第15話 魔女になったガラテア 1

 狭い階段を登り切ると、暗がりの中で何かを操作する音。それから頭上に裂け目ができて、ドーム状の天蓋が二つに割れ広がって行った。


「何この大きな……装置?」


 ドームの真ん中には所狭しと大きな台座があって、その上に小さな椅子。椅子の前には直径五メートルを超す筒状の物が斜め上を向いて乗っかっていた。


「オーラニア天体望遠鏡よ。旧式の物だから大きいけれどまだまだ現役で使えるわ。これは私と、オーラニア山に集った天文学者たちとで開発した、星を見る為の魔法の装置。貴女なんて私たちが暮らすこの星の名前すら知らないでしょう?」


 確かに知らない。ただ大地とか、大陸とか、あとはその場所その場所の土地の名前で呼ぶくらい。


「この星にも名前があるの?」

「ええ勿論。昔、今は神霊なんて呼ばれてありがたがられている精霊の王たちから教えて貰ったわ」

「何て名前?」

「惑星ソーマ。それが私たちの生きる世界よ」


 惑星ソーマ。不思議な響き。人の名前でも、土地の名前でも、鳥や獣の名前でもない。毎日当たり前に踏みしめて来たこの星の名前。


「パニィ、準備をお願いできる? 私は今からこの子に軽く説明をするから」

「はい、お母様。お任せ下さい」


 パナイースは台座にかかる階段を上って、椅子に座るなり何かを始めたみたいだった。

 ステラは銀のポイを振って、すると両手に抱えるほどのシャボン玉が二つ。その片方にポスンと腰を下ろした。


「貴女も座りなさいな」


 魔法のシャボン玉の頑丈さを確かめて乗っかると、ポヨヨンとした弾力に包まれて、何だか不思議な座り心地。


「ガラテアって魔法のことはどれくらい知ってる?」

「ほとんど知らない。物語の中では魔法使いが精霊と契約したりしてたけど」


 精霊が不思議な力を持ってることは知ってる。悪霊憑きと戦ったこともある。でも魔法のことはステラたちと出会うまで本当に物語の中の出来事くらいにしか思ってなかった。


「なるほど。でもあれね。精霊のことは受験勉強で精霊学を学んだことだし、基礎の知識はあるとしましょう。今日は今から天文と精霊、それから魔法の関連について説明して行くわよ」

「それは、私が魔女になったから必要な知識ってこと?」

「勿論そうよ」


 何だか難しい話になりそうな気配。ただ、その前に私には一言言っておくべきことがある。


「でもステラ。私は魔女どうこうの前に騎士になりたいんだけど?」


 私の目標はいつだってブレない。騎士になる。後にも先にもそれだけだ。事故に遭って魔女になった今でも、脇目を振るつもりは毛頭ない。でもステラはそんな私の考えを一蹴した。


「あのね。貴女のそれは一途と言えば聞こえはいいし、頑固さも時には役に立つことでしょう。でも貴女の場合は騎士と筋肉、それ以外のことを何も知らないってだけでしょ?」


 うっ……。


「そろそろその狭隘な考えを正しなさい。貴女はもう広い世界に出たのよ? それは貴女の大叔父ダグラス・ブランペインが、貴女に見せたいと願った世界のはず。何か間違ったことを言っているかしら?」


 ステラは正しい。

 森を出て目にした世界は本当に広かった。なのに私は大叔父と二人きりだった頃の気持ちのまま騎士になることを目指している。

 でも、それは違うんだな――。

 背中を押されて漕ぎ出したこの広い世界。それをよく知ること。大叔父が私を待ってると言った世界で騎士になる為には、それは必要なことなんだ。


「ごめん、ステラ。私の考えが間違ってた。改めて魔女に必要な知識を教えて下さい」

「いいのよ。その素直さを大切にね。さて、そうしたら先ずはそうね――」


 カラッとした態度のステラは少し考えてから、手にしたままのポイを指示棒のように振って話し始めた。


「この世で魔法を使う者と言ったら感情豊かで知的な生き物たち。代表は人間ね。それから当然、私たち魔女。あとは精霊や、よからぬ精霊の影響を受けた悪霊憑きも時には魔法を使うことがあるけれど、あれは使うと言うより備わると言った方が適当かしら――。さて、では何故彼らは魔法を使えるのか。その答えは単純にして明快。魔力があるからよ。じゃあ魔力って一体何だと思う?」


 うわ、講義が始まっちゃった。苦手だ。質問の意味もよく分からない。


「えっと……。うーん、魔力なんだから魔法の……種みたいなもの?」

「おバカ。そんなことは分かり切ってるわよ。私たちが言う魔力ってのはね、正確に言えば波動のことなの」

「覇道?」


 ワクワクくする言葉が飛び出して来た。


「多分字が違ってるわよ、それ」


 ステラはなんでもお見通し。でも、じゃあ波動って何だろう?


