第46話 地下通路
水の滴る暗い地下。離宮の敷地に張り巡らされた地下通路の一角。
ユーイン卿の手引きで難を逃れた私は、敷地を流れる小川の取水管理棟から地下へ下りて、有事の際の脱出に使われる迷路へと逃げ込んだ。
「しばらくは安全だ。ここは袋小路に戻り道、抜け壁や落とし穴もある。全容を掴んでなければたちまち迷う造りだ」
「それはいいけれど、一体何事なの? コーディリア様はご無事? 外部への知らせは?」
管理棟から持ち込んだランプの灯りが抜け壁裏の狭い小部屋に影を揺らしてる。壁にもたれたユーイン卿は力なく首を振ったわ。
「何が起きたか……、分からない。コーディリア様の無事も知れない。外部への知らせも、誰一人果たせていないと見るべきだろう。私の魔力では二キロも飛べは後は歩くしかない。この足でそれは無理だ」
投げ出された右足は腿をベルトで締め上げて、膝から下に大きな抉れ傷を負っていた。
「私は五体満足よ。仮に私が抜け出せた場合、アカデミーへ戻れたとして、誰に何をどう伝えれば? 何でもいいの。状況を教えて。祝賀パーティが前倒しになったことも関係している?」
「祝賀パーティ? 分からないが、順を追って話をしよう」
ユーイン卿は目を閉じて出来事をなぞるようだった。
部屋の隅では
「昨夜到着して、途中馬車の故障はあったが、夕食を済ませてしばらくは何事もなかった。殿下の寝室が整い、奥殿へ移動して頂こうとお声がけした時、聞こえて来たんだ」
「聞こえて来た?」
「ああ、音楽だ。
その状況は私がミランダ様やナディーンと分断された時と酷似していた。ユーイン卿も奥殿の内と外にコーディリア様と分断されてしまったと。
***
「殿下! ご無事ですか、殿下!」
分厚い扉を殴るように叩き付けた。
「私は無事です。ユーイン卿、何が起きているのですか!?」
侍女たちの動揺に紛れた殿下の声。それは貴人らしく平静を装いながら、僅かに震えを含んでいる。
「殿下、今人をやって調べさせています。どうやら敷地内に招かれざる客がいるようです。ですが直ぐに対処致しますので――」
扉越しに重く鈍い音が二度三度続いた。
「殿下! 今の音は何ですかっ」
「侍女たちが倒れました。みんな意識が……。あ……。ユー、イン――」
「殿下!! コーディリア様!」
殿下は倒れられたのか? この扉はどうしてこうも固く閉ざされている!
「くそっ、魔法使いがいるのか!? 何が目的だ! 姿を現せっ」
夜の風が荒れれば音楽は
「夜空をご覧。
「何者だ!?」
歌うような声は空から降って来た。見上げれば薄霧の晴れた夜空に星々を背負う黒い影。
「星降る夜に心行くまで音楽を。さあ、おまえもゆっくりと眠るがいい。後のことはこの子たちに任せて」
風に
「くっ、何だこの闇は!?」
飛び
「バカな、これは一体!?」
「ふふっ、今からおまえに取って代わる子よ。とても聞き分けのいい子たち。全ての者に代わりがいる。だからいいのよ。安心してお眠りなさい」
目が霞んだ。状況にそぐわない睡魔は鳴り止まない音楽のせいか――。
「
自分を起点に不協和音を爆発させた。搔き乱された音楽は鼓膜から剥がれて、同時に倒れかけた意識が戻って来る。
「貴様っ、よくも私の演奏を邪魔してくれて!」
石畳に降りた女はよろめいて、それを私の写し身が支えた。だが相手にするには分が悪い。
本当にそれが魔女名なら、魔法の粋を極めた魔女を相手にどこまでやれる?
