第20話 魔法科棟前広場の戦い

 大講堂は十重二十重の人垣。ビアンカたちが先行してくれなければ、乗り込むタイミングを逸するところでしたわ。


「ダルシー様のサロンは三方に分けて待機済みでした。こちらも手分けは済ませてありますわ。ナディーン様にはどれか一方の陣頭指揮をお願いします」

「結構よ。ならこのまま西側を預かります。他はお願いね」


 私たち二年生の寮棟は敷地の南西端。そこから大講堂までの最短距離は魔法科棟前広場を抜けて行くコースになります。ですから私は今、広場の東端、大講堂の西側に立っているのですわ。


「それで、リンジーから聞きかされましたけど――」

「ブランペインの件ですわよね?」


 ビアンカは声のトーンを落として、耳打ちするように顔を寄せて来ました。


「その件でしたら私たちが一歩リード、ですわ」

「一歩リード?」

「ええ。あの子から聞きましたでしょ? ブランペインと入れ替わりの君が繋がるかもというお話」

「ええ、確かに。何か分かりましたの?」

「はい。実はあの女好きの放蕩息子が妙なところで役に立ったのですわ」


 ああ、あの……。

 ビアンカの言う女好きの放蕩息子とは、トラレス州の郡代をしている子爵家の息子、アルステッド・ゲスロマンのことですわ。学内でも悪い意味で評判の、女子と見れば憚りもなく舐め回すようにジロジロと。そんな品性下劣をこの私が相手にする訳もないのですけれど、それが役に立ったとは?


「あの男、女学生に関する情報収集には血道を上げて臨みますでしょ? 案の定、新入生の情報も女子に限っては群を抜く情報量だったのですわ。その上あんな風な鼻摘まみ者ですから、ダルシー嬢は元より男子の派閥ですら近寄ろうとはしません。そこをあえて、うちのメンバーの男子に頼み込んで情報を掴みに行かせた訳です」

「何やらゾッとする話ですけど、確かに情報は大事ですわ。それで?」

「ブランペインを名乗る生徒は女子で決まり」


 そうと聞かされた時、どこかしら期待を外された気がしたのですわ。

 私ったら過日想像したように、勿忘草色フォーゲットミーノットの髪の少年をブランペインの名に重ねていたようなのです。


「ナディーン様?」

「ああ、いいえ。それで何故女子だと?」

「それがあの男、どうやってか名簿を覗いたらしくて、間違いなく女子の名簿にその名が乗っていたのだそうですわ」

「でしたら家名だけでなく?」

「はい。お名前はガラテア・ブランペインと仰るそうです」


 ガラテア・ブランペイン――。

 フルネームが確認できたとなれば最早間違いありません。ブランペインのどういった血筋であるかは別にしても、あの歴史に埋もれた一族の者が、再び表舞台に戻って来たということです。


「それで、入れ替わりの君の件については?」

「それに関してははっきりとは。ただ、話を聞いて来たメンバーによると、放蕩息子の方では同一人物と見ている節があったそうですわよ」


 ふむ。確かに一歩リードですわね。女子と分かっただけでも半数以上を占める男子を除外してしまえますし、貴族の女子席でファーストネームだけを呼んで探せば他の派閥に気取られるリスクだってグンと減らせますわ。

 ん――? そう言えばお芝居に当てられてうっかりしていましたけど、ブランペインは庶流であれ、今や貴族籍を許されていないのではなかったかしら? なら今は平民席に? いえ、パトロンがいるのは確実ですわ。バックの地位が確かなものら例え平民でも貴族同等の扱いを受けられる。ただその場合、生徒間に於いては鼻摘まみになるでしょうけど。

 でもどうして――。どうしてわざわざ波風の立ちそうなブランペインを名乗る必要があったのかしら? パトロンの名で入学してしまえば誰に気づかることもなく済んでいたはずですのに……。


