第37話 事故発生
九月も半ばを過ぎようという交感の日。管轄林の巡回班に回された俺は、コテージ群の中心にある円形広場で同班のメンバーと別れた。向かう先は東のペントハウス。そのままゴルフ場ぐるっと周回すれば今日の仕事は終わりだ。午後からの半休は街に出で呑むつもりでいる。
「仕事中失礼。今日は誰かコースに出てるか?」
入って直ぐ脇のカウンター。レンタルコーナーと札の下がった場所にいた男に尋ねた。
「あれ? 先程……」
「何だ?」
「いえ。ご苦労様です。ええ、今日は北斗サロンの皆様が新歓ゴルフコンペということで、午前中一杯貸し切りです。そのままここのラウンジでランチパーティが開かれる予定になっています」
「そうか。なら邪魔にならないように回らせて貰おう」
管轄林にある各施設はほとんどがサロン活動での利用を目的としている。時折職員の懇親会も開かれるようだが、警備兵の俺にはまったくの無縁だ。
ペントハウスを出てコース脇の巡回路を行くと三番ホールになってようやくプレイヤーの姿を見かけた。
「さすがアカデミーの生徒だ。大人顔負けに着飾ってるな」
ゴルフは馬術と並ぶ社交スポーツ。今でこそ女性プレイヤーもスボンを履くようになったが、昔はドレス姿でプレイしてたもんだ。だが一人、制服でプレイしてる女生徒が混じってるな。膝丈のスカートでプレイするとか正気か?
これは是非とも監視しておく必要があるな。決して下心からじゃないぞ。警備兵としての使命感からだ。
***
スッコーーーン――。
軽快な音を立てのはフレディ様です。打ったボールは真っ直ぐ飛んでまるで燕のよう。さすが経験者だけあって見応えのあるショットです。
「まぁこんなもんか。よーし、次は誰だ?」
「はいはい! あたしが行く!」
二番手は今日のゴルフコンペを楽しみにしていたというデスピナさん。初心者ながら一番ホールはパーセーブ。バンカーにつかまった二番ホールもボギーでクリアしてました。
今も様になったアドレスから奇麗なスイングを披露して、少しスライス気味でしたけど、危な気なくフェアウェイの端へ。飛距離も半分以上は行ったんじゃないでしょうか? 初心者でこの結果なら上々です。
「んー、さっきよりは上手く行ったでしょ。次はどっちが行くー?」
「ガラテア様、どうしますか? 私は最後で構いませんけど」
「私は全員のフォームを見てからにしたいから、アシュリーが先に打って」
という訳で私の出番です。
本を読んで詰め込んだ知識も実際に体を動かすとなると大違い。ここまでの結果は一番二番と立て続けにトリプルボギーです。しかも空振りはカウントしてません。仕方ないです。どうあがいても私はもやし。もやしに筋金が入れると漏れなく私が出来上がります。とにかく体を動かすことが苦手なんです。
「えっと、先ずは肩幅に足を開いて、猫背は禁止っと。それから、グリップは雑巾を絞るようにして、脇の隙間をきちんと閉じる」
「おー、いー感じじゃねーのー? そのまま思い切って振ってみろー」
経験者さんに言われるとなんだかその気になっちゃいます。それでは、物は試しということで――。
「えいっ」
スカッ――。
ふわふわ! とっとっと。
また空振っちゃいました。えへへ。やっぱりダメですね。
「気にしないでアシュリー。もう一回もう一回」
「初心者なんだから経験を積みに来たと思ってリラックスしてけー」
「はーい。頑張りますー!」
リラックスと頑張るとじゃちょっとあべこべだったでしょうか。まぁいいや。よし、今度こそ。フレディ様にそれでいいと言われたフォームでもう一回。
「えーい!」
コツーーン――。
当たった!
