第49話 不審な女子

 あれから二日経って今日は逸楽の日。

 昼休みを終えて大図書館に入ると、まだガラテア・ブランペインは来ていないようだった。

 ならばと先に適当な資料を数冊見繕い、二日前と同じ三階の席に陣取る。すると間もなくしてガラテア・ブランペインは現れた。まるでその唇で俺の頬に触れたことなど忘れたような顔をして。


「待たせちゃった?」

「いや、そうでもない」


 てらいのない笑顔で当たり前のように隣りの椅子を引く。香るのはローズヒップか。水色の髪を掻き上げると、その仄かな刺激をカメリアの丸味を持った芳香がふわりと押し包みんだ。


「ケネスは昨日何をしてたの?」

「昨日? 何故聞く」

「何故って、今月はサロン活動をしないって言ってたから。暇な時はどうしてるのかなって」

「特に何もしてない。講義の予習と復習、後は適当に本を読んだりだな」


 それは三日前までなら嘘のない答えだった。憤怒邪霊バンダースナッチの件で病院送りになった俺は、レイモンドからサロン活動への復帰を来月まで見送るように言われている。お蔭て体調が戻ってからは暇を持て余す毎日だ。

 だが二日前からは勉強も読書も中途半端で手に付かなくなった。気がつくとガラテアの唇が触れた訳を探して天井を睨むばかり。

 

「そう言えば近頃風邪が流行ってるらしい。今日は南斗サロンのダルシー・ハイペリオンも講義を休んでいた。おまえは大丈夫か?」

「ダルシーさんが風邪? 私は昔から病気したことないし、全然平気だけど」


 九月も下旬になって秋らしい気候に落ち着て来たが、夏日のぶり返しや何やで寒暖差から体調を崩す者が多いようだ。そこへ行くと健康優良児の太鼓判を押されたガラテアなら、病気の方から我先と逃げ出すんだろう。


「じゃあ調べ物が済んだらお見舞いに――」

「やめておけ」

「何で?」

「何でじゃないだろう。ライバルサロンの合間を縫って行き来するのは騒ぎの元だぞ」

「そう言えば昨日もピロティで揉め事があったって聞いたけど、私とダルシーさんは友達だから問題ないでしょ」


 そう思ってるのはおまえだけだと思うが……。まぁ他所のサロンのことに口を出しても始まらないか。


「それで、今日は何を調べる?」

「そうそう! 昨日、例のフラウンフォーファーの件でナディーン様を訪ねたら、侍女のテレスさんがジャクリーン・フラウンフォーファーの姪御めいごさんだって分かったの!」


 マドンナブルーの瞳をキラキラさせて、得意気な笑みがやたらと眩しい。


「それは大した手掛かりだな。何か聞けたのか?」

「うん、キャサリン!」


 相変わらず言語力に乏しく説明能力が息をしていない。ただ、口角の上がった口元に目が行くたび、過日の接触が脳裏を過って調子を狂わされた。距離感の近い美人が花の香りをさせて笑顔を向けて来れば、男はどうしたって揺さぶられる。


「おまえ、一昨日はどうして――」

「ん?」


 気の迷いから口にしてしまった言葉を見事に空振りする辺り、如何にもガラテア・ブランペインだな。お蔭で話が妙な方向に転ばずに済んだ。


「いや、何でもない。キャサリンについて聞かせてくれ」

「うん、あのね――」


 ユージーン・ブランペインの後添えジャクリーン・フラウンフォーファー。彼女がカルデネで過ごしたのは六〇九年から六一六年の七年間。夫婦間に子供は生まれず、婚外子の誕生を以ってジャクリーンは実家へ戻った。その際離婚は成立しておらず、記録上は別居となっている。

