あきのとみふゆがただイチャイチャしてるだけ―①

 『……てなことがあってね、あきのだったら、好きなようにできる一日あったらどうしたい? やっぱ、イチャイチャ?』


 「ふーん、私はムチャクチャにしたいかな」


 『歪んでるなあ……』


 大学での昼休み、友人のみはるからかかってきた電話を、耳にあてながら私は構内を歩いてた。


 食堂は人がごった返すように溢れているから、少し離れた図書館のテラスまで人波を抜けていく。昼食のサンドイッチは、もう二人分準備してあるから、待ち人をそこで待つだけでいい。存外、先についてるかもしれないけど。


 「大丈夫よ、歪んだ愛情は向ける相手を弁えてるから」


 『そう言う問題なの?』


 「意外とそう言う問題よ? それに外堀から埋めてるし、ちゃんと互恵関係にもしてるわよ。そういうのが長続きのコツだからね、あんたもいつまでもなつめさんに甘えてるだけじゃダメよ?」


 『耳がいて―』


 受話器の向こうで、みはるの声が遠くなる、耳が痛いからって本当にスマホを顔から離してるな、これ。軽く嘆息して、少し大きめに声を張った。


 「ところで」


 『なに?』


 声が耳元に戻ってくる。


 「あんた、いつ帰ってくんの次は」


 『んー……年末かなあ』


 「……今度の連休帰って来なさい」


 『うええ、なつめさんと温泉行きたいのに』


 「こっちの温泉に浸かればいいでしょ。まりとかなにも連絡しとくから、もし帰ってこなかったら三人で文句言うからね」


 『その外堀から埋める戦法、勘弁してくんない? 毎回、逃げ場がないんだけど』


 「久しぶりにあんたに会えると、期待十分の二人を裏切っていいんなら帰ってこなくていいんじゃなーい?」


 『だーっ、わかった帰る! 帰りますよ! その代わり、絶対温泉はいるからね』


 「おっけ、最近近くにスパできたから、そこに行きましょ。プールもあるし」


 『え、水着いるじゃん。ていうか、いいな、なつめさんの水着……結果的だけどあきのナイス』


 「言ったでしょ? 互恵関係だって、私のわがままだけで通さないわよ」


 『へーへー、こりゃお姉ちゃんも大変だ、じゃ、元気でね』


 「ん、そっちもほどほどにね」


 私達はそうやって電話を切った。高校時代の友達だったみはるが随分と遠くに越してから、二年が経とうとしてる。たまにこうやって、無理矢理、帰らせてるけど、一体いつまで帰って来るやら。人の縁はほっとけば自然と切れてしまうから、こうして忘れないように繋ぎ止めていくのだけど、ちゃんと残ってくれるものかな。


 通話を止めたスマホをしばらく眺めながら、私は軽く息を吐いて、そのまま歩き続けた。


 程なくして、図書館のテラスで突っ伏している待ち人を見つける。


 みはるの姉の、みふゆさん。二つ離れているけど、浪人したから私より一つ上の大学生。まだまだ芽が出ない小説家志望だ。


 今日も今日とて浮かない顔でノートPCに顔を近づけながら、唸っている。随分と変人仕様だけど、おかげで周囲に人はいない。なのでまあ、周りの席に気を遣わなくて済む。私はとんと手に持っていた昼食を机に置いて、顔をしかめた上回生に声をかけた。


 「みふゆさん、ご飯持ってきましたよ。……顔がしかめっつらのレッサーパンダみたいになってますよ?」


 「あ、あきの、ありがと。……レッサーパンダってしかめっ面するの?」


 「ええ、結構かわいいですよ」


 「ふーん」


 「間接的にみふゆさんがかわいいって言いました」


 「恥ずかしいから、スルーしてたんだけど……」


 机に突っ伏していたみふゆさんが、若干、居心地悪げに身体を揺らす。みふゆさんが照れたときによくやるポーズだ。私は軽くほくそ笑みながら、肩をすくめる。


 「はい、みふゆさんがスルーしそうなので言い直しました」


 「ほんっと、いい性格してるなあ、あきのは……」


 「でしょう?」


 私が買ってきたパックのミルクティーをストローですすりながら、みふゆさんは何とも言えない微妙な顔をした。呆れているけど、まあ、それも想定の範囲内だ。他の人間相手なら、こういった相手を呆れさせるような言葉はつかえないけれど、みはるとみふゆさんにはどうせ本性がバレているから、気兼ねなく軽口を叩いていられる。


