第26話 サロン加入

 五限目を当てた今日のサロン活動が終わりました。前学期の活動の皮切りですから、お茶会をベースに再会の挨拶を交わしつつ、修辞学の先生をお招きして和やかな朗読会を催しましたわ。

 毎年、どのサロンでも前学期の本格始動は九月の第三週からになります。最初の二週間は入学早々慌ただしいこともありますし、慎重な方でしたら仮参加を繰り返して本参加を決めますから、新入生への配慮として設けられた検討期間ですわね。

 そして恒例の催しとして、これもサロンの別を問わず、二週目の週末に当たる交感の日には、新メンバーの歓迎会を開催する流れになるのですわ。


 ガチャ――。


「失礼しますナディーン様」

「ノックを忘れましたわよ、ビアンカ」

「あ、ごめんなさーい」

「お疲れ様。先生のお見送りは済んだのかしら?」

「ええ、リンジーが門前までお送りして、あとは帰寮するメンバーと一緒にお帰りなられましたわ」

「そう、ありがとう」

「それで今、入れ替わりにフレディ様と例のガラテアさんが――」


 来ましたわ。二人とも五限に教習科目を当てているということで、今日はサロン活動が終わってから会うことになっていました。


「このままこちらにお通ししても?」

「ええ、小人数なら二階のこの部屋で十分ですわ。貴女とリンジーは少し残って頂戴ね。我がサロンの中心メンバーとして紹介しておきたいから」

「承知しましたわ。ではお連れして参ります」


 大した活動も始まっていない今の段階でガラテアさんとフレディの二人を呼んだのは、昨日が昨日でバタバタと過ぎてしまったこともありますけれど、そのバタバタの煽りでガラテアさんが職員棟への呼び出しを受ける可能性があったからですわ。

 まだ公然とガラテアさんの情報が広まった訳ではないと言っても、あれだけ目撃者がいれば後は時間の問題。

 アカデミーは治外領ですけれど、その管理一切は国から委任されてカノープス伯爵が取り仕切っています。

 アカデミー側としては爆発事故や鉱毒魔獣ヴェノムビーストの逃走など、管理責任を問われる事態に関して、伯爵への正確な事故調査報告を迫られる訳ですから、関与した者には逐一入念な聴取が行われることでしょう。

 一度や二度の呼び出しは当然としても、余りくどくどやられてしまうとガラテアさんに対する周囲の見方も変わって来てしまいます。ブランペインの血筋と言うだけである種デリケートな立場ですから、それ以上の無用の風当たりからは私の役目として守ってあげなくてはなりません。

