第48話 錯雑の幕間

 足が重い――。

 ずぶ濡れになった服は乾いて来たけど、ここは一体どこなの?


 クワァァ――。


「――!!」


 まさか、追って来てる?

 いえ、ただの鳥よね。まったく、心臓に悪いったら。


「ニックス!」

「いるー。ダルシーだいじょぶー?」

「どうかしら? 段々どうでもよくなって来たわ」

「そんなこと言わないで?」


 いい加減深刻な状況だって分かって来たみたい。氷雪霊ニックスったら心配そうな顔をしてる。


「さっきのお願いプリーズ、ちゃんと覚えてる?」

「うん。誰かが近付いて来たら知らせるー」

「そう、そうよ。お利口ね」

「ダルシー、がんばろ?」

「ええ。私が頑張らないとね」


 ナディーンがどうなったか。コーディリア様やミランダ様がどうなったかなんて、もう私には責任が持てない。とにかくアカデミーへ戻るのよ。それだけ。たったそれだけなのに、見たこともない森の中で迷ってる。最悪だわ。


「本当に誰も来てない?」

「心配なら見て回って来るー?」

「ええ、そうして。お願いプリーズ

「はーい」


 肩を離れたニックスが氷霧の帯を引きながら後方に流れて行った。

 森の中で、曇り空で、方角も満足に掴めない。

 昨夜、私は作戦通りに水路から敷地外へ出た。しばらくはユーイン卿と風会話ウィンドチャットをして怖さを紛らすこともできた。でもその声を悟られたみたいで、直ぐに誰かが追って来てると気づいたわ。

 本当なら一度道に出て、道沿いに森や草地を隠れながら抜けて行くはずだった。それが追手を撒くのに必死で、空が白んで来た時には完全に迷子。夜通し逃げ回ったせいで思考冷却カルミングも利かないほど疲れ切ってしまった。


「少しでいい。眠りたい」


 そうよ、少しくらいいじゃない。どうせ離宮に囚われているのは北部貴族ばかりだもの。

 いいえ、ダメよ。敵は魔女と、それから得体の知れない写し身たち。北部貴族の内輪揉めとは訳が違うわ。

 余計なことを考えちゃダメ。私はメッセンジャー。今はそれに徹するだけ。


「あっ――」


 木の根に躓いた。


「何なのよもう! ふざけないでよ! バカにしてっ」


 まともに打ち付けた額に触れると、ドロッと生暖かい血。


「ニックス! どこまで行ったの!? 戻って来て!」


 大声を出すべきじゃない。そうは思っても、怪我をした不安から自分を制御できなくなってた。


「呼んだー?」

「ニックス! …………。違う。あなた私の氷雪霊ニックスじゃない」


 目の前に浮かぶ氷雪霊ニックスは輪郭を覆う冷気のもやが私の子より遥かに濃かったわ。それは魔力の濃い誰かと契約している証拠。そうでなければ雪原でもない限り、こんなに冷気の濃い氷雪霊ニックスは見られないもの。


「あなた、誰かの契約精霊? 近くに魔法使いが隠れてるの?」

「……あっち」

 

 ひょっとしたら敵の魔女かその仲間がいるんじゃないかと思ったけれど、来た方に戻る訳じゃないみたいだから付いて行ったわ。そしてそこで目にしたのは想像を遥かに超えた惨状。


「これは……。アイスゴーレムと、もう一体はアイアンゴーレム?」


 明らかに魔法による戦いで薙ぎ倒された一円の木々。その中心に組み合う形で二体の巨大なゴーレムが静止していたわ。

 大きい。ゴーレムの創造は全高二メートル以内とするのが基本で、重層魔法タプルマジックで一メートルずつ上乗せができるけれど、それが目の前の物は、溶けかかったアイスゴーレムも、そのままの形を残すアイアンゴーレムも全高十メートルを優に超えていた。


「何よおまえ、助けを呼んでって言ったのに。助けが必要そうな女の子を連れて来ちゃったの? バカねぇ……」


 声は二体のゴーレムの狭間辺りから聞こえて来た。ニックスと一緒に駆け寄ると、倒れていたのは初めて目にする女性。


「嘘、やだ。何てことなの……」


 生きているのが不思議なくらいな状態だったわ。アイアンゴーレムの手に下半身を押し潰されて、一目でどうにもならないと理解できた。


「こんにちはお嬢さん。あたしはスリル。外套の魔女ハイドインシャドーのスリルよ。よろしくね」




 ***




 今日のサロンは免許の勉強会が中止になって、土いじりのグループと総出の集会になった。何かと思ったら皇女殿下の歓迎祝賀会を急遽、翌月一日の魔女の日にやることになったんだと。それが皇女殿下のご意向ってんだから、要するに決定事項ってヤツで、不平も不満も出ない代わりに動揺は大きかったみたいだ。


