四章
第30話 アカデミーの日々
「いい日和だな」
真夏の日差しが照り付ける。ここはウェストエンドの寂れた街。広場を取り巻く住民を掻き分けて、男は輪の中心に立つ若い騎士に声をかけた。
「ああ、ドッグデイズだ。ここいらの夏はいつだってこんなもんさ」
「らしいな。しかしなんだってそんな日に子供を吊るすんだ?」
若い騎士が立っている場所は処刑台。粗末な木組みの梁から首縄が吊るされ、少年が覚束ない台の上に立たされていた。
「詰所の金庫から金をくすねた。前にも二度やって、三度目だ。だから吊るす」
「なるほど、三度目か。よっぽと尻の軽い金庫なんだろうな。子供相手にも簡単に股を開く」
言葉の棘に住民たちはざわつく。
「何だ、文句があるのか? どこの街でも法は変わらない。三度目はアウトだ。公金に手を出したら吊るす。昔からそうと決まってるだろ?」
「それなら知ってる。こう見えて多少は詳しいんだ。ただ、街の連中は納得してないみたいだが……」
男は立てた人差し指でウェスタン帽の
「あんた一体誰なんだ?」
「俺か? 俺はブレイク。東から来た」
「そうか。東からね。それで、一体何者なんだ?」
「大した者じゃない。この街に新しく赴任する保安騎士だよ」
再び
「あんたが? だが聞いてた予定より二日も早い」
「ああ、早く着いた。上司の野郎が善は急げとせっつくもんでね。本当なら今頃は、馴染みの酒場で女どもと熱烈な別れを交わしていた筈なんだが――。全部無駄にしたよ。それで聞くんだが。そいつはまだ続けるのか?」
「法は法だからな」
ブレイク。そう名乗った男は両手を腰裏に当てながら処刑台の下まで歩み寄った。そして輪の中心から群衆を見渡す。
「確かに法は法だ。そいつを疑いはしないさ。だが法の名の下に裁きが行われる時、民衆は正義が成されたと感じるものだ。そう考えてみるとどうだ? 周りをよく見てみろ。あの顔。あの顔。それから向こうのあの顔も。誰か一人でもその子の死を期待している顔が見えたか?」
「だが法は――」
「法の講釈は沢山だ。俺の着任は前任者の退去と保安騎士助手の承認によって認められる。それが例え二日早くてもだ。前任の騎士は一週間前に街を出たはずだな? すると君は保安騎士助手だろう?」
「そうだ。今は代理をしてる」
「ああ、そうだった。それで代理殿に聞くんだが。二日ばかり早く着いたが、着任を認めて貰えるかな? これが辞令の文書だ。郵送されたものと内容は変わらない。確かめてくれ」
片手で差し出される裸の文書。折り目を開いて若い騎士は目を走らせた。
「……ああ、間違いはなさそうだ」
「そいつはよかった。それで?」
「着任を認める。俺は助手で、あんたが保安騎士だ」
「ありがとう。ところで名前は何て言ったかな?」
「ボリス」
「そうか、よろしくな。さて、早速だが仕事だボリス。その子を下ろして詰所まで連れて行ってくれ」
「でもこいつは――」
「いいからやるんだ。同じことを二度も言わせるな」
助手が首縄を外し、少年が台から降ろされると、遠巻きにしていた住民の間から拍手と歓声が沸き起こった。
「それではこの点に付いて、そうだな、三列目、左から二番目の君。解説して貰えるかな? 君?」
ブレイクかっこいい! 力を誇示することもなく少年を助けた。きっと少年は無実の罪で、このあと助手は大目玉を喰らうに違いない。
「おーい、君ぃ」
真横からの声に反射的に立ち上がって、私はこう言ってやった。
「いいからやるんだ。同じことを二度も言わせるな」
シーンと静まり返る空間。これは安らぎの静寂…………とは違う、よね?
