第23話 姫君と騎士

 はっ、はっ――。

 走るのは苦手ですわ。それでも走ったのは半ドームの野外音楽堂が見えた時、フレディの側に二人の女生徒を見たからです。一人でなく二人。しかもよく見るダルシー嬢の取り巻きでした。

 それで慌てて駆け出しましたら、逸早く気付いたフレディがハンドサインを送って来たのです。


 ドームの端。

 私が行くまで。

 早く行け。


 私とフレディは幼い頃、悪戯の罰として、厳格な祖母からよく家庭内黙刑を受けていましたから、お蔭様でハンドサインのやり取りはお手の物。それはガラテアさんを魔法科棟前広場から去らせた手際で証明済みですわね。

 何はともあれ間に合いました。いえ、そんな考えもなかったのですわ。まさかダルシー嬢に先を越されているなんて思いもしませんでしたもの。


「そこまでにして頂けるかしら? ダルシー様」


 息切れを抑え、務めて平静に告げました。返す視線に鋭いものを感じましたけれど、それでも状況は覆りません。それを彼女も分かったのでしょう。私が来るまでと条件を敷いたなら、現にそうなった以上、彼女のプライドがごねることを許しませんわ。駆け付けた取り巻きのお二人共々、四の五の言わずに引き下がって行きました。

 ふぅ、これでようやく――。

 私は探し求めていた勿忘草色フォーゲットミーノットの髪を確かめました。

 あの日、目から入って胸に焼き付いたその色を、私は毎日のように思い浮かべていましたわ。こうして目の前にするとまるで奇跡のようで、鼓動が早鐘を打つのは走ったからというだけではありません。ええ、違いますとも。


「お久し振りですわね。私のダンスパートナーさん」


 私はスカートの巣を包まんで軽く腰を落としました。格式ばったものではなく、ダンスの前にする弾みのある挨拶ですわ。 

 一人その場に佇んでいた曰く付きの新入生。確かめるまでもなくあの日の彼……いいえ、彼女は、それに応じて見えない帽子を取る素振りをして、胸の前に当てて会釈しました。そしてとびっきりの笑顔――。

 私、驚きましたわ。

 何がと言って、彼から彼女になった入れ替わりの君に対して、自然と取り除かれていたはずの乙女の心情。それが一遍に舞い戻って来たように感じられたんですもの。

 あるのかしら? こんなことって。

 相手はもう女性だと分かっていますのに――。

 想い溢れて言葉が出ない。そんな状況に二人して置かれてしまって、ならばと私は踏み踊りガイヤルドのステップを踏みました。心が選べない言葉を体は表現できたのです。

 左右の足を交互に投げ出すようなフォーステップ。続けて足を振らずに縦に跳ぶツーステップ。


 タン、タン、タン、タン。ターン、タン――。


 シンプルなその組み合わせを二度踏んで、揺舞ブランルのように互いの距離を直径にした輪の上を回り込んで行きました。

 すると勿忘草の君も同じステップを踏んで、後は交互に踊り交わしながら段々と径を狭めて、そうして私たちは心待ちにしていた再会を果たしたのですわ。


「ナディーン様! 私の姫君。ずっとお会いしたかったです」


 飛び込んで来るなり手を取って、近い! 近いですわよ、お顔が。


「わ、私も再会の日を楽しみにしていましたわ」


 もう千切れんばかりに尻尾を振るのが見えるかのようで、私、感動を飛び越して何だか可笑しくなって来てしまいました。

 社交デビューを果たしてからは自らもそう。他者からもこうまで素直な感情を向けられたことはありません。それを彼女は何のてらいもなく。


「あの、そろそろいいかしら? その、手を」

「あ、ごめんなさい。嬉しくて、つい――」


 慌てて手を引っ込めたパートナーは私よりほんの少し背が低くて、僅かな上目遣いが可愛らしくもありましたわ。だから私は告げました。彼女が欲しがるその言葉を。


「許します」


 パッと華やぐ眩しさは確かに女性のもの。これを見抜けなかった過日の自分を顧みると、どんなにか舞い上がっていた事実を突き付けられる思いでしたわ。けれど、あれはあれで素敵な想い出ですから、今更書き換える必要もありませんわね。


