第42話 影芝居
その夜。白馬ばかり四頭立ての白い馬車が、
「殿下、到着致しました。遅くなり申し訳ございません」
開かれたドアに向かって畏まって見せたのは白い
「いいのですユーイン卿。四年前にサリュート兄上が使ったきりの馬車ですもの。故障はあって当たり前のことだわ」
騎士に手を預けて降り立ったのは第三皇女コーディリア姫。上に姉二人、兄二人といて、四年前に下の兄が離宮からアカデミーに通っていた。
夕刻になって
「少し霧が出て来たみたい」
「ご心配なく。中は暖かくしてあります。お食事は時間がズレ込んでしまいましたので、直ちに作り直させましょう」
「あら、勿体ないわ。温め直して済むものはそれで結構よ」
現皇帝ヒューバートは質実剛健を旨として、我が子であっても過度の贅沢はさせて来なかった。第五子であるコーディリアは中でも他の兄弟姉妹と違って、帝室の気品と街娘の稚気を併せ持つかのような人柄。成人の折から護衛官を務める騎士はその点を少なからず気に入っていた。
「では中へ」
「待って」
「何か?」
「いえ、空耳かしら? 今、夜風に紛れて音楽のような音色が聞こえた気がして」
「この辺りは一キロ四方に家の一つもありません。きっと風の悪戯でしょう」
「そうかもしれないわね。
皇女が中に姿を消すと、後から後から大仰な荷物が列を成して、長らく眠っていた離宮に次々と運び込まれて行った。
***
夜、八時前に寮を出た。
真っ暗な遊園区画を足早に抜けて、北塀沿いの植え込みに隠れながら裏手門へ。門柱脇の魔女のポストが見えて来た辺りで不意に横合いから伸びて来た影。反射的に掴んだそれを捻り上げると――。
「バカッ、俺だ俺!」
「フレディ? 不審者かと思った。何でこんな所に隠れてるの?」
「よく見てみろ。門の前に警備兵が二人立ってんだろ」
木陰から顔を出して裏手門を覗くと、ポストの向こう、左右の門柱を背にして確かに二人、警備兵がいる。
「どうすんだ? 今夜は止めとくか?」
「まさか。門がダメなら柵を越えればいいじゃない」
うん、これは名言だな。
「だと思ったよ。ほんっとおまえって退くことを知らないよな」
四方に門を擁する学寮区画は胸までの高さの塀と、その上に突き立つ鉄柵で囲われてる。槍の穂先のように尖った先端は厄介だけど、越えられないなんてことはない。
「鍛えてるんだから、この程度障害にもならないでしょ」
「まぁそーだがな。って、先に上るな! 少しは気にしろ。スカートだろ」
「スパッツを履いてる。フレディも早くっ」
柵を越えると学寮区画の燈火を吸い込むような闇。管轄林に広がる自然林だ。
「
目に宿した魔力が闇を漉してほんのりと木々の姿を浮かび上がらせる。
「何だ? 魔法か?」
「うん、闇を見渡す魔法。森に入るから手を出して」
「何でだよ?」
「中は真っ暗。手を繋いだ方がいいに決まってる」
「おまえと手を繋ぐとか罰ゲームかよ」
失礼な。
私は中々出て来ない手を強引に取って、そのまま闇に分け入った。やがて突き当たった石垣はコテージエリアを囲う目印。腰の高さのそれに沿って今度は黙々と東へ進む。
「ゴルフ場の外周林が見えて来た」
夜に浮かぶ高い梢は樫の木か。低い木柵を越えて踏み入ると、靴裏に
「もういーだろ。手ぇ放せよ。おまえ握力強過ぎて痛ぇーんだよ」
「そう? ところでペントハウスはどっち?」
「さーな。多分ここらはゴルフ場の南の端だろ。コースに出ちまった方が見通し利くんじゃねーか」
学寮区画を出てから明かりは一つも見てない。恐らく管轄林は夜間警備の対象外なんだろう。ならフレディの言う通り、開けた場所に出てしまってもよさそうだ。
「コースに出たけど?」
「一番ホールだろ。俺には暗くて分かんねーが、左側にペントハウスが見えるんじゃねーか?」
「あった。ペントハウスは直ぐそこ」
「ならコースを横切って側道を右に進めば現場だ。確か三番ホールだったろ」