 そうこうしていると、私の隣にすっと誰かの影が差した。


 「あ、あきのさん! こんなところでお昼してたんですね!!」


 私と同じくらいの少し明るい感じの女子、一個下のゼミの後輩の由芽さんだ。教授の仲介で何度か会うことがあって、それから程々に仲良くしてる。ちょっと熱が強いオタクっぽい子だ。


 私はみふゆさんに向けていた顔に一瞬だけ力を入れると、肩の力意図的に抜いた。胸の奥で動く肺を少し、固くする。


 私が人と話す前にするいつもの儀式だ。気合を入れ直して、由芽さんにそっと向き直る。


 「あー、ゆめちゃん。そうなの、食堂やっぱ混むからさ」


 「ですよねー、私もあっこしんどくて、いつもは行くんですけど。今日は抜けてきちゃいました」


 「いいんじゃない? 外の方が気持ちいいしね、そういえばゆめちゃんは明後日、ゼミ?」


 「そーなんです、教授からの課題図書探してて、中間報告しないといけないんですよねー」


 「へー、ゆめちゃん。専攻私と同じじゃなかったっけ、必要な本教えてあげよっか?」


 意識を石のように固めて、つらつらと言葉を並べる。声音は高めに、発音ははっきり、相手の必要なものを考えて、それを提供する。


 ついやってしまう人付き合いの時の癖だ。そういった、さりげない動作が信用を産んで人を味方につける。


 案の定、由芽さんはぱあっと顔を明るくした。必要な図書の選別だけでも意外と時間はかかるものだし、やはりそれなりに助かるのだろう。


 ちなみに、途中で端目でちらっとみふゆさんを見たけれど、まるでノートPCを盾みたいにして、恐竜を前にしたネズミの如く机の向こうで突っ伏していた。どうやら、自分は存在しないものとして扱いたいらしい。相変わらず、人見知りだなあ。


 「ほんとですか? ぜひお願いします! いやあ、ほんと助かりました!」


 由芽さんはそう言って、瞬間、何かを言いかけた。


 ぴりっと心底で不穏な気配がする。心臓の奥がほんの一瞬だけ震える。眼球が彼女のほんの少しの躊躇いや溜めを感知する。


 あー、なんか言おうとしてるな。


 「あきのさん、よかったら。一緒にお昼しませんか? それでよかったら、その図書について教えていただけると嬉しんですけど?」


 ほら来た。


 思わず、心中で軽くため息をつく。


 由芽さんはいい子だ、昨今、珍しいほどに邪気がなく人の好意に素直に反応して、相手に好意を素直に向ける。


 わかりやすく、シンプルな、大学入学したばかりの、


 だからこそ、実はちょっとめんどくさい。


 悪い子じゃないけれど、想像力が少し足りない。私の対面にいる相手が誰かとか、どういった状況なのかとかそう言ったことがまだ見えてない。まあ、察しが悪いわけではないから、シンプルな経験値不足って感じだろうけど。


 私ははふむと軽く首を傾げる。


 さてはてどうしたものかなと。


 ここでこの子を誘いを受けるメリットはある。この子は私を信頼するし、恩義も感じる。そしてそこをないがしろに出来る子じゃあない。だから、捉えようによれば使いざって時に、味方にも出来るし、人脈としての幅も広がる。


