第33話 スケルトンクルー

 逸楽の日。いつもと変わらない五限目を終えた私は、フレディやデスピナと別れて普段は行かない場所へ向かった。行先は二年生が座学で利用する第二講義棟だ。

 あの日、憤怒邪霊バンダースナッチに取り憑かれたケネス・アップルガースは怪我の治療や予後の診断の為、健康診断などでアカデミーと提携している近隣の病院に担ぎ込まれた。その彼が寮に戻って、今日からは講義にも出席しているという。その話をレイモンド先輩からナディーン様経由で聞かされて、早速会いに行こうというところ。憤怒霊フローレとの約束があるから、彼の怒りの理由を会ってきちんと確かめようと思う。


「あ、ダルシーさんだ」


 丁度入れ違いに講義棟から出て来たダルシーさん。いつもの取り巻き二人を連れて、私には気付いてないみたい。

 大声での挨拶を自重することにした私は、早速駆け寄ってダルシーさんの肩を叩いた。


「こんにちは。ダルシーさん」

「…………。ごきげんよう、ガラテアさん」

「あ、そうでした。挨拶はごきげんようでした」

「ちょっと貴女、いきなりダルシー様の肩を叩くだなんて失礼じゃないの」

「そうよ。北斗サロンに入った貴女が今更ダルシー様に何の用があるって言うの?」


 たちまち前を塞がれてしまった。確かエルスティンさんとロサリアさんって言ったかな。二人とも目尻が吊り上がってて怖い。


「よしなさい二人とも。それでガラテアさん。私に何かご用かしら?」


 間には立ってくれたけど、ダルシーさんもすこぶるご機嫌とは言えない様子。


「用と言うほどのことはないんですけど……。あ、そうだ。この間までは大声で挨拶したりしてすみませんでした。今日からは今みたいに普通にします」

「普通……? 別に今後の挨拶は――」


 芳しい反応じゃない。でも今はとにかく伝えるだけ伝えておこう。


「その後お元気ですか?」

「え?」

「あの時はご期待に添えなくて本当にすみませんでした。でも、サロンは違っても私はダルシーさんのこと好きですから、これからも是非仲良くして下さい」

「え、ええ……」


 そうそう。レイモンド先輩から教った件を生かす機会は今だ。


「いつかダルシーさんのサロンにもお邪魔したいと思います。そういうのって禁止じゃないんですよね?」

「それはそうだけれど……」

「じゃあ今日は用事があるので、また今度。失礼しまーす!」


 よし。今までは遠間から挨拶するだけだったけど、今日はちょっとでも話ができたぞ。取り巻きの二人は怖い顔してたけど、ダルシーさんはそうでもなかったからよかった。




 ***




「あっ、ガラテアたん!」


 講義棟に入って直ぐの所。左右に分かれる廊下を第一教室の方へ向かおうとしたら、手前の第二教室から出て来た二年生に声をかけられた。例の卵型の体形をした太っちょ君だ。背は随分低くて、それこそ卵から手足が伸びたような妙ちくりんなシルエットをしてる。憤怒邪霊バンダースナッチに蹴っ飛ばされて陥没していた顔面もすっかり元通りみたい。


「あ、卵先輩」

「おほほっ、愛称で呼んでくれてるなんて嬉しいでしゅ」

「あー、いえ。まだお名前を知らなくて」

「しょうだったの!? ボクチンの名前はアルしゅテッド・ゲしゅロマン。好きな愛称で呼んでくれて構わないでしゅよ」

「じゃあゲス先輩って呼んでいいですか?」

「やめて?」

「ならアル先輩で」

「おけけ!」


 何だか面白い人だな。でも今は話をしてる時間がない。


「すみませんアル先輩。私、今からケネス・アップルガース先輩に会いに行く途中で」

「ケネしゅ? あいつならさっき第一教室で倒れたみたいでしゅよ。ちょっとした騒ぎになったでしゅ」

「えっ、倒れた?」

「何でもまだ本調子じゃないとかで、普段なら実践教習に当ててる五限目も座学を取ってたでしゅね。その最中に気分が悪くなったみたいでしゅ。今は職員棟の保健室じゃないでしゅか?」


 座学優先で講義に復帰したとは私の耳にも入っていた情報だ。それでも具合が悪くなるくらいまだ調子が戻ってないのか。まずいなぁ。やっぱりあの時の一撃粉砕アルティメットブロウが効いてるんじゃ……。


「ガラテアたん。職員棟まで歩きながらでも話しを――」

「え? はい。いいですよ」


 第二講義棟を出て職員棟へ向かう道すがら、アル先輩はボッコリ膨らんだかばんからゴソゴソと何かを取り出した。


「これ、ガラテアたんにあげるでしゅよ。ボクチンからのプレゼントでしゅ」

「私に?」


 プレゼントなんて初めてだ。凄く嬉しい。


「本当はあの日、試合の前に進呈しようと思ってたんでしゅけど、途中でコケて間に合わなかったんでしゅ」


 包みを解いてみると、中から現れたのは奇麗に畳まれた黒い……何だろう?


