第27話 雲行き

 壮観だな。白亜の小宮殿アカデミアガーデンをバックに前庭を見渡せば剣十字サロン三十名、北斗サロン五十名。その他どこで噂を聞きつけたのか、野次馬を合わせて総勢百人に近い数が集まってやがる。

 新学期早々、一年坊主が腕自慢の剣十字サロン相手に剣を取る。無謀に聞こえる話でもそれが入学式の日に魔獣三体を軽く蹴散らしたルーキーなら話は違って来るもんだ。

 正直言って腹でも下さない限りガラテアが負けるなんて想像は欠片も浮かんで来ねぇ。寧ろ予想できちまうのは圧勝過ぎて周りがドン引きの図だ。その点に関しては澄まし顔で席に座ってる姉貴もご同様なんだろう。メンバーと談笑しながら、ポーズか何か知らないが、まるでお茶会の風情だぜ。


「遅れました!」


 おっと、主役のご登場だ。それと同時に場が凍り付いた。理由はガラテアが担いで来た得物だ。

 事前の取り決めで教習用の武器全般、自由に使用が認められてた訳だが、ガラテアのヤツ、木製とはいえ戦槌バトルハンマーなんて物騒なモンを持ち出して来やがった。


「ちょっと来い」


 舞台に上がるところを捕まえて庭木の陰に連れ込んだ。


「何? どうかしたの?」


 その台詞、そっくりそのまま返すぜ。


「どうかしてるのはおまえの方だ。何だそのご大層な得物は?」

戦槌バトルハンマーだけど? ちゃんと倉庫にあったやつを持って来た」

「んなこたぁ見りゃ分かんだよ。だからって普通に剣でよかっただろっ」

「そう思ったんだけど、刃挽きしてあっても尖ってる武器って危なくない?」


 余計な気を回したお蔭で周りは早くもドン引きだよ。ったく、こいつは。


「それにしても早かったな。呼び出しの方はちゃんと行ったのか? まさかブッチして来たんじゃねーだろーな?」

「行った。でも拍子抜けするほど簡単に終わった」

「何だそりゃ?」

「それはこっちの台詞。ナディーン様があれだけ心配してくれてたから、ひょっとしたら長引くんじゃないかって覚悟を決めて行ったのに、蓋を開けて見れば簡単な事実確認だけだった。それも向こうが当日の状況を説明してくれて、私はハイかイイエで答えるだけ。時間にして十分か十五分くらいだったと思う」


