第26話 それは勇気なんかじゃなく

(——100錠のカプセルのうち毒のカプセルは7錠。

 交互にカプセルを飲み続け、それを30ゲーム繰り返した場合……どちらも毒を引かない確率はわずか7,488%程度)



 計算式

 (1-93C30/100C30)×100≒93




 用紙も機械も用いず、その優秀な頭脳だけで柚季ゆずきは演算の答をはじき出していた。


 双方がパスをせずゲームが進めば、約93%の確率でいずれかのプレーヤーが死ぬ。


 つまり“服毒ゲーム”とは、まともに勝負すれば46,5%の確率で命を落とすゲームなのだ。


 だから絶対にカプセルの飲みあいで勝負してはいけない。柚季の思い至った最初の論理がそれだった。

 そして。


(このまま桂木かつらぎさんがカプセルを飲み続けると、必勝ラインの16錠までに毒を飲む確率は……約71,704%。


 一回ならわずか7%しかない死の危険も、16回繰り返せばリスクは7割以上にまで跳ね上がる。

 桂木さんは……きっとそのことに気づいてへん)


 二つ目のカプセルを飲み終え、大きく息を吐く桂木を柚季は見据えた。

 目の前の果敢な青年は、数分のうちに、7割の確率で命を失うリスクを背負っている。


(まともに勝負したら5割がた即死。パスを続ければ即死のリスクはゼロ、かつ7割以上の勝利。


 そんなの、黙ってパスを続けるのが得策に決まってるやん。


 このまま、黙って……)


 柚季がパスを宣言する。桂木がカプセルを取り出して飲む。


 第3ゲームが終了し、桂木は3度目の回避に成功した。

 しかし柚季の理論に気がつき、その手を止める様子はない。


(ごめんね……桂木さん)


 勝利を確信した柚季の胸に生まれたのは、歓喜でも安堵でもなく、対戦相手として巡り合せた青年への謝意だった。


(桂木さんの代わりにあたしは助かる。桂木さんがええ人なのはわかってる。こんなところで死んでいい人やないのも、わかってる。

 でも……あたしはそれでも)


 目の前で桂木がカプセルを飲む。柚季はそんな彼に、かけたい言葉の全てを飲み込んで押し黙った。


 謝ったところで、最後は自分の事しか救わない。救えない。


 それでも口にするなら、それは自分を慰めたいだけの偽善。

 戦う覚悟を決めた桂木への冒涜にしかならないのだから。







 そしてゲームは進む。このゲームで柚季は7度目のパスを宣言し、桂木は瓶からカプセルを取り出して飲み込んだ。


 桂木はこれで8度目の回避に成功。

 必勝ラインの折り返し地点までこぎつけていた。


『第9ゲーム。桂木さんは……』

「飲みます」


 宣言して桂木がカプセルを飲み込む。体調に異変はなさそうだった。


「さすがに水を飲み続けるのも、楽なことじゃないな」


 胸をさするようにして桂木は言った。


(もうそろそろ引いてもいい頃なんやけど……)


 平然としている桂木を見て、柚季の身体には薄く汗がにじんだ。


 三回戦まで生き残っている青年だ。それなりに運がいいのは認めよう。

 けれど、それにしても。


 ……。

 まさか、このまま16ゲームが経過してしまうのでは?


(いやいや、焦ったらいかん。変に動けば自滅の可能性が上がってまう)


 このまま桂木の自滅を待つのが最善の策。

 余計な考えを振り払うように、柚季は軽く頭を振った。


「俺の自滅を待っているんだよな」


 不意打ちのような呟きに、柚季は思わず顔を上げた。


「だが無駄だ。待っていても、俺は毒を引かないよ」

「——そう」


 揺さぶりをかけるかのような言葉に、柚季は素っ気なく応じた。

 相手をすればつけ込まれるだけだと思った。


「このまま強運が続くとええね」

「運、ね」


 そして10ゲーム目。桂木はまた毒カプセルを回避して言った。


「俺が毒を飲まないのは、偶然じゃないかもしれないぞ?」


 桂木は悠然と椅子の背もたれに身体を預けた。きわめて不敵にして、柚季にとっては不気味な態度だった。


 桂木の言葉はハッタリに決まっている。だってカプセルはアタリもハズレも全く同じなのだ。見分けられるはずがない。


 惑わされるな、惑わされるな、惑わされるな。

 柚季は強張った身体をほぐすように腰をかけ直し、改めて意識を研いだ。


「あたしは、パスしかしません」

「そうか。じゃあ俺は」


 桂木は瓶を軽く振ると、また一錠を取り出して宣言した。


「飲みます」


 これで11ゲーム目が終了。

 16ゲームの差をつければ逆転不可能であることを考えれば、このままの展開が続いた場合、あと5ゲームで決着の局面を迎える。


(まさか桂木さんには……毒の位置が分かってるんじゃ……?)