 何と言っても私は彼女が所属するサロンの主宰であり、同時に騎士の誓いを受けた主人でもあるのですから。




 ***




 コテージに入ると二人の二年生が出迎えてくれた。

 シトロングリーンの髪に爛々としたアプリコットの瞳はビアンカ・ウラノメトリアさん。

 ゴールデンイエローのブロンドにくっきりとしたパロットグリーンの瞳はリンジー・ブルースタージンガーさん。

 どちらもフレディとは知り合いみたい。言葉を交わす内に分かったのだけど、二人とも帝都で見かけたあの白い馬車の中に居合わせたんだそう。


「じゃあお二人もナディーン様とご一緒だったんですね。あとお一人はどなただったんですか?」

「それは第三皇女殿下、ゴーディリア様ですわ」

「ああ、この十月からアカデミーに通われるって噂の」

「ええ、そうですわ。さ、ナディーン様が二階のお部屋でお待ちですから、お二人とも付いてらして」


 言われるままに付いて行くと、こじんまりとした部屋の窓辺に私の姫君が佇んでいた。窓からの風にそよぐ黒髪がとっても奇麗。


「来ましたわね。どうぞお掛けになって。ビアンカとリンジーの紹介はもう済んだのかしら?」

「はい。下でお互いに自己紹介しました」

「そう。二人とも私のサロンを支えてくれる中心メンバーですから、私同様頼りなさってね」

「はい」


 ナディーン様の物腰。言葉の節回し。全部が好き。本当はもっと触れるほど近くに行きたいけど、テーブルを挟んで差し向いも悪くはない。


「何か?」

「いいえ!」


 見とれてたのがバレちゃった。でもナディーン様は微笑んでくれる。嬉しい。

 小さなテーブルを五人で囲むと、レースのカチューシャを付けたリンジーさんがお茶とお茶菓子を用意してくれて、その間にもナディーン様のお話は続いた。

 現在のサロンの状況。

 来週末の交感の日に新メンバーの歓迎会が催されること。

 私は例の騒ぎの呼び出し対策として、毎日五限が過ぎたらその日のサロン会場に顔を出すように言われた。


「サロン活動のこまごまとした説明は追々やって行くとして、早速ですけど呼び出しの件はどうでしたの?」

「はい。一限目の教室に講師とは別の職員が来て声をかけられました」

「それは早かったですわね」

「警備兵に顔見知りがいたので、そこから伝わったんだと思います。今日はサロンの予定があるって言ったら、明日の講義終了後に来るように言われて――」

「おいおまえ、明日のその時間は果し合いだろ」

「あっ、忘れてた!」


 これが俗に言うダブルブッキングってやつか。けれど室内の空気はあらぬ方向へ。


「果し合い?」

「今、そう聞こえましたわね」

「中々聞かないフレーズが飛び出して来ましたわ」


 ナディーン様、ビアンカさん、リンジーさんと、立て続けに不可解を申し立てられてしまった。


「ガラテアさん、一体どういうことですの?」

「実は――」


 つい先程の経緯を説明するとナディーン様は頭を抱えてしまわれた。

 どうしよう? 昨日の今日で愛想を尽かされたりしたら困る。


「か、勝ちますから」


 どうにか情勢を覆そうとしてもナディーン様は難しい顔のまま。ひょっとして叱られる?


「ガラテアさん、貴女それ以前の問題ですわよ? 果し合い? 我が北斗サロン始まって以来の事態ですわ。しかも相手はあの剣十字サロンですって?」


 怒ってはいないけど心中穏やかじゃない様子。

 ナディーン様によるとあののっぽ先輩――レイモンド・ル・フェイが主宰する剣十字サロンは代々三大騎士団を中心とした有名騎士団の子弟が主宰を継承しているサロンだそうで、その歴史はアカデミー創設時にまで遡るんだとか。


「フレディ、貴方ならそのくらいの知識は持ち合わせていたでしょう? あの勝った負けたで年中盛り上がっているサロンにガラテアさんの腕前を披露してご覧なさい。結果はどうあれ、後々まで尾を引くのは火を見るより明らかですわ。何故止めなかったんですの?」


 そうだよ。どうして止めてくれなかったんだフレディ! ひどいじゃないか! 私が叱られたら全部フレディのせいだ。


「止めたさ。その場でおっぱじめるのだけはな。要するに果し合いは落としどころだったんだよ」


 確かにそんな流れだった。でも寧ろその場でおっぱじめて内々に収めてしまった方がよかったと。ナディーン様はそう言いたかったのかな? いや、それも違うか。分からない。


「ガラテアさん」

「はいっ」

「相手側の主宰と取り決めが済んでしまったことなら覆しようがありませんわ」

「ごめんなさい……」

「謝罪は結構。貴女にアウェイで戦わせる訳にも行きませんから、明日は北斗サロンのメンバーも見学に加わりますわよ」


 何だってー!! これは私、大勝利なのでは!?


