第18話 真っ直ぐな駆け引き
歳は六十一。脱獄ゲームに参加する人間の中では最年長である。
三十八年勤め上げた新聞社で定年を迎えた。彼には穏やかな第二の人生が待っているはずだった。
新しい趣味でも探そうか。田舎で小さな畑でも始めようか。あるいは息子や孫と旅行にでも行こうか……そういえば仕事ばかりで、あまりかまってやることができなかった。
縁側で思いにふけるだけでも楽しかった。
彼がこのゲームに引きずり込まれたのは、そんな日々の始まった矢先のことだった。
雨上がりの庭先で。空を映していた、軒先の水たまりが禍々しく歪んだのを見た。
気がつくと辻は一回戦の会場にいた。
悪魔の戯れ。そこでは桂木たちと同じく寿命を賭けたゲームが行われた。
そこでも彼は最年長。チップの数は若い他のプレーヤーたちに劣った。
必然的に強いられた不利。経験に裏打ちされた知恵を酷使し、苛烈なゲーム展開をなんとか生き延びた。
しかしいまだゲーム離脱の権利を得るチップ100枚には程遠い。
加えてこの脱獄ゲームで賭かったチップは20枚。彼の持つチップのほぼ全てだった。
負ければ死んだも同然になる。なんとか、勝つまでとはいわないまでも、この局面を凌ぐすべを見つけなくては。
そんなことを考える最中だった。
彼のもとに、
「私たちに力を貸してください。辻さん」
御代はふかぶかと頭を下げた。辻は警戒の目で彼女を見た。
一回戦で人の裏表を嫌ほど見せつけられた経験は、とても一朝一夕で拭い去れるものではない。
「取引なら、要件を手短に話すといい」
「ありがとうございます」
突き放す言い方にも、御代は礼儀正しく応じた。
「お話というのは、鍵の情報の交換です。辻さんが持っている鍵のナンバーを教えていただけませんか。
もちろん私たちも教えますから」
「構わない」
隠す意味もない。辻はキーホルダー部分を御代に見せた。
もちろんチェーンはしっかり握ったままに。
1‐Cと1‐Dの文字が薄ら闇にぼんやりと浮いた。返す形で、御代がチームの持つ鍵のナンバーを話した。
これで各プレーヤーの所有する鍵が全て明らかとなった。
「1‐Cと1‐D……両方とも1の壁を突破するための鍵ですね」
「そうだな。見ての通り、私は鍵をひとつ持て余している。
交渉の余地はあるだろう。だが」
真正面の御代と、その隣の吉田へと辻は目をやった。
「それも簡単な話ではない。見たところ、君たちは3人のチームなんだろう。
そこに儂が加われば4人」
頷く御代に「それが課題なのだ」辻は端的に述べた。
「儂の持つ鍵を使えば、ここに残った4名は全員がエリア2へと到達できる。だが問題はその先だ」
辻はゆるやかな弧を描いて伸びる壁を見た。
「エリア2ではサクラミと上野が、おそらく手を組んで待ち構えているだろう。
奴らの持つ鍵は3‐Aと3‐B。これだけでは2の壁を越えられぬからな。
対する我々は2の鍵を独占しているが、エリア3の壁を突破するすべを持たない。
ゆえにそこで敵と取引をすることになる。問題はその取引の結果だ。
2の鍵と3の鍵を交換した結果、2名で組む敵の脱獄は確実になる。
対する我々は、3の鍵1本とマスターキーによって、3名までの脱獄が可能となる。
しかしどう工夫をしたところで……手を組んだ4人全員でゲームの攻略を迎えられない。
ゆえに決断を迫られるのだ。
最後に、誰を犠牲にするのかを」
窮まった現実を辻は遠慮なく口にした。サクラミによって教えられた情報もあるが、大半は情報をヒントに辻が推理した内容だった。
一回戦を自力で生き延びただけの知恵を辻は持ち合わせていた。
だがそれだけに誤魔化しはきかない。
話を聞く吉田の表情が強張った。しかし御代は眉のひとつも動かさなかった。
彼女は最初から化かし合いなどする気はなかったからだ。
「誰を犠牲にするのか、決めない限りは協力していただけないということですね」
「ああ。むろん、儂は自分が犠牲になる気はない。それは君らとて同じだろう。
簡単ではないと言ったのは、そういう意味合いだ」
簡単ではない、というよりは不可能に近い。辻はそのくらいの受け取り方をしていた。
誰だって自分が可愛いに決まっている。自分の命と他人の命なら、自分を救うに決まっている。
それは善も悪もなく当然の選択だ。
命を持つ者である限り、そうでなければ嘘のはずだから。
「ではたった一人の犠牲者が、辻さんではなければ納得していただけますね」
「?」
御代の言葉に、辻は明らかな怪訝の色を浮かべた。
何を言っているかわからなかった。
犠牲者が自分でないなら?