「これは?」


 尋ねた途端ザッと飛び退って何やらポーズを決めるアル先輩。そして叫んだ。


「しゅパァァァァァァァァッッツ!!!」

「しゅ、しゅぱっつ?」

「正しい発音はしゅパッツでしゅ」

「シュパッツ?」

「いやしょの、しゅ、しゅ、しゅぅぅぅぅ、シュパッツ!」

「シューシュパッツ! で、それは一体?」

「しょう! このアルしゅテッド・ゲしゅロマンが新開発した活発系女子の為のおニュウなウェアでしゅ!」

「へぇー。つまり?」

「即ち、活発系女子とは咄嗟の場合についついしゅカートを翻してしまうロマンチックな生き物! しかぁーし! そのしゅきを突いて覗き込むなど男子としてコンゴ動乱!」

「こんご?」

「如何ぁーにも! このしゅパッツを履けば例えしゅカート翻ろうとも神聖なおパンツは完全に下郎の視線から守られるのでしゅ」

「あー、何かその、見えちゃうのははしたないってナディーン様からも教わりました。シュパッツはそれを防ぐ履物……。え、凄いじゃないですか! 本当に貰えるんですか!?」

「うん。あ、でもでもね? これは目測で作った試作品でしゅから、できればしょの、近い内にガラテアたんのサイズを測らせて貰えると、もっと完璧なものになったりしゅるのでしゅけど」

「知ってる。オーダーメイドって言うんですよね? いいですよ」

「むひょーっ!! しょしたらね? 明日ね? ボクチンの部屋で――」


 ボコッ――。


「いい加減にしろこのゲス野郎!」

「ひぎゃーっ、いたぁい、いたぁいの」


 突然割って入って来たのは五限後に別れたはずのフレディ。


「フレディ? サロンへ行ったんじゃ……」

「行ったよ。行った先でケネスが保健室に運び込まれた話を聞いてよ。おまえが見当違いの場所を探し回ってんじゃねーかと思って来てみればこれだよ」

「これって。どうしていきなりアル先輩を殴ったりした」


 北斗サロンの二年生からケネスの話を聞いたのは分かる。分からないのはたった今目の前で起こった暴力だ。親切にもシュパッツなる私にはうってつけのウェアをプレゼントしてくれたアル先輩に何てことをするんだ。


「おまえな。こいつは既に一年にも知れ渡ってる超の付くゲス野郎だぞ?」

「アル先輩と呼べ。ゲス先輩と呼ぶのは私も断られた」

「おい戯言をやめて聞け。いいか? ゲスロマン子爵家ってのは女向けのファッションブランドを幾つも後援しててな」

「立派じゃないか」

「ああ、人気のブランドだけで十はあるって聞くからな。中でも一番の売れ筋は下着だ」


 一体何の話だ。いきなり来て、アル先輩を殴って、そしたら今度はゲスロマン家の背景を語り始めた。フレディのやってることは滅茶苦茶だ。


「フレディは随分詳しいみたいだけど、私にはサッパリな話だ」

「う、うるせぇ! とにかくだ。この男は女物の服や下着を作るのに血道を上げてるようなヤツなんだよ。女子の身体測定データをごっそり抜き取ったって話は有名だぞ? それだけじゃねぇ。年がら年中女を追いかけ回して煙たがられてる。噂じゃあ平民の女生徒に金を積んで測らせろと迫ったなんて話もあるくらいの札付きなんだよ」


 まったくピンと来ない。

 魔女のみんなからも色々と、女として持つべき価値観やら判断基準みたいなものを教えて貰ったけど、でもそれは、いつもどこか曖昧で今一歩踏み込めてないと感じる内容が多かった。