そう。三番ホールのティーショットで私の打った球がウォルター・アドコックを仕留めた。
まったく面白くもない記憶だ。でも、そのお蔭でスパイの存在に気づけた。知らずにいたら今もチャロとスニーだけが面倒を背負い込んでいただろう。
「この辺りだと思うんだが」
「うん。向こうにティーイングエリアが見える。早速始めよう」
「待て。その前に明かりの魔法とかはないのか?」
「そっか。フレディには見えないもんね。えっと――」
闇の魔法に明るくするものなんてあったっけ? 生命の魔法にも思い当たるものがない。
「……一個あるわよ」
肩の上にソーニアが現れた。相変わら口をずへの字に結んだ仏頂面がキュート。
「ソーニア! 何だったっけ?」
「……
「おい、物騒な名前だな。大丈夫か?」
「大丈夫。行くよ、
ペンダントトップの
「おわっ、おまえの顔だけ浮かび上がってるぞ。驚かすなよ」
「フレディもなってる」
お互いの顎の下辺りから光が発されて顔だけが闇に浮かんでる感じ。何だか面白い。でもこれだと周りは見えないまま。
更に集中して
「何だか不気味だな」
「でも見えるでしょ?」
「ああ。次はどうするんだ?」
問題はそこ。
「ソーニア、このまま
「できるわ……。
「その手があった」
「
「了解! じゃあ行くよ、
ぞわり――。
梢や下生えの影が蠢いた。そこからぬるっと滑り出て形を結んだのは
「フレディにも見えてる?」
「ああ、これが闇の精霊か。ぞろぞろ出て来たけど平気なのか?」
「多分ね」
通常は一週間以内の出来事。ウォルターの一件はそれより二日前だから、
今、
「うわ、重たっ」
上位魔法が絡むと魔力の消費量が嵩む。魔力がドバッと流れないよう集中して絞り込む必要がある。肩を覆う僧帽筋がジワジワと沈み込むかのような負荷に包まれ始めた。
ジャーン、ジャーン、ジャーーーン――。
そんな幻聴が聞こえて来そうな感じで、一列に並んだスラモルたちがお行儀よくお辞儀を披露。
「おい、学芸会が始まったぞ」
「黙って見てて」
動き出したスラモルたちはあっちへフヨフヨ、こっちでモタモタ。一挙手一投足が可愛過ぎて思わず頬が緩んじゃう。
ようやく配置が決まったのか、側道脇とコース寄りの木立の中、二箇所に五体ずつ。どちらも梯子状に肩車する感じで固まって、そこに
「おい、動かねーのは何でだ?」
「分からない。多分もう少ししたら動くんじゃない?」
「早回しとかできねーのかよ?」
「そんなこと言われても……。じゃあタプルしてみる?」
更に上乗せして
先ず側道側の密着した五体が伸び上がる。それに応じて茂み側の五体がクルリと振り返る動作。
「分かった。手前がウォルターで奥がスパイなんじゃない?」
「みてーだな。さて、こっからどーなる?」
茂み側の上から二番目のスラモルが、ジト目のまま器用にビックリ顔を表現して、すると下三体が側道方向へ斜めに移動を開始。勿論びっくり顔のスラモルとその上の一体もくっ付いたまま移動して行く。
側道側のウォルターと思しき五体も追いかけるように移動。スパイ側が側道に出たところでピッタリ後ろに着けて、真ん中の一体が長く影の腕を伸ばした。
その時だ。スパイを追うウォルター役の一番上にいたスラモルが吹き飛んだ。これって――。
「おまえの球が当たったな。ずけー分かりやすかったわ」
「うるさいっ」
でも分かった。ビックリしたスラモルが顔の役なら一番上の一体は帽子役だ。
よろけたウォルター役の影の腕がどうにかスパイの帽子役を掴んでバッタリ転倒。四体に減ったスパイ役はそのまま側道を駆け抜けて、
「台詞なしで進むからどうなるかと思ったが、吹き飛ばされた帽子の位置とか完璧だな」
「うん。このまま移動して行けばスパイが向かった場所まで分かるかも」
ジャーン、ジャーン、ジャーーーン――。
戻って来たスラモルたちが再び整列してお辞儀。
「みんなありがとう。何があったかよく分かった」
拍手をすると照れ臭そうにしてお互いを肘で小突き始めるスラモルたち。みんな連れて帰りたいくらい可愛い。