「本当ですか!? 私絶対に勝ちます! ナディーン様に勝利を捧げると誓ってお約束しますっ」


 期待に応えようとして言ったのに、カーブラック姉弟の白けた感じが物凄い。私は一体どうしたら……。


「ええ、貴女の勝利を疑いはしませんわ。それよりも明日のこと。貴女は何よりも先ず、例の件の呼び出しに応じてから果し合いの場へ出向くようになさってね。その旨はビアンカ」

「はい」

「貴女から先方に伝えておいて頂戴。こちらの見学の件も併せてですわよ」

「ええ。お引き受けしましたわ」


 これでこの話は一段落かな? 明日は五限終了後に呼び出しに応じて職員棟へ。それが済んでから果し合いの会場アカデミアガーデンに向かう。

 よし、覚えた。


「それでガラテアさん。話は戻りますけれど」

「はい」

「もし明日の呼び出で次回の聴取を指示されるようでしたら、その時は私の方からアカデミー側にサロン活動に差し障る旨を伝えます。それで二度目は来週辺りまで引っ張るとして、それ以降があればのらりくらりと躱してしまうことですわね。三週目に入ればサロン活動も新メンバー体制で本格稼働するのですし」

「分かりました。明日指示を受けたら直ぐにナディーン様に報告します」


 ナディーン様は笑顔で頷くと、みんなにお茶を薦めながら次はフレディの方に向き直った。


「それでフレディ。貴方は本当に私のサロンに参加するということで構わないのですわね?」

「おう。その一環で既に筋トレの下準備も始まっちまってるし、今更ジタバタはしねーよ。そっちが出て行けってんなら喜んで出て行くけどな」


 何を言ってるんだフレディは。そんな勝手は許されない。私が鍛え直すと宣言した以上、絶対にそれは実行される。それ以外の道など存在しない。


「それに付いてはガラテアさんと約束したことですから、私から出て行けと言うことはありませんわ」


 さすがですナディーン様。ガラテアは一生ついて行きます。


「ところで今言っていた下準備とは何のことですの?」

「それについては私から。今日は体幹筋を鍛え直す為に、クセの付いてしまった全身の筋肉をマッサージで解きほぐしました」

「マッサージ?」

「はい。こう、フレディを裸にひん剥いて、表裏ひっくり返しながら全身を隈なくですね――」

「は、裸に?」

「ひん剥いて?」

「全身隈なくって、ガラテアさん貴女……」


 リンジーさん、ビアンカさん、ナディーン様と一様に驚いた顔。何か説明の仕方を間違ったみたい。


「バカ。そうやって誤解を招く言い方をすんなよ。違うからな? ちょっと強烈だったがただのマッサージだ。それと、間違っても自分もして貰おうなんて思わない方がいいぞ。激痛で動けなくなるからな。見てみろ、こうなる」


 襟を開いて晒した胸元は真っ赤になって、さながら筋肉の起こりのように腫れ上がっていた。


「分かったから早く隠しなさい。レディに妙なものを見せるんじゃなくってよ」

「へいへい」


 軽く騒然としたかと思ったら直ぐにキャアキャアとなんだか嬉しそうなビアンカさんとリンジーさん。そんな中、ナディーン様一人が眉をひそめる風だった。

 まったくフレディは、私の姫君にあんな顔をさせていけない奴だ。明日からの筋トレは予定より厳しく指導しよう。

 それはそれとして私、今日はナディーン様に話をすることがあったはず……。

 あ、デスピナとアシュリーの件だ! 危ない危ない。危うく忘れるところだった。


「ナディーン様、私からも一つよろしいですか?」

「あらガラテアさん、何かしら?」

「はい、サロンに参加する件でちょっと。あ、いいえ、私はもう絶対的に確実に参加するんですけど、実は私の友達を二人、一緒に参加させて貰えないかと思っていて。お願いできないでしょうか?」

「そういうことでしたらよろしいのでは?」

「メンバーが増えるのはナディーン様のサロンにとってもいいことですわ」


 即座に反応したのはビアンカさんとリンジーさん。ところが二人の賛意とは裏腹に、ナディーン様は少しばかり難しい顔になった。何でだろう?


