。だが御代は「それに」と続けた。


「霧継さんと話したあと、先輩がどこか不安な顔をされていました。

 ……霧継さん、先輩に何をおっしゃったんですか」


 見据えるようにして、御代が桂木と向き合う。


 疑えるものは全て疑ってかかるべき。たとえ親しい者でさえも。


 霧継の声が脳裏に浮かび、桂木は御代から目をそらして閉じた。


「別に、他愛のない話だよ」

「その他愛のないお話、よければ聞かせていただけませんか」


 真顔のまま御代は食い下がった。その時だ。


『全員の入室が完了いたしました。それでは第1ピリオドの結果を発表いたします』


 ミレイユのコールがスピーカーから響いた。


「——ほら、結果発表だ」


 ほっとした顔で、桂木はコールに耳を傾けるよう促した。背を向けた御代から、囁くような「はい」の返事が聞こえた。


 さっきは全員の失策を告げたミレイユのコール。だが今度はそんな事態もありえない。


 誰もが肩の力を抜いて聞いていた。

 全員が避難を成功。必ずそうなるはずだったから。


 しかし


『セーフルームに避難したプレーヤー、2名。

 トラップルームに避難したプレーヤー、4名。


 第1ピリオドは2名のプレーヤーが避難に成功いたしました』


 ……は?


「え?」


 呆気にとられる桂木と御代。

 トラップルーム4名って……何?


『避難に成功した2名にはポイントが付与されます。

 それでは続いて第2ピリオドを開始いたしましょう。装置をご覧ください』


 凍ったような空気の中で、ミレイユの声だけが流暢に流れる。


 まさかの事態、トラップルーム4名。半数以上のプレーヤーが罠にかかったということ。


 愚直なプレーヤーたちはまた、嵌められた。嘘つきによって。

 それが発覚した瞬間だった。


 そして桂木はようやく気がつく。彼の想定をはるかに超えた難敵の影に。


 三回戦“トラップルーム”にして相まみえた、最強の敵。


 その正体も見えないままに桂木たちは挑む。


 過酷の第2ピリオドが始まる。

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