「それは君。私にやれと言っているのかね? んん?」
衝立の教本ごと隠し持っていたラノベを伏せて、チラッと見れば好々爺然とした老教授の笑顔。その目はちっとも笑ってない。
「ち、違います。実はお話を聞いてませんでした」
「だろうねぇ。私の授業はそんなにも退屈だったかな? 自信がなくなってしまうなぁ。もう引退すべきかな?」
チョボっとした白い顎髭を摘まみながら老教授は言った。
「そんなことはありません。これからも是非、教壇に立ち続けて頂きたいと思います」
「そうかね? ありがとう。では宿題だ。教本の八〇頁から八二頁の記述に関してレポートを提出してくれたまえ。なぁに、次の授業の合間にやればあっという間に終わる作業だ。私は優しいだろう?」
勿論その目は笑ってなどいない。
「そう、です、ね……。分かりました」
「うむ。ではその隠し持っている本を出して」
「えっ、こ、これは……その、借り物なので……」
「いいから出すんだ。同じことを二度も言わせるな」
老教授の芝居がかった物言いに、教室中ドッと笑いの花が咲いた。
みじめだ……。
***
「ごめん、アシュリー。貸して貰った本だったのに……」
「いいえ、平気ですよ。プレスコット教授はお優しいですから、レポートをきちんと提出すれば返して下さいます。でもガラテア様、授業中に読むのはやめておいた方が……」
両サイドにアップしたキャロットオレンジのカーリーヘアを揺らして、アシュリー・アイアコッカー嬢はズレた丸眼鏡を直した。彼女は商家育ちの本好き娘。この夏に伯爵家に出戻っててんやわんやの身の上らしい。何だか色々複雑みたいだけど、仲良くしてくれるいい友達だ。
「そうなんだけど、数論や幾何ってちっとも分からないから退屈で」
「それ! 気持ち分かるー。あたしも数字関係はちんぷんかんぷん」
「もー、デスピナさんまで」
チョコレートカラーの短髪はデスピナ・カプタイン嬢。私と同じく騎士を目指しす騎士の娘さん。出身がワズン州だから私が生まれ育ったカルデネ州とはお隣り同士。同じ目標と郷里の近さから、何となく気安さが感じられた。
「それでも、あたしは授業中にラノベ読んだりなんかしないけど」
「うっ……。その話はもうやめにしよう。それより、今日のお昼休みはどこに集まる?」
ひと先ずランチの話題に切り替えた。ランチは侍女役のチャロとスニーがバスケットに入れて毎日持って来てくれる。他の生徒も大抵そうだ。例え平民でもアカデミーに入れるくらいだから、使用人を雇うだけの余裕はある。デスピナも家ぐるみの付き合いがあるお女中さんに面倒を見て貰ってると言っていた。
他にもサロンメンバーで昼餐会を開くこともある。でも私は五限目に実践格闘の授業を入れてあるから、そのままサロン活動に雪崩れ込む昼餐会には今のところ参加したことがなかった。
「今日はアシュリーが決めたら? ここんとこあたしとガラテアの都合で運動場前のベンチが続いてたし」
「そうしよう。アシュリーはどこがいい?」
「だったら――。温室なんてどうですか? 人気のランチスポットですけど、少し早めに行けば空きのベンチはあると思います」
「決まり! 温室前の魔女のポストで待ち合わせね」
「分かった。それじゃあまた後で」
今日のランチは温室で決定。私は二人と別れて精霊学の教室へと向かった。
精霊学は実践魔法教習とセットで取る生徒がほとんどだから、魔法の才能がないというアシュリーとデスピナは同じ時間に私とは別の科目を受講している。アシュリーは商学。デスピナは実践格闘。
選択科目は全て科目毎に週に何回以上と受講回数が定められてて、その回数に達しない場合はテストなどの成績がよくても評価が下がってしまうらしい。
特に実践教習は同じ内容でも反復が大事になるから、私の場合、週三回以上のところを格闘も魔法も六回受講してる。魔法教習を受講しないデスピナに至っては実践格闘だけで十回にもなっていた。実践教習の受講規定は週三回だから、その内に一度くらい受講をキャンセルして、姫君とのランチを楽しんでみたいな。
***
「それでは授業を始めます。居眠りをすれば服の中に蛇を放り込みますよ。集中して学びましょう」
怖い言葉で牽制したのは
魔女であるメクセラは客員講師として授業を受け持つ傍ら、温室の植物を利用した薬品研究をしているみたい。確か血清とか言ったかな? そういうものを作っているらしい。
メクセラが魔女であることは周知の事実で、それが教壇に立つとなると普段より受講する生徒の数が増える。
階段教室は二階建て相当の高さがあって、見学者用のギャラリーが備わっているから、今も上から覗き込む立ち見の生徒たちが大勢いた。彼らの中には精霊学を選択していない生徒も含まれる。要するに、それだけ魔女の人気が高いってこと。私も内心鼻が高かったり。
そもそも帝国は魔女が主導して建てた国だ。何を隠そう私の後見人であるステラこそが共和政ネビュローサを築き上げた。ステラは直ぐに国政を離れたし、ネビュローサもその後帝政に移行して行ったけど、帝国内では今も魔女講が深く浸透している。
隔絶された環境で育った私は別として、帝国の子供なら誰もが魔女のポストに手紙を投函した経験を持っているだろうし、フラッと姿を現す魔女たちと遊んだことだってあったかもしれない。
「ガラテア・ブランペイン。蛇をご所望ですか? さぁ立って、今の質問に答えてご覧なさい」
うわの空でいたらご指名を頂いてしまった。メクセラの意地悪! どうして私を当てるんだ。どうしよう? 全然聞いてなかった。
「し、質問の意味がその……。できればもう一度……」
「本気で言っているのですか? 極々基本の質問ですが」
「おねがいします……」
降って来る失笑がつらい。
「ではもう一度。精霊は大きく分けて二種類に分類することができます。その二種類とは――」
「波動精霊と無波動精霊です!」
そのくらい私にだって分るよ!
