第8話 鼓動の交換

 強引な提案なのは承知の上だった。それでも桂木かつらぎの提案に反対する者は、最終的に一人もでなかった。


 男女が入り混じる中での、胸部を触る・触られる行為。プレーヤーたちは抵抗感を抱かなかったはずがない。

 それでも実行に同意したのは、誰もが孤立を恐れたからだった。


 検証を拒否すれば悪魔だと疑われるかもしれない。孤立のリスクを恐れた四人は桂木の提案を呑んだ。


 呑まざるを得なかった。

 すべて桂木の思惑通りに。


「その……先輩。女性は女性同士で触ったらダメなんですか?」


 御代みしろの問いに答えたのは、藤浦ふじうらだった。


「だめよう、御代ちゃん。全員が自分の手で触らなきゃ意味ないの。

 じゃなきゃ安心できないでしょ?」


 そう言うと藤浦は薄手の上着を脱いで、シャツをまくり上げた。ちょうど胸の辺りまで。

 胸元を飾る下着のレースが、まくり上げたシャツの裾から桂木の目にも見えた。桂木はなるべく見ないようにしながら「失礼します」と言って、肋骨の辺りにふれた。


「——先輩、何かいやらしいこと考えてませんか」

「考える場合か。そんな決定的な場所に触ってもいないし」


「あら、桂木さん。もうちょっとしっかり触ってもいいのよ? 確認なんだから」

「ッ! 先輩エロいです、不潔です!

 確認と称して、年上のお姉さんの身体にあんなことやこんなことを……っ!」


「——気が散るから静かにしててくれないか」


 辟易したように言って、桂木は藤浦の服を下ろした。


「あら、もういいの? 心臓の動きはあった?」

「あ、はい。大体わかりました」


「何が大体わかったというんですか先輩! 感触ですか? お姉さんのふぇろもんですかっ」

「(無視)じゃあ次、桜海さんいいですか」


 芸術的なスルースキルを発揮して、桂木は桜海さくらみの方を向いた。


 桜海は大学の二回生。桂木と同い年の女性だ。

 桜海はスレンダーだが、何かスポーツやっているのか、引き締まった綺麗な身体をしていた。


「なんか、緊張するね」


 少し目をそらして、桜海がはにかむように言った。そうだね、とも、そうかなとも桂木には返せなかった。

 言ったら余計に意識してしまうと思ったから。


「服、上げて」


 余計なやりとりはなしに、桂木はチェックを済ませた。


「もういいの?」

「ん。ちゃんと確認できたし」


 それに隣で御代がすげえ睨んでるし。後半は言葉にせず、桂木は御代から目を逸らした。


 そして次は、いよいよというかなんというか。

 桂木が御代の確認をする番がやってきた。


「いやらしいことしたらダメですよ。私たち、まだ付き合ってないんですからっ」


 なるほど御代らしい念押しに、桂木は小さくため息を吐いた。

 ……まだって何だ?


「いやらしいことも何もないだろ。ただの確認作業だ」

「女の子の肌を触るのに作業とはなんですかッ!」


 じゃあどう言ったらいいんだ……。桂木はもう本当に、サッと御代の胸元に触れて服を下ろした。


「——。

 え? 終わり?」


 きょとんとする御代に、桂木は「ああ」とぶっきらぼうに言った。


 そもそも桂木にとって、御代に関しては確認する意味がない。目の前の御代はどう考えても御代だった。

 こんなキャラの女がこの世に二人もいてたまるかと思った。ただ他のプレーヤーに確認を求めた以上、そうする必要があっただけの話で。


 別にこういう形で、御代の身体に触れたいと、桂木は思っていなかった。


「むー……」


 確認自体はすぐに済んで、御代はほっとしたような、どこか不満げのような複雑な表情を浮かべた。

 そして最後。


「男同士で胸に触りあうってのも、なんかアレだね。緊張するね」

「いや普通に気持ち悪いからな。そのセリフ」


 目を背け合いながら吉田との確認を行い、すべてのチェックが終了した。





「結局……心臓の音がない人はいなかったわね」


 少し口惜しそうに藤浦が言った。


「いい読みだと思ったんだけどなぁ。いやぁ、本当に残念だっ!」

「本当に残念がってます?」


 なんだか若干、テンションの上がっている吉田に御代はじと目を向けた。


「でも本当に残念ですね。すごい考えだと思ったのに」


 肩を落とす御代に「そうでもないわ」と桜海が言った。


「悪魔はこの中にいない。それがわかっただけでも、収穫と言っていいはずじゃない。

 無駄なことなんてなかった。そうよね、桂木さん」


「ああ。無駄なんかじゃなかったよ」


 桂木は応じた。他の四人と違って、声に落胆の響きはなかった。

 十分な成果を得られたような。あるいは予定通りに事が運んだような、そんな調子の声だった。


「全員が検証に協力してくれたおかげで、悪魔が紛れ込んでいることを確認できたよ。

 そして、それが誰なのかも」


 桂木の言葉で、集まっていた四人は磁石に吸い寄せられるように顔を上げた。


「え? ここにいる人は全員、心臓がありましたよ。先輩だって確かめたじゃ……?」

「そうだな。確かめた。

 けど俺が本当に確かめたかったのは、鼓動の有無なんかじゃなかった。


 知りたかったのはただひとつ。

 “心臓の鼓動がどの辺りにあるのか”。それだけだ」


 意図が見えずに押し黙る四人に「思い出してくれ。悪魔の特徴を」そう桂木は促した。


「御代。俺たちをここに連れてきた悪魔はどういう姿をしていた?」

「え、あ、はい。えっと……私とそっくりな姿をしていました」


「まったく同じか?」

「はい……あ! いえ、違いました。

 でも、そんな大した違いじゃ」


 御代が言いよどむ。ささいなことすぎて言うのを憚ったのだろう。


 しかしそれが逆に興味を引く形となり、御代へ視線が集まった。

 そうなってやっと、御代はおずおずと自分の髪留めを指した。


「その、私の姿をした悪魔は、前髪の右に髪留めをつけていました。私と逆で」

「ありがとう御代」


 そう言って、桂木は再び注意を自分へ向けさせた。


「そう。悪魔は本物の御代とは逆の位置に髪留めをつけていた。なぜそうなったか。悪魔は鏡に映った御代の姿をコピーしたからだ。

 鏡に映った姿は左右が反転する。本物とは左右が逆になる。外見も中身も。

 もちろん“心臓の鼓動の位置”も」


 桂木のロジックが核心に迫る。

 この時点で、一名のプレーヤーが目を見開いた。額を汗がつたった。


 だが桂木は止まらない。


「人間の心臓は左心室……心臓の左側から全身に血液を送る。心臓があるのはほぼ真ん中でも、鼓動はやや左にあるはずなんだ。


 けど一人。この中に一人だけ、心臓の鼓動が右にある奴がいた。


 もともと鼓動が逆に寄っている人間もいるにはいる。それでも数はきわめて少なく、日本じゃ百に満たないくらいの例しか確認されていなかったはずだ。


 そんな珍しい特徴の奴が、たった五人の中にいた。

 そいつが誰か。覚えているか」


「あ、ああ。言われてみたら」


 桂木の言葉を呼び水にして、集まった者たちの記憶が甦る。

 確認のとき微かに覚えた違和感。それが誰だったのか、じんわりと思い出す。


 それが鮮明に色を帯びた瞬間。四名の視線は、一点へと注がれていた。


「フジウラミサト。悪魔は、お前だ」

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