私は殿下の護衛官。ここで賭けに出て倒れる訳には行かない。
「殿下! 必ず助けに戻ります!」
敵には何か遠回しな算段がある。身代わりを用意して何かしようと言うのだろう。ならば時間はあるはずだ。その時間を使って奪還の手立てを――。
「逃がさないでっ、追うのよ! 一人も逃がすな!」
私が動くと、私の写し身が剣を抜いて追って来た。
広大な敷地は外郭部分に庭木の森を成している。
私は夜陰に紛れ、
次に敷地内に散開させた部下たちに
「何故誰も返事をしない! 全員眠らされたのかっ」
六名の部下は誰も帝室の安全を担う腕利きの騎士だ。それが魔法にかかると一度に制圧されてしまうのか。果たして魔女の手から殿下をお救いすることは――。
「何を弱気な。私だけでも」
ザンッ――。
右足に熱が走った。見ればどこから飛んで来たのか、草刈り鎌が脛に食い込んでいる。
「いたぞぉー! 眠ってない奴がまだここにいるー!!」
十メートルの距離で大声を発したのは離宮に住み込みの庭師か。だが見てくれがそうと言うだけで取って代わられた偽物だろう。
「
右足はもうダメだ。私は梢に隠れる高さを飛んで、帝都出立前に叩き込んだ離宮の全貌を頭に描いた。
敷地の地下には張り巡らされた通路網がある。それは脱出路であると同時に侵入を阻む迷宮だ。正しい順路を知らずに踏み込めば、罠に嵌まって進退窮まることになる。
***
じめじめとした暗がりでお伽噺に出て来るような悪い魔女の話を聞かされたわ。ユーイン卿はそれを実際に起きたことだと言う。
普通なら信じない。少なくともこの帝国では誰も想像しないこと。魔女が敵に回るだなんてね。
「難を逃れてここへ来たのはいいが、この怪我に文字通り足を引っ張られてね」
「風の魔法なら外部への通信は?」
「近隣の住民を知らない。アカデミーまでは五キロある。通話の魔法は基本が三〇〇メートル。
「それで外へ? 私を見つけたのは偶然ってこと?」
「ここにると振動が伝わって来る。最初は恐らく朝だった。馬車が出て行ったと感じて、一時間かそれ以上か、戻って来たのも分かった」
「今朝の馬車……。それは多分、ミランダ様への使いの馬車だわ」
「なるほど。それで午後になって君たちが来た訳か。私も外部から誰か来たと考えて外に出た。可能なら警告を。それが無理でも馬を奪って逃げられないかとね」
「何よ貴方、どっちもできてないじゃない!」
文句を言ったらユーイン卿は笑った。南部人らしい物言いですって? 大きなお世話だわ。
「すまない。だがどうやら本当に離宮にいた全員が身代わりを立てられて、偽物がそこら中を闊歩していたんだ。怪我の痛みで魔法を使うにも相当な集中が必要になる。思うに任せない状況だったんだ」
「それはそうよね。私こそご免なさい」
展望が得られない。ただ、どうにも気にかかることがあったわ。
「来る途中。ミランダ様がジレンマの話をしていたの」
「ジレンマ? 何について?」
「その前に。ユーイン卿はガラテア・ブランペインをご存知?」
あの子の名前に反応して、端正な眉根が微かに動いたわ。
「知っている。帝都を出る前、レイモンドにアカデミーの様子を尋ねる手紙を出した。その返事に書かれていたよ。正直言って複雑な気分だった」
「複雑? それはどうゆう意味?」
帝室のブランペインに対する感情と、帝室に仕える者のそれは違うとして、その複雑さには興味があったわ。
「殿下はブランペインの物語の大ファンだ。だから私は、帝室への報告以前に、殿下に手紙の内容を知らせた。ところがこれが間違いで、その時に口止めをされてしまった」
「コーディリア様ってお茶目なところがあるものね」
帝室にあってコーディリア様ほど飾り気のない方はいないわ。初めてお会いした時も、南部貴族の私を会うなり抱きしめて、南部のことを根掘り葉掘り。今以って奇妙な思い出よ。
「殿下は当然、ブランペインの娘に会いたがった。だが私としては上に報告も済まさぬ内から、因縁のブランペインと引き合わせることなど考えられない」
「そこがジレンマなのかしら?」
「確かにそうとも言える。殿下の願いは叶えたい。しかし安易な判断は下せない。迷信めいて聞こえるかもしれないが殿下は第三皇女だ。ブランペインを近付けるのは不吉な感じがして嫌だったよ」
ユーイン卿としてはアカデミー側に詳しい素性を確認するまで引き合わせたくないだろうし、本当なら帝室の判断を仰ぎたいところよね。