「それではナディーン様。私は南側へ参ります。上手く行くことを願っていますわ」

「え? ああ、貴女もね。それと、とても素晴らしい働きでしたわよ。ビアンカ」


 時間です。こうなったらガラテア・ブランペインには是が非でも私のサロンへ入って貰わないことには。それはもう平民であろうとなかろうとですわ。

 それからもう一人。あのフォーゲットミーノットのダンスパートナー。できればあの方ともご一緒したいものですわね。


「出てきます」


 隣りに立つメンバーの男子が講堂内の動きを察したようです。ええ、私にも伝わっていますわ。学校関係者やご来賓の方々が外へ出て来る気配です。


「皆さん、間を空けて道をお譲りになって! 入れ替わりに走り込みますわよ」


 立ち並ぶ扉が次々と開かれて、講堂の壁際を埋めていた大人の方たちが出ていらっしゃいました。人の流れは南、正門方向になりますわ。流れが落ち着くまで見送ったら、さあ、ここからがいよいよ今日の本番です。


「北斗サロン! いざ、参りますわよー!」

「おおーっ!!」


 号令一下の勇躍投足。他からも一斉に二年生、三年生の群が流れ込んで行きました。

 これぞアカデミー名物。サロン交流会とは名ばかりの青田買い合戦ですわ。

 新一年生にとってはこれが最初の洗礼。各サロンが鍔迫り合う中を、怒涛の勧誘に屈さず抜け出すことができるかしら?


「止まらない! 固まらない! 転んでも誰も助けてはくれませんわよ!」


 私の率いるメンバーは西側中央の扉を先頭切って抜けました。右へ左へ散開を指示して決して動きは止めません。立ち止まって見回す余裕なんてありませんわ。直ぐに新入生の座席列へ入り込まないことには、後から後から寄せる波に呑み込まれてしまいます。


「ガラテアさん! ガラテアさんはどちらですの!?」


 幸い女生徒は講堂の西側に配されています。私、普段は出さない大きな声を頑張って絞り出しましたわ。けれどどうやったって男子の声には敵いませんもの。直ぐに喧騒に掻き消されてしまって――。


「ナディーン様、声かけは我々男子がやります。そのガラテアという女生徒を見つけたらどちらへ連れ出せばいいですか?」

「そうですわね、でしたら天文台の入口までお願いできるかしら?」

「分かりました。他は予定通りの優先順位でよろしいですね?」

「ええ、お願いしますわ」


 各サロンでは人柄、家柄、入学以前の評判等、生徒の手で得られる情報を可能な限り入手して、事前にこれといった人材の目星を付けおくのですわ。当然余所とのバッティングもありますから、優先順位を付けて迅速な対応を取る訳ですわね。

 私はガラテア・ブランペインの件を一旦男子に預けて、目だけで追える勿忘草色の髪の持ち主に標的を替えました。

 彼も彼でダンス試験であれだけの腕前を披露しましたから、間違いなく他からも目を付けられているでしょう。万難を排して勝ち取りに行かなくては指の隙間からすり抜けてしまいます。私、それだけは我慢がなりませんわ。


「そうは言っても、男子の席へ行くだけで骨が折れますわね……。って、えっ!? 今――」


 女子側の座列から男子側を目指そうとした矢先のことでした。

 鮮やかに翻る水色がチラリ。確かに視界の隅に入ったのですわ。ええ、錯覚とは違います。違いますとも。私があの素敵な髪色を見間違えるなんて、起こり得ないことですわ。

 でも、だとしたらこれはミステリーではありませんこと?

 ここはまだ女子席の半ば。サロン交流会とは名ばかりの争奪戦で、新入生たちは満足に身動きも取れていません。そこへ来て幾ら過日のダンスパートナーが身軽だとは言っても、僅かの間にこの混乱の講堂を東から西へ移動できたものかしら? とてもそうは思えないのですわ。だとしたら元々女子側の席にいた……?


「まさか――。ガラテア、さん……?」


 呟きは同時に確信めいて、けれど心は否定したがりました。

 あの日、私を姫と呼んで高みにまで押し上げてくれた彼は女性だった――?