 そいつは確かに拍子抜けだな。あれだけの騒ぎがあって、火消しの中心にいたガラテア相手なら、もっと根掘り葉掘り聞いて来そうなもんだが……。


「まぁいい。とにかく今はこの果し合いだ。おい、おまえあんま派手にやんなよ?」

「それは、どうしろってこと?」


 そのトボケ面で好き放題やらかすなってことだよ。

 だが漠然としたことを言ったところでガラテアの筋肉質な脳がまともに理解するとは思えねぇ。ここで必要なのはあくまでも具体案だ。


「そうだな、例えば……。そう、出足払いなんてのはどうだ?」

「出足払い?」

「そうだ。転んだ相手の頭にハンマーを突きつけりゃそれで勝ちだろ?」

「なるほど。それで一本か」

「そーゆーこと。姉貴の前だからって思いっ切りブチかまそうとか考えなくていーからな? 寧ろ叱られるからやめておけ?」

「叱られる!? それは嫌だ」


 何をやってもこの手のことは尾ひれが付いて回る。姉貴はいい意味で目立つなら素直に喜ぶダチだが、悪目立ちとなると一八〇度態度が変わるクチだからな。


「だろ? どんな形でも勝ちは勝ちだ。適当に付き合って早目に終わらせろ。いいな?」

「分かった。とにかくやってみる。あ、待って。フレディが言ってるのは少し受けに回った方がいいってこと?」

「余計なことすんな。おまえにそんな芝居を打つ器用さが――」

「ない」


 即答かよ。しかも被せて来やがって。


「戻るぞ。頭空っぽにして出足払いのことだけ考えとけ」

「分かった」


 戻って行くとドン引きから復活した観衆が拍手のお出迎えだ。

 試合は前庭にある屋外パーティ用の舞台で行われる。既に剣十字サイドのケネスは舞台上にいた。


「直前になって作戦会議か? 余裕だな、今年の一年は」


 うるせーな。口を閉じてろってんだよ。


「弁論術の勝負がしたいのか? 役者は揃ったんだ。黙って開始の合図を待ってろ」


 ジャブを打ち返してやるとケネスの野郎、ムスッと口を引き結んだ。平常心じゃない時点でヤツの負けは見えてるってもんだぜ。


「おいガラテア。俺はここで判定役だ。合図の方はレイモンドがするだろう。とにかくさっきの作戦だぞ。出足払い。いいな? 他は一切考えるな」

「分かってる。任せといて」


 任せられれば言うことなしなんだが、おまえの突き抜けた意外性だけは読み切れるもんじゃねーからな。頼むからその意外性をタンスの小棚に仕舞っといてくれよ。




 ***




 果し合いの会場に着いたと思ったら、いきなり隅に連れて行かれて、フレディからあれこれと注文を付けられてしまった。

 同じことは昨日の夜にもあった。寮室に戻ってチャロとスニーの三人で夕食をしていた時のこと。

 最初はナディーン様から夢の話を聞かされて嬉しかったってことを話してた。そしたらチャロが、


「そいつは結構だけど、ガラテア。おまえが何をしてその夢の役に立つかって言ったら、今はまだ暴れることくらいだろー? ちゃんと勉強して、もっと他のこともできるようになんないとなー」


 大きなお世話だ。言われなくたって分かってる。確かに私が一番活躍できるのは大叔父と鍛えて来た騎士としての力を発揮できる場に違いない。でもそんな機会、アカデミーにいる内はおいそれとは回って来ないだろう。

 そうやって話をしている内に、ふと今日の果し合いのことを口にしたら、二人とも目を丸くして、こっちが言い返す暇もなく口々に言った。


「おまえってホント凄いな。ついこないだカーブラックの御曹司を殴ったかと思ったら、次の日には鉱毒魔獣ヴェノムビーストだかを蹴散らして? 今度は同郷の相手と果し合いかよー。分っかんねー。マジで分っかんねー。何をどうしたらそーなるんだー? 悩みや不満があるなら言ってみろー? あたしらちゃんと話聞くぞー?」

「まったくだわ。騎士だ騎士だと言っておきながらガラテア、貴女ちょっと伝家の宝刀を抜き過ぎなんじゃない? 団長からは逐一報告するように言われているけど、それって下手をしたら私たちが叱られる案件よね?」

「マジかよ! あたしかーちゃんに叱られんのだけはごめんだぞー。あ、おまえ魔法とか絶対使うなよ? 魔獣なら一撃でペシャンコも結構だけど、今度の相手は悪もんでも何でもない生徒なんだろ? それやったら魔女の掟に反するぞ? その辺ちゃんと分ってくれてるよなー?」

「とにかくこんなことは今回だけにして頂戴。たんびたんびやられたんじゃ、その内本当に団長が乗り込んで来ちゃうわよ。明日、隠れて様子を見に行くけど、絶対におかしな真似はしないこと。それと契約精霊の手綱はきちんと締めておきなさいね? 甘やかしてると我儘勝手に振る舞い始めて、次第に手に負えなくなって行くわよ。明日はそんなことのないように頼むわよ」


 とまぁ身動き取れないくらい大量の釘をドスドス打ち込まれた。

 魔法を使うなって? そんな気なんか更々ない。それにソーニアもペペリットもいい子だから、話をしたらちゃんと分ってくれた。チャロとスニーがどこで見てるかは知らないけど、心配なんてこれっぽっちも必要ない。そうハッキリと断言できる。


