三章

第18話 入寮と再会

 夏の終わり。受験以来再び帝国大学寮アカデミーにやって来た。

 寮室の扉を開けると広々としたティールーム。正面奥に二つ並びの扉があって、手荷物はその先のリビングへ。

 リビングの奥は仕切りカーテン。それを端から端まで歩きながら引くと、現れたのは天蓋付きの豪奢なベッドが置かれたベッドルーム。三つある窓から薄曇りの陽射しが柔らかに射して、


「ここがこれから三年間過ごす部屋か――」


 四箇月半に亘った魔女の館での生活から、また新たなスタートだ。


「だぁーっもー! なんであたしがメイド服なんか着なきゃなんないのさー。スニーもなんか言ってやってよー」


 うん、チャロはいつも通り。人の感慨を蹴っ飛ばして早速文句を言い始めた。


「私は何を着たって似合うもの。たまにはこんな服もいいんじゃない?」

「いやいやいや! 全然似合ってないし。煙管キセルプカプカ吹かした侍女なんかいる訳ないだろー!」

「あ゛?」

「…………。何にも言ってないけどね?」


 チャロが弱すぎて思わず噴き出した。


「何笑ってんだよー! ガラテアがあたしとスニーを寮付きになんか選んだからだろー。このスースーするのの責任を取れー! あたしは生まれてこの方ずっとズボン派だったんだぞー?」

「それを言うなら私だって女子の制服でスースーしっ放しなんだから、そこはお互い様だよね?」


 慣れない女子の制服だけど一つ気に入っていることがあって、それがブレザーのフラワーホールに留めた襟章ピンバッジ。ステラが用意してくれたブランペインの家紋は剣と盾を掲げた白銀の騎士シルバーナイトだった。


「はいガラテア減点。今のは、お互い様でしょ、が正解。欲を言えば、お互い様ですわ、ね。ちゃんと女の子の言葉を使わないとダメよ」


 くっ、スニーは細かいな。

 衝撃の性別発覚から四箇月も経った今、一度は目覚めたはずの情緒もすっかりリバウンドしてしまって、生まれながらの感覚で生活していたりする。でもこれが私だから変わるのは難しい。ただし、例のアレはトラウマなので二度と見たくない。そこだけは頑なにリバウンドしなかった。

 ともあれこれから新生活が始まるんだから、色々と気持ちを切り替えて行こう。

 さて、改めて言うとここはアカデミーの一年生寮棟。前の三年生が卒寮して空になった建物だ。

 私たちは今いるこの部屋でこれから三年間を共に過ごす。建物は居ながらにして二年生寮、三年生寮と名前が変わって行くってこと。

 落第したらどうするのかって? そんな先のことは知らない。多分どうにかなるんでしょ……きっと。それこそ魔女の魔法でね。


「わーっ、何このベッドめちゃくちゃ弾むー!」

「だろー? あたしが一番弾むやつを選んだんだー。そこいらのより倍は弾むぞー」

「やめなさい二人とも! 下の階に響くでしょ。初日から寮を追い出されたいの?」

「はーい」

「ちぇーっ」


 ひと先ず本日只今に至るまでの流れをザッと説明しておこう。

 先ずは入学試験の行われた五月。

 魔女になるアクシデントで受験し損なったのが実践格闘の実技試験。それを個別に延期して貰ってた私は、月末に再びアカデミーを訪れて実践魔法教習一科と併せて試験を受けることになった。

 元々選択してなかった実践魔法教習一科を受験できたのは、アカデミーに客員講師として勤めている蛇紋石の魔女ラトルスネークシェイクメクセラが秘かに書類を書き換えてくれたから。

 魔女になったことでステラたちから短期集中教育を施された私だけど、さすがにアカデミーの始まる九月までに何もかも詰め込むには無理がある。以前は魔法に興味の欠片もなかったし、自分で言うのもなんだけど、私ってあんまり頭よくないから……。

 そこでステラは言った。


「だったらいっそアカデミーで魔法を勉強させればいいじゃない」


 結果メクセラが辻褄合わせの危険な橋を渡る羽目に。

 で、今ではこんな認識になってる。


 元から実践魔法教習一科を選択していた私は、アカデミー側の手違いで危うく実践格闘だけの延期措置になるところを、(書類を書き換えた)メクセラの(自作自演による)偶然かつ鋭い指摘によって免れた――。


