みっつめの一歩

「ちょっと待って、目的が分かっているから手伝う、と言ってくれるのは確かにありがたいわ。でもそれがいい事かどうか分らないとはどういう意味なの?」

「そこんところは俺にもよく分からねぇんだ。ただこいつらの案内に従えば、あんたの探してるものはすぐ見つかるらしい。だが森蟲たちも、それをあんたに知らせていいのかどうか分からないんだとさ」

「なに、どういう事? 私が知りたいことを知ってて、この子たちは黙ってるって事なの!?」

「まぁちょっと落ち着いてくれ」


 レリナの剣幕に驚いたのか、アレックスは「ぴっ」と頭の双葉を丸めてボイドの膝に飛び移った。そのままボイドの背中に回り込んで隠れたかと思うと、そーっとレリナの様子を窺うように頭を出して、目が合うとぴゅっとまた引っ込んだ。

 まるで悪い事をした子供のようなその姿に、レリナは無意識に眉間にしわを寄せていた。そんな彼女の前にもう一度顔を出したアレックスは、双葉をピンと緊張させたように立てると、ボイドの頭の上へ駆け上がって、雑に束ねられた枯草色の髪の隙間に隠れてしまった。


「おいおい、こいつらも悪気があって隠し事してんじゃねぇんだから。そんなににらむなって」

「別に睨んでなどいない」

「そんな顔して言われても説得力がねぇよ」


 ボイドは呆れたように溜息をつくと、後ろ頭に手を伸ばして、髪の間でぷるぷる震えているアレックスをそっと包むように握り下ろした。

 またも彼の左手に収まったアレックスは、困ったように双葉で顔を隠しながらも、それ以上逃げようとはしなかった。


「アレックスが言うにはな、本当は一刻も早くあんたにここから離れて欲しいそうだ。だがあんたの求めているものが何なのかも分かるから、どうにも追い出せないらしい」

「一応そこのところ、確認しておくけれど。私が求めているものは、過去にここで何があったのか知りたい、っていうそれだけよ。その足掛かりとして書庫の本を読んでいるだけなんだけど」

「嘘こけ。そんな事のために、三年も無駄にここの本を読み続けたりはしないだろ。全部魔導書まどうしょなんだからよ」

「……確かに、それはそうだけど」


 そこまで森蟲たちは知っているのか、とレリナは内心でひどく驚いているのを抑えて答えた。



 ボイドの言った通り、ここの書庫にある本は今まで読んだもの全て、魔法に関する知識を書いたもの、つまり魔導書ばかりだ。

 最初のうちは本当に、どうしてこれほどの書庫が管理する者もなく捨て置かれているのか、ただそれが気になって本を読み始めた。だが最初の一、二冊のうちは偶然かと思い気に留めなかったが、十冊、二十冊と書架の端から順番に読んでいくうちに、ここにある本は全てそうなのだ、と気が付いた。


 そして読み進めるうちに気が付いたのは、一つの書架に収められているのは、全て一人の魔法使いが書いた魔導書だという事だった。魔導書は魔法使いたちが一人一人、日常的に使う魔法や自分が編み出した魔法を記すものなので、手書きされていて文字はそれぞれに癖がある。

 更にその紙の傷み具合や色、装飾の度合いなどを見れば、一番上の右端が古く、一番下の左端が新しいもの、という順に並んでいる事も分かった。


 だがそのいずれも、本当に単なる魔導書が大半で、持ち主の個人的な事が書かれている事は非常に稀だった。それらがどうして、こんな地下へと続く書庫に、しかも大量に収められているのかなど、どこにも書かれていなかった。


 ただ一つだけ、レリナにも分かった事があった。

 大抵の書架の最後の魔導書には、持ち主の家族や友人、大切な人に宛てた思いが綴られていた。何も書いていないものは稀で、大半がそうなのだと気付いた時、レリナはこの書架に収められた魔導書の持ち主の行く末を知った。

 そう、ここに収められている本は全て、かつてエルフが生き残るために大陸の一部を浮上させた時、地上に残され死んでいった同胞たちのものなのだ、と。



「その顔だと、嬢ちゃんはやっぱり分かってるんだな。ここは書庫の形をした墓場だ。普通ならそれだけ分かれば十分だろう。なのにずっとここに居る理由なんざ、こいつらじゃなくても想像はつく」

