第24話 筋肉再構築計画

 突然の騒動に襲われた入学式の翌日、始業式が終わった直後からアカデミーの講義は開始された。

 アカデミーでは歓喜の日から悔恨の日まで、一般に平日と呼ばれる週中しゅうなかの六日間に教授や講師らによる講義が行われる。

 一限目はどの日も必須三学からスタート。文法論、修辞学、論理学を二度繰り返しての六日間になる。

 二限目は主要四科から数論、幾何、天文の三科目。これらが週の前半と後半で同様に繰り返される。

 三限目、相愛の日は主要四科から固定で音楽の講義。他は各自選択した科目の講義を受けることになる。私の場合、歓喜の日と怒りの日は精霊学。嘆きの日は史学。逸楽の日は兵学。相愛の日を挟んで悔恨の日は地理・地政学を受講する。

 四限目も人によって時間割はまちまち。私の時間割は六日間通して実践魔法教習一科で埋まっている。実践と名が付くものの、最初の内は座学が続くらしい。

 昼休みを挟んで五限目。午後からはサロン活動が中心になって来る。私は五限目を一貫して実践格闘に当てているので、サロン活動は次の六限目からになる。

 六限目になると私もサロン活動に加わる。活動内容は各サロンごとに手を変え品を変え様々であるらしい。聞くところによれば六限目だけで終わる日もあるし、より長く活動をする日もあるのだそう。

 六日間の平日が終わると次にやって来るのは交感の日。交感の日は講義がないから翌日の魔女の日と合わせてお休みにしても構わない。でも大抵はどの生徒も、開放されている学校施設を利用してサロン活動に参加する。丸一日を利用できるから校外へ出て活動するサロンも少なくない。


「さぁ実践格闘だ。今日からこの時間を使ってフレディの筋肉再構築プロジェクトを実施するぞ」

「待てよおまえ。確かに筋トレはやるってことで合意したが、実践教習の方はどうすんだよ?」

「それに関しては今から教官の許可を取って来る。私もフレディも試験の結果は抜群なんだから大丈夫。問題ない」

「問題ない訳ないだろ。勝手なヤツだな」


 選択科目の中には実践教習科目が二つある。一つは肉体を駆使する実践格闘。そしてもう一つは魔力を用いる実践魔法だ。この二つの選択科目は学年が上がるごとに選択肢が増えて行く。

 実践格闘では徒手、短剣ダガー片手剣ショートソードを用いた戦闘術を実践的に学んで行く訳だけど、二年生になると別途、実践武器戦闘が選択可能になる。そちらでは各種剣、盾、槍の扱いを学べる。また、三年生になると任意または教官から推奨された武器を専門に訓練する個別武器戦闘も選択できるようになる。

 実践魔法は一年生は一科のみ。二年生以降は二科を選択できるようになる。一科では精霊との契約を必要としない内燃魔法と接触魔法の教習が行われて、二科では精霊との契約を前提とした契約魔法の教習が受けられる。


「失礼します、マッケロウ教官殿!」

「ん? ガラテア・ブランペインか。どうした?」


 三十代前半にして頭頂の毛が実に潔く全面撤退しているこの人物。彼こそ実践格闘教習の教官ダドリー・マッケロウ殿だ。

 かつて私は教官に対して、別日程で行われた入試の際に全治二箇月の怪我を負わせてしまった経緯がある。それをして教官はこの九月、負傷以前にも増すほどの偉丈夫となって再び私の前に現れた。

 転んでもただでは起きない。実に尊敬に値する人物だ。


「私とフレディー・カーブラックは既に実践レベルの実力があること、教官殿にはご理解頂けているものと思います」

「……まぁ、一面の事実ではあるな。それで?」

「はい。先程冒頭の説明で、当面は基礎課程の訓練を行うとのことでしたので、その間、私とフレディが別メニューでの鍛錬を行う許可を頂けないでしょうか」


 私はナディーン様に約束したフレディの再教育に当たって、宣言通り肉体の再構築、即ち筋肉を付け直すところから始めることにした。

 問題はいつそれをやるかだった。必須三学、主要四科、選択科目の後に時間を作った場合、どうしても姫君のサロン活動を犠牲にせざるを得ない。だがそんなことが許されるだろうか。いや、許されはしない。