 試験の結果? 無論上手く行った。

 実践格闘は徒手、短剣ダガー片手剣ショートソード、全てに於いて花丸だった。花丸過ぎて相手をしてくれた教官に全治二箇月の重症を負わせてしまったくらいだ。心からお悔やみを申し上げる。

 実践魔法の方も無事合格。こちらは用意された標的に魔法をかける方式だったので人的被害は出なかった。

 元々魔女と人間では扱う魔法の次元が違うことから、ステラの忠告に従って契約魔法の代わりに接触魔法を使用した。適性も闇魔法だけということにして、契約は闇巨霊ソーニアに頼んで下位精霊の闇精霊スラモルに偽装。ただ、物体標的をどうこうする魔法は当時崩壊コラプスしか使えなかったので、サラサラと崩壊して行く標的を見た教官が震えていたのは覚えてる。


「あー、腹へったー。なーなー、昼飯はー?」


 また始まった。確かにお腹は空いて来たけど。


「昼飯はって、二人が作ってくれるんじゃないの?」

「あっはははは、まっさかー」


 おい侍女。


「…………え? まさかだよな?」

「まさかな訳ないでしょ。寮の一角にある共用の厨房を借りて私と貴女で作るのよ。それが侍女のお、し、ご、と」


 本来なら侍女は侍女。料理人は料理人で別々に雇うのが普通らしいんだけど、それについて魔女の館で一悶着あった。ステラ曰く――。


「貴女たち今日まで散々ただ飯喰らいをやって来たんじゃないの。チャロもスニーもたまには外へ出て役に立って来なさい! 無駄な経費は一切出さないわよ? 何から何まで二人で分担! ああ、それと、貴女たちの部屋は他の子に貸すって決めたから、出戻って来ても無駄ですからね!」


 その剣幕と来たら私が口を挟む余地も無かった。チャロもスニーもよっぽど居付いてぐぅたら三昧だったみたい。好きに選んでいいって言うから二人を選んだけど、ここでもぐぅたら始められたらどうしよう?

 ともあれ話を戻して七月のこと。

 前三年生の卒寮に伴って、割り当てられた部屋へ荷物の運び込みが始まった。

 荷物の搬送には帝都からアカデミーまで延びている精霊列車エクスプレスを利用。私も乗ってみたかったんだけど、入寮式の日まではひたすらステラやパナイースと魔法のイロハを学んでいたので、寮室の準備は侍女に指名した二人に丸投げだった。


「今日初めて精霊列車エクスプレスに乗ったけど、凄かったね。あーんなに大きくて幾つも車両が繋がってる物を、いくら魔法の力だからってびっくりしちゃう」


 私が今日初体験した列車というものは、まるで動くホテルだった。入試の時も延期試験の時もステラの魔法で飛んで来たから、初めて乗ってみて本当に驚かされた。

 車内は手狭だけど整った個室には座席が変形する折り畳みのベッドや洗面台まであって、各車両に一つ、トイレやシャワールームまで完備されていた。高級レストランのような食堂車では紅茶とケーキを楽しんで、車窓からの眺めを見ていると、まるで自分が風になったような気すらした。


「そーだろーそーだろー。精霊鉄道はオーラニオソーマ魔法国の資本だけど、あたしら魔女との共同開発だからなー。なんたって車両のデザインは全部あたしがやったんだぞー」

「えー!? そうだったんだ。デザイン凄くかっこよかった」

「だろー? へっへー」


 精霊鉄道は今では西大陸まで路線が繋がっている世界で唯一の鉄道だ。アカデミーは幾つかある路線の終点にあって、帝都から四〇〇キロ近い距離を約五時間で移動できてしまう。

 今日は帝都発六時、アイガイオン着七時半の列車に三時間ほど揺られてアカデミーに到着。今は午後一時の入寮式を済ませて、そのまま寮室に入ったところだ。


「まー、動力に結構な量の精霊石を使うから本数は限られてるし、お蔭で路線拡大も当分は進まないだろーけどなー」

「そうなんだ。もっと色んな場所と行き来できれば楽しいのに」

「はい、また減点」

「ええー?」


 スニーがまた何か言い出した。面倒臭いなぁ。


「ガラテア、女の子はですます調を基本に丁寧な言葉を使うものよ。何度も言ってるでしょ。チャロのは悪いお手本だから聞き流すこと。せめて私ぐらいには喋れるようにしておかないと、恥をかくのはガラテア、貴女なのよ? そして貴女が恥をかけば――」