「ですが――」
えっ、続くの!?
「無波動精霊に属する
「えっと……」
確か近年の研究だと
「八! 八つです!」
「はい蛇」
「何でっ!?」
「ラトルスネーク、カモーン!」
「ちょっ、ダメッ! 冷たっ、くすぐったい! あははははっ」
「もう少し女性らしい反応はできないのですか? まったく」
蛇が消えた。ふー、やれやれ……。じゃなくて!
「今の合ってたじゃないですか! 八でしょ!?」
「いいえ、正解は九です。基本中の基本ですよ」
「きゅう? え、だって」
「いいですか、皆さん――」
メクセラは立ち尽くす私をスルーして板書を始めた。これって座っちゃダメだよね?
「
「あの……」
「まだ立っていたんですか? 他の生徒の邪魔になります。早く座って下さい」
「……はい」
身内あるあるにしても扱いが酷過ぎる。私がまだ色々と馴染めていないことを分かっててやってる。そりゃ聞いてなかった私も悪いけど、こっちはただでさえ
「それでは本日の精霊学はここまで。先程誤答のあったガラテア・ブランペインは今週中に
「えっ!? 私だけ!?」
「提出は私の研究室まで。以上」
何でそうやってイタチの最後っ屁をかまして行くんだ!
ひどいよメクセラ! プリーズ手心! もっと優しくして!
そんな願いも虚しく、私は好奇の視線と冷笑に包まれたまま授業を終えることになった。
仕方ない。頭を切り替えよう。精霊学の次は実践魔法教習一科だ。今週までは座学続くけど、来週からは内燃魔法の実践教習、来月になれば接触魔法の訓練も始まる。
そう言えば私もそうだけど、一年生の中には既に精霊と契約済みの生徒たちが相当数いる。さすがはエリート校。彼らは週三回の規定数だけ一科を受講して、浮いた枠で契約魔法を扱う二科の見学に行くみたい。
選択科目はどの講義も見学自由だから、上級生の講義でも見学は可能だ。選択科目は毎年再選択の機会があって、未選択の講義を見学しておくことも大事なんだってアシュリーが言ってた。
私は魔女だけどポッと出の魔法初心者だから、大人しく一科で基礎を勉強する。さあ、今日も頑張るぞ。
***
「それでは授業を始めます。居眠りをすれば服の中に蛇を放り込みますよ。集中して学びましょう」
最悪だ。連続でメクセラの講義に当たってしまった。
「さて今日は先ず、ある側面から魔女と人間の関係を見てみましょう」
魔女と人間の関係? 興味ある。
「さて、市井で魔法を学ぼうとする場合、多くの者は魔女講を利用する訳ですが、現在の魔女講は一般的に、人間の魔法使いたちが魔法入門者に手解きをするコミュニティとして機能しています。時期的に言いますとオーラニオソーマ魔法国成立以降になりますが、それ以前は魔女が直接指導る傾向にありました」
そんな時代があったことは魔女の館にいた頃、魔女たちから聞かされた。今では魔女が魔女講に顔を出すことは稀で、時折様子を見に行く程度らしい。それだけ人間の間にも魔法が浸透したってことなんだろう。
「さて魔女による指導が行われていた時分、魔法使いたちには実力を段階的に表す特別な呼び名がありました。第一段階は
「最終段階なのに
それ、私も思った。精霊学の汚名返上で手を挙げればよかった。
「確かに不思議ですね。けれど実際には更に上の段階があるのです。それでも
分かった! これは
ちょっと何で無視するの!? 手ぇ挙げてるでしょ!?