 ナディーン様は私がこの人と定めて剣を捧げた姫君。主と決めた人との貴重な時間をどうして削ることができるだろう。

 そこで私はこの時間、教官殿に進言して筋トレの実施許可を貰おうと決めていた。私の実力を身を以って知る教官殿なら快諾して下さるに違いない。フレディに関しても試験の段階で勝ち抜き戦を制したからには問題ないはずだ。


「別メニューだと? 一体何を始めるつもりだ」

「はい、教官殿、筋トレであります!」

「それなら別にみんなと一緒で構わないだろう。今も腕立てと腹筋をやらせている。おまえにはそれが見えないのか?」

「見えております! がしかし、私の申し上げている筋トレはより根本的かつ抜本的にして本格的なものであり、徹底して体幹筋を鍛え抜くものなのであります。その際、バーベルの使用も併せてご許可頂きたく」

「そうか……。まぁいいだろう」

「ありがとうございます!」


 ほら見ろ、許可が下りた。心なし教官が面倒臭そうな顔をして見えたけど、きっと気のせいだ。


「ところでガラテア・ブランペイン」

「はい。何でしょうか教官殿!」

「その軍隊形式の応答は今後一切止めにしろ。ここはアカデミーであって騎士団でも軍隊でもない。本教習を選択した者なら確かに騎士や軍士官を目指すだろうが、学生でいる内は学生らしく振る舞え。僅か三年。今しかできないことだ」

「はいっ、分かりました教官殿!」

「いいや、何も分かっちゃいない。先ず私を教官と呼ぶのをやめにしろ。これからは先生と呼ぶんだ。いいな?」

「はい、先生」

「よし。では目の届く場所で別メニューとやらをやって来い。器具類は運動場の倉庫にある」

「分かりました。ありがとうございました。マッケロウ先生」


 敬礼しかけた手を引っ込めてお礼のお辞儀。回れ右して戻って行くと、呆れ顔のフレディが立っていた。


「嘘だろ、許可出んのかよ」

「聞こえてたでしょ? ほら、倉庫に行くよ」


 運動場の隅にある倉庫に入って、ベンチプレス用のベンチを一脚、フレディに手渡した。


「ベンチだけか? エアベンチプレスでもやれってのかよ」

「今日はいいの。本格的な筋トレは明日からね」

「なら今日は何すんだよ?」

「マッサージ!」

「はあ?」

「先ずは服を脱いでベンチに俯せになって」

「何でだよっ!?」

「あ、短パンは履いててよ! 今度あのヘンテコなものを見せたらただじゃおかないっ」

「当たり前だバカ野郎! つーかヘンテコってゆーな!」

「いいから。ほら、早く!」


 モタモタしてるから上着の裾を掴んで捲り上げてやった。頭が隠れてモガモガ言ってるフレディをベンチに押し倒して、お尻の上に馬乗りになる。すると大殿筋が丁度いいクッションになった。頭に引っかかってる上着をスッポ抜いたら、さぁ、マッサージ開始だ。




 ***




「いだだだだだっ、ちょっ、マジ! いででででででっ」

「そんなに騒がない。これでも咥えてたら?」


 叫ぶわ喚くわの口に落ちていた運動着の上を突っ込んで、私はマッサージを続行した。


「これくらい我慢我慢。フレディは男なんでしょ」

「ふががっ、ふごご!」

「痛いのは仕方ないの。ここもここも、これまでの鍛え方で筋肉におかしなクセができちゃってる。それを一旦リセットして、最初からやり直すんだから」


 過去の鍛錬で仕上がったフレディの体は筋肉を熟知せずに作り上げたものだから、ニュートラルな状態に戻す為にマッサージをして全てをほぐす必要がある。

 構築に失敗した筋肉をほぐされた経験は私にもあるから、それがどれだけ痛いかはよく分かる。でもクセを残したまま鍛え続けてもどんどん完璧から遠ざかって行くだけ。肉体のイドを開く為にも、早い内から矯正しておく必要があった。


