第19話 サロン交流会
意外な情報が転がり込んで来ましたわ。
噂を聞き付けて来たのはリンジーです。朝早くからドアがノックされて、侍女のテレスが迎え入れると、走って来たのか息を切らしていました。
「ブランペイン?」
「そうですわ」
「それはあのブランペインのことを言っているのかしら?」
「そこまでは分かりませんけれど、とにかくブランペインには違いありませんわ」
どういうことでしょう? リンジーは言うのです。今日入学式を迎えた新入生の中にブランペインを名乗る生徒がいると。
「しかもそれだけではないのですわ」
「既に妙ですけれど、他にも何かあるということ?」
「はい。その方が例の入れ替わりの君だという噂までありますの」
「それは……」
入れ替わりの君に関しては以前から耳に入っていましたわ。
入学試験の二日目に、何でも一人の受験生が運悪く地下水路の工事穴に落ちたとか。結局その受験生は怪我の回復を待つということで、月末まで試験を延期されたそうでした。
月末と言えばサロン活動だけの交感の日ですから、どこだかの生徒が試験の様子を覗き見しに行ったらしいのです。するとそれが元で途端にその受験生の噂が広まったのですわ。
怪我をしたのは男子だったはずなのに、後日試験に姿を見せたのは女子だった――。
そんな噂話から、その方は入れ替わりの君と呼ばれるようになったのです。ええ、六月中はその噂を何かと耳にしましたわね。けれど七月に入れば長い夏休み。今の今まですっかり忘れていましたわ。
「その話、真偽に付いてはどの程度だと思っていいのかしら?」
「少なくともブランペインを名乗る新入生がいることは確かですわ。各サロンが勧誘目的で新入生の情報を集めていたこと、それはナディーン様もご存知でしょう?」
「ええ、私のサロンも同じでしたもの」
私の夢に向けての人材確保。その為にはこうした情報収集で他に後れを取る訳には行きません。ですから当然、メンバー総員の人海戦術で情報収集にかかりましたわ。
「するとその情報集めの際にブランペインの名が出て来たということですわね?」
「はい。ただ、そのブランペイン
プラスのマークは追試の符号。これは過去、各学期の成績情報を集める際に確認できていたことですわ。
「サロン交流会は本日もう間もなくですわよ? 今から真相を突き止めている時間なんてありませんわ。こうなったら交流会の最中にその生徒を探し出すしかありません。噂になっている以上、他所も同じ動きを見せるでしょうから、後れを取らないようにして頂戴」
「分かりましたわ。三年のミランダ様のサロンは勿論ですけど、南部の生徒で固めていらっしゃるダルシー様も、ブランペインと聞けば手が早そうですものね」
そこですわね。何と言ってもブランペインは南部の亡国。でも私が憧れるダグラス様は時の皇帝エスメラルダ様に忠節を尽くされたお人。南部のじゃじゃ馬に持って行かれるのを、指を咥えて見ているつもりなんて毛頭ありませんわよ。
***
大講堂の前には既に二年生、三年生の人集り。秋になろうというのに、こう人が集まると蒸し暑くって仕方ないわね。
そう言えば去年も入学式が終わった途端に先輩たちが雪崩れ込んで来たんだったわ。私は最初から自分のサロンを立ち上げるつもりでいたから、勧誘なんて見向きもしなかったけれど。
「ダルシー様、三年のミランダ・ベスタベネラ様ももういらっしゃってるわよ。ほら、あの辺りに」
エルスティンの視線を追った先にアカデミー最大のサロンを率いる女がいたわ。 マリーゴールドの髪を輝かせて、扇越しに隣りのメンバーと何を話しているのやら。
おっと、いけない。一瞬だけど目が合ってしまったわね。
彼女もグリニッジやカーブラックと並ぶ帝国御三家の一つ、ベスタベネラ公爵家の御令嬢。何でも聞くところによれば水面下で皇太子シリウス殿下との婚約話が進められているんだとか。けれどそれも年内という訳ではないでしょう。それに、来年にはアカデミーを去って行く人だもの、それほど気にかける必要もないわ。私の相手はあくまでもナディーン・カーブラック、彼女だけ。
「それよりエルスティン。例の噂に間違いはないんでしょうね?」
「え? ああ、そのことなら確かですわ。間違いなく今、この講堂の中にブランペインを名乗る生徒がいるとのことです」
ブランペイン――。
その家名が帝国貴族年鑑から削られたのは十四年ほど前のこと。今いる生徒たちのほとんどが生まれて間もない頃だから、史学を選択していなければ知らない者すらいるのでしょうね。
今から十四年前。当主ユージーン・ブランペインがウラノス王国へ亡命したことで、その名は地に落ちた。傍流の同姓を名乗る者たちも尽く貴族籍を剥奪されたと聞くから、もし本当にブランペインを名乗る生徒がいるのだとしたら、現時点で貴族でない以上、何者かの後見を受けた人物、と言うことになるのよ。
ならその後見人は一体どこの誰かしら?
