第43話 狐火の幻影

 明り取りの窓がないのか、風雨対策に塞がれているのか。暗所探知ダークセンスでも暗く霞んで見えるのは真の闇に近いからだ。


「ここも似たような物置部屋みたいだけど」

「ああ、二層より小物が多そうな感じだな」

「外から見たら五層はありそうな塔だったのに。階段がここで終わってるのはどうして?」

「いや、まだ上はあるだろ。この塔は天辺に向けて段々狭まってる。だから隅の螺旋階段は終わりだ。多分、屋根裏に収納梯子か何かあるんじゃないか」


 なるほど。天井を見上げながら三層の中心へ。と思ったらグイッと腕を引かれた。


「おい、バカ」

「何?」

「落とし扉だバカ。落ちるぞ」

「落とし扉?」

「置物のサイズと階段を見比べりゃ、落とし扉があるってことくらい分るだろ」


 言われてみれば確かに。家具類の運搬に螺旋階段は用をなさない。爪先で埃を払うと木枠が組まれていて、かんぬきされた三メートル四方の落とし扉が現れた。


「危なかったな。俺がいなかったらおまえ、今頃二層ブチ抜きで落ちてたところだ」

「ありがとう。フレディがいてくれてよかった」

「お、おう。別にいーけどよ」


 私一人だったら落とし扉にも収納梯子にも気付かなかった。私が十四年もの隠遁生活を送ってる間に、フレディは山ほど見て聞いて、時には触れながら学んで来たんだろうな。


「見ろ、把手があったぞ。その辺に引っかけ棒か何か落ちてないか?」


 天井の一角に円い金輪。棒は見当たらないので猫足立ちにジャンプしてぶら下がった。


 ガコンッ――。


「わぷっ、バカ! 何か言ってから跳べよ」

「ごめん。けほっけほっ」


 凄い埃。こんなんで本当に人が出入りしてるのかな? と思ったら踏み板は埃被ってない。


「いるとしたら今の音で待ち構えてるぞ」

「分かってる。一人で見て来るから待ってて」


 梯子段に二人詰めかけたらそれこそ不利になる。


「気を付けろよ」


 梯子と階段の合いの子のような収納段を上って行くと、塔の窄まりらしい狭い部屋に出た。

 小さなローテーブル。隅に重ねられた寝具。小机の上には油の切れた燭台。それから――。


「どうだ?」

「大丈夫。来て」


 フレディが上がって来ると精霊石の照明に部屋が浮かび上がる。私は暗所探知ダークセンスを切ってローテーブルの横を指差した。


「おわっ!? 何だよ死体か? 死んでんのかこれ? 先に言えよっ」

生命探知ロケートライフ――」


 一定の範囲内で生命を探知する生命の精霊魔法。反応があったのはフレディだけ。


「間違いなく死んでる」

「だな。見ろよ、口の端から泡吹いてやがる。死因は毒か何かじゃねーかな」

「ちょっとどいて」

「おい、触るなよ」

「調べないと。ほら、まだ体温が抜けきってない」

「死んだばっかってことか」

「二時間とか、三時間とか。他も調べて。警備兵の制服があるかも」

「ああ、そうだったな」


 狭い部屋を手分けして、ある物全部をひっくり返した。


「あったぞ、制服だ。それとこれは」

入れ子人形マトリョーシカ! 全部開けてみて」


 ローテーブルの上に解体されたマトリョーシカが並んで行く。


「これで最後だな。中身は何にもなし」

「最後まで空けて何もないなら間違いない」

「どういう意味だ?」


 チャロは入れ子の最後の人形を拾った。だから、最後に開けられない人形が出て来たらハズレだけど、最後まで開けて中身がないってことはドンピシャってことになる。


「とにかく、この男がゴルフ場にいたスパイで間違いないってこと」


 そしてチャロが最前から目を付けてたスパイとも一致する。


「ああ。だが何だって死んでやがる?」

「それは――。逃げられないって思ったから?」

「服毒自殺か? 警備隊が目くじら立てて一週間だぞ? おまえの魔法があってようやく突き止めたような場所だ。追い詰められてたと思うか?」


 確かにおかしい。体温は残ってても随分低いから、私たちの接近に気づいての自決でもない。数時間前の出来事だとして――。


「誰かに毒を盛られたと思う?」