「波動は空から降って来る。無数に輝く星から送られて来るのよ。洒落た言い方をすれば星たちの鼓動……かしらね」

「星たちの鼓動?」


 やっぱりよく分かんない。


「私たちの脳には波動受容体というものがあって、誰でも生まれながらに一つの星の波動を受け止めているの」

「一つの星? ああ、それがさっき言ってた守護星ってこと?」

「そう。ちゃんと覚えてて偉いわ。人は守護星からの波動を無意識に受け取っていて、普段は体の中にその波動を溜め込んでいる。溜め込める量には個人差があって、許容量を超えた分は自然と外に流れ出して行くわ。要するに、波動をたっぷり溜め込める体質なら魔力が多いと言えるってことね」


 ふむ。信じる信じないは別として、説明自体は明確だ。

 星は波動を発していて、人の脳にはそれを受け取る器官がある。受け取った波動は一定量が体内に蓄積されて、それが魔法を使う種、即ち魔力になる。


「でもどうして星が波動を出してるなんて分かったの? 空高く手の届かない場所にあるのに」


 これはもう私には全く想像のつかない話だ。大きく見える太陽や月ですら人の手は決して届くことがない。


「ズバリ言ってしまえば本能よ。人間は原始の時代から夜空の星を見上げて来たわ。原始の時代よ? 原始人がウホウホ言ってた頃から人は星の輝きに囚われて来たの。最初に魔法の真似事を始めたのは呪術師シャーマンと呼ばれる者たちだわ。彼らは動物の骨や植物の種子、それから星を見て占いをした――。おかしいわよね? そんな大昔なら人も獣に近くって、生き抜く為には地上をこそ見ていなければならなかったはずなのに、それでも彼らは星空を見上げていたのよ。その訳は? 手の届かない高みへの憧れ? 美しい宝石のように輝いているから? でもそんなもの、お腹の足しにはならないわ」


 そう言われると何となく話の流れから想像できて来る。


「つまり、人間は昔から、星からの波動を本能で感じていた。そういうこと?」


 ステラは指を弾いて頷いた。


「そう。それが答えよ。そうして星を眺め続けた人類は天文学を発展させて行ったの。するとどう? 平らだったと思ってた世界が実はまん丸で、夜空に浮かぶ星と同じ、広い宇宙に浮かぶ星なんだってことも分かって来た。でもまだ知りたい。もっと知りたい。天体を観測する為の様々な数式や器具が生み出されて、ついに発明されたのがこのオーラニア天体望遠鏡なのよ」


 巨大な影を落とす望遠鏡を見上げると、椅子に座って作業していたパナイースが手を振った。


「準備ができたみたいね。何はともあれ、今から貴女の守護星を見てみましょう」

「私の守護星? それをこの望遠鏡で見ることができるの?」

「そうよガラテア。無限の星空に輝く自分だけの一番星。オーラニア天体望遠鏡はそれを見つける為の装置なのよ」


 半信半疑のまま付いて行くとパナイースに席を譲られて、目の前にある二つ並びの筒に両目を押し当てるよう促された。どうにも奇妙で気が進まない。そんな私を余所に両隣の二人はそれぞれの前にある片覗きの筒に目を当てた。

 こうなったら仕方ない。私も続こう。


「ステラ、これを覗いて、その後はどうすればいい?」

「覗くだけでいいのよ。貴女が今も受け止めている波動に合わせて、望遠鏡の方が動いてくれるわ」


 よく分からないけど凄い仕組みだ。でも、今はまだお昼を過ぎたばかりなのに、星なんて見える訳が――。


「えっ!? 昼間なのに星空が見える!」


 驚いて目を離したらドームの向こうは元の青空。ステラはニヤリ、パナイースもクスクスと笑いを隠さなかった。二人とも私の反応を見越してたんだ。

 気を取り直して再び覗き込む。すると青い空を突き抜けて、夜とも違った深い暗黒――奥行きのある星たちの世界が広がって行った。


「星がどれもみんな大きい! それに、え? 星が……これ、動いてるの?」

「当然よ。天文の試験で……。ああ、貴女は何もしてなかったわよね」


 はい。主要四科の内、三科目の筆記試験は丸投げさせて頂きました。自力でこなしたのは残る音楽のダンス実技だけ。その節は本当に本当にありがとうございました。

 ちょっと人には言えない不正行為カンニングの記憶を仕舞い込んでいると、今度はゴゴゴ――と音を立てて台座が回り始めた。慌てて立とうとしたら二人に肩を押さえられて、もう一度暗い星の海に集中する。