南部の貴族が後見に付いたなら、噂は少なくとも南部に広まっていたはず。でも私の耳には入ってない。
北部の貴族と考えた場合。英雄と讃えられ、帝室の覚えも目出度かったダグラス・ブランペインの血筋を疑ってみるべきでしょう。かの英雄は結婚して間もなく妻を病気で亡くしている。エスメラルダ帝に出会った時は既に独り身で、その後は再婚もしていない。だから子供はなかったとするのが通説になってはいるけれど、別に結婚なんかしなくても貴族に庶子がいるのは当たり前のことよね。
端くれの傍流やダグラス・ブランペインの血筋でないとした場合、その考えは怖いものになって来る。今年で十四歳ならユージーンが亡命した年には生まれたばかりの赤ん坊だったということ。その場合、幼子を逃避行に連れて行けなかった可能性を考慮に入れたっておかしくはないでしょう。だとしたら今、大講堂の中にいるのは亡命者ユージーンの子にして帝室の怒りを一身に浴びたキャメロンの孫という可能性も――。
「ふっ、さすがにちょっと飛躍し過ぎよね」
「飛躍、ですか?」
帝国もブランペインの残党に関してはつぶさに調べ上げたことでしょう。だとしたら残る可能性は、帝国に留まって生きることを許された傍系の子孫でしかないわ。中でも晩年の知れないダグラスの子や孫なら大当たりだと言っていいでしょうね。
「こっちのことよ。それよりエルスティン、貴女は東へ回りなさい。西側にはロサリアを行かせてあるから、式が終わったら三方から入ってブランペインを探すのよ。他所の先回りを許さないようにね」
「分かりましたわ。それでは今から行って参ります」
ハイペリオンとブランペイン。どちらも帝国との戦いに敗れて滅び去った王国。まだ見ぬその子にもきっと思うところはあるはず。だったら私に付いて来なさい。タッグを組んで北の連中の鼻を明かしてやりましょう。
***
私の名前はアシュリー・アイアコッカーと言います。
今、私は
我がアイアコッカー家はクリンカーヒューズ州で郡代をしている伯爵家――。だったんですけど、四男坊の父は商売にのめり込んで、それを快く思わなかったお爺様から勘当されてしまいました。それが十五年ほど前の話。だから私は平民の商家の子として生まれ育ったんです。
ところが父が商売で大成すると、今年になってお爺様がその功績をお認めになられて、この夏、剥奪されていた貴族籍を戻して頂けることになりました。
そんな訳で今の私は出戻りのなんちゃって貴族なんです。入試の時は平民だったから、今いる席も外側の平民席ですけど……。
入学式の席割りは東側が男子で西側が女子。両方とも内側に貴族の生徒が並んで、平民は外側です。私の右隣は貴族で、左隣は平民という、どうにも私にピッタリの配置でした。
「ねぇねぇ、あんたアシュリーって言ったよね? さっきから何読んでるの? その本面白い?」
「ああ、これはその、何とゆーか趣味の本でして――」
隣の平民席の子は南部出身の騎士の娘さん。確かワズン州から来たデスピナさんって言ったと思います。着席の時に挨拶したきりですけど、クリクリしたアンバーの瞳がとっても印象的でした。如何にも体を動かすのが得意そうで、ナチュラルボーンヒッキーな私とは両極端です。
「そんな両手に収まっちゃうような本もあるんだ。あたし初めて見た」
「これはラノベって言って、台詞多目でお手軽お気軽に楽しめる本なんですよ」
「ふーん。年寄りの話よりは全然面白そう。どんな話なの?」