「当たりましたー! あっ!?」
飛距離は全然。でも前に転がってフェアウェイには乗りました。そこへ飛び込んで来た烏がボールをパクリ! 咥え込んだままグリーン方向へ。
「こらーっ!!」
デスピナさんが大声で叫ぶとびっくりしたのか、烏はボールを落っことしてバサバサと木立の向こうへ消えて行きました。
「おまえ持ってるなー。俺のボールの近くまで行ったんじゃねー? ラッキーだったな。あのまんま二打目でいーだろ」
「え、いいんでしょうか? ルールブックによると確か――」
「いーのいーの! 経験者様がそう言ってるんだから」
「おう。ルールは後回しにして楽しみゃいーんだよ」
なんとなくノリでそういうことになっちゃいました。棚から牡丹餅です。ビギナーズラックとでも思っておきましょう。烏さんありがとう。心の中でお礼を言ってティーイングエリアを出ます。
「それじゃあ次はガラテア様ですね。思いっ切り飛ばして来て下さい。応援してます」
「うん、ありがとう。期待に応えられるように頑張る」
ティーイングエリアに上がったガラテア様は片手持ち、続いて両手持ちに変えながらグルングルンとドライバーを振り回しました。そうかと思うとピタッとアドレスに入って、それがフレディ様や前の組で一番飛ばしていたビアンカ様と比べても遜色のない玄人はだしの雰囲気です。様になるを通り越して板に付いた感じでしょうか。
でもそれっきり固まったまま動こうとしません。
少し離れて見ていたフレディ様とデスピナさんも寄って来て、揃って不安な面持ちになりました。何と言ってもガラテア様のボールはどこへ飛ぶか分からないんです。そんな不安を煽るかのようにティーイングエリアからは奇天烈な呪文が流れ始めました。
「アドレス――。上体の絞りは鎖骨下筋、大胸筋、小胸筋、前鋸筋、踏ん張りは大殿筋、中殿筋、ハムストリング、大腿四頭筋、下腿三頭筋、前脛骨筋、長趾伸筋、長母趾屈筋そのままトップへ追加、三角筋、上腕二頭筋、腹直筋、腹斜筋、脊柱起立筋、アクセレレーションからインパクトの流れは大胸筋、広背筋、小腰筋、大腰筋、腰方形筋、腸骨筋、内転群筋、大腿三頭筋、最終フォロースルー棘上筋、棘下筋、肩高下筋、大腿三頭筋、前脛骨筋、長趾伸筋、長母趾屈筋――」
謎の呪文が耳から入り込んで頭の中をグルグルと回り始めます。
圧倒的眩暈です。
直後にガラテア様がアドレスを解除、クラブを振り上げトップの構え。そのまま一気呵成に振り下ろせばヒラリ舞い踊るスカート。続けて眩暈も吹き飛ぶような雄叫びが耳を
「行っっっけぇぇぇぇぇぇぇぇ――――!!!」
ズッパァァァァァァンッ――!!
ゴルフでそんな音します?
弾道は?
なんて、目で追う暇もなくカンッカンッコンッからのボゴン!
真横の立木の向こうで物凄く鈍い音がして、ドサリと誰かが倒れ込みました。
私しーらないっ。
***
制服の女子がティーショットのアドレスに入った。
俺は固唾を飲んで見守った。スイングと同時に膝丈のスカートは芸術的に翻るだろう。白か、赤か、はたまた黒か。紫なんてのもありかもしれない。
「さぁ来い!」
我が奥義、パン! ツー! 丸! 見え! を繰り出す準備は万端だ。
と、その時俺は気が付いた。
「ん? あれは……」
側道とコースを遮る木立の中に身を潜めている影。後ろ姿でもコース管理の職員じゃないのは明らかだ。何たって俺と同じ制服を着てるんだからな。ペントハウスの職員が何か言い淀んでみせたのは、俺より先にこいつを見かけていたからだろう。
「おい、おまえ。そんなところで何を――」
ガサッ――。
走った。不審者確定だ。警備兵の制服なんて手に入れようと思えばどうにでもなる。こいつはアカデミーのそこかしこに紛れてるって噂のスパイに違いない。だとしたら捕まえれば大手柄。上手くすれば帝都の任務に復帰できるってもんだ。
「待てっ、逃がすか!!」
向こうは木立を斜めに切って側道へ飛び出して来た。俺は追いかけて逃げる背中に手を伸ばす。
ズッパァァァァァァンッ――!!