 探しているのはこの書庫の成り立ちなんかじゃない、もっと大事な何かだろう、と両手を組んだボイドは真剣な顔でレリナの碧い瞳を見つめた。


 折からの強い風が、ざぁっとレリナの薄緑の髪を巻き上げ、俯いた彼女の顔を隠した。日に透けて銀色にも見える、草の上に降りた霜のような色をしたその髪がひるがえる。同時に窓の外から入って来たわくらばが一枚、顔の横へ飛んできて張り付くように絡まった。

 ボイドはそっと彼女の顔に手を伸ばすと、その葉を摘まんで取り、吹いていく風に乗せて飛ばした。


 レリナは何も答えることが出来なかった。ただ唇をかみしめて、涙がこぼれ落ちないように目を閉じるのみだ。

 だがそれこそが、何よりもはっきりとした答えとなっていた。



 レリナが地上に降り立った三年前、かつて地上に満ち溢れていた魔力は、そのほとんどが失われているのだと気が付いた。

 湖の国があった場所は水が涸れ果て、人間の国が立ち、広い窪地となったそこには水の代わりとでも言うように、青い花が咲き乱れていた。

 波打つ水面のように揺れる、美しいその花畑の前で呆然としながら、レリナの心には絶望感が満ちていった。


 ただもう一度でいい、湖の国の騎士だった懐かしい青年に会いたかった。

 地上へ降りて彼に会うそのためだけに、王という役割を継ぐ者を探し、国の者たちに知らしめ、反対する者たちを納得させた。そのために五百年もの時を要した。

 自分でもどうしてそこまでして会いたいのか分からなかったが、レリナは必死の思いで、自由に動ける身になれるよう努力を続けた。

 だがようやく念願叶って戻って来た地上には、もうかつての美しい国も、溢れるような魔力も、数多くいた妖精や同胞の姿も、何もかも失われていたのだ。


 どこへ行けばいいのかも分からず、さりとて帰る理由もなく、レリナはどこかに生き残った同胞が居ないかと、あてどない旅を続けた。

 そうして三年前の冬、この妖精たちと森蟲たちの住む書庫に辿り着いたのだ。


 だがここに残されていたのも、やはり絶望としか呼べないものだった。死んでいった同胞たちが自ら立てた墓所、それがここなのだと気付かずにいれば、まだ旅を続けることはできたかもしれない。

 だが分かってしまった以上、もうレリナに出来ることは、この墓所にあの青年―アルドの記録があるのかどうか、それを調べる事以外に無くなってしまったのだ。


 魔法使いではなく、いつも剣を帯び、騎士として働いていた彼には、おそらくこうして残す魔導書すらないだろう。

 だからひたすらに探し続けるしかなかった。並んでいる魔導書を片っ端から読み、たった一言でも、彼に関する個人的な記述を残した魔法使いがいないかと。



「森蟲たちは何かを知ってる。けどレリナ、それがあんたにとって都合のいい話じゃないことは俺にも想像がつく。その先の事まで責任は取れないんだ」

「ぴ。ぴぴぴぃ……ぴぴっぴ、ぴぴ」

 ボイドが穏やかに諭すようにそう言うと、手の中のアレックスも頷いた。そして二人とも同時にレリナの顔を覗き込んで来た。

「それでも知りたいってんなら、俺はあんたの手伝いをするし、アレックスも分かる事は教えるって言ってる。どうする?」

 どうするかと訊ねながらも、ボイドはレリナの心の内を案じるような顔をした。アレックスも顔を隠していた双葉を広げ、レリナの目を真っすぐ見上げていた。


 昨日まで全くの赤の他人だったはずで、しかも出会い頭に攻撃をしかけたというのに、ボイドははまるでそんな事など気にしていないという様子だった。

 そして今までの三年間、散々迷惑をかけてきたはずのアレックスも、変わらずレリナを気に掛け、今も案内まで申し出てくれている。

 エルフの王として自分が接してきた者たちとは明らかに違う、どこまでも真っすぐで優しい二人の顔を、レリナはもう一度交互に見返した。


 何の縁も恩もない彼らが、ただ事情を知ったというだけで、自分を助けようとしている。

 それなら誰よりもまず、自分が腹を括らなければ、とレリナはぎゅっとこぶしを握った。


「耐える事にはもう慣れたわ。だてに五百年も、地上に降りるためだけに努力してきたわけじゃないの。ここで辛い結果が待ってるからって、本当に知りたいことを知る機会を逃すなんて、そんな馬鹿なことが出来るわけないわ」

 心配する二人を安心させるように、努めて笑顔を作ってそう答えると、レリナの心の中にもふっと追い風が吹いたような気がした。

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