 帝都で見かけた時から判然としなかったその性別。

 入試の時には男性で、延期された試験の際は女性として現れた入れ替わりの君。

 その噂の主をガラテア・ブランペインなる新入生ではないかとする重ねての噂。

 全てを一つにまとめてみると最早偶然とも思えません。

 ただあの日、私を姫君と言って迎えてくれた騎士を女性とすることには、少なからず――いいえ、随分な抵抗があったことも確かなのですわ。


「ほんとミステリーですわ。でも、だからと言ってここで立ち止まっていても仕方ありませんわね。直接確かめれば済むことです」


 人垣の合間に見えるフォーゲットミーノットを横目に、流れに逆らって西側へと戻ります。公爵令嬢である私を見知らぬと言う方は先ずいませんから、どうにか道を譲って貰って大講堂の西、魔法科棟前広場へ戻ることができました。


『ナディーン様! リストの上位者、三名ほど確保できましたわ!』


 耳に舞い込んで来たのはビアンカの声。彼女は入学以前から風精霊シルフィードと契約を交わしていましたから、声郵便ボイスメールの魔法で状況を知らせてくれたのでしょう。私も既に精霊との契約を済ませていますけれど、あいにく風精霊シルフィードではないので返事まではでき兼ねました。てゆーか学内での妄りな魔法使用は禁止ですわ!

 それよりも何よりも今は――。


「ガラテアさんは……。えっ、あれはフレディ!?」


 弟です。今年からアカデミーに通うことになった私の弟が、ガラテア・ブランペインと思しき青い髪の女生徒と何故だか対峙しているように見えました。


「どうしてあの二人が――」


 距離があるので近付こうとスカートの裾を取った刹那、それはそれは大きな爆発音が突然に広場を襲いました。




 ***




 私は勧誘の渦の中に立って、昨日寮のレストランで殴り飛ばしたフレディ・カーブラックと対峙していた。


「しょこのチミィ! 是、是非ともボクチンのしゃロンにっ」

「おい、押すなよゲスロマ! こっちが先だっ」

「ブヒッ、ボクチンの邪魔をしゅるなっ」

「おまえ臭いんだよゲスロッ、向こう行けって!」

「ムギギッ、ガラテアたん!」

「きゃー! 触らないでよゲス!」


 何だか卵型の体型をした太っちょ君が私の名前を呼んでた気がしたけど、まぁいいや。とにかく今はこの男だ。


 ドゴォォォォォォォォオオオン――!!!