逆も同じ。コーディリア様が口止めしてまで会う方向に画策しても、難色を示すユーイン卿を退けてまでは押し通せない。
「でも不思議よね。魔女はいつ貴方やコーディリア様の心情を確かめたのかしら? 手紙の内容はミランダ様にその辺りのジレンマを感じさせたんだから、当然知っていたことになるわ」
離宮に着いて、夕食を済ませて、寝室へ移動。直後に騒動が起きた。大して時間もない中でどうやって。
「思い当たる節はある。離宮に着いた時、殿下は音楽が聞こえたと言っていた。私は空耳だろうと聞き流してしまったが、思えばあの時から、悪くすればそれ以前から見張られていた可能性はある」
「夕食の時の話題に出たということ?」
「ああ。寧ろ昨晩の焦点だったと言っていい」
なら知られていても当然ね。それにしても、
「本人はいい子なのにね」
「君はガラテア・ブランペインをよく知っているのか? どんなだ? レイモンドの手紙には剣も魔法も相当腕が立つと書かれていたが」
「ええ、それはもう凄いわよ。でもそうね。あの子は何て言うか、人懐こくて可愛い子なの」
「血筋は?」
やっぱりそこね。
「……それは本人の口から直接確かめて」
私から言うことじゃない。そもそもが立ち聞きした内容だもの。言えないわ。それよりも今は――。
「貴方の言う写し身――偽の使者がミランダ様に届けた手紙だけど。祝賀パーティの前倒しの件は元から決めていたこと?」
「話は出ていた。だが決定はしていない。昨晩も話し合ったよ。サロン間にいざこざがあることから、殿下は過去の前例を無視して、一度のパーティで全生徒、全サロンへの顔見せを済ませる考えでいた。日取りに関しては事前にミランダ嬢と会って決めるつもりだったようだ」
「だとしたら、その状況を利用して何かをしようというのが
「ブランペインは帝室の災い。その観点からすれば関わって来ると思わないか? 現実にどうなるかは分からないが」
その通りね。何だかクロスワードでもしている気分だわ。
とにかく私たちは利用されようとしてる。偽物を仕立てられて、いいように陰謀の予定を組まれてしまいそうな状況ってこと。
「身代わりを立てられた人たちはどこにいると思う?」
「恐らく奥殿だ。或いは従僕や侍女を正殿に分けたかもしれない。だが救出を考えているなら二人では無理だ」
「分かっているわ。ただ、どこにいるかは見当を付けておかないと。私が行って戻って来た時に困るでしょう」
「ダルシー。君は勇敢だが十五歳の少女だ。無茶はさせられない」
「その足で言っても説得力がないわよ、ユーイン卿。私以外に誰が行くの?」
現実を突き付けるとユーイン卿は肩を落とした。
「私だって無謀は避けたいけれど、ここに居続けたって何にもならないわ。アカデミーへ戻って、魔女絡みの話ならメクセラ先生に状況を知らせる。あとは魔女同士で解決して貰いましょう。それしかないもの」
「分かった。なら夜を待とう」
決断を済ませた顔でユーイン卿は言ったわ。
「夜を待って水路を使う。敷地の小川や池に水を送っている水路だ。外を流れる川と繋がっているから、水門を開ければ泳いで出られる」
待って待って。ちょっと待って。されはさすがにあんまりな提案じゃない?
「濡れ鼠になって出て行けってこと? それがたった一つの冴えたやり方?」
「そう言わないでくれ。碌でもない選択肢の中からマシな物を選ぶしかない時もある」
「そう。今がその時って訳ね。分かったわ。その代わり、お礼で満足させてくれるのよね?」
「勿論。君の肖像画を飾って末代まで讃えさせるよ」
「何よそれ。何か頂戴よ」
笑ったわ。そんな冗談、言いそうもない顔をして言うんだもの。
「ユーイン卿。貴方、北部貴族にしておくには勿体ないわ」
「君も、濡れ鼠にしてしまうには惜しい」
それからはユーイン卿の傷を看ながら時間が過ぎるのを待った。
懐中時計の針が秒を刻む音を聞きながら、私は少し眠ってしまったみたい。ユーイン卿の手が肩に触れた時、微かな振動が暗い小部屋を震わせていたわ。
時計の針は夜七時。恐らく偽物を乗せた馬車がアカデミーに向かって出発したのでしょうね。
「取水管理棟へ移動しよう」
「ええ、行きましょう」
ミランダ様やナディーンの偽物が嘘でみんなを絡めてしまう前に、私が行って知らさなければ――。
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