 ある時スニーに尋ねてみると「魔女は大抵が処女な上に古い貞操観念を持ってるから」どうとかって、これがまたよく分からない話をされてしまって――。

 要するに私は今フレディがした話のどこがどう問題なのか、女の実感として理解することができない。問題があるんだろうことは分かる。フレディがこうも捲し立てるんだからよくないことなんだろう。だとしても、こうこうこうだからよくないと理解するだけの知識がない。


「何黙りこくってんだよ? おまえ本当に分かってんのか? 今おまえはこのゲス野郎に、部屋に連れ込まれて脱がされるところだったんだぞ?」

「それは問題だ」

「分かってねー顔で言うなっ」


 どうしてバレた。


「分かろうと努力はしてる。でも服を作るのにサイズを測るなら、どうしたってそうなるものなんじゃないの?」

「ならねーよ! どうしてもってんなら姉貴にでも測って貰って必要な数字だけ渡せばいーだろっ」

「ナディーン様に測って貰う? それは素敵なアイディアかもっ」

「喜んでんじゃねー!」


 喜ぶに決まってる。私のこの鍛え上げた体をナディーン様に隅々まで測って貰うんだぞ? 想像して見ろ? 嬉しくない訳があるか。


「あのー、ガラテアたん?」

「あ、はい。何ですかアル先輩」 

「測るのは誰かに頼んで貰ってもいいでしゅ。ここに必要な数字を書き出したでしゅから」


 いつの間に書いたのか、ノートの切れ端を渡された。やたら分かりやすい図説で測る箇所が示されてる。絵が上手いなんてアル先輩はチャロみたいだ。


「分かりました。それじゃあ後日渡します。それで、このシュパッツはこのまま頂いても?」

「どぞどぞ! 試しに履いて貰って、しょれでしょの、感想を聞かせて貰えたら嬉しいでしゅ」

「分かりました。じゃあ私はこれで。今日はその、フレディがすみませんでした」

「何勝手に謝ってんだよ!」

「暴力を振るったからでしょ!」

「暴力まみれのおまえがゆーな!!」


 私は正しいことにしか暴力を振るわない。フレディを二度殴ったけど私やナディーン様に無礼を働いたからだし、ケネス・アップルガースを吹っ飛ばしたのはそれが決闘だったからで暴力とは違う……と思う。

 とにかく、これ以上のんびりはしてられない。余り遅くなるとケネスが保健室を出てってしまう。

 私はアル先輩とフレディを残したまま職員棟へ走った。




 ***




「おい、待て」


 パンパンの鞄を抱え直して立ち去ろうとするゲスロマンを俺は呼び止めた。


「な、何か用でしゅか? 話はもうしゅんだでしゅよね?」


 何も済んじゃいねーよ。


「おまえ。ガラテアはあんな風に女の意識がゴッソリ抜け落ちた奴だ。そこに付け込もうとか考えてんじゃねーぞ?」

「と、とんでもない誤解でしゅ。ボクチンにとってガラテアたんは正に天啓! かけがえのない存在なんでしゅ」


 ガラテアが戯言ならこいつは世迷い言を吐きやがる。


「かけがえないだぁ? あんな男女おとこおんな相手に何言ってやがる」


 バンッ――。


 ゲスロマンの野郎が鞄を地面に叩き付けた。何だこいつ? やろってのか?


「チミはまだまだ青い――。何にも分かっちゃいないでしゅ」

「あ? 何だと?」

「チミ。今からしゅこし時間はありましゅか? 見せたい物があるでしゅ」


 何の魂胆かは知らねーが、呼び止めたのはこっちだ。こうなったら乗りかかった舟でトコトンまで付き合ってやろーじゃねーか。

 ゲスロマンは大講堂の脇を抜けて天文台と円形教室を繋ぐピロティーを天文台方向に歩いて行った。昔ここにあったハリン騎士団の城を利用した建物だ。


「天文台なんかに何の用だ?」

「北斗サロンみたいな大所帯にいると気に止めもしないでしゅよね。この天文台の三階四階部分には小部屋があって、その一つは我が浪漫サロンの活動拠点なのでしゅよ」

「浪漫サロンだぁ? 聞かねーな」

「零細サロンでしゅからね。メンバーはボクチンともう一人だけ。ここでしゅ」


 門塔バービカンの壁際を円を描いて上る階段の途中。忽然と現れた扉の札に、雑な手書きで「浪漫サロン」と書き殴ってあった。

 中は所狭しと山のような生地が押し込められていて、真ん中にシングルベッドほどの大きさの作業台。その脇のミシン台で痩せた女がキコキコとペダルを踏み鳴らしてやがる。


「お帰りなさいアルステッド。珍しい。お客様? 新メンバー……じゃないわよね?」


 ミシンから顔を上げた女は中々インパクトのあるパッツン髪だった。


「ちょっと彼に見せたい物があって、足を運んで貰ったんでしゅよ。あ、彼はフレディ・カーブラック君」

「カーブラック? びっくり……。初めまして。私はミニー・ガーフィールド。浪漫サロン所属の二年生よ。散らかってるのは気にしないで。うちは見ての通り最小人数スケルトンクルーだから、どうしたって手が足りないの」