 突然物凄い音がした。


「うおっ!? 何だよ今のは!?」


 フレディが咄嗟に頭を庇う。

 声こそ出さなかったけど、私も一瞬だけ身を竦めた。他を見てもほとんどしゃがみ込むような反応だ。それほどに大きな音だった。


「おい、見ろよあれ!」

「魔法科棟が――」

「何かの実験で爆発した?」

「危ないぞ! 学生は全員速やかにこの場を離れろっ」

「皆さん急いで講堂の中へ避難して下さい!」


 慌てふためく学生たちの声。そこに駆け付けた警備兵の声が追い被さる。混乱の最中、大人数が闇雲に動き始めた。


「ガラテア様、私たちも」

「そうよ、早く避難しないと」

「待って、何が起きたのか確かめないと」


 アシュリーとデスピナが慌てるのは当然のこと。でも先ずは事態の確認が先だ。


「あれは……」


 見れば五階建ての魔法科棟の三階。北西の角の壁が吹き飛んでポッカリと穴を開けていた。


「おいっ、君たちも早く大講堂に戻れ!」


 駆け寄って来た警備兵にグイッと肩を掴まれた。反射的に正対したらハッキリ見覚えのある顔。向こうもピンと来たみたい。


「あれ、おまえは確か帝都で……」

「ウォルター・アドコック! 帝都の儀仗兵がどうしてここに?」


 帝都の宮殿前広場で押し問答になった儀仗兵だ。私の筋肉を真っ向否定して帝室墓所への立ち入り許可をくれなかった男。


「この秋からアカデミーにはコーディリア皇女殿下がいらっしゃる。その関係で急遽転属になったんだよ」


 確かに入学式でもそんなことを言ってた。私たちより一箇月遅れの十月から、帝室の姫君が通われるとかどうとか。


「おい、そこの警備兵。筋肉女と話し込んでる場合じゃねーぞ。見ろ、魔法科棟から何か出てきやがった」


 フレディの指摘に振り返ると、四本足のいびつな獣が一匹、二匹、三匹と、次々に爆破口から広場へ跳び下りて来るのが見えた。森で見かける動物とはまるで違う。何だ――?


「あれ、きっと不踏破樹海に出るって言われてる鉱毒魔獣ヴェノムビーストです!」


 言ったのはアシュリーだ。デスピナの腕の中で震えている彼女は、ズレ込んだ丸眼鏡を直しながらそう告げた。


鉱毒魔獣ヴェノムビースト? それは鉱石霊オーレの悪霊憑きとは違うもの?」

「はい、別物だと言われています。西大陸の開拓で最大の壁になってるのがドーレシア不踏破樹海です。そこは鉱毒の森とも呼ばれていて、鉱毒に適応した植生相や動物相に覆われているんです。帝国は西大陸の調査を進める為にそうした動植物を持ち帰って研究をさせていて、アカデミーにも検体や標本が持ち込まれているって、噂には聞いてました」


 西大陸か――。ここ東大陸のことすら碌に知らない私には正に未知の世界だ。

 史学で学んだ知識によれば、帝国が西大陸に領土を広げ始めたのは百年ほど前のこと。でも領土の拡大はネビュラ海沿岸に限られて、西の奥地にまでは行けてない。アシュリーの言った通り、広大な不踏破樹海が邪魔をしてるからだ。 


「おい君。鉱毒魔獣ヴェノムビーストって言うからには毒を持っているってことでいいのか?」


 ウォルター・アドコックは毒と聞いて顔色を変えた。こんな場所で毒獣に遭遇するなんて思ってもみなかったんだろう。それは私だって同じた。


「ほとんどの例がそうだと聞いてます。鉱物毒は大抵、生物にとって圧倒的な脅威なんです。それに適応して生きている以上、私たちに害となる毒を持っていると考えた方がいいです」

「分かった。とにかく君たち学生は大講堂に避難してくれ。扉を閉ざして絶対に出て来ないようにな」

「私は手を貸すぞ」

「なら当然俺もだ」


 私は騎士だから当然戦う。戦ってアシュリーやデスピナの安全を守る。

 フレディも追随した以上は腕に自信があるんだろう。けれどウォルターは苦虫を噛み潰した顔になった。何か不満でもあるの?


「学生が何を言ってる。そういう台詞は卒業してから言え! 大体、手を貸すったって武器もなしにどうやろうって言うんだ? まさか毒持ちの魔獣相手に素手で戦う気か!?」


 そこへ、早くも魔獣と交戦した二人の警備兵が転がって来た。気を失ってはいるけど噛まれたり引っ掻かれた傷跡は見当たらない。どうやら尻尾で弾き飛ばされたみたい。その腰には予備の刃折剣ソードブレイカー


「武器はこれで足りる」


 私が手を伸ばすと、もう一本を取ったのはフレディ。


「小振りだが手頃だな。向こうへ行けば小剣グラディウスも落ちてるしよ――。ところでおまえ」

「何?」

「どっちが二体倒すか勝負しねーか?」

「へぇ、私は別に構わないけど。できるの?」

「ハッ、まぁ見てろって。それより俺が勝ったら例のデタラメを言いふらす件。無しにしろよ?」

「デタラメ? 何のことか知らないけど、分かった」


 手に取ると刃渡りは四十センチほど。刃折剣ソードブレイカーは背に凹凸の噛ませ溝を持った独特の剣で、この溝に敵の剣を噛ませてへし折ることができる。魔獣相手には余り意味がないけど、不審者を取り締まる警備兵には持って来いの武器だ。


