三回戦 トラップルーム

第29話 生き延びた者たち

 桂木かつらぎ千歳ちとせが扉を開いたのは、予選が終わってずいぶん経ってからのことだった。


 三回戦の本戦に進出する者が集まる控室。

 桂木が足を踏み入れたとき、すでに3人の姿がそこにはあった。


「桂木せんぱぁぁぁいッ!!」


 御代みしろが現れた!

 桂木は反射的に身を翻し、立ち位置を横にずらした。


 突進に近い勢いで走っていた御代みしろが、桂木の残像にダイブする。

 そのまま扉に頭から衝突し、ずるずると地面に崩れ、御代みしろはそのまま動かなくなった。


 うわ……しまったやりすぎた。


「大丈夫……か?」


 おそるおそる、桂木が腰をかがめる。

 御代は頭をさすり、涙目になりながら口をへの字に曲げた。


「ひどいですよぅ、先輩。避けるなんて」

「いや、避けなきゃ事故になってたぞ。人身事故」

「私は乗用自動車ですかッ」


 頬をふくらませて御代が抗議する。

 いつもと変わらない、微笑ましいほど無邪気な御代がそこにはいた。


「——えへへ~♪」

「だ、大丈夫か」


 そして急に力の抜けた顔で笑う。あまりの激烈な変化に、頭の打ちどころが悪かったのかと桂木は心配した。

 わりと本気で。


「いいえ。嬉しくてちょっとテンションあがっちゃいました」


 御代は朗らかに目を細めた。


「良かったです。先輩がここに来てくれて」

「——御代も。変わりがなくてなによりだ」


 小さくため息をつくと、桂木の表情が緩んだ。


「よかった。桂木君も勝ったんだね」 


 御代の突進から少し遅れて、桂木の傍に来たのは吉田だった。


「心配してたんだ。なかなか姿が見えなかったから」

「そうですよ。心配したんですよ。

 私の目が離れた隙に、桂木先輩が女性をたらしこんでないかと。むやみやたらに」

「むやみやたらにってなんだ。余計な心配を……」


 それまで淀みない突っ込みを披露してきた桂木の言葉が途切れた。


 浮かんだのは、もちろんあれだ。予選で知り合った柚季麻耶花とのあれこれ。

 否定の言葉を見つけられずに、桂木は目をそらした。


「どうして静かになるんですか? 先輩。

 まさか……くんくん。くんくんくんくん」


 鼻を鳴らす御代。その姿はさながら犬のようだった。

 それもただの犬ではない。警察犬だ。

 桂木の首筋から服から、丹念に、念入りに、なめるように調査を展開する。


「お、おい」

「……女性の匂いがします」

「!?」


 断言しやがった。嘘だろこいつ!


「先輩……私の目が離れたすきに、他の女性と逢引されたんですね。

 相手はどこの誰ですか。フジウラさんですか? サクラミさんですか?」

「あ、悪魔だと分かってるあいつらに気を許すわけないだろ」


「じゃあ同じゼミの冬月さんですか? それともサークルの百合乃ちゃん」

「魔界に来てるわけないだろうが……っていうかなぜ俺の交友関係にそんな詳しいんだお前は!」


「ごまかさないでください。先輩はすぐ女性に優しくして、気を持たせるんですから……。

 私というものがありながらッ!」

「誤解を招くようなこと言うな! お前は俺のなんなんだ!」

「なんなんだですって!? それは……!」


 ……。


「それはその……ごにょごにょ」


 真っ赤になり、急にしおらしくなる御代。


「いや、後輩だろ普通に……そこは答えろよ」


 桂木が突っ込むが、御代は口をもごもごさせて俯いたままだった。


(俺のなんなんだって、それを言われたらぐうの音も出ないじゃないですか。鈍感なのもここまで行くと罪ですよ。

 絶対に責任とってもらうんですから……)


 頬は真っ赤、涙の溜まった上目使い、拗ねたように結んだ唇。

 お手本のようなぐぬぬ顔で、御代は無言の抗議をすることしかできなかった。


「いやぁ、やっぱり御代ちゃんがいると安心するね。

 ピリッとした空気がマイルドになるよ」


 漫才さながらの痴話喧嘩を観劇していた吉田がけたけたと笑った。


「ずっとしんどかったもん。予選を一人で戦ってる間はさ。

 でも一緒にいると、御代ちゃんのありがたさがわかるよ。同じブロックに来られてよかった」


 腕を組み、吉田はしみじみと頷いた。


 こいつは本当に自分の思ったことを代弁してくれるな。吉田を横目に見ながら、桂木はそんなことを思った。


 御代と再会して、わずかでも普段の状態を取り戻せた自分に桂木も気がついていた。

 彼女のテンションに引きずられたせいか。はたまた他に理由があるのかはわからない。


 いずれにしても御代のお蔭で、いつの間にか気力を取り戻せた自分がいる。

 素直じゃない桂木も認めざるをえないことだった。


「そうだな。吉田も御代も、無事に予選を勝ち抜けてよかった」


 適当な相槌を打って桂木は話題を変えた。

 だがそんな桂木から、吉田はばつが悪そうに目をそらした。


「や、それに関してなんだけどさ。実は僕たち、勝ってないんだ」


 勝ってない? どういうことだ?