 そのジャクリーンが帰郷後に姪の前で幾度となく漏らした名前がキャサリン。口振りからすると悪印象を持っていたようだと言う。


「帝国語から王国語に直すとキャサリンはエカテリーナになる、か」

「そこ。何だか符号めいてると思わない?」

「だとしたら随分と皮肉が効いているな」

「うん。エカテリーナ様はブランペインの物語の登場人物だもんね。当時のキャサリンの記録をどうにかして辿れないかな?」

「手はある。貴族の邸や役所絡みの雇用は必ず記録として残される。帝国法では十年経てばその手の情報も公開資料になるから、四階に行けば手掛かりが得られるはずだ」


 アカデミーの大図書館はほとんどの資料が揃っている。四階の蔵書は全て持ち出し禁止になっているが、館内であれば自由に閲覧可能だ。

 四階の司書に尋ねると直ぐにブランペイン家の雇用目録が手に入った。それを持ち戻ってジャクリーンがいた七年間のリストを指でなぞって行く。


「あったぞ。キャサリン・ネヴィル。六一六年の雇い入れで職位は上級使用人アッパーサーヴァント。職務は家政婦長ハウスキーパーだな」

「六一六年ならジャクリーンが帰郷した年でしょ。同じ年にいきなり家政婦長?」


 使用人の職務は一つの邸内で過去からの実績を見て上下することもあれば、不意の退職や解雇で外から後任を呼び寄せることもある。


「待て。前の家政婦長はラモーナ・ハーコート。六一六年に辞職しているが、理由は高齢の為とある。リストを遡って行くと――」

「あった! ラモーナ・ハーコート。六〇二年には部屋係チェンバーメイド付添人シャペロンを兼任してる。そこから昇格したってこと?」


 さらに遡ると部屋係だけを務めていた時期があり、その後、当時出入りのあった外戚未婚女性の付添人を兼ねるようになった。付添人は年配女性の役回りだから、その時点で恐らく四〇代。退職時には五〇代だったかもしれない。


「ねぇ、ケネス。末尾にある二つのアルファベットは何?」


 リストは雇用年、名前、職位、職務、その他退職事由などの後に三文字のアルファベットが二つ、カンマで区切って並んでいる。


「これは、後ろのHarはHarcourtハーコートか。他も家名の頭三文字になってるから間違いない。前の方は……これは州名だな。ChaはChaldeneカルデネ。つまりカルデネ州ハーコート家のラモーナってことだ。見ろ、州名だけあって家名がない者は庶民からの雇用だろう。南部は庶民に家名が普及していないし、例えあったとしても未だに略く慣習が残っているからな」

「そうなんだ。ならキャサリンの出身州はどこになってる?」

「……Tem。Tempelテンペルだ」

「帝州! フラウンフォーファー家と同じ! 待ってて、私テンペル州の貴族年鑑を取って来る!」


 六一六年にラモーナと入れ替わりに家政婦長になったキャサリン。その出身がテンペル州のネヴィル家なら、ジャクリーンの使用人としてカルデネ入りした可能性は高い。

 その場合、ジャクリーンだけが帰郷してキャサリンが残った理由は?

 ここにジャクリーンを密偵とする線を持ち込むと、キャサリンが置き土産だった可能性が明白に高まって来る。


「だが、そうだとしたらジャクリーンのキャサリンに対する悪印象は何だ?」


 姪テレスの証言でジャクリーンがキャサリンの名を口にする時の印象はネガティブだったとある。

 理由は? 嫁入りに帯同した使用人が残留を希望したからか?

 もし主従共に諜報要員だったなら、残して来た部下を悪し様い言うとは考えにくい。そもそも姪の前で不用意に名前を口にしたりはしないだろう。


「するとジャクリーンが密偵の線は薄くなったか――」


 それなら使用人に裏切られて悪態を吐くというのも頷ける。要するに嫁入りにかこつけて密偵を送り込んでいたとしたら、それはキャサリンだったことになる。

 庶子の誕生に激したジャクリーンが使用人も含めて全てを持ち去ろうとしたことは想像に難くない。そこでキャサリンが残ると言い出したなら、ジャクリーンの感情のピースは姪テレスの証言にピタリと当て嵌まる。