「今ほぐしてるのは体幹筋。体幹筋には大きく分けて前体幹筋と後体幹筋があるのは知ってる?」

「ふんこごっ、ふがっ」

「今ほぐしてる後体幹筋は主に広背筋、脊柱起立筋、僧帽筋の三つ。それが済んだら次は仰向けになって前体幹筋の大胸筋、腹直筋、腹横筋、腹斜筋に取りかかる」


 大叔父曰く、何よりも先ず体の中心線を奇麗に通すこと。そうすることでオーラの通りがよくなって、鍛えた分だけ爆発的な力を発揮することができる。それが究極的には真騎士道三十六攻の習得にも繋がって行く。

 そこで大事なのが体の中心に集まっている体幹筋を正しく鍛え上げること。ここを間違うと後はもう何をやっても筋量に応じた力しか発揮できずに終わってしまう。そうなったらほぐして一からやり直しだ。


「ベッ、ぶはーっ。つーかマジきついっておまえ! いででだだっ、こんなんしたら体中腫れ上がっちまう!」

「初日から泣き言を言わない。これはただの準備。今日ほぐした筋肉を明日からウェイトトレーニングで鍛え直して行くんだから。メニューはベンチプレス、デッドリフト、スクワットの三種類だけ。シンプルでしょ。はい、鍛える筋肉を言ってみて。前体幹筋は?」

「知るかバカッ、いでででででっ」

「ちゃんと口に出して言う! 自分が何の為にどの筋肉を鍛えるのか、しっかり意識しておくことが大切なんだから」


 肉体とはただ意思に従うだけでなく、自ら考えるもの。大叔父はそう言っていた。最初は不思議に思ったけど、今ではその意味が分かる。

 例えば恐怖。大抵の人は恐怖を感情だと勘違いしているけど、恐怖が感情じゃないことは感情霊アドフェークを見ても明らかなこと。そこに恐怖の精霊は含まれていない。だったら恐怖って何? その答えは簡単。感情ではなく肉体に根付いた本能だ。

 恐怖は理性や思考、感情とは違って、肉体そのものが逸早く危険を察知することで生じるもの。恐怖という名の信号が即座に生命の危機を報せてくれる。

 だから体との対話は生きて行く上で絶対に必要なこと。ちゃんと意識と認識を持って体を鍛えて行く必要がある。


「あだだっ、てめっ、ふざけっ」

「そんな筋肉はない。ほら、ちゃんと言って」

「くっそ、だ、大胸筋! 腹直筋! 腹横筋! 腹斜筋!」

「よし正解。続けて後体幹筋三つ!」

「こっ、広背筋! 脊柱起立筋! 僧帽筋! いだだだっ」


 この手のマッサージは慣れと力が必要だ。私は筋肉に関して誰より熟知しているし、高齢だった大叔父の硬い筋肉を相手にして来たから力の入れ具合も手慣れたもの。大叔父と比べたらフレディの筋肉なんて全然柔らかい。


「大体そっちは寝そべってるだけなんだから楽なもんでしょ?」

「これのどこが楽だ!? 寝言は寝て言えっ」

「はい、後ろ終了! 今度は前。仰向けになって。早く!」


 中々動かないフレディを無理矢理ひっくり返して股座の上に跨った。


「おまっ、ちょっと待てって! この体勢はさすがにやばいだろっ」


 フレディが顔を真っ赤にして抗議して来た。怒った?