「…………。えー、魔女講をよく知る人は魔女に
目が合ったのに無視された……。
でも魔女の位階の下に人間の位階まであるなんて知らなかったな。
「人間の魔法使いと魔女の位階がひと繋がりであることに疑問を持つ人もいるでしょう」
それ、何で?
「当時、人間の魔法使いは全て魔女の弟子とされていました。要するに魔女講に加ることは魔女に弟子入りするのと同義だった訳ですね。よって最初の位階は
なるほど。魔女講の人たちは魔女から魔法を教わったんだから弟子って言われればその通りだ。そう考えると魔女って、人の暮らしに大きな影響を与えて来たんだな。
でもここでチャロを思い浮かべてみるとしよう。するとあら不思議。何だか今の話が随分誇張されたものに感じられて来る。
「ガラテア・ブランペイン」
「え? あ、はい」
どうして私? 今度はちゃんと聞いてたのに!
「先程手を挙げていましたね。前へ出て来なさい」
「……はい」
さっき当ててくれればいいのに何で今なの!? また笑い者になったらどうしよう……。
「さて、皆さんには当面座学が続くと伝えてありましたが、せっかくの実践魔法教習ですから、既に精霊と契約済みの彼女に少し魔法を見せて貰おうと思います――。ガラテア・ブランペイン、教壇へ上がって教卓の隣りへ」
おお、これは魔法を披露して名誉挽回するチャンス? メクセラったらさっきの無視はここで私を呼ぶ為だったのか。
「
「使えます!」
「結構――。さて、皆さん。ガラテア・ブランペインは
「分かりました」
教壇から見渡す階段教室は自分に向かって迫って来るようで、二階のギャラリーまで含めると総勢百人を超す視線にさらされる。さすがに緊張しちゃう。
「ソーニア、行くよ」
「……いつでもいいわよ」
「
波動受容体から流れた魔力が顔面全体を覆い尽くして行く。と同時に教室全体から「おおっ」と驚きの声が上がった。
成功だ。
「静かに。闇の精霊は影を扱うイメージが強いですが、空間や重力に関わる魔法を得意とします。皆さんは地面に落ちた影を影そのものと認識するでしょう。しかし実際には光を遮っている空間全てが影。影とは空間そのものな訳です。では光とは何か? 闇と光、常に一対のように語られる存在ですが、その違いは? 暗い空間と明るい空間? いいえ、光とは様々な種類の光線です」
メクセラは黒板に向かって板書をしながら説明を始めた。
「人の顔には複雑な凹凸があります。凹凸のある場所に光が当たれば光線の進入角に応じて生じた遮蔽に影――陰影ができる訳です。今皆さんが目にしている
「はい。こうして喋れますし、教室もちゃんと見えてます」
「結構。では魔法を解いて、今度は教壇の端に立って下さい」
半楕円の教壇は真ん中に教卓を置いて差し渡し十五メートル。私はその一端に立って次の指示を待った。
「それでは次は、空間を扱うとはどういったものか。それが最も端的に見て取れる魔法を使って貰いましょう。ガラテア・ブランペイン」
「はい」
「教壇の逆の端へ、でき得る限り素早く移動して下さい」
「分かりました。
その瞬間、教室に広がる動揺はさっきに数倍した。
魔法を学ぶ者なら瞬間移動は誰もが知ってること。けれど実際に目にしたことがあるかと問われれば、アカデミーに通い始めて数日の生徒では先ず皆無だろう。
「百聞は一見に如かず。空間を制する者は距離を制し、距離を制することで大幅に時間を短縮します。
「はい」
再び瞬間移動を披露すると、両隣りの生徒が口を開けて凝視していた。
精霊学での失態を取り戻した私は、打って変わって意気揚々と教室を飛び出した。四限目が終わったら次はお待ちかねのランチだ!
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