「お二人ともガラテアさんのお友達と言うことですわね?」

「はい」

「では伺いますけれど、それはどういった方たちなのかしら? 先ずはそこからですわ。勿論前向きに検討します。ですが私のサロンはそれなりの人選を経て現在のメンバーになった訳ですから、それを考えれば誰も彼もとは行きません。その点は理解して頂けますわよね?」


 心なしか鋭い眼を向けられてちょっぴり不安。だけど初めての友達になってくれた二人のことだから、自信を持って紹介しなくちゃ。


「私がデスピナ・カプタインとアシュリー・アイアコッカーを推薦する理由は明白です。確かに昨日知り合ったばかりの二人をどこまで知っているかと聞かれれば、二人の生い立ちを詳しく語ることはできません。だから私が何よりお伝えしたいのは、たった一日で友達と思えるようになった二人の人柄です。会って直ぐに打ち解けて、その後に起きた魔獣騒ぎでもアシュリーは西大陸の魔獣のことを咄嗟に教えてくれましたし、デスピナは私と同じく騎士を志す者として、取り乱すことなくアシュリーを、そしてナディーン様を大講堂へ避難させてくれました」

「やはりあの時のお二人ね」

「はい。覚えておいでですか?」

「勿論ですわ。ああした場でしたから名乗り合うことありませんでしたけれど、一緒になって貴女の活躍を見守っていましたもの」


 活躍! 褒められちゃった。

 なんて、今を私のことより二人のことを話さなきゃ。


「二人とも会って間もない私にとても親しくしてくれて。裏表がないというか、気持ちよく会話ができて。それまで外の世界を知らなかった私の初めての友達になってくれたんです」


 それから私は、なんちゃって貴族だと言っていたアシュリーの家柄のことだとか、自身は平民だけど騎士爵の娘であるデスピナの背景を知る限り付け加えた。


「アイアコッカー伯爵家なら私も存じてますわ。ここアルディバイン州のお隣り、クリンカーヒューズで郡代をなさっている家柄でしたわね。けれどアシュリーさんのお父様が家を追われた後に大成して貴族籍に復帰……。そこまでのことは知りませんでした」

「今年の夏だって言ってましたから、本当につい最近のことみたいです。アシュリー自身は平民生まれの平民育ちで、急に貴族って言われて困っている風でした。私も貴族らしくはないから、そんなところでも気が合って友達になれかのかもしれません」

「その点は問題ありませんわよ。何がどうあれ今は伯爵家のお身内。何より着目すべきは大成したと言われるほどの商家で家業の手伝いをなさっていた点ですわ。アカデミーの生徒には商家の平民もいますけれど、実際に商売の経験を持った貴族となると皆無です。アシュリーさんには是非とも私のサロンに加わって頂きたいと思いますわ」

「それはよかったです。それで、もう一人の友達のデスピナの方は?」


 五限の終わりにフレディは、ナディーン様が南部嫌いで平民も眼中にない、なんてことを言っていた。デスピナは南部出身だし平民でもある。それが理由で伯爵家のアシュリーとは線引きをされてしまったんだろうか――。


「どうせ平民だからダメってんだろ?」


 ああっ、よしてフレディ、余計な口を挟まないで!

 一瞬ドキッとしたけどナディーン様はツンと澄ました態度で歯牙にもかけない様子。


「平民だから――。確かにその理由は成り立ちますわね。現時点で私のサロンには貴族の方しかいないのですもの。けれどそれは他のサロンでも大差ないことでしてよ? では何故そうなってしまうのか。フレディ、貴方はその訳を考えてみたことがあって?」


 ああ、矛先がフレディに。

 大丈夫なの? ナディーン様とフレディって姉弟なのに仲がよくない感じだから心配になる。


「さぁな。貴族同士で仲良しごっこがしたいとかじゃねーの?」


 こらぁ! もうちょっと真面目に答えて!