「えっと、これは騎士ブレイクシリーズの七巻で、シリーズ的には中央の騎士団で活躍した主人公が、引退しからも西部で保安騎士として活躍して行く感じです。私の一番の推し作品でもあります」
「へー。七巻も出てるんなら人気があるってことか。あたしも騎士を目指してるから、騎士モノなら今度読んでみようかな」
「読みます!? なら私のをお貸しします! 一緒に熱くブレイクを語り合いましょう! もー苦み走った男前っぷりにキュンキュン来ちゃいますからっ」
「そ、そう……?」
はっ、いけない。読み友ができると思ったら初対面なのも忘れてついガツガツ行っちゃいました。でも、早速お友達ができそうな予感。
「騎士? 今騎士って聞こえたけど、それは騎士の物語なの?」
「え? あ、はい――」
貴族側の席からお声が……。あんまり奇麗で気後れしちゃって、挨拶もできなかった方です。何て言ったらいいのか、ちょっと不思議なオーラのある感じの人なんです。特に目立つのは流れるように長くて光沢のある
「それ、私も借りられる?」
「え、構わないでけすど……。お貴族様が読むにはちょっと……」
「どうして?」
「その、庶民向けの作品ですから、かなり文体が砕けていて――」
「読める文字なら気にしない。私は騎士を目指しているから、騎士の物語ならどんなものでも興味があるの」
真っ直ぐな青い瞳。言葉も態度も私が想像するお貴族様のものとは違っていて、これならなんちゃって貴族の私でもお付き合いできそうな気がして来ました。
「あんたも騎士目指してんの?」
ちょっ、デスピナさん。お貴族様相手にあんたとか言わないですよ!
「デスピナさん、こちらは貴族の方ですから」
私はなんちゃって貴族だからスルーしてオッケーですけどね!
「ああ、そっか。ええっと、お名前をおきききてもよろしぃでしょうか?」
おききき、になってる。凄く気になります!
「あたしはデスピナ。父親が騎士で、一応私もカプタインの姓を名乗っていいとは言われてるんだけど、私はただの平民だから」
騎士というのは一代貴族です。伴侶だけが準じた扱いを受けて、子供が貴族として扱われることはありません。特に南部では平民一般に姓が普及してないので、平民なら姓を持たないのが当たり前だと考えてしまうみたいです。これが北部になるとスラムなんかの下層民を除けば、大体の平民が姓を持っていて、みんな普通に名乗っています。
「よろしくデスピナ。私はガラテア。他はどうか知らないけど、私は言葉遣いとか全然気にならないから、普段使いの君でいいよ」
「本当に? よかったぁ。よろしくね、ガラテア」
へーっ、そんなこと言いいます? この方って本当にお貴族様かしら? でも「いつも通りの君でいて」なんて歯の浮く台詞はお貴族様っぽかったかも。できれば貴族のお友達も欲しかったですから、私も仲良くして貰えたら嬉しいな……。
はっ、自己紹介もしないで仲良くなんてなれっこないです。
「あ、あの。私はアシュリー。アシュリー・アイアコッカーです。ガラテア様、どうぞよろしくお願いします」
「よろしくアシュリー。様は付けなくてもいいから」
「いえ、そんな。無理ですから」
「そうなの?」
絶対無理。今は伯爵家の
「そうです。それで本の方はデスピナさんに一巻をお貸ししますので、ガラテア様は第二部の始まる五巻で如何ですか? 中央と西部とで舞台がはっきり分かれてますし、冒頭にあらすじもありますから、お話が分からないことはないと思います」
「じゃあそれで。ありがとうアシュリー。今から読むのが楽しみ」