「持って来た。ネヴィル家を探して」


 ドン、と分厚い年鑑を俺の前に置いて、自分は隣に座ったまま待機。何故自分で探さない……。いや、俺が探した方が早いか。

 必須三学がダメなガラテアは当然辞書も満足に引けないんだろう。年鑑を捲るのは辞書を引くのと同じだから期待するだけ無駄だ。


「見当たらないな」

「ない!? どうして?」

「そう慌てるな。索引は二つに分かれてる。現存一覧と消失一覧だ。これは六三二年の最新年鑑だから六一六年以降にネヴィル家か消失していれば――。あったぞ」

「ネヴィル家は現存の貴族家じゃない?」

「その後に没落したってことだろうな」


 索引に記された頁を開くとネヴィル家の家系総覧が見開きで記されていた。


「キャサリンは載ってる?」

「待て。驚いたな、ネヴィル家は四五一年に消失しているぞ。三代ライナス帝の御世、今から百八十年以上前だ」

「そんな昔に? どこかで再興してたりは?」

「しないな」

「つまり、それってどうゆうこと?」

「結論を言えばキャサリンが密偵で決まりだ。色々考えてみたんだが、この通り存在しない家の人間に扮していた時点で当たりだろう。密偵だから主人のジャクリーンが帰郷する際も任務の為に残った。裏切られたと感じたジャクリーンは姪の耳に入るのも構わず、毒吐くようにキャサリンの名を口にしていたってことさ」

「じゃあ待って。キャサリンの退職は何年になってた?」


 もう一度雇用目録に戻って六一六年以降のリストを追って行くと、


「六一九年。おまえが生まれた年だ。ただ、この年にユージーンが亡命しているから、他の使用人同様、辞職や解雇じゃなしに失職扱いだな。翌年には正式にブランペインの取り潰しが決まって、以降五年間は中央官僚による統治。その後はマクスウェル伯爵が州総督に赴任して現在に至る」

「だったらマクスウェル家に再雇用されてたりしない?」

「ある訳ない。伯爵の赴任までに五年あるし、そもそも密偵なら調査対象が亡命した時点で撤収したはずだ。或いはユージーンの行方を追ったか」


 六一九年の失職以降、キャサリンの足取りは不明。その先を追おうと思えばカルデネに出向いて地道な調査をする他ないだろう。


「ねぇケネス。この相伴人コンパニオンって何? リストの合間合間に名前の違う人が何人もいるけど、特に六一六年前後に多くない?」


 ガラテアの指摘通り、確かにコンパニオンの数が目立つ。


「コンパニオンは主に貴族女性の話し相手だな。本人も中層下層の貴族であることがほとんどだ。コンパニオンの情報網は手持ちのコネ次第で変わるから、一人を継続的に雇うよりは複数を雇用する。パーティなんかの時は一度に全員を招くこともあるが、普段は週に一度くらいの間隔が一般的だ」

「ならこの時期にコンパニオンが多くても変じゃないんだ」

「いや、六一四年まではほとんど雇ってなかったコンパニオンか六一五年以降に増えてるのは普通に変だぞ」


 六一四年はジャクリーンが嫁いで五年目。子供もできず、夫婦間も冷え切っていた頃だろう。

 ユージーンは父キャメロンと兄弟姉妹を処刑され、母エカテリーナも自害している。叔父ダグラスもこの頃には既に行方知れず。邸には時折、親類が長逗留したようだが、基本的にはジャクリーンと二人だけ。コンパニオンを大勢雇うのは違和感でしかない。


「要するに、このコンパニオンたちがユージーンの乱行の相手で、庶子の母親でもあったんじゃないか?」

「じゃあこの中に私の母親が?」

「可能性はあるが特定は難しいな。六一八年以降で三人。コンパニオンは全員家名の記載があるから、平民は記録自体が省かれていると見ていい」

「結句局分からないってこと?」

「ああ。だが知っている人物は特定できる。家政婦長だったキャサリンなら女の使用人の出入りは全て把握していただろうし、誰がどの庶子を生んだかも、記録はしていなくても記憶にはあるはずだ」