「スパイならトカゲの尻尾切りって可能性はあるんじゃねーの?」


 その場合、この男を手足にしてた誰かもアカデミーに侵入済みってことになる。


「それよりどうする? 警備隊に報せるか? 報せた時点で俺らの反省室送りは確定だけどな」

「それなら出る時に精霊塔の扉を開け放って行けば、ほっといても調べに来るんじゃない?」

「いいアイデアだ。なら早いとこ出ようぜ」

「待って。もうちょっと調べてから。この男が殺されたんだとしたら、犯人の手掛かりが残ってるかも」

「はいはい分かったよ」


 ローテーブルをどかし、死体を調べ終えた寝具の方へ寄せて敷物を剥がす。


「なし。相手はプロだからな。早々手掛かりなんて残さねーだろ」

「でも何か――。この垂れ下がってる縄は何?」

「あっ、バカッ引くな!」


 慌てて手を引っ込めた。


「っぶねーな。それ、鐘の引き綱だぞ」


 真上を見ると縄の通る穴があって、僅かの隙間から確かに鐘が見えた。


「あ、危なかった」

「まったくだよ。あと一歩でそこら中の警備兵を呼び寄せるところだバカ。さぁ、もーいいだろ? そろそろ引き上げようぜ。寮監の目を掻い潜るんだって一苦労なんだからよ」

「うん、戻ろう」


 これ以上は得る物もなさそうだ。そう思った去り際、角の小机から飛び出したままの引き出しに目が行った。最初に確かめて空っぽだと思った奥まりに何かがある。


「これ……」

「何だ? 何か見つけたのか?」

「ほらこれ。天文台の階段で拾ったのと同じ木のコイン」

「ああ、俺がゴミって言ったあれか」


 古めかしさも質感も、彫り込まれた獣の横顔もピッタリ同じ。私は胸ポケットから取り出した木片を手の平に並べた。


「まったく同じだな。でも何だ? カジノで使うチップみたいなもんか?」

「分かんないけど、調べてみる価値はありそう」

「ならおまえは魔女の伝手で調べてみろ。俺は明日図書館にでも行ってみる。紋章学の図鑑に載ってるかもしれねーからな。一つ持っとくぞ」


 結局手掛かりになりそうなのはチップだけ。それを一つずつポケットに入れて、私たちは精霊塔を後にした。




 ***




 ドアノブが回った。息を殺すようにそっと開かれたドアから暗闇のティールームに忍ぶ足音。


 パチンッ――。


「あっ」


 フィンガースナップに合わせて照明が点くと、泥棒さながらの足取りで固まったのはガラテア。


「こら! 友達の部屋に行くって出て行ったきり、こんなに遅くまで何をしてたの」


 時刻は日を跨いで午前一時。寮監に知れでもしたら反省室送りは免れないわ。


「ご、ごめんスニー。ちょっと長引いちゃって」

「へぇ? 長引いたんですってよ。チャロ聞いた?」

「あたしとスニーでアシュリーとデスピナの部屋に迎えに行ったんだぞ。どっちにもいなかったけどなー?」


 チャロの追撃でガラテアはしどろもどろ。


「えっと、実はフレディと外で会ってて……」


 は? この子ったら呆れた。


「男の子と深夜のデートって訳?」

「でぇと? ずっと一緒だったけど」

「何だガラテア、おまえもう寿引退かー?」

「寿引退!? 私が? 誰と? えっ、まさかフレディと!? ないない!」


 嘘の吐けない子だからそうなんでしょうけど、カーブラックの御曹司と距離が近過ぎるのは要注意かもしれないわ。


「とにかく座りなさい。それから事情をきちんと説明して」


 先に座って促すと悪びれもせず対面に座って「明日話すつもりだった」と前置きしてから、それはもう碌でもない話をブチ撒けてくれたわ。普段ならのらりくらりと動じないチャロですら口を開けっぱなしだった。


「おまえってあたしが言ったこと何も聞いてないんだな? こっちからは変にアクション起こすなって釘刺しただろー? それともあれか? 記憶喪失か何かなのか?」

「違う! だってあれからもう一週間以上経ったでしょ。その間に不審な影でも見てたらちゃんと報告したけど、ずっと何にもなしなんじゃない。時間ばっかり過ぎて、もう来週には皇女殿下が来ちゃう。だからちょっとでも調べとこうって思ったの!」