「もう分かったからスニー、少しくらいのんびりさせてよ。私たち今日着いたばっかりだよ?」

「ダーメ! だよ? の、だ、はいらないの。そして最後まで聞くのよ。貴女が恥をかけば、それは後見人である団長の恥にもなるの。そういうことをもっとよく弁えて、女性の言葉、所作をしっかりと身に付けて行かないとね」

「はぁーい。わ か り ま し た」


 チャロと違ってスニーは私を女の子にしようとし過ぎる。ついこの間まで男のつもりで育って来たのに、たった四箇月前に女だって自覚したからって、それでガラッと変われる訳がない。そんな中でちょっとでも変えて行こうとあれこれ頑張ってるのに、スニーは結果を急ぎ過ぎ。そもそもこれまで通り騎士を目指すんだから、言葉遣いなんか今まで通りでいいんじゃないの?

 よし、ここは一つ話題を変えよう。


「あ、そう言えばさっき入寮式で大浴場があるって言ってなかった? 今から三人で行ってみない?」

「お、いいねー。行こー行こー。さっぱりしてからご飯にしよー」

「ダメよ」

「何で!?」

「ちょっと、こいつさっきからダメ出しし過ぎだろー!? おいスニー! あたしの方がずっと先輩なんだぞー? 先輩ってのは後輩より偉いんだからな? そーゆーの学べ?」

「チャロは口を閉じてなさい」

「閉じるけど……、先輩だぞっ」


 その先輩がタジタジなんだからどうしようもない。最早ここはスニーの天下だ。今ので決定的にそうと決まった。

 スニーはエプロンのポケットから畳んだ紙を取り出した。


「これは入寮式で配られたものよ。これによると大浴場の利用には幾つか制限があるわ」


 ついさっき行われた入寮式は式とは名ばかりの事務的なものだった。入寮者が一堂に会した訳でもなく、四つある各棟ごとに集まって寮監から規則等の説明を受けただけ。例えば――。


 アカデミーの敷地外に出る場合の許可と門限。

 寮の門限と就寝時間。

 大図書館、大浴場、各売店の利用時間。

 寮内共有スペースの利用に関する説明。

 利用に申請を必要とする学内設備の説明。

 外泊、施設泊、他寮泊、寮内別室泊に関する申請。


 などなど。特に時間に細かいんだなと感じさせるものが多かった。


「大浴場で使用人が入浴できる時間は、午前中の授業が行われている最中と学生の就寝後だけなのよ。授業のない日は午前中の利用もなし。今日は交感の日でサロン活動だけだから、授業のある日としては扱われないわ。それにもう正午を回っているしね」

「それだと一緒の時間には行けないってこと?」

「行けるわよ? 貴女の入浴をお世話する随員としてならね。向こうで用意されてる麻のミニローブを着て、貴女の体を磨き上げるお仕事。入浴は別々」


 二人にお世話させて私一人が入浴? それじゃあ一緒に行く意味がない。そんななら部屋にあるバスルームで十分だ。結局この三年間、三人で大浴場に浸かる機会はないってことじゃないか。

 そう聞くとちょっと寂しい気がして来た。そして吠えるチャロ。


「こまけー! 囚人になった気分だよなー。あたしらの部屋だってメチャ狭いしさー。ぶっちゃけ二段ベットで半分以上埋まってるもんな! 誰だよ設計したヤツ、顔に落書きしてやる! いっそメイド服じゃなくて囚人服を寄越せってんだよー!」

「ふふっ」

「は? 何笑ってんだガラテア。笑う要素なんて一個もなかっただろー!」

「ごめん。囚人服、似合いそうだなと思って……」

「何だとーー!!」

「さっきから煩いわね!」


 ズッパーン――!