 前髪パッツンのまな板女がニコリともしねーで会釈した。俺は俺で適当に名乗り返しておいて、早速ゴチャゴチャとやってるゲスロマンの手元を覗いた。


「さっさと出せよ。何だ? 見せたいもんってのは」

「ちょちょ、確かこの辺にでしゅね……。ミニー君、ガラテアたんのしゅケッチどこだっけ?」

「それなら私がまとめて持ってる。はい、フレディ君どうぞ」


 胸先に突き出されたのは何枚もの画用紙の束。


「ああ、しょれしょれ。作業台に並べると見やしゅいでしゅよ」

「何だよ、これ全部ガラテアか。おいおい、ダンス試験の時の絵まであるじゃねーか」

「しょれが一番最初の一枚でしゅ。いやー男装の麗人しゅなぁ! もう瞬間的に恋に落ちちゃったでしゅよ! むひひっ」

「てめぇ今恋とか言ったか?」

「あ、や、デザイナーとしてモデルさんにね?」


 しかしまぁよくも描いたもんだ。どの絵も今にも動き出しそうでよ、そんなとこだけは感心したな。だが待て。おいおいおい!


「おい、裸の絵が混じってるじゃねーか!」

「でっ、デザインにはしょーゆーのも必要なんでしゅよ! 全部想像でしゅ。覗きとかはしてないでしゅから」


 想像? 想像でここまで描けるもんか? まるっきり俺があの日見たガラテアと…………。いやいやいや、いらんこと思い出さすなって!


「紅茶でもどうぞ。安物の茶葉だけど」

「あ、ああ」


 なんつーかもう、パッツン女の茶なんぞ飲んだ気がしねーくらいの画力なんだよな。人間誰しも一つは取り得があるってもんだぜ。


「その子、ガラテアさんだっけ?」

「ん? ああ」

「彼女は私たちデザイナーにとって最高の未知なのよ」

「最高の未知? 何だそりゃ?」


 突然の振りにポカンとなったが、こいつらがどーいった思惑でガラテアを見てんのかは気になった。その内容次第じゃ今日、今、この時点で即座にシャットアウトだ。なんたってガラテアのヤツはバカな上に人を疑うところがねーから、こいつらがマジでゲス路線だった場合、とんだ目に合わされる違いねー。


「見ての通りじゃない。女性でこれだけの筋肉。他を探したって絶対に見つからないわ。想像の絵だとしても、アルステッドの眼力は生半可なものじゃない。服の上からでも限りなく実際に近い描写が可能だわ」

「だとしても、こんなモン。描かれた本人は普通気味悪がるだろ」

「勿論。だからデッサンはこの部屋から一切外に持ち出させない。描くのもここ。アルステッドが普段女生徒を凝視してるのは、イメージを脳に焼き付けてここで仕上げる為なの。ルールを破ったら私は出て行く。そういう約束でね」


 脳に焼き付けるってなぁすげーな。しかしデザインの為の絵ってのは分かったが、こんな緻密な裸の絵が必要なデザインなんてどうせ下着だろ。それ自体がもう学生のやるこっちゃねーだろーが。


「しょれでね? これがね? ガラテアたんの肉体美から降って湧いて来たデザインなんでしゅよ」

「あん?」


 こいつは……? 一見下着に見えなくもねーが、そーじゃねぇ。どれも見たことのない衣装ばっかりだな。


「驚いた? 私も初めて見せられた時は驚いた。でも、どれも彼女に似合ってると思わない?」


 確かに。普段適当に使ってるフィットて言葉がいやにしっくり来やがる。 


「このデザインは何なんだ?」

「ボクチンはこれをインナーウェアと名付けたでしゅよ」

「インナーウェア?」

「如何にも! ゲしゅロマン家は幾つものブランドを抱えてましゅが、その中にインナーウェアのような物を扱うブランドは存在しないのでしゅ! しゅポーツウェアと呼ばれるものはあっても、例えばゴルフウェアは社交パーティの衣装の如く華美を誇り、機能的に見えるテニしゅウェアも下に着けるのは普通の下着でしゅ。以前から何かいいデザインはないものかと考えていたところへガラテアたんがシュパッと降臨!! イメージのいじゅみ・・・・が一気に溢れ出したのでしゅよ!」

「そ、そうか。そいつはよかったな……」


 やべーな。こんなもんを女どもが着るようになったら、男どもの妄想が一気に捗るぞ。いや、そうじゃねぇ!

