ふたつめの真相

「ところで気になっていたんだが、お前はどうしてここへ来た? 何が目的なんだ?」

 ゆったりと仰け反っているボイドに、レリナはそう訊ねると真っすぐ彼に体を向けた。


 昨夜の水魔法の時もそうだったが、ボイドにはまるで魔法が効いていない。

 撃ち放ち具現化した水そのものは彼の全身を濡らしていたが、吹き飛ばそうとする魔法の力は完全に無効化されていた。しかも昨夜といい今朝といい、レリナの部屋は扉を閉めれば魔法で鍵が掛かるというのに、二度とも半開きになっていた。

 そして何より、この森自体に入り込む者がいないよう、目にしても森の存在を無視してしまう魔法を掛けてある。にもかかわらず、彼はそんなものが存在していたとすら気付いていない様子でここへやって来た。

 魔法に耐性のある者というのは稀に存在するが、これらを考え合わせると、ボイドのそれは魔法を完全に打ち消してしまっているとしか思えない。


 だがもしそうなら、彼は何も知らずに偶然ここに迷い込み、一夜の宿としてここを利用したに過ぎないはずだ。

 それがどういう理由でか、明らかにここに住み着くつもりの様子で、森蟲たちの手を借りてまで掃除をしていた。つまりここに滞在する理由があるという事だ。

 ただの旅人であれば、そんな労力を掛けてまでここに住む必要は無い。半日も歩かずに人間の国があり、宿があり、つまりは快適に休息を取れる場所があるのだから。


「ぴぃ、ぴぴっぴ、ぴぴっぴぴー」

「ああ、いやいい。説明は俺がする」

 レリナの膝の上で双葉を振りながら声を上げたアレックスは、代わりに何かを説明しようとしたらしい。しかし身を起こしたボイドは、大きな手を軽く振ってそれを遮ると、手近に置いていた荷物袋から地図を取り出して広げた。

 この周辺の国や村を描いた大ぶりな地図の中心辺りに、赤い丸と×の印が付いた場所がある。そこを指差しながら、彼は順を追って説明を始めた。




 元々ボイドの旅の目的は、友人の頼みで北東の山のどこかに住むというドワーフと接触する事だった。そしてそれと同時に、北方のどこかに妖精の住む森があるかも知れない、とも聞いていて、機会があるなら調べてほしいと言われていた。

 そんな道中、ここより北東の国カラスンに入る前日に通った道で、ボイドは森の中から誰かが呼ぶ声を聞いた。

「助けてー! 誰かー! お願いー!」と。


 護衛として商人と共に移動していたボイドは、それを聞いてすぐに助けに向かおうとした。だが他の護衛たちにも商人にも、そんな声は聞こえないと首を横に振られた。

 彼の耳には、森の静寂を破るような大きな悲鳴が届いているのに、他の者には誰一人聞こえていなかったのだ。

 やがて護衛の一人が、地図を広げて「この場所はいわく付きの危険な場所だ」と言い出した。


 その森を抜ける道さえあれば、北西の国へ楽に行けるようになるのだが、どういう理由か森に入ると迷ってしまい、元の場所に戻ってしまう。そうでなければ行方不明になってしまい、二度と戻らなかった者もいるという場所だったのだ。

「そんな森から声が聞こえるなんて危険だ。きっと魔物に呼ばれているんだよ。ここに長くいると危ない」

 そう言った護衛仲間は、ここは危険だから君も覚えておくといい、と言ってボイドの地図にも同じ印をつけると、旅程を速めた。


 だがボイドには、その声が人を誘い込み陥れるような意志をもったものには聞こえなかった。

 むしろ切実に助けを求めていて、声を枯らして叫んでいるように聞こえて、翌日カラスンに到着してからも気になって仕方なかった。友人から聞かされた、妖精の住む森が北方のどこかにあるかも知れない、という言葉も引っかかっていた。

