森蟲

 翌朝レリナが目を覚ましたのは、あまりの騒々しさからだった。


「ぴーぴぴっぴ、ぴぴっ!」

「ああ、そっちは重いだろ、とりあえず表面だけ拭いといてくれ」

「ぴぴぃっ!」

「ぴぴぴ!ぴぴーっぴぴぴ!」

「あーあーあー、大丈夫か!?今どかしてやるから待ってな」


 ガタゴト、バサバサ、ドタドタ。ありとあらゆる騒音に混じって、森蟲達がぴぃぴぃ騒ぐ声と、それに返事をするかのようなボイドの大声で、寝ているどころではない騒ぎである。

 一体何をしているのかと、顔を顰めながらレリナは服を着替えた。


 昨夜と同じく枕元に置いていたその服は、人間に紛れられるように手に入れたもので、着心地は大して良くない上にみすぼらしい。襟元に少しだけ花模様の刺繡が入っているのが唯一のお洒落、という代物だが、通貨を手に入れるのが難しい身の上では貴重な服だ。



 部屋の扉を蹴飛ばすようにして開けると、バターンと思いの外、大きな音と共に扉が勢いよく開いた。どうやらまたもや封印魔法が外れていたらしい。

 その大きな音に驚いたのか、部屋中の騒ぎが一瞬でしん、と静まり返った。


「起きたか、レリナ。今掃除中だ」

「見れば分かるわよ」

 真っ先に我に返ったのはボイドだった。


 明るい光の下で見ると、彼は赤黒い肌に反して髪の色は明るい枯草色で、首から頭の両脇にかけて刈り上げており、そこに草の蔓のような模様の入れ墨をしていた。

 長い髪は後ろで一つに括りにして、袖の短い生成りのチュニックに、やたらとポケットの多いパンツを履いている。腰に巻いたベルトには、皮の鞘に仕舞われたナイフや、見慣れない形の金属の道具らしきものが提げられていた。


 立ち上がってレリナの方に体を向けた彼は、真っ黒に汚れた布を握っている。森蟲達も同様で、短い手で小さな布切れをそれぞれ握り、石造りの壁や、談話室の隅に寄せて並べられた椅子や机に取り付いている。

 昨日レリナが真っ二つにした入り口の扉は修繕したのか、机は取り払われ、磨かれた扉は木目も鮮やかになって元の場所に納まっていた。


「悪いな、騒がしかったか」

「騒がしいなんてものじゃないわ。この書庫を解体でもする気かと思ったじゃない」

 レリナが腕組みして談話室の中を見回すと、昨日まで埃だらけだった部屋の様子は一変していた。



 元はカーテンが掛かっていたらしい窓は、昨夜まではボロボロの布だけが下がっていて、窓板も外れかかっていた。それが修繕のためか取り外され、開け放たれた窓からは爽やかな風が吹き込んでいる。

 緑の匂いの濃い風は心地良く、どこか湿っぽく淀んでいた空気はすっきりと入れ替えられていた。

 埃か染みか、あちこち茶色くなっていた壁も、淡い灰色の石の色を取り戻しかけていて、これまで三年も暮らしていた場所と同じとは思えないほど綺麗になっている。


「……こんな場所だったんだ」

「ぴぃ?」

「どうだ、少しはマシになっただろ?」


 両手を腰に当てたボイドは、そう言うと自慢げに胸を反らした。そのまま腕を上げると、天井を指差す。

 その手を追ってレリナが上を見上げると、古いシャンデリアと思しきものが下がっていて、森蟲達が拭き掃除の手を止めて二人を見下ろしていた。

 そんな物がある事自体、レリナはこの三年間まるで気が付いていなかった。


「暖炉もあるし、ここはなかなかいい部屋だぞ。この辺りはすぐに寒くなるしな」

 そう言ってニッと笑うボイドに、レリナは思わず顔を顰めた。


「ちょっと待て。その言い方だと、お前はここに居付くつもりなのか?」

「何言ってる、嬢ちゃんだってそうだろ? 掃除もしないで書庫も庭も荒らすって、アレックスがボヤいてたぞ」

「荒らす!? 居付いているのは確かだけど、荒らしてなんかいないわ! 私は本を読んでいるだけだし、建物の外にも一切手を付けていない。そもそもアレックスって誰なのよ?」