 吉田は表情だけで桂木の言わんとしたことを察したようで、自分から予選ゲームの経過を口にした。


「相手に交渉を持ちかけられてさ。チップ9枚を渡せば、ゲームを降りてやるって」

「降りるって……つまり棄権、ってことか?」


「そう。まあ勝てば相手のチップ10枚がもらえるし、実質的にチップ1枚を増やして棄権勝ちになったんだけどさ。


 もちろん最初は罠があるんじゃないかって疑ったよ。

 でもチップ1枚とはいえノーリスクで手に入るのはどう考えても得だし、勝てばきっと桂木君と同じブロックで戦える。


 そう思って条件を呑んだんだ」


「だから俺よりだいぶ早くここに来れたのか。って、ん?」


 さっき吉田は僕って言ったか? 桂木が視線を移すと、御代は首を縦に振った。


「その……私もなんです」


 おずおずと、御代も口を開いた。


「私も対戦相手の方に、チップを支払うからそれで予選の決着にしようと申し出られました。

 だから私も、相手の方の棄権でここにいます。


 理由は……最後まで答えていただけませんでしたが」


 御代もまた、桂木よりいち早く勝ち上がりの決まったいきさつを説明した。

 ただ吉田に気を遣ったのか、自分はチップを受け取らなかった事実は口にしなかった。


「もしかして先輩もですか?」

「いや、俺は普通に勝負した。

 それにしても棄権勝ちが二人か。もしかして、向こうの彼も?」


 桂木が視線を向ける。少し離れたソファで、高校生くらいの少年が文庫本を読んでいた。


 つやのある髪に、ぱつんと切りそろえたおかっぱ頭。淡い色の着流しのような衣服。

 物語に出てくる童が、現代によみがえったかのような雰囲気を出していた。


「彼……神谷君にも予選の流れは聞いたよ。答えてはもらえなかったけど。

 でも棄権勝ちの僕より先に会場にいたわけだから、彼もそうなんじゃないかな」


「もしくは棄権勝ちの吉田より早く、予選を瞬殺で突破したか」


 あくまで可能性の話をしたに過ぎないが、吉田も御代も表情をひきつらせた。


「いや、まあゲームの内容次第だけど」とってつけたように桂木はフォローしたが、吉田は「そっか。短いゲームなら、そういうこともあるね」と納得したようだ。


 ——いや、そんなことよりも問題は。


 桂木が思考を働かせていると、同じタイミングで疑問を口にしたのは御代だった。


「じゃあこの会場には……2人あるいは3人も棄権で勝ち進んだ人がいるわけですよね。


 どういうことなんでしょう。

 なぜ、チップを払ってまで棄権負けを選ぶ人が、こんなにたくさんいるんでしょうか」


「これもあくまで仮定の話だが」


 桂木の前置きに、吉田と御代の視線が集まった。


「チップを失ってでも、迅速に予選を終わらせなければならない事情があった。

 あるいは……吉田と全く逆の理由だろう」

「逆?」


 聞き返す吉田に、桂木は端的に告げた。


「吉田は勝てば俺と同じブロックに行けると思った。その逆だよ。


 勝者ブロックに進んだ場合に、チップを払ってでも避けたいと思う程の強敵と出会う恐れがあった。

 だから敗者ブロック行きを狙って棄権した。


 そういう動機だ」


 2人の表情と、周辺の空気が一気に凍りつく。


 するとその刹那。本戦を勝ち上がった残りのプレーヤー2人が控室の扉を開いた。


 いずれも女性。

 そこに、2回戦をともに戦ったつじと上野の姿がない。


 2人は敗れたのだ。

 ここに集まったプレーヤーの誰かに。


「せ、先輩……!」


 うわずった声を漏らす御代に、桂木は一言「気を抜くな」とだけ返した。


 桂木、御代、吉田を除いた3人のプレーヤー。

 うち2人は少なくとも、その手で辻と上野を敗者ブロックに沈められるほどの実力者。


 余裕などあるはずなかった。

 気を抜けば、次に沈むのは自分だ。


『お待たせしました。全てのプレーヤーが集まりましたので、これより三回戦“本戦”の会場へご案内いたします。

 正面の扉をお進みください』


 いきなり入った放送。ディーラーらしき女の声に促され、6人が扉を通過する。


 扉の向こうは正方形の白い部屋。それが入口から見える範囲から三つ、連なっているような構造。

 上から見ると四角形の三色パンをイメージさせる配置。普通の建築物ではおよそ見かけない形をしていた。


 6人がそれぞれ観察をしていると、入ってきた扉にロックがかかった。他に出口らしき場所はない。


 それはゲームが終わるまで会場から出られないことを意味していた。


『皆様、ようこそこのAブロック会場にお進みくださいました。

 わたくし、ゲームの進行を務めさせていただきます、ミレイユと申します。


 それでは発表いたしましょう。三回戦本戦で行うゲーム……


 それは“トラップルーム”でございます』

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