「やっぱりキャサリンか……」

「行方を晦ませた諜報員なら今はもうキャサリンとは名乗ってないだろうな。アカデミーにいて調べが付くのはこの辺までだろう」


 その先をどうするかはガラテアの決断次第だ。秋の祭典や冬期の休みを利用してカルデネに行くのも手ではある。


「ありがとうケネス。思ったより色々分かった」

「ここまでにしておくか?」

「一旦はね。続きをどう調べて行くかはゆっくり考えてみる。母親の件は一区切りにして、次からはまたブランペインの歴史を調べようと思う」

「なら俺はお役御免だな」

「手伝ってくれてありがとう。その内にまた――」

「必要ならいつでも言ってくれ」

「うん!」


 ガラテアは広げていた資料を閉じて書棚に戻しに行った。

 結局、一昨日その唇が頬に触れた訳を聞くことはできなかったが、それよりも不思議に思うのは、出会った時には過去を見向きもしなかったガラテアが一族の暦程を辿っている事実。逆に過去に縛られていたはずの俺は、今のガラテアをそのままに受け入れようとしている。

 同じ時間、同じ場所にいて、いつも違う方向を見ているような感覚。それがズレなのか、捻じれなのか、あるいはピタリと背中合わせなのか。もう少しお互いの関係性を探ってみたい気にさせられていた。




 ***




 大図書館を出ると、ガラテアは二年生寮に用があると言って花時計の広場を抜けて行った。

 俺は昨日急遽早まったという皇女殿下の歓迎祝賀会の準備を様子見に小宮殿アカデミアガーデンへと向かった。

 小宮殿の正門を潜ると、過日ガラテアと対決した屋外パーティ用の舞台。内容も結末も苦々しいものでしかないが、お互いに必要な通過点だったと思えば悔いは感じなかった。


「来たのか、ケネス。顔色からすると体調もよさそうじゃないか」


 玄関前の露台に上がると、中から出て来たレイモンドと鉢合わせた。


「先週の段階でサロン活動に復帰できると伝えましたよ」

「そうだったな。なら今から復帰して会場の設営準備を手伝ってくれないか」

「それもやぶさかではありませんが、ここはやはり大事を取って、指示通り来月からの復帰ということにしておきます」

「おい。まったく、何をしに来たんだ」


 期待外れと言わんばかりのレイモンドに「見学です」と告げて、そのままメインホールを覗きに行った。

 ホールを見渡すと銀河、北斗、南斗の三大サロンは元より、剣十字サロンを始めとする中堅サロンから極小規模の零細サロンに至るまで、大勢の学生たちが忙しなく動き回っていた。

 男子学生が目立つのはベースセッティングの段階だからだろう。女子はコテージや教室で飾りつけの用意をしているらしい。

 テーブルや椅子の配置から、楽団用ピットのセッティング。普段は別室にあるピアノの運び込み。そして最も手間のかかる宮殿全体の清掃。別段汚れている訳でもない宮殿を一層磨き上げるのは、四日後にお迎えする皇女殿下への礼儀からか。


「おい、ポケッと突っ立てんなよ。おまえも手伝え」


 四人がかりで長テーブルを運び込んで来たのは北斗サロンのフレディ・カーブラック。大抵ガラテアとセットでいるから嫌でも顔と名前が一致する。


「あれ? あんたケネス・アップルガースじゃねーか。生きてたのか」


 こいつ。それが上級生への口の利き方か?