「ぴぃー!ぴぴぴぴぴぴぃー!!」


 言いがかりも甚だしいとレリナが反論すると、突然部屋中の森蟲達が大声で鳴きだした。どこか怒っているようなその声の調子に、昨夜の事を思い出して、レリナは咄嗟に身を竦めた。


 昨日と言い今日と言い、森蟲がこうも騒ぐのは珍しい。たまに摘まみ上げると嫌がって鳴くが、普段は仲間内で小さく囁くように鳴き交わす程度なのだ。

 それがどうも、昨日の様子を見る限りよほどボイドが気に入ったのか、やって来る前にも騒いでいたし、彼に話しかけたり返事をするように鳴き、掃除の手伝いまでしている。


 アレックスと言うのが誰なのかは分からないが、名前からして男と思われるその者も、三年もここに居たレリナの前には現れなかったのに、彼には気を許して色々と話をしているという事だ。

 そこまでの状況を考え合わせると、どうやら森蟲達がレリナに構わなくなったのは、己の行動の何かが原因らしい、という事だけは察せられた。



「あーあー、分かったからそう怒ってやるな。嬢ちゃんにはお前らの言葉が分からないんだ、仕方ないだろ」

「ぴぃ……ぴぴぃ……」

 ボイドが執り成すように部屋を見回しながら言うと、森蟲達はまだ少し不満そうな声を上げながらも、すぐに静かになった。


 その様子を確かめてから、ボイドがレリナに向き直ると、その側にふわふわと双葉の森蟲が降りて来た。

 差し出された彼の手の平に、昨日と同じようにちょこんと乗ると、その子は仲間に声を掛けるように「ぴっ!」と鳴いた。


 他の森蟲達がレリナを避けるようになっても、いつも何かと構うようにやって来ていたあの子だ。しかし思い出してみれば、ここ数日姿を見せていなかった。

 ボイドが握って連れて帰った時には、ああまた出掛けていたのかと思っただけだったが、それにしてはいつもより長かったようだ。


「こいつがアレックスだ。ここの森蟲達のまとめ役らしくてな。色々言いたい事があるらしいんだが、どういうわけか嬢ちゃんにはさっぱり通じないもんだから」

「は……? アレックスって、その子の名前なの!? この子達、名前があったの!?」

「そりゃそうだろ。嬢ちゃんにはぴぃぴぃ鳴いているようにしか聞こえないんだろうが、ちゃんと喋ってるし、みんな名前があるんだぞ」

「……そんな」


 生まれて初めて聞く話に、レリナは目を見開いてアレックスを見た。

 彼は丸い小さな目をした頭をレリナに向けて、芽を出したばかりのような双葉を、ひょろんとお辞儀するように傾けた。



 森蟲そのものは、レリナが地上に居た頃から見慣れた生き物だ。

 そもそもレリナが治めていた大樹の国は、森の奥深くにあったのだ。他の生き物との接触を避け、森を守るように生きる森蟲の性質上、大樹の国ではどこにでもいる生き物の一種だった。

 ぴぃぴぃ鳴くのは鳥たちと同じで、同族同士のコミュニケーションだと考えられていたが、それ以上に知能のある種族だとは、少なくともエルフの間では聞いたことが無い。

 それに森蟲達は、国を作ったり道具を作ったりするような文化を持つ事もなく、ただ森の奥に集団で住み着いているだけだった。個々に名前まであるなど初めて聞く話だ。


 しかしボイドの言葉が本当なら、彼らの語る言葉はレリナ達と同じで、実際に会話が成立しているらしい。 



 言葉の出ないレリナの顔をしばらく見ていたボイドは、困惑する彼女の気持ちを察したのか、左手に乗っているアレックスを落とさないようにしながら、近くに置いていた椅子を引き寄せた。


「とりあえず座って話そうか、レリナ。茶でも淹れて来るからよ」

「……ええ」 

 呆然としていたレリナは咄嗟にそうとしか返事ができず、言われるままに差し出された椅子に腰を下ろした。

 ボイドは更に、テーブルを運んできてレリナの前に置くと、建物の左奥にある部屋に向かった。


 左奥の部屋にはキッチンがあるはずだ。そこの掃除も済ませたという事は、本気で住み着くつもりなのか、とぼんやり思いながらレリナはその背を見送った。

 部屋中で拭き掃除をしていた森蟲達も、大事な話をしようという雰囲気を察してか、手を止めてめいめい適当な場所に座り、ボイドが戻って来るのを待った。

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