「ガラテア君、準備はいいかい?」

「はい。私はいつでも構いません」

「騙りの次は虚仮威こけおどしの武器か。おまえにはお似合いだな」

「虚仮威しが必要になるような相手だった? そうは見えないけど」

「何!?」

「よさないか。二人とも開始線まで下がって待機しているように」


 失敗失敗。うっかり安い挑発に乗ってしまった。

 ナディーン様の様子は――。

 あ、小さく手を振ってくれた。よーし、頑張る…………いや違う、出足払いだ。派手にやると叱られるってフレディが言ってたし、気をつけなくちゃダメだ。出足払い出足払いっと。


「では今から手短に説明をさせて頂きます」


 レイモンド先輩が見学者に向けて何やら話をするみたい。女性陣から黄色い声が上がる辺り、中々の人気者らしい。


「只今から行われる勝負は練習試合、模擬試合、親善試合のいずれでもありません。詳細は省きますが端的に言って決闘の類です。剣十字サロンには後学の為、北斗サロンの皆様にはアウェイムード排除の意味で、当事者二人から見学の了承を得ています。勝敗の行方は二本先取の三本勝負で決します。判定役は私レイモンド・ル・フェイと、あちらのフレディ・カーブラック君。決着後、皆さんには速やかな退出をお願い致します。勝敗に絡む条件のやり取りについてはプライベートな問題ですので、見学の皆様にはご遠慮願います。以上の内容をご承諾頂けましたなら、どうか勇敢なる二人に拍手を――」


 弁舌爽やかに拍手を誘って、レイモンド先輩はフレディと対になる一角へ降りて行った。そして舞台を振り返る。


「それではケネス・アップルガース、ガラテア・ブランペイン。両者とも始めの合図で一本目の勝負を開始。やめの合図がかかったら、開始線に戻って再び待機」


 準備万端、いつでも来い。

 ケネス・アップルガースはクセ髪を撫で付けて、背負い鞘から片手半剣バスタードソードを抜き放った。刃挽きされた刀身。切っ先も一応は潰してある。少しは楽しませて貰えそうか?


「それでは一本目。始め――!!」




 ***




 まったく呆れる話だよなー。ガラテアってば息を吸うようにトラブルをこさえて来るんだからさー。でも考えてみれば魔女って、みんな多かれ少なかれそーゆーとこあるんだよな。


「そろそろ始まりそうね」

「おー、あの金髪君は中々のイケメンだなー。頼んだらあたしの絵のモデルになってくんないかなー?」

「せっかくのハンサムが戯画化されるのは見るに忍びないわ」

「おーい」


 スニーのヤツ、先輩を敬おうって気がまるでねー。今度ガツンと言ってやらないとな。……今度ってのはあたしら魔女の場合、一年とか二年先の話だけどな? 別にスニー相手にビビってるとかじゃないぞ? あたしは大先輩なんだから、ひよっこ相手にビビる訳ないし……。

 まぁそれはさておき、あたしらは今、スニーの煙魔法で姿を消してアカデミアガーデンの植え込みに息を潜めてる。あたしだけなら戯画人形カトゥーンドールに視覚を繋いで寮室からでも見ることはできたけど、その場合スニーはあたしの実況中継を聞くしかないからな。


「始め――!!」


 来た来た。一本目の勝負が始まったぞ。

 ケネスとかって相手は金髪君より大分背が低いけど、それでも二年の男子だからガラテアよりかは多少上背がある。それが両手持ちの剣を腰溜めに構えて飛び込んでった。さあ、ガラテアはどう捌く?


 予想一、あのバカみたいにデカいトンカチで力任せに吹っ飛ばす。


 予想二、後ろに飛びすさって、たたら・・・を踏んだ相手を吹っ飛ばす。


 予想三、とにもかくにも力一杯吹っ飛ばす。


 んん? おいおい。あたしの立てた綿密かつ実際的な予想が音を立てて崩れ去ったぞ。何やってんだよもー。大人しく吹っ飛ばしとけよー。……いや、大人しく吹っ飛ばすってのもおかしな表現だな。まーいっか。

 ガラテアは開始直後から大上段にトンカチを構えて、それだってのに振り下ろしもせず、飛び込んで来る相手に向かって一歩前進した。一瞬、自分から斬られに行くなんてアホだなと思ったけど、直後に状況は卓袱台返し。