 カチンと来たが、誰もが動いている中で俺一人冷やかしの見学では通らない。仕方なく手を貸すと、運び終えたところでまたフレディが絡んで来た。


「あんた、聞いた話じゃガラテアとは和解したんだってな?」

「何だ? 蒸し返す気か?」

「そーじゃねーよ。あんたとガラテアの仲がどう転んだかは別として、あんたはあの日あの場にいた全員にデッケェ借りがある。だろ?」


 シレッと泣き所を突いて来る。

 だが望んだ訳ではないにしろ、憤怒邪霊バンダースナッチに付け入る隙を与えて周囲を危険に陥れたのは事実だ。

 顔を貸せと言う尊大な一年は横手の庭に出ると、そこに俺を残したまま、しばらくしてレイモンドを連れて戻って来た。


「あんたらに頼みがある。それを聞いて貰えりゃあ一切合切貸し借りはナシだ」


 どうせ碌な話じゃない。とは言え借りのある身としては話を聞く前から拒絶するのは無理だ。隣りのレイモンドを見ると彼らしく好奇心を覗かせていた。


「アカデミー内で北のスパイが尻尾を出したって話、あんたら聞いてるか?」


 予想もしない話を切り出されて俺もレイモントも軽く面食らった。


「いや、初めて聞く。ケネスは知ってたか?」

「いえ、俺も初耳です。ただ、このところ警備兵の配置が以前より密になったとは思っていました」

「実は警備兵の一人と話をしたんだが、北のスパイの狙いは四日後にアカデミーにやって来る皇女殿下なんじゃないかって話になってな」


 皇女殿下の存在自体は確かに北のスパイが食い付く的だ。しかしそれを口にするフレディ・カーブラックはもう少し踏み込んだ情報を握っているようだった。


「その警備兵によるとスパイ側は南回りの郵便馬車メールコーチを何度か利用してるって話だ」

「南回り? すると離宮サイドにも既にスパイの手が?」

「多分回ってるんだろう。そこへ来て歓迎祝賀会の大幅な前倒しとしなりゃあ、会場の下見に連中が動かないなんてことあると思うか?」


 確かに、とレイモンドが頷く隣りで俺も同意せざるを得なかった。

 フレディ・カーブラックによれば彼自身がガラテアらサロンの仲間とゴルフ場でスパイらしき人物を目撃。その足取りを追った先で、精霊塔で当のスパイと思しき遺体を発見したと言う。

 警備隊はフレディらが開け放って去った精霊塔を調査し、そこにあった遺体の刺青から北のスパイと断定した。スパイの死はトカゲの尻尾切りと推察され、警備隊は調査を継続。郵便馬車メールコーチの件から離宮方面にスパイの連絡網があると知って、皇女殿下の周辺に何らかの意図を含んだスパイ活動だろうと判断したらしい。


「確かレイモンドの親戚が皇女殿下の護衛官をしていたのでは?」

「覚えていたか、ケネス。ユーイン兄さんはフェイ侯爵家の騎士で、私の祖父の甥の子に当たる。親類が多い中で、ユーイン兄さんは剣の師匠だったんた」

「マジかよ。ならその伝手で離宮方面の様子を探れないか?」


 離宮側に伝手があると知ってこの反応。フレディ・カーブラックは余程この件にのめり込んでいるらしい。


「勿論可能だ。今日手紙を出しておけば、明日訪問だってできる。馬でなら行って戻るのに一時間もかからないだろう。必要なら行って様子を見て来こようか?」

「ああ、知っておいて損はねぇ」

「なら小宮殿でのスパイ探しは二人に任せるよ。人手が必要ならケネスから剣十字サロンのメンバーに言えばいい。ただし、既に人一人が死んでいる。だから男子メンバーだけに絞ること。くれぐれも単独行動はさせないように」


 話がまとまると、一先ず今日のところは俺とフレディとで小宮殿内を見回ることになった。

 レイモンドは現場の指揮に戻り、設営は滞りなく進められて、夕方六時の鐘が鳴るとこの日の作業は終了。明日、明後日は女生徒たちが仕上げた飾りつけが運び込まれ、華やかな装飾で彩られて行くことだろう。

 更に翌日には三年生を中心とした楽団を始め、シンプルな式次第を通して全体リハーサルが予定されている。全てが終われば翌日はいよいよ本番だ。


「一日見て回ったが、不審な奴なんていたか? 俺には分からなかったが」

「こっちもだ。ただ北の腕っこきなら変装や魔法なんてお手のもんだろ? あんた、魔法を見破ったりはできねーのか?」

「俺は魔法はからっきしだ。おまえは?」

「端にも棒にもかかんねーよ。そっちのメンバーに誰かいるといーんだがどうだ?」

「シンクロしてるのが二人くらいいたと思う。契約まで行ってるのも一人いるが、女子だから巻き込めない」

「シンクロで十分だろ。精霊感知エレメントセンスとか魔法解析アナライズはシンクロで行けるんだよな?」

「内燃魔法と接触魔法はシンクロで行ける。明日声をかけてみるよ。ただ、見つけたとしてどうする?」


 問題はそこだ。仮に魔法を使うような相手なら、抵抗された場合大きな騒ぎにだってなりかねない。


「理想は生け捕りなんだよな。こっちで捕まえて警備隊に突き出したいところだが、無理そうなら見つけた段階で警備隊に連絡だ。俺の情報屋になってるアドコックに知らせりゃいーさ」