「身も蓋もない答えですわね。だとしても実際にその考えはあるでしょう。一方で平民同士にも似通った傾向があることは、平民だけのサロンが存在している事実からも明白ですわ。身分の狭間に生じる溝。そこに渦巻くさげすみ、妬み、うらやみといったマイナスの意識。その手の意識を持つ生徒が事実過半数を楽に超えているのが現実です」


 ナディーン様は一度言葉を切ると聞き手四人を順に見回した。最後に視線を置かれたのは私。……私?


「私がこれまで平民のメンバーを迎えなかったことには当然理由がありますわ。一つにはサロン内部に身分差から生じる争いの種を抱えまいとしてのこと。ただ、そうした懸念を押して平民の方を迎えようとした例が過去に一度だけあったことも事実です」

「そうなんですか?」

「ええ、その方には素気無く断られてしまいましたけれど」


 なん、だと? ナディーン様の誘いを断るような罰当たりがこの世界に存在している……?


「それがあって、ますますメンバーの平民に対する反感は強まってしまったのですわ。悪習には違いないことだけれど、貴族は目下の者から申し出を跳ね付けられることに慣れてはいませんもの」


 そうか。ナディーン様はサロンの主宰だけど決して独裁者じゃない。サロンの総意が平民を拒んだとしたら、それはナディーン様でも簡単には覆せないってことになるんだ。


「つまり、メンバーが反対するからデスピナの件も……?」


 恐る恐る伺いを立てると、隣りではビアンカさんとリンジーさんが表情を消していて、全てをナディーン様に委ねるといった態度。けれどナディーン様は私に向けて、バカバカしいとばかりに手をヒラヒラと振って見せた。


「それは早合点というものですわよ。そもそも今度の話は貴女からの推薦であって、当サロンからの勧誘とは違います。ですからそこで確認させて貰いたいのだけれど、ガラテアさん」

「はい」

「かのデスピナ・カプタイン嬢は、本当に私のサロンに入ることを望んでくれているのかしら?」

「それは――」


 違う――。

 あの時デスピナはそうは言わなかった。他を当たるからいいと、そう答えたんだ。

 どうしよう? 主と決めた人に問われた以上、本来なら正直にそのことを告げるべきだ。でも、そうと分かっていても私はそのままには伝えたくなかった。

 そう思う理由は確かにある。何故なら私はデスピナの言葉を額面通りには受け取っていなかったから。だってデスピナはそれ以前に私にこう言ってくれた。


――せっかく友達になれたのにこれでお別れなんて嫌だからね。


 その言葉を聞いたのは魔獣騒ぎの時だから、サロンの話を振った時とじゃ問題も状況も違ってる。でも友達と一緒にいたいって気持ちは変わらないものだと思う。だって私自身がそうだから。

 アシュリーと三人でなら――。そう口にしたデスピナの気持ちには、別々は嫌だという想いが裏にあると感じられた。それで合ってるよね?


「すみませんナディーン様。その点をハッキリとは確かめませんでした。でもナディーン様。言葉にしなくても伝わる想いはあります。私たちは友達なんです。だからデスピナも、私やアシュリーと一緒のサロンに入りたいって、そう思ってくれてると信じてます」


 ただ真っ直ぐ、心の声を真っ正直に伝えるだけ。するとナディーン様は言葉ではなく、優し気に微笑み返しくれた。

 ああ、やっぱりナディーン様は私の姫君だ。


「とても貴女らしい答えでしてよ、ガラテアさん。そして学生らしい素直な答えでもありましたわ。何て言えばいいのかしら? そう、まるで去年の今頃の気持ちになれたかのような」

「私も同感ですわ、ナディーン様」

「ええ、私も」


 二年生が口を揃える様子に私はようやく胸を撫で下ろした。

 よかった――。

 ナディーン様はやっぱり、身分の違いだけで人を切り分けるような方じゃなかった。それは話を聞く最中にも感じたことだけど、今の言葉で嬉しさと安心とが一層胸に広がった。


「ではデスピナさんとアシュリーさんには明日にでも引き合わせて貰うとしましょう」

「ナディーン様、明日は果し合いですわよ」

「ああ、そうでしたわね。余りに突飛で脳が記憶することを拒んでしまったようですわ。それではお二人の件は明後日ということで。ガラテアさん、それでいいですわね?」

「はい」


 …………。果し合いの件。相当マイナス評価らしい。くぅぅ、しくじったぁ! 全部あのケネス・アップルガースが悪い! いきなり現れて私を騙り呼ばわりして、そんなの喧嘩になるに決まってる!