「はあ――っ!!」


 気合の乗った発声と同時にガラテアは右足で相手の出足を払いに行ったんだ。


「うわ、しょっぺー!」

「騎士が足技とかこすいわね」


 なんて言ってられたのも今の内ってやつで、次の瞬間物凄い勢いでケネスの小僧が吹っ飛んで来た。これはアホだな。アホはこの場面で使う言葉だった。


「アホかあいつ。こっち見えてんのかー!? 避けろスニー!」

「避けたら大怪我よ。スモーキングネット!!」


 スニーは素早く一服吸って、吐いた煙で植え込みの陰に煙魔法の網を張った。あたしたちは透明化してるし、魔法の煙は散っても目立たないからバレやしない。

 スニーが闘牛士マタドール赤布ムレータみたいに魔法を置き去りに身を躱すと、そこへケネスがドンッ! 的を外さず突っ込んで来たって訳さ。

 ケネスの体は魔法の網にすっぽり収まって、次に反動で植え込みの向こうに押し戻された。衝撃は打ち消せたから怪我はしてないだろー。ただ、目が回ったのかフラフラッと立ち上がって、しばらくその場に立ち尽くしてたな。




 ***




 唖然呆然とはこのことですわ。私は勿論、スポーツの得意なビアンカですら何が起きたか分からない内に、対戦相手の体が遠く植え込みの陰へと吹き飛んで行ったんですから。

 戦いを見慣れているはずの剣十字サイドからもどよめき声。

 クリーンヒットと場外判定で勝ち星はガラテアさんへ。

 二十メートル近く飛ばされたケネスさんはよろめきながら立ち上がって、覚束ない足取りで戻って来ましたわ。続行して大丈夫なのかしら? 見た感じ目の焦点が合っていないようですわよ?


「ケネス、大丈夫か? 続けられるか?」

「平気です……。次は一本取ります……」


 気遣うレイモンドさんも青いお顔。返る返事もどこか虚ろ。とそこへ――。


「降参しないのか? 私は構わないぞ?」


 ガラテアさんから挑発的な台詞が飛び出しましたわ。お行儀がいいとは言えません。けれど決闘と言われてしまえば外野は口を挟めませんものね。


「ビアンカ、これは止めた方がいいのかしら?」

「さあ……? 決闘なんて普段見る機会もないので分かりかねますわ」

「そうよね。リンジー、いざという時に止める方法は何があるかしら?」

「えっと、あ! 手袋を投げ入れるですとか? それともハンカチ……?」


 手袋を投げるのは寧ろ決闘の申し込みだったような……。困りましたわね。この手の荒事の作法になると私たち何一つとして分からないのですわ。

 などと手をこまねいている間に両者再び開始線。そして二本目の合図が――。


「始め――!!」


 …………始まりませんわね。

 一本目では血気盛んに飛び出して行ったケネスさんが、剣を正面に構えたまま動こうとしないのですわ。その足は生まれたての仔鹿のようにプルプルと震えて、立っているのもやっとの様子。


「ビアンカ。これはもう無効試合というか、ガラテアさんの不戦勝でもいいのではなくて?」

「さぁー、どうなんでしょう。そうした判断になると私にはちょっと……」


 ですわよね。判定役の二人はどちらも動く気配がありませんし、ここで素人の私が差し出がましく口を利くというのも違う気がします。何か不都合が生じれば餅は餅屋。剣十字サロンの方たちから指摘の声が上がるでしょう。


「あ、ガラテアさんが動きましたわ」


 余所事に気を取られていた私はリンジーの声で舞台へ目を戻しました。すると開始線を越えたガラテアさんがそのままスタスタとケネスさんに歩み寄って一呼吸も置かずに右足を一閃。再びバヒュンッと音を立てて彼方の植え込みへ飛んで行かれるケネスさん。

 えっ……、またですの!?