 可能性にすら上がらなかった仮説が、ここにきて柚季の脳裏に浮かんだ。

 もちろんそんなことが不可能なのは承知の上で、である。


 瓶の中身は最初にディーラーの手でシャッフルされた。毒カプセルの位置を目で追うのは柚季も試みたが、人間の動体視力では限りなく困難だと悟った。

 それを7つ同時に追うとなれば、もはや人間の成せる業じゃない。


 だから桂木が毒を回避できているのは偶然に違いない……はずなのだ。


 だがそう結論づけたところで焦りは消えない。むしろ強くなるばかりだった。


「……」


 パスを続ける柚季に小瓶が回ってくる。柚季はその瓶を初めて手に取った。


『おっ……?』


 ルピスの瞳に期待の色が宿る。しかし柚季は瓶を机の下に隠し、丹念に振っただけで、そのままパスの宣言をして瓶を返した。


(もし桂木さんに毒の位置が分かっていたとしても、これで攪乱させられたはず)


 淡い期待を抱いて柚季は桂木の反応をうかがった。だが。


「そんな攪乱は無意味だ。

 何をしようと俺は毒を引かない。絶対に」


 まるでテンポを乱さずに、桂木はカプセルを飲んで見せた。


 次で第13ゲーム。いよいよ桂木の勝利が濃厚な色を帯び始めた。


(桂木さんの行動は単なる運任せ……戦略でもなんでもない。


 あたしは計算と戦略を巡らせて戦った。桂木さんの無鉄砲な行動に、あたしが負けたりなんてしない!)


 自分の戦略に身を委ねる覚悟。

 それを今一度固めて、柚季は桂木がカプセルを飲むさまを見届けた。


 第13ゲーム、第14ゲームと経過する。


 そして15ゲーム目。桂木は毒カプセルを回避。

 “服毒ゲーム”の勝利に王手をかける。


 そして運命の第16ゲームを迎えた。


『これでもし柚季さんがパスを宣言して、桂木さんが毒を避ければ事実上のゲームセットだね。

 さあ運命の瞬間だよ。柚季さん、どうするの?』


 小瓶を手渡し、ルピスが決断を求める。柚季はうつろな目で瓶を満たすカプセルを見つめた。


 頭の中は混乱だけだった。


 どうして桂木は毒カプセルを引かないのか。単なる強運なのか、戦略なのか。


 最後まで読み切れないまま、柚季は最後の選択を迫られた。


 パスをすれば決着を迎える1ゲーム。

 どうしていいかもわからず、柚季は力なく瓶の蓋に手をかけた。


「やめておけ」


 ふらふらと伸びた柚季の手を、桂木の一声が止めた。


「考えもなくカプセルを飲もうと思うなら、それは勇気なんかじゃなく、ただの無謀だ」


 挑発的な言葉ではあった。けれど桂木の声は、どこか諭すような色も帯びていた。


 蓋を握ったままの手が震える。振動がガラスを伝い、中に詰まったカプセルがカタカタと鳴った。


『どうしたのかな? 柚季さん。早く飲まないとパスにしちゃうよ?』


 待って!

 ……今の柚季にはその一言すら、言葉にする力が残っていなかった。


 思いは叫びに変わらず、掠れた音となって喉の途中に消えた。


「人は急に強くなんてなれない。

 カプセルを飲もうとするなら、その決断は遅すぎた」


 硬直しかかった手から瓶を取ると、桂木はゲームの進行をルピスに求めた。

 ルピスはもう一度だけ柚季に目をやると、ゲームの遅延を防ぐといった理由で柚季の“パス”判定を宣告した。


「飲みます」


 瓶の中から一錠のカプセルを、桂木が口へと頬張り込む。

 そして。


「俺の勝ちだ」


 勝利宣言が薄闇の会場に響いた。


 第16ゲーム……桂木は毒の回避に成功。


 “服毒ゲーム”は桂木の勝利という形で、事実上の決着を迎えることとなった。

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