「ちょっと二人とも本気なの? 大人の警備兵でも歯が立たないってのに――」

「そうですよ。みんなで一緒に大講堂へ避難しましょう」

「大丈夫。デスピナはアシュリーを連れて中に入ってて。こっちのことは心配しなくていいから」

「どっからその自信が出て来るのか分からないけど、アシュリーのことは任された。でも無茶だけはしないでよ? せっかく友達になれたのにこれでお別れなんて嫌だからね」


 アシュリーの手を引くデスピナ。彼女は少し離れた場所に残っていた女生徒にも声をかけに行った。


「あん? 姉貴のヤツ何をあんなトコで棒立ちしてんだ」

「姉貴?」


 私はデスピナに手を取られた女生徒をもう一度振り返った。彼女は肩越しにずっとこちらを見ている。その髪色――。


「あ、あの女性ひとは……」


 なびく黒髪は夜空を匂わせるミッドナイトブルー。

 アップではなしに髪を解いていたけれど、それでも直ぐにピンと来た。

 何より、あの輝くダリアパープルの瞳。


「私の姫君……。えっ、あれ!? おまえ、姫君の弟ってこと!?」

「誰が姫君だよ。気位が高いってだけのイヤミな女だろ」

「イヤミって、おまえ自分の姉君をそんな風に……。てゆーか私の姫君を侮辱するなっ」


 カッとなって胸倉を掴んだ。

 姫を守る騎士になる。それが私の夢で、彼女と踊った僅か一曲分の時間は、他の何物にも代え難い記憶だったから。


「おい喧嘩するなら余所でやれ! 来るぞ! いいか、間違っても受けるなよ!? 逃げるのは大いに結構だが、魔獣の攻撃は全部躱すんだぞ。もう少し時間を稼げれば戦える教師陣や増援の警備兵が駆け付けて来るからな」


 ウォルター・アドコックの言う通り。今は言い争ってる場合じゃない。友達と姫君の安全の為にも、絶対にここを抜かせる訳には行かない。

 それはいいんだけど、


「あー、もう。スースーする」

「あん? 何言ってんだおまえ」

「何でもない。こっちのこと。一々気にしない。小さい男だな」

「あっ、てめっ!!」


 フレディは無視。先ずは一頭に狙いを定めて、確実にほふる!


「行くぞっ!」

「待てこらっ、抜け駆けしてんじゃねーぞ!」


 言うより先に地を蹴って、真ん中の一頭目がけて一直線に走った。




 ***




 威勢のいい掛け声を発して筋肉小娘が突っ込んで行った。

 帝都で会った時は男だと言ってたが、今は女子の制服を着ているし、やっぱり女だったんだろう。

 筋肉小娘は走り込んだ先で人間離れした跳躍を披露。その時思わず中身が見えた。

 俺は無意識に手を打ち、ピースサインを作って、更に人差し指と親指で輪っかを作ると、残りの指が眉庇バイザーになるように作った輪っかを目に当てた。

 そう、ガキの頃、男なら誰もがやったジェスチャーの奥義。

 パン! ツー! 丸! 見え! だ。


「覗いてんじゃねーよてめぇ! 最低だな! 俺は先に行くからなっ」


 更にもう一人の学生が恐れ知らずに突っ込んで行った。チラッと見えた襟章ピンバッジ金縁金目きんぶちきんもくの黒環。驚いたことに帝国御三家、カーブラックの家紋じゃないか――。

 俺は遅蒔きに小剣グラディウスを構え、二人の後を追いかけた。いや、違う。追いかけようとした。

 何故行かなかったって?