 ピタッと体に張り付いてラインの浮き上がるインナーはそのまんまなら嫌がる女もいるだろうが、下着みたいに上から重ね着するってことなら後は機能性の問題だ。見た目通りの機能性があるならひょっとして流行に乗ったりもするんじゃねーのか?


「フレディ君。ひょっとして今、機能性がどうかとか気にしちゃってる?」


 パッツン女め、やけに鋭いぜ。そして距離が近い。離れろ。


「素材の点は心配ないでしゅよ。大学部で色んな生地が開発されてましゅ。例えば、こっ、これっ、取れない!」


 棚の高い所にある生地にぴょんぴょん跳ねて手を伸ばす卵野郎が滑稽だな。

 お、パッツン女が卵のプライドを無視して取り出しやがった。ゲスロマン、おまえもパッツン女を見習って最初から踏み台を使えよ。


「はいどうぞ」

「ありがとでしゅ。んででしゅね――」


 モタつくゲスロマンを余所にパッツン女が説明を始めた。


「インナーウェアの命は何と言っても伸縮素材。元々伸縮する生地についてはラテックスを繊維利用する研究がされていたけど、長期使用に耐えないという理由から魔法による補強が検討さるようになったのが最近のこと。でもそれによって生じるコスト高の問題が市場流通の妨げになっていたのよ」


 言いながらパッツン女は生地の端を俺に持たせた。


「引っ張ってみて」

「ああ、こうか? おっ!?」


 生地が伸びた。て言ってもだらしなく伸びた訳じゃねぇ。剛性って言うのか? そんな感じの強い引き戻しの力がかかってやがる。


「この生地は従来研究されている伸縮生地とは違って、アルステッドと私で開発した新しい絡み織り技法の天然生地をベースにしてるの」

「なこと言われても専門的な話は分かんねーよ」

「そうね。じゃあアルステッド、貴方から分かりやすく説明してあげて」

「やっと喋れる! 従来研究されてる生地は糸の段階でラテックスの個性を魔法固着させて伸縮性を持たせようとしてるでしゅよ」


 得意気なゲスロマンの顔が鼻に付いたが、まぁ最後まで聞いてやるか。


「ところが! ボクチンたちの場合は新技法の絡み織りで、天然生地の段階で一定の伸縮性を持たせることに成功したんでしゅ! 一メートル辺り千回逆撚りした梳毛糸そもうしと普通撚糸を経糸たていとにして、緯糸よこいとにはコットン、ウール、シルク、コットンリネン混紡糸。それを対称紗織の綜絖そうこう通しで絡み織りにしたものをでしゅね――」

「待て待て! 専門用語過ぎて何も分かんねーよ」


 遮った途端「これだから素人は」みたいな顔を並べやがって、ムカつくぜ。


「要するにでしゅね。糸の段階でラテックスの特性を魔法固着しゅるとコスト高を回避できないんでしゅ。そこでボクチンたちは魔法なしに天然伸縮する生地を開発。そこにダメ押しの魔法固着をしゅることで低コストの実現に漕ぎ着けた訳でしゅ。糸は一本一本でしゅけど、生地なら一度にドカン! 大学部でも絶賛された技法でしゅ」

「マジかよ。たった二人のサロンで大学部とも連携してんのかよ」


 相当本気だな、こいつら。ちょっと引くわ。


「ガラテアたんに渡したしゅパッツもこのゲしゅロマン式しゅトレッチクロしゅで仕上げたものでしゅ」

「スパッツよ」

「しゅパッツ!」


 ガラテアも完全にシュパッツでインプットされてたな。後で訂正しといてやるか。


「よく分かんねーが、新しい生地なら性能はいーんだろうな」

「勿論でしゅ! 今後の課題は保湿性や通気性、保温性に発散性を高める為の糸の配合を追究しゅることでしゅ。でもでも、何よりこの生地の強みは伸縮性! どう体を動かしょうと常にピタッとしたフィット感がある点でしゅ!」

「よーし分かった。おまえがただのゲスじゃねーってことは理解した」

「ボクチンはゲしゅじゃないでゲしゅ!」


 どっちだよ。


「そんなことないわよ? ガラテアさん相手にはインナー一辺倒だけど、他なら山ほどエロ下着のデザイン画があるわ。そっちも見てみる?」

「はあ!? エロ下着だとぉ!?」


 べっ、別に期待とかしてねーし! ゲスロマンのデザインとかで興奮する訳ねーし!