「改めてご挨拶しますわ。私はナディーン・カーブラックです」

「後から名乗る無礼をお許し下さい。私はガラテア・ブランペインです」

「構いませんわ、ガラテアさん。こうしてやっと会えたんですから」

「はい。やっと会えました。やっとお名前が聞けて、ああ、でも、先にダルシーさんから聞かされてはいたんですけど、その」


 ヴェールのない心が喜びに舞い上がる様子は手に取るように伝わって、それがまた我がことのように嬉しく思えるのですから、歓喜霊フェリス交感霊アセンティオに悪戯をされているな気分ですわ。


「いいのよ、慌てないで」

「はい。あ、そうだ。あの! お聞きしても?」

「何かしら?」

「フレディが姫君の指示で私を助けてくれたって言うのは本当ですか?」


 一度は離れた手をまた握られてしまいました。この仔犬さん、グイグイ来ますわね。


「え、ええ。あのままでいたら何かと面倒事に巻き込まれていたでしょうから、それでフレディに頼んだのですわ」


 あの騒ぎの中、渦中の彼女が教師陣に捕まっていたなら、その後は克明な調書を取る目的で当日の拘束は勿論、連日の呼び出しを受ける羽目になっていたことでしょう。

 ですが如何なる場合も学業を妨げてはならない。それがアカデミーの原則です。

 前以って私のサロンで保護してしまえば、過度の呼び出しにはサロン活動の妨げになるという名目から抗議が可能ですわ。サロン活動を学業の一環として推奨する建前上、アカデミー側もお構いなしとは行きませんもの。

 それに、サロン活動に明確な時間割はありません。都度都度活動時間を長めに申請することで、教職員は勤務時間外の聴取を余儀なくされるのですわ。そうなれば連日長時間とは行かなくなるでしょう。

 ただ、それもこれも、ガラテア・ブランペインを名乗る彼女が我が北斗サロンへの参加を承諾してくれたらの話ですけれど。


「じゃー俺はこれで」


 フレディが脇をすり抜けて行こうとしました。


「貴方、まだそんな言葉遣いで。アカデミーに来た以上、もう少しシャンとして貰わないと困りますわよ」

「別にいいだろ。俺は姉貴のサロンに関わる気なんてないんだからよ」


 そんなものはこちらから願い下げですわよ。けれど他所であっても不始末をされれば恥をかくのはこの私。切っても切れない縁なのですから、野放しという訳にも行きませんわ。


「ガラテアさん、少しの間いいかしら? この愚弟に言い聞かせることがありますから」

「愚弟とか言ってんじゃねーぞババァ!」

「バッ!?」


 ガッ――。


 え? フレディが消えましたわ。ズシャア――? 何ですのそれ……。


「いってー! また殴りやがったな!」


 また? そこに倒れている愚弟がガラテアさんに殴られるのは二度目と言うこと?


「私の姫君に無礼は許さない。謝れ!」

「ガラテアさん、落ち着いて。何も手は出さなくてもよかったですわよ?」

「えっ、出過ぎましたか? あっ、弟君、ですもんね……」


 この場合悪いのはフレディですから、そこまでしょぼくれなくても。


「とにかくお立ちなさい、フレディ。この場は私に免じて禍根は無しと言うことで。ガラテアさんも手を出すのは無しに。いいですわね?」

「はい、姫君。勿論です」

「こっちの殴られ損じゃねーか……」

「フレディ!」

「……わーったよ」


 まったく。今のやり取りのお蔭で話の持って行き方が分からなくなってしまいましたわ。

 プライオリティからすれば何より先ずガラテアさんを私のサロンに迎えること。フレディの素行については後日に回した方がよさそうですわね。ガラテアさんのいる前で同時に進めてもややこしくなるだけでしょうから。


「あの、私にいい考えがありますっ」


 ん? 何かご提案?