「あと五日だって。ちゃんとできると思う?」

「知るかよ。どうにでもなるだろ。ほっといたって六日後には思い出話になってんだ。焦って何かできる訳でもねーだろ」

「それもそっか」


 うん、今の総括な。おまえ個人に対しては別の意見があるぞ。 


「ガラテア。おまえはもう少し焦っとけ」

「どうして?」

「どうしてっておまえ、相変わらず暢気だよな? 行けるのか?」

「どこへ?」


 少しは分かれよ。世話なんか焼きたかねーけど心配になるんだよ。


「どこへじゃねーよ! あのな。学生だけでやるったって皇女殿下をお迎えする正式なパーティだぞ? おまえのボロカスなマナーでどう乗り切るつもりなんだ? それ以前にドレスとか持ってんのか?」

「ボロカス……」

「姉貴も今頃おまえをどうするかで頭抱えてるぞ? なんたって五日しかねーんだ。直ぐに行って相談しとけ」

「分かった。行って来る!」


 おーおー、矢の勢いで飛んで行ったな。


「プランBまで用意しとくんだぞー! ……ったく」


 さてと。じゃあ俺はちょいと失礼して――。


「あれ、フレディどこ行くのよ? 今から当日までの役割分担を決めるのよ」

「おうデスピナか。わり、適当に頼むわ。ちょっくら用があるもんでな」

「何よそれ。じゃあ力仕事に回しとくわよ?」

「おーけーおーけー。筋トレが無駄にならずに済むってもんだ。じゃあな!」


 ま、用ってことの程でもねーんだけどな。

 ガラテアの奴、一昨日の夜にはサービス残業させといて、翌朝にはスパイのことなんて忘れましたみたいな顔しやがる。ならこっちはこっちで調べるまでさ。中途半端ってのはどうもケツがむず痒くなるからな。

 管轄林から学寮区画に戻って立ちんぼの警備兵に話しかける。すると奴の居所は直ぐに分かった。魔法科棟前広場に沿って学生寮に向かって行くと、遊園区画の門の前に奴はいた。


「よう、ウォルター・アドコックさんよ。ちょいと尋ねたいことがあるんだが」

「職務中だ。話しかけるな」

「おいおい、知らねー仲じゃねーんだから少しぐらいいーだろ? 女生徒のスカートを覗くのが趣味だなんて知れたらことだぜ?」

「話を聞こうか」


 分かりやすい奴だな。ゲスロマンよりこいつの方がよっぽどゲスな気がして来たぜ。


「スパイの件、その後の捜査状況はどうなってんだ?」

「そんなこと言える訳がないだろう」

「でも死体が出たんだろ? 精霊塔でよ」


 不意を打たれた顔をして目が泳いだ。それから声を忍ばせて、


「何で知ってる? 学生に不安を与えないように伏せてある情報だぞ?」

「風の噂って奴だよ。で、何か分かったのか?」

「どうかな。見ての通り現場捜査員じゃないんでな」


 まぁそー言うわな。だがこいつはテンペル州のアドコック子爵家に籍を置く人間だ。元が帝都の儀仗兵ってんならアカデミーの警備兵なんざバカらしくてやってらんねーだろう。


「カーブラックの口利きがあれば帝都に戻るのもそう難しい話じゃないとは思わないか?」

「…………本気か?」

「今はそんな気分ってだけだ。五秒後もそうとは限らねーけどな」


 ウォルター・アドコックは辺りに人がいないのを確認して切り出した。


「精霊塔の捜索で分かったことは、見つかった死体が北部同盟の暗部の人間だったってことだ」

「どうして分かった?」

「刺青だよ。連中は体のありきたりの場所にありきたりの意匠の刺青を入れる。だが意匠には工夫があって、例えば鷲なら羽根が一枚わざと彫り忘れてあったり、サソリなら毒尾の節が普通より一節多かったり少なかったりする。死体からもその手の特徴が見つかった」