 一度ならず二度までも――。どうやら私の騎士は容赦や手心というものを知らないようです。事が済んだらやんわりと言って聞かせましょう。ええ、それがいいですわ。主としてきちんと導いてあげなくてはいけません。

 それにしてもあの植え込みは相当手入れが行き届いているのかしら? さっきと同じにケネスさんの体は弾かれて、コロンと手前に落ちました。




 ***




 一本目の出足払い。予定通りなら倒れた相手に戦槌バトルハンマーを寸止めで打ち下ろすはずだった。ところが予想外に相手の踏ん張りがないというか、体重が軽かったというか、とにかくケネスが吹っ飛んでしまって、内心やり過ぎたかと冷や汗が出た。

 戻って来たケネスがレイモンド先輩の確認に応じてやる気を見せた辺り、正直言って見直したけれど、最早勝負にならないのは目に見えていた。それで降参を勧めたら、ケネスは眼光だけは鋭くして頑なに応じようとしない。

 いいだろう。やると言うなら相手になるまでだ。

 でも困ったな。さっきからナディーン様の様子を気にして見てるんだけど、ビアンカさんやリンジーさんとヒソヒソ話を繰り返してるみたい。

 ひょっとして一本目で負けを認めさせられなかったことが問題に?

 なら二本目も早々に決めて終わらせるしかない。


「始め――!!」


 さあ来い、と一本目を再現して身構えてはみたものの、一向にケネスが動かない。

 まずい。これは無駄な時間だ。

 本来なら相手の出足を払ってこその出足払いだけど、ここで不必要に間延びさせたら後でナディーン様のお叱りを受けるかもしれない。

 ええい、もうこっちから行ってしまえ。

 ケネスは既に剣を構えるだけの置物と化している。危険はない。ただ踏み込んで足を刈るだけ。


「…………って――」


 ケネスが何かを呟いたみたいだ。

 罠でもあるのか?

 いや、今の状態でそれは考えにくい。一考の余地があるとしたら、それは不動の構えだという点だけ。二本の足それぞれに体重が均等に乗っているから、出足を払う時よりは力を込めた方がいいかもしれない。

 それだけ計算に入れて右足を繰り出すと、さっきと全く同じ勢い、まったく同じ軌道に乗って、ケネス・アップルガースは吹っ飛んで行った。

 しまった。またやり過ぎた――。


 パチパチパチパチ――。


 静まり返った前庭にたった一人の熱烈な拍手。真っ先にナディーン様を見たけど、こちらは手にした扇で口元を隠して驚いてる。そこから視線を流して行くと、観客の隅にいたのはいつか見た卵型の体型をした太っちょ君。


「しゅごい! ガラテアたん大勝利ぃぃぃ! ほら、ボクチンのガラテアたんに拍手っ、拍手でしゅよ!」


 勢いに釣られて疎らな拍手。続いてレイモンド先輩とフレディの判定が下って、私の二本先取が宣言された。

 私はその場に拝跪して何よりも先ずナディーン様に勝利を捧げた。それから立ち上がって観衆に礼をして行く。そこへレイモンド先輩が上がって来て、


「それでは皆様。この先は当事者のみで進めさせて頂きます。速やかなご退出をお願い致します。尚、本日の決闘につきましては声高に触れ回ることのないよう――」

「ガラテアたん! 危ないでしゅ!!」


 太っちょ君の警告。俄かに騒めき立つ観衆。振り返った先に見えたのは猛然と打ちかかって来るケネス・アップルガースだった。




 ***




 俺は空を飛んだのか――。

 何の偶然か植え込みがクッションになって大した怪我はしなかった。ただ鋭く刈られた足は感覚がなくて、舞台に戻っても立っているのに苦労した。


「ケネス、大丈夫か? 続けられるか?」


 大丈夫に決まってる。これは三本勝負。一本目でやすやすと負けを認めるものか。


「降参しないのか? 私は構わないぞ?」


 ふざけるな、この騙り屋め。

 次で一本取って、その次もかましてやる。必ずおまえの嘘を暴いてやるから覚悟しろ。

 とにかく気力。それだけに縋って俺は開始線に立ち続けた。蹴られた足の感覚は戻らない。だがそれが何だ。騙り屋の襟に付いた白銀の騎士シルバーナイトを引っぺがすまで俺は諦めない。