「それはどういったものかしら?」

「どーせ碌なもんじゃねー」


 愚弟は口を閉じてなさい。


「ナディーン様はサロンを開かれているんですよね? フレディが今さっきそう言ってたと思うんですけど」

「ええ、確かに私、サロンの主宰を務めていますわ」

「なら先ず私をそのサロンに入れて下さい」


 意外にも向こうから飛び込んで来ました。ここで機を逃すのは愚の骨頂ですわ。


「貴女がそう言ってくれるのなら、勿論私は大歓迎ですわ」

「よかった! それで、フレディにも一緒に入って貰いましょう」

「は?」

「は?」


 今、何年振りかの姉弟阿吽の呼吸でしたわよ?

 ガラテアさん? 貴女一体何を言っているのかしら?


「フレディの態度は私が叩き直します。鍛えても見せましょう。全て私に任せて下さい。頭蓋表筋から足底筋群に至るまで一分の隙も無く磨き上げて見せます」

「おまっ、何を勝手に――」

「正しい肉体には必ず正しい心が宿ります。剣のように真っ直ぐなフレディになること請け合いです。そしてナディーン様、私の姫君――」


 な、何ですの?

 彼女はその場に片膝を着いて、うやうやしくこうべを垂れましたわ。まるであの日、ダンスプールの中でそうしたように。


「ナディーン様、どうか。どうか私を貴女の騎士にして下さい。貴女をお守りする名誉をこのガラテアに授けて頂きたいのです」


 騎士? 今、私の騎士にして欲しいと、そう言ったのかしら?


「あ、済みません。捧げる剣を仕舞ってしまいました。ちょっと失礼します」


 再び立ち上がった彼女はおもむろにスカートの裾に手をかけました。


「おい、まさか! バカッ、よせっ」


 何故か慌てふためくフレディ。それを聞き流してガラテアさんはスカートをたくし上げ――。

 え? たくし上げ?

 ちょ、貴女、足をそんなに上げたりしたら!


「よいしょっと」


 何ということでしょう! ガラテアさんはスカートの中に手をいれて、そこから馬上剣ロングソードを取り出しました。ええ、魔法です。けれど見たことも聞いたこともない魔法。そうして再び跪いて――。


「ナディーン様。私の姫君。貴女に剣を捧げます。どうか私の忠誠をお受け取り下さい」


 ええ…………。

 たった今見せた一連のはしたない動作をあたかもなかったことのようにして、ふつーにやり直しましたわ……。

 圧倒的困惑!

 けれど、私が望んでいないかと言えばそんなことはないのです。

 あの日のダンス。

 魔獣をものともしない強さの証明。

 お爺様の手紙に衝撃を受けた時、私は窓に映り込む自分に何と問いかけたかしら? 勿論覚えていますわ。

 勿忘草色フォーゲットミーノットの髪を靡かせるブランペインの騎士――。そう、私は間違いなく望んだのです。

 例え女性と分かっても、想像の中のダグラス様に負けない魅力が目の前の少女にはありました。なら何を迷うことがあるでしょう?

 私、決めましたわ。

 私の騎士は貴女。今はまだ何もかもが分からない貴女だけれど、この出会い、この運命を信じましょう。共にアカデミーでの日々を過ごして、私は一年先に卒業しますけれど、貴女が後を追って来る日までに、新世界への夢を確実なものにして見せますわ。

 だからお願い。ちゃんと私に付いて来て頂戴ね。いつまでも私を忘れないでフォーゲットミーノット――。約束ですわよ。


「ガラテアさん。私は貴女を騎士に叙する資格を持ちません。帝国でそれが許されるのは子爵以上の貴族だけですわ。ですから私はこの先、貴女を心の騎士として頼みにしたいと思います。今はそれでいいかしら?」