はわわっ、爽やかさと素直さが同居した素敵な笑顔です! 女子の制服を着ているのに、百合モノに出て来る男装の姫君もかくや! みたいな。
「いいえそんな。その、それで、お届けするのにお尋ねしますけど、お部屋番号は?」
「私の部屋は東北棟の三一〇号室」
「東北棟ならあたしと一緒だ。部屋番は一〇七号ね」
「私だけ西北棟……。とにかく式と交流会が終わったらお届けしますね。お二人とも感想を聞かせて貰えたら嬉しいです」
自分の趣味が話題になってついつい話し込んでいる内に、入学式は終わってしまいました。新入生総代はカーブラック家の男子でしたね。家柄なのか成績なのか、情報公開ないアカデミーではちょっとその辺がハッキリしません。
「それでは新入生の皆さん。この後は引き続きサロン交流会となります。今日急いで所属するサロンを決める必要はありませんが、サロン活動は成績評価に反映される重要なものです。各自慎重に検討して下さい」
大学長以下、各方面のご来賓の皆様が退場して行かれると、返す波に乗って全ての扉から上級生が雪崩れ込んで来ました。
「え、この騒ぎは何なの? これがサロン交流会?」
「うわ、一気に来た。交流って雰囲気じゃないのだけは確かね」
ガラテア様とデスピナさんの言う通りです。席の間を割ってどんどん流れ込んで来る上級生たち。つっけんどんに手渡されるのはサロンの説明を書いた用紙。
中には予め狙いを付けられていたのか、早速勧誘を受けている新入生もいます。あちらこちらで新入生の名前を呼ぶ声。合格発表をしないアカデミーで、一体どうやって個々人の名前を調べたんでしょう。
「あれ? 今……」
「どうかした? アシュリー」
「あ、いえ。今、ガラテア様の名前を呼んだ人がいたような気がして」
「私の名前を? 誰だろう? まだ知り合いはアシュリーとデスピナの二人だけなんだけど――」
でも確かに聞いたんです。確か後ろの方からで、男性の声でした。
「心当たりはないな。それよりも、これは一度出た方がいいかもしれない。このままだと身動き取れなくなりそう」
「ガラテアの言う通りね。さっき今日決める必要はないって言ってたし、用紙は貰うだけ貰って、寮室に戻ってからゆっくり検討した方がいいと思う」
そんなこんなで私たちは一旦、大講堂の西側にある魔法科棟前広場へ向かいました。でも出たら出たでどこもかしこも上級生だらけです。私たちはたちまち囲まれてしまって、ガラテア様とデスピナさんが庇ってくれてなければ、きっと私、押し潰さちゃってたと思います。
二人とも騎士らしくて素敵。なんて、勝手にお姫様にでもなった気分。うふふっ。
「あっ、おまえか」
「何だ、おまえか」
その時です。閉じられた輪の中に紛れていた新入生の男子。その人とガラテア様が突然の睨み合いを始めちゃいました。学年は襟と袖に刺繍されたラインの数で分かります。一本だから一年生。私はその男子が誰なのか直ぐに分かりました。彼はさっき新入生総代として挨拶していたカーブラック家の御曹司だったんです。
「君たち、是非我々のサロンに!」
「いいえ、私たちのサロンへいらっしゃって!」
包囲網から繰り出される矢継ぎ早の勧誘を歯牙にもかけず、双方睨み合ったまま一歩も動こうとしません。私は周りから揉みくちゃにされる中、デスピナさんに縋り付くのが精一杯でした。
それにしてもこの二人、何だかとってもバトルの予感です。
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