 なるほどな。素人の学生には分かりようのない領分だ。


「他には?」

「他って何だ?」

「何でもだよ。警備隊では単独と見てるのか? それとも仲間がいる線で追ってんのか? 今の情報だけじゃ帝都行の精霊列車エクスプレスに乗っても途中下車だぞ」

「分かったよ。勿論他にも潜んでる線で追ってる。今回は俺に顔を見られた奴の始末に過ぎないとな。それで死んだ男の目撃情報を徹底的に洗った」

「何か出たか?」

「ああ。男は二度ほど居住区画に現れて、郵便馬車メールコーチを利用してた」

郵便馬車メールコーチだぁ? 郵便局は警備隊宿舎の真正面じゃねーか。目の前をうろつかれて誰も不審に思わなかったのかよ」

「その通り。面目丸潰れさ。だから配置シフトも巡回シフトも過密になって、どいつも血眼だ」


 しかし手紙か。なりすましが上手く行ってりゃ、伝書鳩より逆に目立たない連絡手段だな。問題は手紙の行方だ。


「使った郵便馬車メールコーチのルートは?」

「南回り、ダックワース経由の便だ。窓口の局員は恐らくと付け足したがな」


 アルディバイン州の東端にあるアカデミーは州の中心部に向けて北回りと南回りのルートがある。

 北回りの州境沿いは栄えてて経由地点も多いが、南の州境は南部領との境で田園地帯が広がってる。


「南回りなんてダックワースまで農村以外に何がある? 離宮の前を通るってくらいだよな。いや離宮か? 今年は皇女殿下がアカデミーに来る。北部同盟が目を付けたのは皇女殿下って可能性、あるよな?」

「ビンゴ。警備隊もその線を踏まえて大っぴらには動けずにいるんだ」


 死体が出た件もそうだが、皇女殿下の周辺が騒がしくなるのはそれ以上にまずいってことか。

 だがどうなんだ? 今日になって突然決まった祝賀パーティ。北のスパイはこれを知ってどう動く? 会場の下調べをしに来るんじゃねーのか?

 警備隊が血眼になって追う動きをしてるんなら、こっちは小宮殿に張り付いて待ち構えるってのもありだ。追撃と迎撃の挟み撃ちに遭えば、どこかで尻尾出さないとも限らないだろ。


「よし分かった。情報提供ありがとな」

「それで帝都の件は?」

「話はしておくよ。あとはまぁ、天にでも祈るんだな」


 あとはだんまりを決め込んだガラテアが腹の内で何を考えてるかだな。何も考えてねーってパターンまであるのが恐ろしいが、一度こっちから振ってみてもいいかもな。




 ***




「男装ですか?」


 フレディに言われて早速ナディーン様に相談したら、コテージの二階に連れて行かれて、当日は男装で出席するようにとのお達しを受けた。


「本来なら十一月に予定していたものが五日後に繰り上がったのですから、貴女自身今言った通り、マナーの点をカバーするにはこれが唯一の手段かと思いますわ」


 確かにそうだ。私は男としてなら例え皇女殿下の前でも、騎士らしく卒のない振る舞いができる。女性らしさを意識する必要もなくていっそ気が楽だ。


「さすがですナディーン様。是非ともそうしましょう」

「ええ。これで問題解決ですわね。衣装は明日にでも合わせることにしましょう。私の方で幾つか用意させますから、その点は心配しなくていいですわよ」

「はい。ありがとうございます」


 よかった。これで一件落着だ。

 でも何だろう? この違和感。昨日会えず終いだったナディーン様に会えて嬉しいのに。二階の一室に二人っきりなのに。何かがいつもと違うような。


「どうかしましたの? 気がかりのある顔をしていますわよ」

「いえ、何でも」


 普段と変わらないナディーン様の口調。でもやっぱり違う。

 小指の約束ピンキィプロミスを交わして以来、二人の時は少しだけ砕けた感じの言葉をかけてくれてたはず……。

 今のだって「どうかしたの?」とか「何かあったの?」の一言で足りた。

 でもきっと私のせい。

 ゴルフクラブの件。ペペリットの件。立て続けに失敗しちゃったし、そのせいでまた距離を置かれたのかも……。


「それで、当日の事ですけれど」

「はい」

「貴女のことは既にコーディリア様のお耳に入れてありますから、ブランペインの物語をこよなく愛するコーディリア様のこと。必ず貴女を側へ招かれますわ」

「その時はどうしたらいいですか?」

「普段の貴女で、自信を持って接することですわ。男装での参上については余興として私から伝えておきます。けれど男装であるが故にコーディリア様は必ずダンスを所望なさるはずですわ」


 そうか。こっちがドレスならそんなことにはならないけど、マナーの問題をクリアする為に男装すればダンスパートナーをと望まれても仕方ない。


「大丈夫です。ご満足頂けるように精一杯務めます」

「そうね。期待していますわ」

「あの……」

「何かしら?」

「できればその、ナディーン様とも踊りたいんですけど」


 思わず本音を漏らしたら、ナディーン様はそれまで見せたことのないような、妖艶と表現するのがピッタリの微笑みを浮かべて口元を隠した。


「可愛いことを言いますのね。でしたら是非ともコーディリア様を満足させて差し上げることですわ。それができた時のご褒美としてなら、この手を預けてもよくってよ」


 キターッ!! やったぁ!