「興味あるなら私が今着けてるの見せてあげよっか?」

「なっ、バカ、やめろっ」

「ふふっ、冗談よ。カーブラックって言ってもやっぱり一年生ね。可愛い」


 くっそ、この女苦手だわ。てゆーか今のどっちが冗談だ? エロ下着を着けてるって方か? それとも見せるってことの方か? いや、そーぢゃねーだろう俺!


「おい、ちょっとおまえだけ来い」

「あん、そんなに引っ張らなくても」

「変な声出すんじゃねぇ!」

「あれれ? ボクチンは?」

「うねせぇ! てめーはそこにいろっ」


 パッツン女を連れ出して階段に出た。とにかく最低限の確認だけしておかねーとな。


「おまえなら知ってんだろ?」

「何を?」

「ゲスロマンに付いて回ってる噂だよ。どこまで本当だ? 全部か?」

「それはそうとフレディ君いい体してるよね」

「は?」


 いきなり撫で回して来やがった。腕やら胸板やら、おい待て、下に行くな! なまめかしい目で見るな!


「やめろっ、何考えてんだてめぇ!?」

「別に。質問の答えだけど、デッサンさせてくれるなら答えてあげる」

「デッサンだぁ?」


 何の駆け引きだよ。女はこれだから嫌なんだよ。


「別に全部脱げなんて言わないわよ? 脱いでくれたら尚いいけど、下は運動着を履いてて構わないわ。男性用インナーウェアのイメージが中々湧かなくて。アルステッドは女性用にしか興味ないから、私が何とかしないいけないんだけど。だから協力してくれるんなら答えてあげる」


 この女。そんな程度で足下見ようとか通用する訳ねーだろ。ナメてんのか。


「ダメだ。答えが先だ。条件のことは考えてやってもいい」

「お堅い答えで残念。まぁいいわ。アルステッドの噂は付くべくして付いた尾ひれの塊りよ」

「尾ひれだと?」

「そ。身体測定のデータは盗んでない。でも手に入れようと計画を練っていたのは事実。金銭と引き換えに平民の子にモデルを頼んだのも事実。でもバイト感覚の話を持ち掛けただけで無理強いはしてない。女生徒を舐めるように見る件についてはもう説明したわね。ざっと言ってこんな感じだけど」


 要するに、根も葉もあるが噂に過ぎない。そーゆーことか。黒じゃねーなら先ずはよし。ゲスロマンには釘を刺したことだし、後はガラテアの好きにさせときゃいい。


「で? モデルにはなってくれるの?」


 モデルか。それもゲスロマンが黒なら即お断りだったんだが、グレーなら一枚くらいは呑むべきなのか? だが――。


「そいつは一旦保留だな」

「保留? やる気はあるってこと? いつまで保留?」


 そいつはガラテア次第なんだよな。


「今やってる筋トレが一段落するまでだ。おまえだってどうせなら仕上がった体の方がいーんだろ?」

「へぇ! 今以上に仕上げるんだ? それなら納得。いいわ。待つ。でもあんまり引っ張らないでよ? こっちだってアルステッドのペースに引き離される訳には行かないんだから」

「いつになるかは専属コーチに聞いとくよ。それじゃあ邪魔したな」

「帰るの? だったらちょっと待って」

「何だよ?」

「いいからちょっとそこにいて」


 パッツン女のヤツ、バタバタと中に戻って行きやがった。またぞろおかしな話を持って来る気じゃねーだろーな。

 と思ったらキルトの手提げに何か入れて戻って来やがったぞ。


「お待たせ。はいこれ」

「何だよ?」

「んー、モデル料の先払い? 寮に戻ったら開けて見て。じゃあね。モデルの件、楽しみに待ってる」

「あ、おい――」


 バタン――。


 ったく。自分のペースで勝手に進んでくのはガラテアと変わんねーな。女なんてみんなそんなもんだ。

 まぁいいさ。長居は無用だ。しかし今からサロンに戻る気もしねぇ。今日はこのままフケちまうか。

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