「さて。それではフレディ。貴方はここまでで結構よ」

「そうか。ならこれで引き揚げさせて貰うぜ。さっき言ってた新歓までのサロン活動はどうなるんだ?」

「そうですわね……」


 ナディーン様は私を見た。何か言うべきなのかな? でも分からないから、ここは笑顔を返しておこう。


「フレディ、貴方の五限の時間割はガラテアさんと一緒ということですから、新歓までの二週間は常に行動を共になさい。それが過ぎたら六限以降に差しかかる活動にだけ参加てくれればいいわ」

「こいつとセットかよ」


 言い草! フレディがナディーン様の弟じゃなかったらただじゃ置かないところだ。

 フレディはぼやき調に「分かったよ」と言い残して部屋を出て行った。

 さて。上級生を前に一人残された私はどうなるんだろう。


「ガラテアさん」

「はい」

「今日は果し合いの件やらお友達の推薦の件で過ごしてしまいましたから、詳しいことは後日に譲りますけれど、本当なら今日は北斗サロンの活動の根底にある目的についてお話するつもりでいたのですわ」

「根底にある目的、ですか?」


 他を窺うとビアンカさんもリンジーさんも先刻承知といった様子で頷いている。


「私と貴女の関係は非公式ながら主と従の間柄になりました。主たる者は掲げた目標に邁進し、従たる者はその支えとなることが務めですわ」

「はい。私はどんなことでもナディーン様をお支えします」

「ありがとう、嬉しいわ」


 そんな風に優しく微笑みかけられたら、それこそ火の中でも水の中でも飛び込んで行ける気持ちになる。


「そこでですわ。既にビアンカとリンジーは私と一つの目標――夢を共有しています。貴女にもそこに加わって貰おうという話なのだけれど――」

「勿論です! 何でも仰って下さいっ」


 少し被せ気味になっちゃったけど気持ちは伝わったみたい。ナディーン様は瞳を逸らさずにゆっくりと頷いた。


「期待と感謝を。ただ、この話はまだ内々のものですから、決して他には話さないようにね」

「分かりました」

「フレディを帰したのは、私の夢がカーブラック家の嫡女としてそぐわないものだからです」


 そぐわない? それはいずれ帝国御三家と呼ばれる家門の長として立つことと道を異にするということ?


「私はアカデミーを卒業した後にはカーブラックの名を捨てて西大陸を目指します」

「西大陸? ドーレシア不踏破樹海のある西大陸ですか?」

「ええ、そうよ」

「どうして帝国御三家の家名を捨ててまで?」


 非難の意図はまったくない。ただ純然に湧いた疑問を口にせずにはいられなかった。


「それは――」


 ナディーン様は西向きの窓に目を向けて、秋の傾き始めた陽射しに軽く目を細めた。


「西には新しい世界があるからですわ」


 新世界――。

 遅々として開拓の成果が上がらない西大陸東部沿岸にはそんな呼び名がある。それは希望を感じる言葉でありながら、同時に揶揄やゆとしても用いられる言葉だと聞く。

 でも私には分かった。ナディーン様が今、西に向けるその眼差しの先には、きっと夢に値する何かがあるんだと。

 それが何であっても構わない。私はひたすら主のたすけとなって、日に一歩でも二歩でも、夢に近付くお手伝いをするだけだ。


「行きましょう。新世界」

「ええ、必ず。その為にすべきことを今から始めて行くのですわ」


 ナディーン様はいずれ落ち着いた頃にと、夢の話はそこで打ち切って、私たちは夕されて行く道に並んで帰途についた。

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