それはない。そうなれば、犠牲者は最初から協定を組んでいた桂木・御代・吉田の3人から選ばなくてはならなくなる。
わざわざ自分が犠牲になる確率を上げるなど、考えられない。狂気の沙汰だ。
もしも御代がそのつもりで話をしたのなら、辻はもうこれ以上、やりとりを続けるつもりはなかった。
自分から犠牲を選ぶ人間などいない。そう口にする者は詐欺師だ。
ひときわ厳しい目が、御代を睨んだ。だが御代は怯む様子も見せず
「そのときはみんなで犠牲になりましょう!」
そう言ってグッと拳を握った。
驚愕する辻。そして吉田も一緒に。
そんな話は聞かされていなかったからだ。
「も、もちろん最悪の場合は、ですよ?
それに全員がチップを失って脱落するという意味じゃないです」
言葉が足らなかったのを悟り、御代は言葉を加えた。
「みんなで犠牲になると言ったのは、犠牲をちょっとずつ分け合うということです。
4人のうち3人が勝ち上がれば、3人が得られるチップの合計は72枚。それを4人で分けたら18枚は戻ります」
御代の計算はこうだ。
このゲームで、6人のプレーヤーが賭けたチップは一人20枚。合計で120枚。
桂木チームの一人が脱落すれば、残りの5人が勝者となりそれを分ける。よって賞金は一人24枚。
そうなれば3人の勝者を含む桂木チームが得られるチップは、24枚×3人で72枚。
3人の賞金を4人で平等に分ければ、賭けた20枚中、18枚は取り戻せるというわけだ。
「これなら失うチップは一人あたり2枚。次のゲームで十分に取り戻せる数です。
でももし、ここで協力ができなければ私たちは4人ともチップ20枚を失います。それだけは避けなければなりません。
私は……ごめんなさい。初めてお会いした皆さんのために、自分だけが犠牲になるなんて言える人間じゃありません。
でもなるべくなら、少しでも救われる結末にしたいと思うんです」
「もしものときは、犠牲をみんなで分かち合おう、というわけか。次のゲームに希望を託して」
御代の考え方は、理想と現実の折衷案だった。
自分が犠牲になるのは御免だ。けれどこのまま無抵抗に敗れるわけにいかない。
そんな辻の思いを見すかしたような……いや、違う。
想いを汲んだかのような提案だった。
辻の表情が緩んだ。
拍子が抜けたような、あるいは毒が抜けたような微笑みだった。
「最悪の場合とは、このまま打開策が見つからなかった場合のことか」
「はい。でも、そんなことにはならないはずです。だって今、桂木先輩が逆転の手段を考えてくださっています。
可能性の存在を伏せるのはずるいと思ったから、最悪の場合なんて言いましたが……。私は信じています。
桂木先輩なら必ず見つけてくれるって。皆が助かる道を」
「分かった」
もう十分だった。辻にとって、これ以上の言葉はいらなかった。
「きみがそこまで推す桂木君とやらに、儂も乗ろう。
桂木君がどんな策を見出すかわからないが、儂は一も二もなく彼に協力する。
このまま待っていても敗北を待つのみ。
それなら若い知恵に託すのも一興というものだ」
そこへ、まるでタイミングを見計らったかのように。
いままで部屋の隅で何かをしていた桂木が、御代たちのもとへやってきた。
「君が桂木君だな」
辻の問いに桂木が頷く。
「話は御代君から聞いた。君たちのチームに加えて貰いたい」
自分より二回り以上も歳の離れた桂木へ、頭を下げる辻。
そんな態度に敬意を払うように、桂木は深くお辞儀をした。
そして御代と吉田には
「良くやってくれたな」
と笑顔を向けた。
「ま、まあ私だってがんばったらこんなもんですよ!
も、もっと褒めてくださってもいいんですよ?」
「ああ。さすがだな、御代」
~~!! 予想外に素直な桂木に、御代は滑らせた口をもごもごさせた。
(いつもは私にちょっとシビアな先輩が……いや完全に私がはしゃぎすぎてるせいなんだけど、急に素直に優しくされると、なんか、こう、なんというか……
生きててよかったぁぁぁぁ!)
ひとり悶え狂う御代であった。
そんな彼女はさておくとして、話は進む。
「二人が説得をしてくれている間に、逆転の策は固まった。
辻さんが協力してくれるなら、いますぐ実行に移すことができる」
手にした鍵と、御代のタオルを桂木は掲げた。
タオルは御代が預けたときより痛んでいた。
ある実験の結果により。
「すまなかったな、タオル。こんなにして」
「いえ、そんなのいいですけど……。どうしたんですか? それ」
「まあ、すぐにわかる。
さあ反撃の時間だ。
倒すぞ。裏切り者の悪魔、サクラミアヤをな」
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