 言い分は分からないでもないわね。皇女殿下というリミットは私もチャロも意識はしていたもの。だとしても――。


「それならそれで、どうして私たちに相談もしないでカーブラックの御曹司と二人だけで行動したの?」

「それは――。手立てを思い付いた時にフレディが一緒だったから、つい二人で調べようってなって……」


 要するに行き当たりばったり。けれど影芝居シャレードでスパイの足跡を辿る考えは、ガラテアが魔女らしくなった証拠とも言えるわね。


「チャロ。こぼれたミルクを嘆いても無駄ってことよ。済んでしまった以上、話を進めた方がいいと思うけど、どう?」

「しゃーなし。で? その見つけた手掛かりってのは?」

「うん、これなんだけど」


 ローテーブルに置かれたくだんのウッドチップ。それを目にした瞬間私の背筋は固まった。


「何だこれー? 随分古そうだけど、スニーは何か――。……その顔は知ってるって顔だなー」

「ええ、知ってるどころじゃないわ。私の物だと言ってもあながち間違いじゃない代物よ」

「スニーの持ち物なの? えっ、だって……。どうゆうこと?」


 正確に言えば私個人の私物って訳じゃない。ただ、縁もゆかりもありありなのよ。


「そのチップは私がかつて所属してた魔女団、狐火の幻影のメンバーだけが持つ物よ」

「スニーのいた魔女団?」

「ええ。今でこそ私の籍はメテオリリーマ魔女団にあるけれど、メテオリリーマ魔女団自体、百六十年前に急遽、魔女団を糾合して結成された大魔女団なの。それ以前はみんな別の魔女団に所属して、各州、各地方に分かれて活動していたわ」


 狐火の幻影はメテオリリーマ魔女団の結成と同時に解散したけれど、今でも幾つかの魔女団は継続して活動を続けている。メテオリリーマと重複して活動する魔女団もあれば、大魔女団からは離脱して個別の活動に戻った魔女団もあるわ。


「つまり、スニーが言ってるのは、このチップの持ち主が昔の仲間だってこと?」

「その可能性が極めて高いでしょうね」

「だとしたら一番に思い浮かぶのは誰だー?」

「さぁ、そう言われても困るわ。狐火の幻影は最盛期で八人の魔女が所属してた。団長は最初から最後まで蝋燭の魔女キャンドルサービスのパレよ。パレは東部戦線に目途が立っても再結成を口にしなかった。戦後三人が寿引退して、それが再結成を見送った一因ね。もう一人が戦中に亡くなったこともあるし……」


 この話になるとどうしても気分が重く沈んじゃうわね。

 会戦規模の戦いは北部同盟と帝国の両軍によるものだけれど、魔女による妨害工作や局地戦攻略でも犠牲者は大勢出た。敵兵だけじゃない。仲間だって何人かは帰らぬままに終わっている。


「おいスニー、昔のことは今は忘れろ。それより残ってるメンバーは誰なんだ?」


 嵌まりかけた悔念の海から引き戻されて、私は残るメンバーを思い浮かべた。私とパレを除けばあとは二人だけ。


骨壺の魔女ホーンテッドアーンのメイジーと外套の魔女ハイドインシャドーのスリルよ」

「メイジー? メイジーなら魔女の館でしょっちゅう見かけたな。あたしらがアカデミーに向かう時も駅まで見送りに来てたぞ」

「ええ。だから彼女が関わってる可能性は低いと思うわ。しばらく顔を見せないのはパレ団長とスリルの二人ね」

「つまり、どっちかが関わってるってこと? 仲間なのに?」


 ガラテアの真っ直ぐな瞳は胸を射貫くようだった。

 私だって仲間を疑いたくなんてない。でも、二人とも最後に会ってから十年? 二十年? それだけの時間があれば事情もしがらみも、場合によっては豹変すら起こすには十分。


「スニーだってアカデミーにいるんだから容疑者の一人だけどなー」

「チャロ!」

「冗談だって。和ませようとしたんだろー」

「冗談になってない。スニー、気にしないで」

「ええ、気にしないわ。チャロは後でハリセンの刑ね」

「何でだよー! やめてくれー!」

「冗談なら落ちまで付けないと締まらないじゃない」

「そんな落ちはイヤだーっ! 断固拒否するー!」


 チャロのお蔭ですっかりいつも通りの雰囲気になったわ。さて、冷静に考えてみましょう。


「そのチップは単にメンバーを示す物ってだけじゃなくて、狐火の幻影が活動した場所に残して行くサインでもあったわ。他の使い道としては――」


 テーブルに置かれたチップを取って指先から魔力を通してみる。魔法解析アナライズの効果でチップに施された魔法が何か分かったわ。


「やっぱりね。精霊印マーカーの効果がかかってる」


 精霊印マーカーは契約精霊を介して、生物か物体一つに印をつける極々基本の魔法。対象が変化したり、透明化しても術者には打ち込んだ印が見えるわ。精霊印マーカーを復唱することでロケートだって可能よ。