「? やばいって何が?」

「おいっ、マジかよおまえ!? こんなのどう考えたって――」

「ぎゃあぎゃあ騒いでも無駄。マッサージは続行する」

「そーぢゃねぇ! 周りを見てみろっ」


 他の生徒の基礎訓練風景に目をやると、何だか物凄い数の視線がこっちに集まっていた。マッケロウ教官は……目を逸らしてる?

 そんな中、デスピナが何か必死にサインを送って来たけど、アウト? アウトって何がだろう?


「みんなが見るのはフレディが大袈裟に騒ぐからでしょ。ほら、始めるよ」

「待てっ、前は自分でやるからいい!」


 何を言い出すかと思ったら……。


「自分でなんてできる訳ないでしょ! いいから腕をどけてっ」

「最悪だぞおまえマジで! あ、こら、微妙に腰を動かすなって!」

「マッサージなんだから動くに決まってる。ほらほらほら!」


 邪魔する手を払いのけながら腹筋を捉えた。


「揺すんなバカッ! 分かった! 分かったからっ」

「最初からそうやって大人しくマッサージを受けていればいいんだ」

「おまえ、ホントもう、言葉もねーよ……」

「まだ言ってる。もう、うるさいっ」


 ガポッ――。もう一度運動着を口に詰め込んでやった。


「いい? フレディ。体幹筋を鍛えるだけで剣の腕前はグンと跳ね上がる。剣だけじゃない。拳でも他のどの武器でもそう。普通は誰でも手で武器を握ってるって考えるけど――」

「ぶほっ、んなもん当たり前だろっ」


 素人め。


「違う。本当はそうじゃない。拳でも武器でも握る力の根っ子は体幹筋にあるの。そこから始まって無数の筋肉と連動した先に初めて握り込む力が生まれる。手足の体肢筋は言ってみれば体幹筋の忠実な兵士。兵士を活躍させようと思ったら優秀な上官が必要になるでしょ? だから重点的に鍛える必要がある」


 より正確に言うと体の中心は丹田アブドメン。へそ下三寸にある腸と脊椎の中間だ。そしてその直隷下に置かれているのが体幹筋。体幹に属する骨格筋を鍛えることはあらゆる肉体運動の基礎、根幹を鍛え上げるのと同義だ。丈夫な体幹筋は運動に安定感を与えるたけでなく、初動の筋肉であるが故に瞬発力をも決定付ける。