「ソーニア、このままスパイの足取りを追えるかな?」
「……できるけど、相当魔力を使うわよ?」
「うっ、それは困る」
「要所だけ確認すればいいだろ」
「要所?」
「例えばこの側道の終わりとか、途中の方向を変えそうな場所とか。そこで逃げた方向が分かればまた次のポイントで試すって感じだ」
ふむふむ。それなら魔力の節約になる。
「採用。その方法でできるとこまで調べてみよう」
「マジか。言っといてなんだが、夜通しの作業になるのは御免だぞ。明日にしたらどうだ?」
「ダメ。善は急げって言うでしょ」
方針が決まれば後はトコトンやるのみ。今はまだ現場を見た時に想像したことと事実とが一致しただけ。新しい情報が得られた訳じゃない。なら一歩でも半歩でも先へ進まないと。
***
「ほとんど今日俺たちが来た道を戻っただけだったな」
「うん。でもここが――」
現在地は遊園区画。ゴルフ場から要所要所をチェックした私たちは学寮区画に戻っていた。目の前に聳え建つのは――。
「精霊塔か。盲点だったな。昔は使われてたんだろうが、いつだったか帝国法で保護下にある年少者への布教が禁じられたろ? それ以来放置されて来たんだろうな」
帝国は魔女講が優位な国だ。帝国派精霊聖堂も魔女講との兼ね合いを重視することから、魔女と密接な帝国の法に表向きは従う。
宗教選択の自由は自立した個人の意思によるもので、帝国法は未成年者や修学中の者への布教、勧誘を認めない。勿論、幼年の信徒は存在する。例えば家族が熱心な信者なら強制抜きで自然とそうなる。
一方で魔女講は神の存在を認めない。命とは自然の循環の中にあるもので、そこに精霊の果たす役割があることは確かだ。だとしても精霊聖堂が唱えるような神としての精霊王は存在せず、ただ自然界の一側面として在るだけと考える。
死後の世界やそこにある救いや罰も、全ては人間の願望を満たす為の幻想。
魔女たちは宗教を死の恐怖を克服する為の方便としては認めても、往々にして逃避と化す現実を冷ややかな目で眺めて来たんだろう。
「ここには誰も出入りしてないの?」
「いや誰でも自由に出入りできるぞ。ただアカデミーにそれほど熱心な信徒がいるかっつったら、お察しって感じたよな」
最後に見た
「本当だ。鍵が掛かってない」
「入るなら早く入っちまおうぜ。いつ警備兵が巡回して来るか分かんねーぞ」
ギィィィ――。
明かりがある。壁の燭台は寮室の照明と同じ、精霊石を用いた魔法具だろう。数列の長椅子が左右に配されて、間を進んで行くと正面に神霊こと精霊王を祀った祭壇。
「隅に階段があるな。どうする?」
「行く。フレディは燭台を一つ持ったら?」
階段は鉄製の螺旋階段。聖堂は祭壇も長椅子も掃除が行き届いてる。それに対して階段は錆び塗れだ。
「もし誰かいたらどうすんだ? こっちは丸腰だぞ」
「武器なら
「おい待て、スカートの中から出すなよ」
「何で? スパッツを履いてる」
「そーゆー問題じゃねーんだよ!」
はて。下着が見えなければいいのでは? ともあれ指摘を受けたので袖口の影から
「どっちにする? 私はどっちでも」
「
「派手にやるな。でしょ? 分かってる」
チャロには普段通りにして様子を見ろって言われたけど、もう一週間が過ぎた。そろそろ進展があっていい頃だ。もし今、上にスパイがいるなら生け捕ればいい。いなくても当りなら「探し当てたぞ」とメッセージを残して出方を待つ。
「靴は音が立つ。脱いで私の影に放り込んで」
「しゃーねーな」
脱いだ靴は音もなく
さぁ、ここからだ。古びた階段は体重がかかるたびにギィギィと軋みを上げる。
「二層は何もないみたい」
「三層へ進もう」
階段の軋みがなくなった。使用頻度の差か手すりの錆も少ないみたい。埃臭さが増して、やがて三層の様子が見えて来た。
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