 それで例の地図の場所を目印に、その日のうちに引き返すことにしたのだ。


 あの切実な声をずっと上げ続けていたなら、もうろくに声が出ないのでは、とボイドは思ったが、前日に通った道が近付くにつれて、再び声が聞こえて来た。

 ただしどこか疲れたような声で、よくよく聞いてみるとぐすぐす泣いているような声に変わっている。

 大人のものとも子供のものとも判然としない、けれど若い男のようにも聞こえるその声を頼りに、ボイドは森へ踏み込んだ。

 誰も入らない森の中なので、足元は丈の低い木々や草で埋め尽くされていて歩きづらく、鉈で藪こきをしながらの道中だったが、やがて悲鳴の元に辿り着いた。


 木々がまばらになり、唐突に開けた森の中、色とりどりの花が咲いている開けた場所がぽっかりと目の前に広がった。辺りは滴るような緑に囲まれた、小さな花畑だ。

 そしてそこで出会ったのが、露を受けて銀色に輝く鋼蜘蛛はがねぐもの巣に絡まって、身動きが取れなくなっているアレックスだったのだ。



「鋼蜘蛛?」

「ああ、糸が普通の蜘蛛よりずっと硬くて、巣がでかいんだ。絡まっちまうと人間でも抜けるのが大変でな、そう呼ばれてるそうだ」

 言いながらボイドは鞄から、何やら白いものが付いた細い木の枝を取り出した。その鋼蜘蛛の糸を巻いたものらしく、ある程度伸び縮みするその糸は、簡単な弓を作ったり、寒い時期には衣服の袖を縫って絞ったりするのに使えるという。


「まさか、それに絡まってたせいで何日も帰って来れなかったの?」

「そうらしいな。おまけに森に張られてる魔法の外だったもんだから、仲間を呼んでたのに声が届かなかったそうだ」

「……それじゃ、『森を荒らす』ってそういう意味だったの?」

「らしいぞ。あの魔法は単にここを隠すだけならいいが、この森と外を分断しちまってて、アレックスみたいに外に出ると戻るのが大変らしい」


 それでは嫌われて当然だ、とようやく理解すると同時に、レリナは急に膝の上のアレックスに申し訳なくなった。

 数日会ってないな、というのは分かっていたが、レリナは彼の不在をほとんど気にしていなかった。だがその間、彼は必死の思いで助けを求めていたのだろう。

 しかしどれだけ叫んでも仲間には届かず、もし彼の言葉が聞こえるボイドが通らなければ、そして彼が仲間の忠告より自分の感覚を信じなければ、永久に帰って来れなかったかも知れないのだ。


「ぴ?」

 思わずその頭を撫でると、アレックスはレリナの顔を見上げて首を傾げた。

 森蟲は妖精と植物の中間のような生き物で、太陽の光と水さえあれば死ぬことは無い。しかし身動きが取れず、助けを求めても誰も来ず、何日も動けずにいれば心細かったはずだ。


 安心したようにボイドの掌におさまっていた姿を思い出す。自力で飛べるはずのアレックスが、あんな風に抱かれて戻って来たのは、きっと疲れ切っていたからなのだろう。

 だがボイドが魔法を破って森に踏み入ったおかげで、仲間にも状況を伝えることが出来たのだろう。ボイドがやってきた時、あんなにも森蟲たちが騒いだのも、ボイドを攻撃したとたんに彼らが怒ったのも、全てレリナ自身のせいだったのだ。



「どうも私は、まるで何も見えていなかったようだ。ボイド、改めて問うが、お前は私を止めるためにここへ来たのか?」

 顔を上げてボイドの目を見ると、金色の大きな瞳は逆光の中で鈍く光っていた。

 人間とも、エルフとも、獣人とも違うその瞳は、鋭い眼光を放っていながらひどく静かだ。その在りようは少しだけ、かつてはエルフの友であった竜たちの、叡智を秘めた穏やかな瞳を連想させた。

 その瞳が頷くと同時に閉じられ、再び開く。そして真っすぐにレリナと視線を合わせた。


「そうだな、半分は嬢ちゃんを止めて欲しい、って頼まれたからだ。だがそれだけじゃない。レリナ、あんたがどうしてここに居るのか、森蟲たちは薄々気が付いているんだ。それを手伝うのがいい事かどうか分らんが、結論が出るまで見守ってほしいと言われて来たんだ」

 いきなり言われたその言葉に、レリナは軽く首を傾げた。

 何を言っているのか、その意味が分からなかったわけではない。だが彼が何を言わんとしているのか、そこが全く分からなかったのだ。

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