「何が兵士と上官だ。筋肉を擬人化するのやめろ! キメェーんだよっ」

「そう? 愛着が湧くかなと思って」

「湧くかっ、んなもん! てゆーか待て! 脇腹はやめろっ」

「全体をほぐすんだからやるに決まってるでしょ」

「マジやめろって! くひひっ、いででっ、ふははっ、あだだだっ」


 フレディったら忙しい。痛みとくすぐったさで表情をコロコロ変えるから、思わずこっちまで噴き出しそうになった。




 ***




「はい、マッサージはこれでお終い。シャワーをゆっくり目に浴びて、今日はバスタブに水を張った方がいいよ」

「分かったからさっさと降りろってんだよ」


 私がどくとフレディはベンチの上で上体を起こして、ほぐれた体を見回した。


「あーあ、見ろよ。完全に腫れ上がってるじゃねーか。赤くなってない箇所がどこにも見当たらねーぞ……」

「それだけ私の仕事が完璧ってことでしょ」


 上着を着たフレディが横向きに座り直したので、私はその隣りに腰掛けた。五限目はまだ少し残っていて、デスピナたちはクールダウンの体操を始めたところ。


「それで? 結局どういうつもりなんだおまえ」

「ん? だからフレディの筋肉を作り直そうって――」

「そうじゃねぇ! 姉貴との騎士ごっこの話だよ」


 ああ、その話か。てゆーか、


「ごっこって言うな。私は真剣だ。ナディーン様だって真剣に応えてくれたんだから」

「その辺は別にどーだっていーんだよ。おまえ実際、姉貴に取り入ってどうしようってんだ?」


 取り入る? 何を言ってるんだフレディは。


「騎士が主に取り入る必要なんてない。私はただ真心を尽くしてナディーン様にお仕えするだけだ」

「真心ね。女同士で何言ってんだって感じだが」


 手うちわで扇ぎながら呆れた風に物を言う。


「女同士だと何か変?」

「傍から見ればそうだろうよ。おまえがよく言う姫君と騎士ってのは男女の組み合わせじゃなかったってのか?」


 物語では確かにそうだ。でもそれを私とナディーン様との関係に当て嵌めるべきとは思わない。運命に決まった形なんてないんだから。


「昨日、ナディーン様は寮に向かう間に、私を初めて見かけた時のことを話してくれた。それは帝都でのこと。白い馬車に寄せて行った私を馬車の中から見ていたんだって。それを聞いて私も思い出した。あの時、馬車の中には四人の姫君がいて、中でも目を惹いたのは夜空のような黒髪の姫君。それがナディーン様だった」

「姉貴はガキの頃から自分の髪を嫌ってたけどな。着たいドレスが着られないとかってよ」

「そんなことあるもんか。ナディーン様ならどんなドレスだって絶対に似合う。とにかく、帝都での最初の出会いから予感はあったんだ。たった一曲の輪舞曲ロンドで呼吸が合って、私はナディーン様を探したし、ナディーン様も私を探してくれてた」


 野外音楽堂の前で再会した時、私は自然と大叔父とエスメラルダ様の出会いを重ねていた。私にはこの人だと、訳もなくそう思えた。


「女同士だから何だ。性別は肉体に宿るものであって魂にそんなものはない。だから私は心が決めたことに従う。ただそれだけだ」


 私だって自分が男だったらなと思わないではないけど、今更そんなこと言ったって何も始まらない。ナディーン様が私の誓いを容れてくれたってことは、今のままの私でいいってことなんだから。あとはそれを信じてお仕えするだけのこと。


「まぁ本人がそう言うんならそうなんだろうが。でもおまえ、姉貴はカーブラックの嫡女だぞ? いずれ帝国御三家の家督を継ぐやんごとない身の上だ。そのお抱え騎士がポッと出のおまえに務まるのかよ? そりゃ強さは認めるさ。筋肉だってすげぇ。おまけに魔法まで使うしな。けど他がダメ過ぎるだろ? おまえ、親父やお袋が見たら即チェンジだぞ?」

「チェンジとか言うな!」

「いーや、うちの両親だったら間違いなくハモッて言うね。チェンジで、ってな」


 こいつ、二度も言ったぞ。


「私だって自分に足りないものがあるのは分かってる。だからこうしてアカデミーにだって来た。それはフレディがこれから体を作り直して行くのと同じことでしょ。私だってこれからだ。何だってやると決めたその時からが勝負なの。明日からの筋トレはビシバシ行くからね!」

「チッ、やぶ蛇かよ」


 フレディが不平を鳴らすと同時に終礼の号令がかかった。ベンチを戻しに倉庫へ歩きだすと、トットットと足音立てて追いかけて来たのはデスピナだ。


「お二人さんお疲れー。何よ何よガラテア、総代の彼と随分親密なムードだったじゃない?」

「ん? そう?」


 意味不明なことを言う。かなり喧嘩っぽかったと思うけど。


「おい、口を閉じてろ騎士見習い。さもないとおまえも筋トレに巻き込むぞ」

「うげっ」

「それはいいアイデア! デスピナも騎士を目指すんなら一緒にやった方が――」

「パスパス! 男子があれだけ絶叫することをガラテアはあたしにもやれって言うの? あたしの財産はこの体一つなの。それを再起不能にでもなったらどう責任取ってくれる訳?」