物凄い打撃音が鼓膜を襲った。直後にカンッカンッコンッと乾いた音がして、驚きに瞬いたところへボゴン! 真横から飛来したゴルフボールが俺の頭を直撃したらしい。
痛いとかどうとか以前に目から火花が飛び散った。ぐるぐる回る星が見えたかと思えば倒れ様に意識は遠のき、霞の中に落ち込んで行った。
***
俺はこいつ絶ってーやらかすと思ってたよ。それはもう確信レベルで思ってた。
「何でおまえはボールを前へ飛ばさねーんだよ! 毎度毎度器用に直角に曲げやがって!」
「仕方ないでしょ! この
「もん、とか可愛く言ったってダメなんだよ! あーあ。見ろよ、人が倒れてんじゃねーかっ」
ドサッと音のした方へ木立を突っ切って行くと、側道に俯せになってたのはアカデミーの警備兵だ。
「すみません! 大丈夫ですかっ」
「おい、揺すんなバカッ。マジで殉職しちまうぞ。見ろよこの馬鹿デカいたん瘤。人体で最強の頭蓋骨が防ぎ切ったからよかったようなものの、その強度を突破してたら普通にこいつ死んでたからな? ふざけんなよおまえ!?」
「ごめんなさい……」
「そもそも三回跳ね返ってこのダメージっておかしいだろ!? おまえマジで海よりも深く反省しろ? 北斗サロンから危うく殺人者が出るとこだったんだぞ。しかもゴルフコンペで! 前代未聞だバカ野郎!」
「…………」
さすがに反省した顔してやがるが言い過ぎたとは思わねぇ。こいつはこんくらい言ってやらねーと分かんねーんだよ。
「ちょっとフレディ! 今はガラテアを責めてる場合じゃないでしょっ」
「とにかく仰向けにして容体を見ましょう」
追っつけ飛んで来たデスピナとアシュリーも青い顔だ。
「分かってるよ。そら、全員手を貸せ」
「おっけー。ガラテアは頭の側に回って膝枕でもしてあげて。それくらいの義理はあるでしょ」
「う、うん」
「行きますよー。いっせーの!」
ゴロン――。
ひっくり返した警備兵はどこだかで見た顔だった。
「あれ? ウォルター・アドコックだ」
その名前で思い出したぜ。
「おい、ガラテア。膝枕やめていーぞ」
「え? でも」
「いいから離れろ。こいつはおまえのスカートん中覗き込んで小躍りしてたようなヤツだからな」
「何それ最悪。ガラテア、直ぐに離れて」
「最低ですね。ガラテア様、手を洗って来た方がいいです」
デスピナもアシュリーも容赦ねーな。だがまぁ妥当な処置か。
こいつは
「離れたけど……。このまま放っておく気?」
「息はしてる。その内に目ぇ覚ますだろ」
ギャグみたいにデカいたん瘤は当分引っ込まねーだろーが、それも自業自得ってもんさ。
***
被害者のはずのウォルターを何故だか道端に置き去りにすることになって、加害者の私はどうにも身の置き場がない。
「あれ? 待って下さい」
「どうかしたの? アシュリー」
「この人、制帽を手に持ってるんですけど、見て下さいガラテア様。あっちにも制帽が落ちてます」
「あれ? 本当だ。どうして二つも」
ウォルターの手にある制帽は持つと言うより握り込む感じで、型崩れするほど皺が寄ってた。もう一つは道端の草蔭に転がってて、位置関係からするとボールが当たった拍子に吹き飛んだ感じた。
「それにこの人、制帽の後ろを掴んでます。普通帽子って
「なるほど。ならその落ちてるのがウォルターの帽子ってこと? だとしたら手に持ってるのは誰のになるの?」
アシュリーは黙ったまま二つの制帽を見比べて、眼鏡のブリッジに指を添えた。
「今に光るわよ」
「うん、絶対光るね」
「何の話だよ?」
デスピナと私は慣れたものだ。アシュリーが眼鏡をずり上げて考え込むと、間もなくして眼鏡の縁が光るという謎の現象が起こる。ほら、光った。
「推理してみました。サイズは別として警備兵の制帽が二つ。予備の帽子を持ち歩く意味はありませんから、ここには二人の警備兵がいたと思われます」
「なら倒れたウォルターを置いてもう一人はどこへ行ったの?」
「そこです。帽子を掴める距離ならウォルターさんの身に起きたことも認識できたはずなんです。なのに救護もしないで姿を消してしまった。仮に走ってペントハウスへ人を呼びに行ったなら既に戻っていてもいい頃です。でも私たちの他には誰もいません」
確かに妙な話だ。同僚が倒れたのに何もしないまま行方を晦ますなんて普通では考えられない。
「ポイントはウォルターさんが帽子の後ろっかわを掴んでいる点です。見ての通りしっかり握り込まれています。これには後ろから掴みかかった印象を受けませんか?」
「でも警備兵同士なんでしょ?」
「はい。だとしてもそれが姿格好だけの話だとしたらどうです?」
「要は変装だったってことか?」
割って入ったフレディの台詞で謎は氷解した。
「そうか! ウォルターは偽物を見つけて追いかけてた?」
「私の推理ではそうなります」
「あり得る話だな。アカデミーには大学部の情報を狙って方々からスパイが潜り込んでるって話が前からある。どうする? 起こして確かめるか?」
どうしよう? 気にはなるけど今は新歓ゴルフコンペの最中だ。ここで横道に逸れてしまっていいものか。
「ガラテアなら生命の精霊の魔法で、たん瘤くらい簡単に治療できるんじゃないの?」
デスピナそれ! 何もウォルターが目を覚ますまで待つ必要はない。手っ取り早く魔法で解決だ。
「ペペリット! 来てっ」
「は? 今何つった?」
「ペペリットて言わなかった?」
「それって生命の上位精霊ですけど……」
…………。
しまったぁぁぁぁぁあああ!!