「ならそうするとして、この件、ガラテアは知っているのか? ゴルフ場や精霊塔では一緒だったんだろ?」

「知るかよ。あいつ、精霊塔には無理矢理付き合わせといて、そっから先見事な手の平返しだったからな。こっちはこっちでやるさ」


 何かがこじれたような口振りは気になったが、何しろガラテアは規格外の女だ。変に関わられてもそれはそれで面倒かもしれない。


「お、あいつも来てたのか」


 小宮殿から円形広場までの道を並んで歩いといると、卵体型の名物男子がノタノタと先を歩いてるのが見えた。


「おい、ゲスロマン」

「およ? フレディ君じゃないでしゅか。今日はガラテアたんと一緒じゃないでしゅね?」

「あんなのと四六時中一緒でたまるかよ。おまえだって珍しいじゃねーか。今日までは力仕事だぞ。おまえなら飾りつけの方に回ってると思ったが、何してた」


 妙に話せる仲なんだなと感心して聞いていたら、アルステッド・ゲスロマンは力仕事に回った女生徒の観察をしてたなどと訳の分からない事をほざき始めた。何でもスパッツだかの製作アイデアを求めてのことだとか。まったく以って意味が分からない。


「相変わらずだなおまえは」

「お褒めに預かり恐縮でしゅ」

「褒めてねーよ! まーいい。念の為に聞いとくが、小宮殿で不審な奴を見かけなかったか?」

「不審でしゅか? 特には……。あ! 一人気になる子がいたでしゅよ」

「いや女の話はしてねーよ」

「いやいや女の子の話でしゅよ」

「こいつ、人の話を聞けってんだよ」

「しょっちこそ聞いといて何でしゅか。ボクチンは不審な女の子の話をしてるでしゅよ」


 その台詞に思わず俺とフレディは顔を見合わせた。何の根拠もなく謎の予定調和から、不審者を職員などの部外者や男子生徒の中に探そうとしていたからだ。


「それでアルステッド。その女子はどこがどう不審だった?」

「しょれでしゅよケネス君。何とでしゅね、女生徒に関する情報を網羅しているこのボクチンが、まったく見たこともない女子が一人いたんでしゅ! これってミステリーじゃないでしゅか?」


 まったく以ってミステリーだな。

 アルステッド・ゲスロマンと言えばアカデミー中の学生が知る変態の中の変態。隙あらば女生徒のスケッチを取り、情報を搔き集め、越えてはならない一線を越えたとの噂が常に付きまとう存在だ。そのゲスロマンが二年三年の女子は元より、前学期開始からほぼ一箇月が過ぎた今の時点で一年女子の情報に漏れがあったとも思われない。


「本当に初めて見る女生徒だったのか? 制服で学年は分かるはずだ。その女は何年だった?」

「しょれが何と二年生でしゅ。制服のラインは間違いなく二本だったでしゅよ」


 それこそ前述の理由からあり得ない。ゲスロマンが一年以上も見逃していた女生徒などこの世に存在するはずがない。


「おい、フレディ・カーブラック。これは当たりなんじゃないか?」

「だな。おい、ゲスロマン。その女の似顔絵を描けるか?」

「にょほほっ、お安い御用でしゅ」


 円形広場の外灯の下でサラサラと止まらないペン先。手帳の一ページに浮かび上がったのは平凡と言うよりも特徴らしい特徴を持たない女の顔だった。


「この似顔絵がありゃ明日は人を増やす必要もないな。おいゲスロマン。もう一枚描いてケネスにも渡しとけ。それで明日は俺たち三人でこの女を探し出すんだ」

「それは構わないでしゅけど、何なんでしゅ? 何かトラブル?」


 描く手を止めずに質問するゲスロマンに、フレディはサロン間のゴタゴタだと適当な誤魔化しを伝えた。それはそれでいい。如何にも戦えそうにないタイプのゲスロマンを変に深入りさせる必要はない。

 人手を増やさないのも妥当な線だろう。似顔絵を持ち歩く人間が何人もいたらスパイ側に容易に気取られてしまう。幸いゲスロマンの絵は動き出しそうなほどにリアルだ。目標が明確で小宮殿に限定した人探しなら三人で事足りる。

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