 どっから出したのかハリセンなる魔女の小道具? でスニーがチャロをひっぱたいた。ほんとスニーはチャロに容赦がない。

 割り当ての部屋には使用人の小部屋がちゃんとある。あるんだけどチャロの言った通り猫の額のスペース。広々とした部屋に一人だけ天蓋付きのキングサイズベッドで眠るのは相当気が引ける。

 私なんか贅沢を知らずに育って来たから、三人で一緒に寝たっていいくらいなんだけど、それを口にしたらまたスニーがうるさそうだし……。

 スニーはどうゆう訳か私を貴族の御令嬢にでも仕立てようって気みたい。どうしてそんな使命に燃えてしまったんだ。普通の世話焼きだったスニーに戻ってよ。


「あたし三年も持たないかも……」


 チャロが隣に来てしょぼんと呟いた。可愛そうに。後輩にひっぱたかれたのが相当ショックだったみたい。


「私も耐えるから、チャロも頑張って一緒に耐えよ?」


 今はこんな慰めで精一杯。


「あ、そだ。これ渡しとくー」

「何これ? あっ、完成したんだ。ありがとうチャロ!」


 それは手の平に収まる剣の形をしたペンダントトップ。

 そうそう。その話をするのを忘れてた。

 私の魔女名は騎士剣の魔女エースオブスペードに決まって、魔法のワンドはスペード、即ち剣になった。

 以前パナイースが説明してくれた通り、剣であれば何でもワンドとして扱えるんだけど、アカデミーでは日常、生徒が武器を携帯することは禁じられている。なのでチャロが代替品を用意してくれる手筈になっていた。


「本物の剣を小さくしたみたい。チャロは絵描きだから手先が器用なんだね」


 楊枝サイズのミニチュアは突剣レイピアのデザイン。刃元リカッソ柄頭ポメルを繋ぐナックルガードなんか目をみはる仕上がりだ。


「へへ、まーねー。先に絵を描いてから、それ見て作ったんだー。鎖もあるから今付けてやろーか?」

「うん、お願い」


 後ろを向いて背の低いチャロの為に屈むと、細い金の鎖に剣を通して手際よく留めてくれた。


「見てスニー。似合ってる?」

「ええ、とってもお洒落だわ」

「だって。チャロありがとう」

「それはもう聞いたよー」


 抱きしめると照れ臭そうにして。さっきまでしょぼくれてたチャロが笑顔になった。


「……おいガラテア、痛い痛い! 筋肉締めすぎだってー!」

「ごめん、調子に乗った」

「おう、ほどほどになー」


 真顔になった。

 そこへ窓から陽が射して、見ると今朝からの薄曇りがすっかり晴れ渡っていた。


「見て、この部屋は前庭の真西にあるから、ほら、正門前の花時計がよく見える」


 窓を開けると夏の終わりの風が部屋に舞い込んで、次に来る秋の気配をほんの少しだけ匂わせた。


「聞いた話だと最上階の東に面した角部屋が一番人気みたいよ」

「ならこの部屋がそうだ」


 アカデミーの寮棟は全学年同じ様式の建造物になっている。各人の部屋については家具から壁紙に至るまで自由に変えられるので様々だ。

 寮棟の全体像は外から見ると大きな三階建ての建物。東西南北から中に延びて行くのは小型馬車が通れる幅の石畳。入って行くと外からは一つに見えた寮棟が、実際には四つの寮舎を寄せて屋根を被せたものだと分かる。

 石畳の上はガラス張りの天蓋。各建物は渡り廊下で繋がっていて、その都度一階に下りなくても各フロアから自由に移動が可能だ。

 寮の二、三階は貴族用に広々と造られた部屋が各二十室。一階フロアには平民用の部屋十六室があって、それが四棟分だから、生徒の部屋数は貴族用が百六十室、平民用が六十四室、計二百二十四室になる計算だった。


「ラッキーだなー。人気の角部屋は東北棟と東南棟に二つずつで四部屋しかないんだ。まぁそうは言ってもあたしの部屋は狭いんだけどな……」


 チャロの愚痴が止まらない。何か喜んで貰えそうなことはないかな? やっぱり食事かな? 列車ではティーブレイクだけだったし、着いてから入寮式の間にお店を探せるほど、私たちの誰もまだこの辺りに明るくなかったから。


「話し込んじゃったけど、さすがにお腹が減って来ない?」

「あらやだ、うっかりしてたわ」

「あたしもうお腹と背中がくっつきそー」

「今から料理したんじゃ大変でしょ? 今日は一階のレストランで食事にしよ」


 寮棟の一階には寮室や共用厨房、談話室の他に四つの棟に分かれてレストラン、遊戯室、美容室、文房具店が入っている。私の部屋がある東北棟にはレストランがあった。


「いやっほぅ! 大賛成ー! ガラテア、おまえベストな選択をしたなー。おいスニー、加点しろ加点! 減点ばっかしてないでこーゆーとこで加点するんだぞ!」


 跳び上がって大喜びしてる。チャロって本当に可愛いな。何だか妹ができたみたい。いや、雰囲気的には弟かな?