――ブランペインは故郷を去った。だがいつか戻る日が来たら、過去のことはいい。新しい未来の為にお仕えするんだ。


 それは爺さんの言葉。親父の言葉でもある。長年ブランペインに仕えて来た古い世代は夢を見る気分だったんだろうな。でもその感覚は俺にはない。

 俺が生まれた時、ブランペイン一族の大半は親北部同盟のウラノス王国に逃げ込んだ後だった。残った一部の傍系は貴族籍を奪われて、名を偽って隠れ住みでもしたのか、この新学期が始まるまで一度もブランペインを名乗る人物に出会ったことはなかった。

 そんな亡霊のような存在に親父と爺さんはいつまでも取り憑かれて――。

 もういいだろ?

 いい加減自由になれよ。

 雲を掴むようなブランペインの再興なんかどうだっていい。

 これからはアップルガースの未来を考えて生きるんだよ。


「惑わしに出て来やがって――」


 親父も爺さんも近頃はようやくブランペインの名を口にすることがなくなって来たのに。おまえの嘘を知ったらまた元の木阿弥だ。そんなのはもうたくさんなんだよ。いつまでも故郷くにを捨てた亡霊に振り回されてたまるか!

 騙り屋が開始線を越えて来た。

 俺はどうにか切っ先を上げようと藻掻いたよ。

 次の瞬間、視界はダッチアングル。

 嘘のように背景が流れて、俺の体はまた宙を舞っていた――。


「ぐっ……。かはっ、かはっ」


 この植え込みは凄いな。二度も命を救われた。何だか煙草たばこの臭いがするが、清掃業者がここで隠れ煙草でも吸ったのかもな……。


『匂う、匂うなぁ。怒りの匂いがするぞぉ』


 妙な声を聞いた。吹っ飛ばされて脳を揺すられたせいか? まとわりつくその声は尚も先を続けた。


『感じるぞおまえから。その怒りに俺様が薪をくべてやろう。しししっ』

「くそっ、二度も飛ばされて頭がどうにかして来たな」


 いや違う。こいつはどうも幻聴の類じゃなさそうだ。息切れして、痛みもあって、体は熱いのに、今俺は寒気を感じてる。


「何だおまえは!?」

『しししっ、あの女を叩きのめしてやりたいんだろう? そうなんだよなぁ? ああ、できるとも! ししっ、さぁ俺様が手を貸してやる』

「やめろっ、来るな!」

『そいつは無理な相談さ』


 ズクンッ――。


 そんな音が頭の中に響いた。何かが俺の頭の中に入って来たんだ。


「熱いっ、やめろ! 出て行ってくれっ」

『おいおい、つれないことを言うな。燃えて来ただろ? いいぞー、そいつが本物の怒りだぁ。おまえは怒っていいんだよ。逆恨み? 勘違い? 理由なんかあってもなくてもいい。火の着いた怒りをただブチ撒けろ。口から煙を吐き出すくらいに怒りの感情を燃え上がらせるんだ!』


 頭の中で悪魔グレムリンが叫ぶ。奴が好き勝手言うたびに怒りが膨れ上がって、何かキナ臭いと思ったら本当に口や鼻から煙を吐き出していた。


「オオオオォォォォォォォォオオオオオオ――!!!」


 無数の怒りと同時に信じられないほどの力が湧き上がって、それはもう火事場力なんて言葉じゃ言い表せないくらいに全身を駆け巡って行った。


『行けよ相棒。行ってあの騙り屋を叩きのめしてやればいい。しししっ、胸がスカッとするぞぉ。そりゃあもう最高になぁ!!』


 考えるより先に体は動いた。

 足の感覚は戻ってる。

 走って走って走ってジャンプ!

 魔法みたいに空を飛んで、見下ろす先には目を見開いた騙り屋の顔。


『ひゃっはー! 叩き潰せーっ!!』


 ああ、やってやるよ!


「くたばりやがれっ、ブランペイン――!!!」

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