私ってばどうしてこう、どうして! ナディーン様と
ばぁぶぅ! きゃっ、きゃっ――。
出て来ちゃったし! アシュリーとデスピナにはランチタイムに紹介して以来、たんびたんび見せてるから言い逃れのしようもない!
「どうしたガラテア? 無言か?」
「無言で魔法使うの?」
「すごく、無言です」
「…………」
うぇぇーん! 泣きたい! これ絶対ナディーン様に叱られる!
私のバカッ。でもこうなったら黙々と遂行するしか。
「お? ペンダントを出して? 何だそれ、剣の形してんのか?」
「で、それを構えて? どうするの?」
「そろそろ魔法を唱えますよ」
やりづらい! 解説しなくていいから! もう私のことはそっとしといて!
「行くよ、ペペリット。
「喋ったぞ」
「やっと喋った」
「喋りましたね」
みんな分かっててやってる! 意地悪!
私はチャロが作ってくれた
「おお? ペンダントトップが光り始めたぞ」
「何を始めようって言うの?」
「滅多に見られない治癒の魔法ですよ。フレディ様もデスピナさんもお静かに」
「いいからもうっ、みんな黙ってて!」
「逆切れかよ」
「ガラテアったら一杯一杯で目が吊り上がっちゃってる」
「わくわくっ」
もう無視無視! 切っ先を突き出すように構えて――。
サクッ――。
「刺すのかよっ!? しかも患部にかよ!」
「悪化しない? 大丈夫なの?」
「
ペペリットの魔法に包まれた瘤は金色の輝きを発して、目の前でどんどん引っ込み始めた。
私自身回復魔法を実践するのはこれが初めてだから、そこには確かな驚きと感動があった。あったにはあったんだけど、この後のことを考えると気もそぞろ。今直ぐにでも逃げ出したい思いの方が遥かに勝ってたり……。
その時、ふと道端にあったはずの制帽が無くなってることに気がついた。あれっと思って付近の下藪に目を凝らすと見覚えのある赤い色が藪間を遠ざかって行くのがチラリ。
「チャロ?」
赤毛と言えば珍しくもないけど、それが鮮やかなルビーレッドとなるとチャロの髪でしか見覚えがない。
「皆様。余りプレイが遅延しますと、この後の昼餐会に影響が……。事故ですか? 事件ですか?」
コース側から現れたのはフレディの侍女ケイトさん。今日はゴルフに付き物のキャディ役だ。私もスニーに来て貰ってる。それぞれのキャディはゴルフバッグと一緒にコースに残して来たけど、遅いからと一人だけ様子を見に来たみたい。
「じ、事故です」
「事件だろ」
「事件ね。犯人はガラテア」
「目撃しちゃいました」
「もう! みんなしてやめてよ!」
完全に遊ばれてる。
ムスッとしてたらフレディとケイトさんが何やら話し込んで、結局私たちはプレイに戻ることになった。
ケイトさんはウォルターの看護をして、目が覚めたら事情を確認する。
私たちは滞りなくプレイを終わらせて昼餐会に参加する。何と言っても新歓コンペの主役は新メンバーの私たちだからだ。
「フレディはキャディがいなくて平気なの?」
「別に問題ねーよ。自分で担ぐだけだ。誰かさんに毎日鍛えられてることだしな」
男らしいことを言って気にもかけない風だ。感心してたら隣りにデスピナが来て腕を絡めて来た。いやな予感……。
「それで? ガラテア。随分と話がコロコロ変わるわね?」
「ぎくっ」
「今口で、ぎくっ、て言いました」
逆サイドからアシュリー。コースまでの短い距離を親友二人に挟み込まれてしまった。
「確か初めは
「どうって、その……」
「私知ってます。生命の上位精霊って過去にも指折り数えるくらいしか契約者がいないんですよ。少なくとも帝国派精霊聖堂の記録ではそうなってます」
普段は頼りになるアシュリーの知識がここへ来て私に牙を剥く。
「おい、話は後にしろよ。マジてチャッチャと回らねーと間に合わなくなるぞ」
フレディないす!
「ほら、二人とも急がないと。昼餐会に遅れたら大変!」
「逃げるなコラッ。ランチタイムに全部説明して貰うからね!」
「寧ろ自慢できる話じゃないですか。詳しく聞かせて欲しいですっ」
自慢なんかしたらそれこそナディーン様から大目玉を喰らう。でも退路は封鎖されてしまった。どうしよう? 逃げ出したい……。
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