「でもそうなると経費が……」

「あーっ……」

「大丈夫! 大叔父様の残してくれたお金、ほとんど手を付けてないから今日は私が払う」

「いいのかしら?」

「いーのいーの!」

「決まった! もう決まり! 変更なしな? あたしもう先にレストラン行ってるからーっ」


 脱兎の如く走り去って行った。早過ぎて部屋の中に風が舞ってる。埃もね。

 あとは苦笑いのスニーがエプロンを外すのを待って、一緒にチャロの待つレストランへ。




 ***




「ごきげんよう」


 部屋を出て直ぐ、別の部屋の子と擦れ違った。後ろの侍女もペコリと会釈して去って行く。


「? あ、どうも――」


 ややあってパタンと扉の閉じる音がした直後、予期せぬ痛みが二の腕を襲った。


「いたたっ、何でつねるのスニー!?」

「挨拶されて、あ、どうも、はないでしょ? 今度やったら足払いするわよ?」

「えええ……」


 背の高いスニーの顔を上目遣いに探ると、冗談の気配が微塵もない。


「え、ごきげんよう? は、挨拶だった?」

「ガラテア。貴女ほんと私の話を右から左なのね。もう何度も教えたでしょ」

「……そう……ですか」


 記憶にない――。

 だって無理だよー。

 魔女の館では毎朝起きたらステラたちと魔法のことを色々やって、ぐったりして戻ったら今度は言葉遣いのお勉強。それだけじゃない。女物の服の着方脱ぎ方とか、着せて貰い方脱がせて貰い方とか。あと仕草。歩き方、笑い方、お辞儀の仕方、エトセトラエトセトラ!

 それをこれと決まった誰かが教えてくれるんならまだしも、みんなが寄って集って好き好きに教えて行くでしょ。全員教え方が違うし、求められる水準だってバラバラ。

 私はよく耐えた方だと思うんだけど……。


「が、がんばるから……。足払いはやめて?」

「それはこれからの心がけ次第ね」


 軽くお通夜な気分でレストランに入ると、奥の席に陣取ったチャロが諸手を上げてブンブン振って来た。

 ああ、凄く癒される。

 チャロが私のオアシスになった瞬間だった。 


「うめー、これドチャクソうまくねー? 何の肉だろーなー?」

「子羊じゃないかしら?」

「へーっ、こしつじ!」


 執事を食べるな。

 チャロが勝手に頼んだメニューに次々手を付けながら、他愛もないおしゃべりを楽しむ。ほら、何だか私だって女の子っぽくなってない?


「確かに美味しいけど、パナイースの料理もここに負けないくらい美味しくなかった?」

「あー、うん。そーなんだけどさー。パねぇはレパートリー少ないってのとも違うけど、一週間くらいおんなじメニューで来るからね? で、また次の週になってずっとおんなじー」

「分かる。私もそれは思った。でも美味しいから何も言わなかったけど。それに言ったらほら……」


 スニーが察して笑った。だって、ほら、ねぇ?


「ふふ、殴り飛ばされる?」

「それ。ステラに散々脅かされたからちょっと怖くて。本当に殴るの? あんなに優しそうな人が」

「文句言ったくらいじゃ殴ったりしないわ。ただし、下手に褒めると本当に殴り飛ばされるから要注意よ」

「褒めると? なんで?」

「パ姉は照れ屋だから、照れ隠しで殴って来るよー。風破跳躍ワールウィンドのパンチだから部屋まで飛ばされてベッドに落ちるだけだけどねー」

「そうなんだ。照れ隠しで……」


 世の中には色んな魔女がいるもんだ。

 ふと他にお客さんはいないのかなと周りを見回してみると、疎らな中にも何人かテーブルに着いて遅めのランチを取っていた。


「ん……? あの黒髪は…………あっ」

「どうしたの? 誰か知り合いでもいた?」

「や、違うみたい。なんでもない」

「いーから食えよー。この貝の蒸したヤツも絶品だぞー」


 まずい。あの時の男子だ! あの黒髪は絶対そう。何で覚えてるかって言うと、髪の色が私を魅了したダンスパートナーと同じだから。

 最悪だ。素敵な想い出と底辺の記憶が一つの色で結ばれてるなんて。それに見つかったらどうしよう? あの男子だけは至近距離でやり取りしたから、顔を見られたら絶対に気付かれる!