「はいっ」


 迷いのない答え。私は捧げられた剣に触れて告げました。


「ではお立ちになって。これは正式のものとは違うのですから、せめて互いの目を見て誓い合いましょう」


 ガラテアさんは立ち上がり、互いの間に剣を立てて、柄頭に添えた手を重ね合いました。


「私は貴女に何一つ不足なく与える者であることを約束します。捧げられた忠誠に報いる主人であることをここに誓いますわ。これより先、永遠のものとして」


 騎士叙任の形式ばった文言を全て反故にして、私は私の心から出る想いだけを口にしました。


「私の捧げる忠誠も等しく永遠不滅のものとして」


 誓いをなぞる彼女と見つめ合って、互いの瞳に嘘がないことを確かめ合いました。

 私が選んだ。そう思っていたものが、蓋を開けて見れば選ばれたのは私の方で。けれど彼女に選ばれたことこそが自らの誇りになるのだと、素直にそう思えた瞬間でした。


「おい、いつまでやってんだよ。俺はもう帰るぞ」


 ああ、もう! この愚弟は本当に空気を読みませんわね!


「待てフレディ、話はまだ途中だぞ」

「その話の途中でいきなり騎士の誓いとか始めたおまえは何なんだよ!? しかもそれごっこ・・・だろ!」

「ごっことか言うな! そこで少し待ってろ」


 フレディを突き放すと、ガラテアさんは再び私に正対して言いました。


「ナディーン様。私にもフレディ同様未熟な部分があります。私はこの歳まで男として育って来たので、剣の腕こそ自信はありますけど、淑女レディの嗜み? とか、そういったものは未だ不勉強です。でも姫君に導いて頂けたら、私は他に恥じない女騎士デイムになれると思うんです」


 男として育って来た――。

 まぁそうですわよね。彼女の突飛な部分は、やはりそういったところから来ていたのですわ。

 ガラテアさんはまだ女性であることを意識し始めたばかり。女性というものを知らない。そういう訳ですわね。そんな彼女が私を選んだということは、私の中に少なからず女性の理想を見てくれたということ。

 ふふ、冥利に尽きるじゃありませんこと? ならば私もその気持ちに応えましょう。


「分かりましたわ。その役目、精一杯務めるとお約束しますわ」

「ありがとうございます。それと、さっきも言いましたけど、フレディを鍛える件は私にご一任下さい」

「俺はお断りだぞ!? 姉貴と二人で勝手にやってろよ。一々俺を巻き込むな!」


 そこですわね。ガラテアさんの中ではどうもフレディとセットでと言うことになっていますけれど、こうまで拒む様子を見て無理にサロンへは――。


「フレディ君。姉君に小さかったって言ってもいいのかな?」

「!? てめぇ!」


 ん? 今のはよく聞こえなかったのですけれど、彼女はフレディに何を耳打ちしたのかしら?


「この際だから今までのことは全部水に流してもいいんだけど?」

「どの口が言うんだよ!? こっちの台詞だろ! 何から何までおまえが発端だったじゃねーか! 試験の時も、レストランでも、俺がお前に何をした!? 今だって助けてやったんだろーか! それをまた殴り飛ばしやがって」

「そうか。じゃあ言っちゃおっかなー?」

「――っ! 待てっ、お前本気で言う気じゃねーかよ! 分かったよ、入りゃいーんだろ! 入るよ! 姉貴のサロンに、入らせて頂きますよ!」

「分かってくれて嬉しいよ。これからもよろしく、フレディ君」

「くっそ! どーなってんだよぉぉ!!」


 本当にどうなっているのかしら? 何だかよく分からない内に話はまとまったようでした。まるで男同士の会話でしたわね。いえ、すっからい駆け引きにも見えたような……。

 とはいえ、オマケ付でも彼女をサロンに迎えるという当初の目的は達成されましたわ。ブランペインのことなど色々と聞きたいこともありますけれど、余り多くを一度に求めては品格に差し障ること。今日のところはこれでよしとしておきましょう。


「さ、二人とも。先生方に見つからない内にこの場を離れますわよ。遊園区画を真っ直ぐ南へ抜ければ、一年生寮と二年生寮は目の前ですわ」


 こうして騒動の、そして運命の一日は終わりを迎えました。

 私たち上級生にとってもそうでしたけれど、新入生にとっては正に波乱の幕開けだったことでしょう。

 それでも個人的にはこれ以上ないものを得たのですから、雨降って地、大いに固まる。幸先のよい一日となりましたわ。

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