「ガラテア。貴女が天文台で拾った一枚は恐らく拾わされたのよ」

「拾わされた? それは私の居場所を掴んでおく為ってこと?」

「でしょうね」

「ならもう一枚がスパイの隠れ家にあったのは? 引き出しの中に仕舞われてたけど」

精霊印マーカーは高度なテクニックを使えば魔法の起点にもなるわ。探知系の魔法で音や映像を拾っていたのかも」

「探知魔法かー。音を拾うなら風系統。パレやスリルは風を使ったっけか?」

「いいえ。パレは私と同じで恒星が守護星だから火と光。スリルは確か黒色矮星で闇と氷ね。でも光線視覚レイサイトなら引き出しの中からでも熱源を見て出入りを確かめられるし、闇魔法の空間認識スペースサーチはより正確に塔内部を把握できるわ。精霊印マーカー瞬間転移テレポートの目標点にもなるから、いざとなれば乗り込むこともできたはずよ」


 パレは魔女侯爵マガマーショネスだから、彼女と敵対したら私やガラテアじゃ敵わない。チャロは絶対に戦わないから、離脱はできても足止めや捕縛なんかの対処は不可能ってこと。

 スリルの場合でも難しい。位階グレードこそ私と同じ魔女伯爵マガカウンテスだけれど、それぞれの魔法で対決した場合、最強と言われるのが光と闇の魔法で、他は半歩から一歩後れを取る。勿論どの精霊魔法も使いようではあるけれど、氷の魔法で冷静さを維持できるスリルが闇魔法を駆使すればどうなるか。

 私の魔法は火が上位で光は下位。そうなるとどうしたって闇の上位に対抗し切れない場面が出て来てしまう。


「ねぇねぇスニー。その二人のどっちかが関わってるとして、探し出す手立てってあるの?」

「そうね。チャロの声郵便ボイスメールで呼びかけてみるとか?」

「無理! 会えば、あーこいつかーって分かるけど、ずっと会ってない奴のことなんか思い出せねー」

「チャロは使えないなぁ」

「何だとー!? そもそも声郵便ボイスメール風会話ウィンドチャットは距離が開くとある程度見当ついてなきゃ届かないんだよ!」

「だからって放っておけないでしょ。今度のことで魔女が関係してることはハッキリしたんだし、疑いたくなくたって二人も魔女の名前が浮上して来たんだから!」

「ガラテアの言う通りね。憤怒邪霊バンダースナッチの件をどっちかが仕掛けたなんて思いたくもないけど、それについても何か知っている可能性は十分あるわ」


 かと言って妙案はと言われると直ぐには浮かんで来ないのよね。


「かーちゃんに頼んでみるか。それとも報告だけにしてあたしらでやり通すー?」

「何でもステラに頼ってたらダメなんじゃないの? 私たちでやろうよ」

「それはそうだけど、問題はどうやるのかよ。何かいいアイデアはある?」


 そして沈黙。これじゃ埒が明かないわ。と思ったらチャロが動いた。


「よし、ガラテア」

「何?」

「おまえ明日からしばらく自分のことは全部自分でやれ」

「急に何を言ってるの?」

「あたしとスニーは侍女の仕事する時間も調べに回すってことさ」

「ええっ、ランチは!? お昼抜きなんて困る!」


 ガラテアったら最初にそこなのね。まるっきり胃袋で思考してる。


「お昼はレストランを使えばいいじゃない」

「そっか。でも、調べるってどう調べるの?」


 それは言い出しっぺのチャロ次第。


風の噂ルーマーズを使って風の精霊たちに片っ端から情報を集めて来させるんだ。それ全部一個ずつ調べ上げて、怪しそうなのがあったら突っついて行く感じだなー」


 最悪――。

 風の噂ルーマーズは文字通り噂レベルの話を搔き集める魔法。浜辺で目当ての砂一粒を見つけ出すような作業になるじゃない。


「おいスニー、思っくそ顔に出てるぞ。文句あんのかよー?」

「だって……」

「仕方ないだろー? チップが見つかったってそっから先は手詰まりなんだ。暫定でも今月一杯がリミットなら、あとはもうドブを浚うっきゃないじゃんか」

「分かってる。やらないとは言ってないわよ。やりたくはないけれど……」

「何だかよく分からないけど、二人とも頑張って。私は平気。レストランでランチを食べる」


 …………。

 まったくお気楽で羨ましいわ。

 でも、相手が魔女であっても精霊の目や耳を誤魔化すほどの立ち回りをしているとは思えない。その点からすると地道であっもチャロの提案は理に適っているのよ。あとはもう、ひたすら時間との戦いね。

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