「どうしたのよ急に顔を伏せちゃって? お腹でも痛いの?」

「いや、ちょっと」


 ガタッ――。


 例の男子が席を立った。テーブルの位置からして、出口に向かうまでにこっちの近くを通る……。

 気付かないで! 気付かなくていいから! そのまま出てって!


「あっ! おまえ、その髪……」


 何で気付いたんだこのトンチキ!

 てゆーか向こうもこっちの髪色をしっかり覚えてた。確かに私の髪はちょっと他では見ない色。

 どうする? 座ってる今の状態から逃げ出す訳にも行かない。

 何か打つ手はない? てゆーかなんで立ち止ったままなの? 早く行けばいいのに。それとも例の件で何か言ってくる気?

 はっ! 待って。この場合どうすればいいのかはスニーが教えてくれた。先制パンチだ! 行ける! ここで一発ビシッとこっちの優位を分からせてやろう。


「え、ちょっとどうしたの?」

「ガラテアー?」


 突然立ち上がって男子と対峙。すると当然ながら二人は不思議そうに見上げて来た。

 大丈夫。直ぐに済むから待ってて。


「やっぱりおまえだよな。今日はちゃんと女子の制服なんだな。髪も縛ってねーし。まぁなんだ。とりあえずは合格おめでとうか?」


 間に合わせのような台詞を聞き流して私は言った。


「うるさい。黙れ」


 すると男子。


「何だよ。あの時のこと怒ってんのか? 確かにあれはちょっと言い過ぎたかもしれねーけど。お互いもう忘れようぜ。こっちだって相応の代償を払わされたんだからな」


 聞く耳持たん。口を閉じてろ。


「おまえ、それ以上何か言ったら小さかったって言いふらすぞ――」


 言ってやったぞ。

 言ってやった!

 スニーの言葉通りなら、これでこの男子はもう何一つ言い返すことができない――はずだけど。


「なっ!? てめぇ! 俺のはデカかっただろっ! 大体それを言ったらおまえだって筋肉ばっかでお情け程度の胸――」


 ガッ――。


 気がついたら殴ってた。

 どうして殴ったかは自分でもよく分からない。

 ただ何か、この男の吐く台詞を最後までは聞きたくなかった。


「てんめぇ……、覚えてろよ。確かガラテア・ブランペインとか言ったよな? 俺はフレディ・カーブラック。この借りはいつか必ず返す。忘れんな。俺は男も女も差別はしねーからな」


 赤くなった頬を拳で拭うようにして、フレディ・カーブラックはオリエンタルブルーの瞳を燃やした。

 でもそれが何だ。スニーがグイグイ袖を引っ張ってるけど知るもんか。


「望むところだ。私は逃げも隠れもしない。いつだって受けて立ってやる」


 自分でも制御不能な感情に巻かれて、殴った先のことはフレディが去ってからも、何故そうなってしまったのか要領を得なかった。

 ただ、スニーもチャロも真顔になって、口々にこう言った。


「ちょっと何で殴ったりしたの!? さっき何だか私が教えたセリフを言ってたみたいだけど、貴女、カーブラックと揉めてたの?」

「バカだなー。よりによってカーブラックと揉めんなよー。魔女大公領はカーブラックの治めるアイガイオン州にあるんだぞー?」


 え、そうなの?


「あそこは昔から魔女とは昵懇な家柄で、今だって御隠居と団長はチェス仲間なのよ? その上、帝国貴族最高位の公爵家で、帝国御三家とまで言われてる名家なんだから」

「んもー、のっけからケチがついちゃったじゃんかよー。こんのバカラテア!」


 ええーっ、そーなのー!?

 でももう殴っちゃったし、啖呵も切っちゃったけど……。

 まずかった? どうしよう?

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