 ずっとずっと望んでた機会がついに来た! 待ちに待ったナディーン様との二度目のダンス。そのお許しが出た!


「はいっ、必ずご期待に添って見せます!」


 ああ、待ち遠しい! さっきまで五日しかないのかって思ってたけど、五日なんて待ち切れないっ。


「ガラテア」


 どうしよう? 今度はテンポの速い曲がいいかな? ナディーン様ならどんなステップにも付いて来てくれるから、何だって踊れる。


「んんっ、ガラテア?」


 フォックストロット? クイックステップ? 陽気に跳ねるガイヤルドも捨て難い!


「ガラテア!」

「ひゃいっ、何ですかナディーン様? リクエストはありますか?」

「一体何の話をしていますの?」

「あ、はい。ごめんなさい。ご用件をどうぞ」


 呆れムードをようやく悟って直立不動の構えで対応。

 あぶないあぶない。浮かれ過ぎてまた失敗するところだった。


「明日の衣装合わせは私の部屋でしますから、コテージには寄らずに、講義が済み次第真っ直ぐ寮室を訪ねて来るように。いいですわね?」

「はい。五限が終わったら直ちに向かいます!」

 

 この日はこれでお終い。階下へ戻った私はパーティ会場設営の役割分担を決めて寮に引き上げた。

 それにしてもテレスさんは昨日のこと、ナディーン様には話さなかったのかな? あるいは私から話すべきだと考えたのかも。それなら明日の調査結果も交えて、衣装合わせの時にでも報告しよう。

 とにかく今日はよかった。パーティへの不安は男装で解決したし、ナディーン様とのダンスも約束を取り付けた。うん、ここ最近では一番の日かもしれない。




 ***




 鼠が二匹、未だに捕まらない。

 ユーイン・ラ・フェイとダルシー・ハイペリオン。

 ユーインは負傷の度合いから、恐らく地下迷宮に隠れていると見ていいでしょう。外と繋がりを持てない以上、放っておいても構わないわ。

 問題はダルシー。

 ミランダ・ベスタベネラとナディーン・カーブラックは交感邪霊ドッペルゲンガーと入れ替えたけれど、取り逃がしたダルシー・ハイペリオンの姿は写し取れていない。放って置いたらその不在が騒ぎの元になってしまうわ。


「まったく。こうして私が出向かなくてはならないなんて」


 ダルシー・ハイペリオンの寮室に侵入して、彼女の使用人を石化した。それを交感邪霊ドッペルゲンガーと挿げ替えて対応させれば、数日の間なら病欠で押し通せるでしょう。


「それにしても平和だこと」


 カーテン越しに眺めるアカデミーに異変を察した様子はない。

 私が始末した例の死体を見つけて、警備隊だけは警戒を強めているようだけれど、あと五日で私にまで辿り着くのは無理と言うものだわ。


「しつこくまとわり付いていた外套の魔女ハイドインシャドーも始末が付いた。今頃はもう息をしていないでしょうね」


 仮に生きていたとしてもワンドを奪ったから魔法は使えない。どの道野垂れ死によ。

 魔女の館では今頃になってカルデネ辺りの捜索を始めたようだけれど、向こうの始末は物語の魔女ドリームシアターが付けてくれる。

 気がかりと言えば糸車の魔女スピニングディスティニーの行方だけれど――。


「どこかでひっそり死んでくれてたりしないかしら? もし生きて呪いから逃れたなら、あの女は必ず私を追って来る――。いいえ、そうじゃないわね。ディオーネはあの子に会いに来るのよ……」


 それならそれで構わない。その時に決着を付けるまでだわ。

 問題は事態が明るみとなった時、ステラが動くのかということ。ガラテアの後見という立場からすれば、その可能性は否定できないわ。

 ハグに生まれ変わった今の私は、他のどの魔女でも返り討ちにする自信がある。けれどステラだけは別。あれは惑星ソーマを守護星に持つ本物の怪物。神の存在を否定しておきながら神の領域に一番近い魔女なのだから。


「それでも私は、おまえの帝国に挑むことを止めないわ。一度死んだこの身を今更惜しみはしない――」


 帝室を根絶やしにすると決めた以上、帝国を背後で支えるステラや、ステラに従う魔女たちとの対決は不可避のもの。それでいい。それでいいのよ。全てが敵ならいっそ楽だもの。

 私は復讐の女神。帝国の民に愛されたエカテリーナはもうどこにもいないのだから――。

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