 デスピナの目が余りにも本気だったので思わず口を噤んでしまった。よかれと思って言ったのに……。

 でも、一見してデスピナの筋肉は私やフレディみたく筋トレを重ねたと言うより、訓練の動きから自然と身に付けたもの。それであればリセットするほど偏ったクセもないだろうし、これからの教習で正しい動きを身に付ければ肉付きも徐々に変わって行くだろう。

 何と言っても筋肉は筋肉そのものを作ろうとする筋トレが一番難しい。色々な筋肉の動きをきちんと想定して作り上げないと、後になって思うように動かないなんてことになる。


「あ、そうだデスピナ。昨日はどうもありがとう」


 フレディが倉庫にいる間に私は話題を切り替えた。


「え? ああ、別にお礼を言われることでもないでしょ。アシュリーもあたしも本当はガラテアを探しに行きたかったんだけど、先生たちの眼が光ってたから」


 昨日、寮に戻ると、部屋にはアシュリーとデスピナがいて、私に起きた出来事をチャロとスニーに報せてくれていた。

 アシュリーは一度自分の部屋へ戻って例のラノベを持って来てくれたり、何だかんだ昨日は三人で夕飯までの時間を過ごした。デスピナには鉱毒魔獣ヴェノムビーストを倒した闇の魔法のことを聞かれる場面もあって、冷や汗が出たりもしたけど、魔法についてはアカデミーに申告した通り、闇精霊スラモルと契約済みとだけ説明しておいた。


「そうだデスピナ。サロン! 部屋に戻ってから検討するって言ってたけど、もう決めちゃった?」

「あー、まだまだ。一日じゃとても無理でしょ。正直言って何を基準に選べばいいのかも分からないし」

「なら私と一緒のサロンにしない? フレディの姉君、ナディーン様のサロンなんだけど」


 私としては同学年の友達がいてくれれば心強い。まだ決めてないなら渡りに船かと思ったんだけど――。


「あー、それ昨日アシュリーからチラッと聞いた。ナディーン様って昨日あたしが大講堂に避難させた二年生よね? 何でも北部の名門貴族で相当大きなサロンを主宰してるらしいじゃない。無理無理! あたし南部出身の平民よ? 相手にされる訳ないって」


 これは予想しなかった答えだ。デスピナなら二つ返事で「いいよ」って言ってくれるかと思ったのに。

 平民だの貴族だのの何が問題なんだろう? それはダルシーさんが言っていた北部と南部のことと関係があるのかな?


「無理ってことはないと思うけど」

「いーや、無理だね」


 戻って来るなりフレディは、さも当然と言い放った。


「どうしてそんな風に言うの?」

「姉貴は平民とか眼中ねーよ。南部も嫌いだしな。メンバーになれるのは北部出身の貴族だけ。サロンの名称も北斗サロンだぜ? まぁ南部出身のガラテアは特別待遇ってところだな」

「ほらね? あたしは他を探すからいいよ。誘ってくれてありがとね」

「でも……」


 確かに私はまだナディーン様のことをほとんど知らない。だとしても本当に今フレディが言った通りなんだろうか。

 例え知らなくても私の心はナディーン様を選んだ。騎士として曇りなく磨いて来た心が選んだなら、私の想い描く姫君と実際の姫君とが遠くかけ離れた存在だなんてある訳ない。フレディの言葉には、まだ疑問を差し挟む余地があるように思えた。


「待ってデスピナ。私が直接ナディーン様に確かめてみる。他所に決めるのはそれからでも構わないでしょ?」

「んまぁガラテアがそうまで言うなら――。あ、でもだったらあたし、アシュリーとも一緒がいいな。ガラテアとアシュリーと、三人で入れるなら文句無しって感じで」

「勿論! アシュリーのことも聞いておく」


 デスピナには一旦保留して貰って、サロン加入の話は私の方で預かることになった。私の姫君ならきちんと話せば分かってくれるだろうし、何も心配することはない。

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