 メリットはたくさんある、デメリットはみふゆさんとの時間を犠牲にしてしまうこと。


 思考は数秒、そのうちにみふゆさんをちらりと見た、ノートPCの陰から私と眼が合うと、手でこっちを払うように降ってきた。


 『私はほっといて、いっていいよ』


 ってところかな、ちょっとジェスチャーとしては乱暴だけれど。


 ま、おかげで私の意思は決まった。


 「ちゃ


 あえて、これみよがしに、みふゆさんに聞こえるように言葉を紡ぐ。


 みふゆさんの肩がびくっと震えて、由芽さんは、あ、と驚いたように声を上げた。


 まあ、案の定だけど、対面のこの人を私の連れ合いとは思っていなかったみたいだ。


 「そ、そうなんですね。お邪魔しました、また今度お願いします!」


 「うん、またね」


 少し顔を赤くして、由芽さんは慌てたようにそそくさと立ち去った。端目でみふゆさんのことを見ていたけれど、それも程なくして視界からいなくなった。図書館の方へ小走りで走り去っていく。うん、どうやら邪魔してしまったと、理解する程度には空気が読める子だ。


 「別に、私、よかったのに……」


 「よかったって、何がですか? 三人で食べることがですか?」


 「え、いや、そうじゃなくて、私置いて食べに行けばよかったのに……」


 みふゆさんはノートPCから、こちらを覗くように顔を出しながら、どことなく困ったような顔で私を見る。


 「いえ、それは私が楽しくないので、ダメなんですよ」


 「そーなの」


 「はい、そうです」


 言いながら、肩の力をふっと抜いた。笑顔を保っていた表情から力が抜けて、全身に妙な重りが乗ったような感覚が襲ってくる。


 肩を動かして身体をならしながら、私はふうとため息をついた。


 「相変わらず、いい子ぶってるねえ」


 そんな私にみふゆさんはちょっと呆れたように声をかける。


 「こー見えて、いい子なんですよ。知らなかったでしょ」


 「んー? いい子?」


 肩をすくめておどけたら、奇異なものを見るような視線を頂いた。その様が妙に可愛くて心地いい。


 「ええ、今だってどうすれば、みふゆさんを私にいぞ……頼ってもらえるか一生懸命、考えてますもん」


 「今、依存って言いかけたよね?」


 「みふゆさん、人は誰かと助け合わないと生きていけない生き物ですよ?」


 「まあ、……そうだけどさ」


 「あ、今日の夕ご飯はみふゆさんが好きな茄子の揚げびたしにしましたから。あと、みふゆさんの洗濯物も今朝、全部洗って畳んでおきましたし、シーツも取り替えておきましたから」


 「ありがと……でもなんか、私の生活力、着実に奪われてない?」


 「そんなことありませんよ? ところで私、愛玩動物って好きなんです。あの人間がいないとまともに生きていけないところとか」


 「本性でてんよ……お嬢さん。そんなの人に見せたら『いい子』のあきのの評判崩れちゃうよ」


 みふゆさんは半眼で私のことを見る。その様に、その視線に何故だか私は笑顔がほころんでしまう。半分、冗談ではあるけれど、つい次はどうすればみふゆさんが私に依存してくれるかと、想像がはかどってしまう。


 「いいんです、どうせ、みふゆさんにしか見せません」


 「ん……んー……んー」


 自分にしか見せない側面があるって言うのは、どうしたってかわいいものでしょう?


 だからあなたは私をそう簡単に否定はできないと、私はよくよく知っているから。


 少し顔を赤らめて、何とも言えない表情をするあなたに私はそっと笑いかけた。


 私は人の上に立つのが好きだし、人を思い通りにするのが好きだ。


 我ながらとんだ悪性だと思うけど、どうにもこの性分は変えられない。


 もしかしたら、いつかあなたはこんな私を見限ってしまうかもしれませんね。


 出来るだけそうならないよう、たっぷり依存してもら気持ちではいるのですけど。


 どこまでいっても、人の心には操れない部分があるからね。


 それはそれできっと仕方がないのでしょう。みはるが私のところから離れて、なつめさんのもとに行ったように。


 だからせめて、その日まで精一杯、楽しませてもらいましょう。


 わざと意地悪気に私は笑うと、あなたは困ったように目を逸らした。


 それでもきっと、こんな根元のねじ曲がった私を認めてくれるのは、あなたくらいのものだから。


 あなたに逃げられるまでは、手を離してあげるつもりはないのだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る