 色とりどりに輝く銀河の星たち。まるで暗闇の中で蓋を開けた宝石箱みたいだ。私はふと、姫君の髪に見た幻の銀河を思い出した。

 煌びやかな星たちを順々に追って行くと、やがて目に留まったのは他よりも活発に動いている二つの星。


「あれ……? 何だろう? 二つの星が対になってクルクル回ってるけど」

「えっ」

「えっ」


 今度は二人が驚いた。揃って前のめりの姿勢で筒を覗き込んで、


「あらやだ! 本当だわ。貴女とんでもないわね」

「え、何が?」

「騎士の才能がある上に、守護星まで格別と言うことです」

「格別?」


 その言葉の響きは好きだ。クルクル回る二つの星。互いの陰に入って見えなくなったりまた出て来たり。


「これが私の守護星? でも守護星って一人につき一つって言わなかった?」

「貴女の守護星は連星。いわゆる双子星よ。ひと口に星と言っても色々あって、どの星が守護星となるかで受け取る波動は変わるし、それによって契約できる精霊や使える魔法も違って来るの」


 ステラによれば天文学では星を幾つかに分類してあって、それぞれに波動の系統が異なると言う。更には波動受容体の容量を超えて外に流れ出した波動は、その波動の系統に応じて特定の精霊を引き寄せるんだとか。

 そしてこうも言った。魔法使いや魔女たちは自分の波動と相性のいい精霊の力を借りることで、初めて魔法を使うことができるんだと――。

 惑星の分類と波動に引き寄せられる精霊は次の通り。


 岩石質惑星は土精霊ピグミー木精霊ドライアド鉱石霊オーレのどれか。

 ガス惑星なら風精霊シルフィード雷精霊エクレール

 氷惑星は水精霊ウンディーネ氷雪霊ニックス

 恒星の場合は火精霊サラマンダー光精霊ランターン

 原始星は土精霊ピグミー水精霊ウンディーネ木精霊ドライアドのどれか。

 中性子星の場合は土精霊ピグミー生命霊クレアトラ

 彗星は火精霊サラマンダー光精霊ランターン風精霊シルフィード鉱石霊オーレのどれか。

 衛星は色々あり過ぎて絞り込めないみたい。

 白色矮星は光精霊ランターン雷精霊エクレール

 黒色矮星は闇精霊スラモル氷雪霊ニックス

 褐色矮星は闇精霊スラモル風精霊シルフィード


 次からは少し特殊で、二系統の波動を同時に発する希少な星たち。


 激変星は光精霊ランターン闇精霊スラモル

 脈動変光星は火精霊サラマンダー水精霊ウンディーネ

 爆発型変光星は火精霊サラマンダー雷精霊エクレール

 食変光星は木精霊ドライアド生命霊クレアトラ

 そして連星は衛星と同じ。どれかに絞ることはできないけれど、その波動は必ず二つの精霊を引き寄せる。


「つまり、私は二つの精霊を引き寄せる波動を守護星から貰っていて、どっちの精霊の魔法も使えるってこと?」

「そうなるわね。それってとんでもなく珍しいことよ」

「ふふっ、格別だからね」


 少し得意になって言ってやった。


「調子に乗らないの。騎士と筋肉しか知らない貴女は魔法の使い方を覚えられずに半端な魔女になるかもしれないわよ? そうなったら長い一生、ずっと笑い者なんですからね」

「そんなこと言われても……」

「貴族や資産家の子供たちは幼い頃に守護星の判定をするわ。波動に合った魔法を身に付ける為には専門の家庭教師を雇って子供の内から努力するのよ。魔女が生んだ子なら魔女が教えに行くけれど」

「それは母親が教えれば……。あ、親子で波動が違うから?」

「そう。同じ波動なら親子鷹だけど、違ったら基礎くらいしか教えてあげられないもの。私も過去に何人か教えたわ。魔女の子はみんな素地がいいから、呑み込みが早くて楽しいの。果たして貴女はどうかしら?」


 昔を懐かしむ顔をして、ステラは階段を下りて行った。私たちはそのまま天文台を離れて、次はステラの仕事部屋へ。

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