 同じ状況を目にすれば誰だって足が止まっただろう。俺はその時信じられないものを見た。

 さっき跳び上がってお宝を見せてくれた筋肉小娘が、そのまま魔獣に踊りかかって鼻面に刃折剣ソードブレイカーを突き立てたんだ。

 伝説の黒犬獣のような姿をして猪ほどの体躯を持った魔獣。鼻面への一撃だけを見ればラッキーパンチと言えたかもしれない。ところが切っ先は下顎を貫き、それでも勢い余って魔獣を地面に縫い留めた。こうなれば土台話は違って来る。

 信じられるか?

 どう見ても無傷では終われそうにない魔獣を相手に、幾ら筋肉が凄いと言ってもただの小娘がだぞ?

 魔獣が四肢を踏ん張って暴れても地面に突き立った刃折剣ソードブレイカーはビクともしない。上手いこと背の溝が返し・・の役目をしたんだろう。

 小娘は傍らに落ちてた小剣グラディウスを拾うと、当たり前のようにとどめの一撃を脳天に喰らわせた。

 本当なら先頭を切って戦うはずの警備兵たちから湧き上がる歓声。

 俺は一体何を見せられているんだ?




 ***




 こいつ、マジでとんでもねーぞ。いや普通じゃねぇ。

 キレッキレの細マッチョなボティは確かに見たが、何なんだ今見せたそのパワーは!? どう考えたってデタラメが過ぎんだろーが。

 毒持ちの魔獣相手と分かって怯みもせずに突っ込んだかと思えば、そのまんま呆気なく一体目を仕留めちまいやがった。悪い冗談だぜ。


「おい、ボサッとしてるな! 避けろっ」


 筋肉女の忠告に重なって唸り声が飛んで来た。しくった! やばいっ――。


「大丈夫か!?」


 大丈夫じゃねーよバカヤロー。

 くっそ、情けねぇ。あっという間に押し倒されちまった。前足で肩口を押さえ付けられて、もう一方の迫る前足首をどうにか掴んだ状態だ。このまま噛まれりゃお終いコースなんだが、ガラテアを気にしてるのか、魔獣の野郎、横を向いてやがる。


「くそっ、抜け出せねぇ! 押さえとくから他へ行け!」


 意地で言うだけ言ってやった。もう一頭の方へ行かれたら俺は噛まれるんだろうけどな。


「待ってろ、今行く!」


 よせよバカ女。そんなんで俺がありがたがるとでも思ったか。

 殴られて、啖呵切られて、その上先にはナニまで見られて、ここで助けられたら俺の男はしこたま凹むんだぞコラ!

 おまえはいなかったが俺は総当たりの実践格闘試験を最後まで勝ち残った。筆記試験だって総代に選ばれたくらいだからトップクラスだったはずだ。それをポッと出のおまえなんぞに……。


 ズバンッ――!!!


 またも一撃。走り込んで来るなりトーキックで魔獣を吹き飛ばしやがった。

 今のだってどう見ても列車事故レベルだっただろ。見てみろよ魔獣の奴を。蹴られた脇腹を庇うように体をくの字に曲げてるじゃねーか。いやもうひしゃげちまってるよ。ただの蹴りで内臓までズタボロなんだろうな。


「早く立って。それと、この剣を」

「お、おう」


 ガラテアの奴、いつの間にか二本持ってた小剣グラディウスを片方寄越して来やがった。


「おまえ、何者なんだよ?」

「私か? 私は騎士だ」


 そうかよ。おまえの言う騎士ってのはモノスゲェな。マジでやばいぜ。三大騎士団も今のこいつを見たら間違いなく震え上がるだろーよ。警備兵の連中だって魔獣そっちのけで筋肉女に釘付けだもんな。


「そっちの奴はもうフラフラ。オマケで一体にカウントしてあげるから、後は任せていい? 私は向こうを片付けに行く」

「あ? ああ、任されといてやるよ」


 何がオマケだよこんちくしょう。ここまでされりゃあ文句も出ねーよ。

 筋肉女に釘付けなのは魔獣にしたっておんなじだ。自分の命を脅かす存在だとハッキリ分かるんだろうな。他には目もくれやがらねぇ。だが、お膳立てして貰った以上はこっちも仕事をしねーとな。

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