第9話 パートナー

 四限目の授業が終わりました。今日は秋からの入学を目指す受験生の皆様が、その資格を問われる入学試験の日。普段なら昼食を済ませて午後からはサロンを開くのですけれど、今日に限っては別の用事があるのですわ。

 私たち現一年生は午後から舞踏館で行われるダンスの試験に、受験生のパートナー役として参加します。合否を左右する問題ですから、万が一にも足を引っ張ることのないよう努めなくてはなりません。


「あら、ナディーン様。ごきげんよう」

「これはダルシー様。今日もお健やかなご様子ですわね」


 取り巻きを連れて現れたのは深々と宿縁のあるダルシー・ハイペリオン嬢。

 スノウホワイトの流れる髪に髪留め一つ。サルビアブルーの瞳にはいつもながらの挑戦的な輝きを秘めています。

 そこへ、私の方に向かって歩いていたビアンカとリンジーが、はしたなくならない程度の小走りで駆け付けてくれました。

 二人とも私の社交デビューが彼女によってきずを付けられた現場に居合わせたものですから、このような構図になるとオーラが違いますわ。


「ところで今日は残念なことでしたわね」

「残念? それは何を指して仰いますの?」

「だって、受験生相手のダンスは学校側が用意したお仕着せの衣装でしますでしょ? ナディーン様の素敵なドレス姿が見られないなんて本当に残念ですわぁ。赤か黒かは存じ上げませんけれど。ふふっ」


 ぐっぎぎ……、この性悪女狐。小気味のいい節回しで小癪なフレーズを……。背後のオーディエンスから漏れる忍び笑いと相まって、みるみる怒りゲージが溜まって行きますわぁ。

 ですけど私、テレスとの約束を忘れたりはしませんの。秋から本学にお通いになられるコーティリア様の手前、派閥争いと見られる行為は控えなくてはなりませんわ。


「その点は致し方のないことですわ。受験生の手本ともなることを考慮しましたなら、私たち在校生は如何なるドレスも着こなして、如何なるシューズも履きこなさなくてはなりません。自分用に誂えたドレスやシューズでなくとも、余裕を以ってそれができるという姿を見せられてこそ――。皆様だってそう思われますでしょう?」


 普段ならもっと挑発的な言い回しを選ぶのですけど、差し当たってはこの辺りですわね。ビアンカとリンジーからは意外そうな吐息。そしてオーディエンスに伝播する同意の空気。如何かしら?


「確かにナディーン様の仰る通りかもしれませんわね。ですけど、そうまで仰って転倒したのでは格好が付かないというもの。老婆心とは思いますけど、どうぞお気を付けになって」

「御親切にどうも。きちんと心がけますわ」


 大きなお世話ですわよ。まるで私のダンスが劣っているかのような口振り。試験では複数のペアが一度に踊りますから、もし同じグループになったら足でも引っかけて……。いえ、それはいけませんわね。テレスとの約束に反してしまいます。

 ともあれダルシー嬢は対決を切り上げて、取り巻きとの昼餐に向かったようでした。ふぅ――。


「もっとガツンと言ってしまってもよかったのでは?」

「ビアンカの言う通りですわ。いつものナディーン様でしたら――」

「二人ともそこまで。直ぐに駆け付けてくれたことには感謝しますわ。ありがとう。けれど今日は大切なお役目があるんですもの。彼女のお相手までしてはいられなくってよ。お昼は軽めにして、早目に舞踏館へ移動しましょう」


 何でもない風に告げると、二人とも顔を見合わせて、軽く小首を傾げてから納得の表情になりました。

 サロンで交流のある二年生からの情報によれば、ダンス審査は何も受験生に限ったことではなくて、私たち一年生もしっかり採点されるとのこと。秋には後輩となるかもしれない受験生の方々に、先輩の威厳といったものをたっぷりお見せしなくてはなりませんわ。




 ***




 午前中の筆記試験はチャロの手助けでどうにか乗り切ることができた。案の定、主要四科の三科目は実力で解ける問題がほとんどなくて、最初から最後まで騎士人形が一人でペン捌きを披露していた。

 私は一体何をしにここへ来たんだろう?

 いや、反省は後回しだ。今日の試験はまだ一つ残ってる。主要四科の最後の一つ、音楽。試験内容はダンスの技能を審査するというもの。

 私たち受験生は舞踏館に用意された立食形式の昼食を終え、用意された衣装に着替えた。女子は更衣室に入って行ったけど、元々受験には正装で来ているから、男子は上着の交換とシューズの履き替えだけ。今は壁際に立って在校生たちが試験会場を整える様子を眺めていた。


「では、準備が整うまでの間に実技試験の流れを説明をします」


 受験生が待機する一角に試験官が来て詳しい説明が始まった。


「先ず、会場を五つのプールに分けて各プール十二組、計六十組が一度に踊ることになります。順番は受験番号ではなく、衣装に付けられたゼッケンに従って下さい。時間になりましたら、先ず一から十二番までが第一プールへ。以降、十二名単位で六十番までが各プールに入ります」


 そうすると私のゼッケンは三六九番だから、ええと、六十で割ると六と余りで……七組目だ。で余った数を十二で割ればいいんだから…………ん? 割れないな。ああ、割れないってことは第一プールでいいのか。


「曲目は四曲。グループごとに曲を変えての演奏になります。第一グループは少歩舞曲メヌエット。以下、グループが入れ替わる毎に円舞曲ワルツ輪舞曲ロンド嬉遊曲ディヴェルティメント変奏曲ヴァリエーション。第五グループからはまた少歩舞曲メヌエットに戻って今言った通りの順番です」


 第五グループで少歩舞曲に戻るってことは、第七グループの曲目は三曲目の輪舞曲で確定だ。でも正直なところ楽曲のことはよく分からない。大叔父と練習したダンスはリズムとテンポだけだった。大叔父が口で「タンタンタン」とか「タンタタン」って取る拍子に合わせて踊るだけの音楽のないダンス。

 大叔父によれば少歩舞曲は四分の三拍子で小さいステップを用いた踊り。

 円舞曲は三拍子で円を描いて回る動き。

 輪舞曲はなんだろう? ペアを組むなら大勢で輪になる輪舞を踊る訳はない。輪舞の曲でペアタンス踊ればいいのかな?

 四曲目はもっと分からない。ディヴィ? ディベ? 舌を噛みそうだ。

 でも第七グループなら全部の曲を聴いてから踊れる分有利だし、心配することはないのかな。

 大叔父とは体格差があったから、実際には女性パートばかりを踊っていたけど、男性パートは目で見て全て覚えてる。リズムに乗ってテンポさえ掴めば、どの筋肉をどのタイミングでどう動かすかは完璧にインプット済みだ。


「プールの広さは限られていますから、他のペアとぶつかることも念頭に置いて踊りましょう。余程のことがない限り、転倒などのアクシデントが起きてもやり直しは利きません。直ぐに立ち上がって踊り続けて下さい。再審査の指示を受けた場合のみ、最後のグループに加わることになります」


 会場の整備が終わった。昼食のテーブルがどかされた場所は第一プールになって、中央第三プールの正面にある舞台を見れば楽団が待機済み。審査員席は長方形のプールの長辺両側に配されている。


「では最後に、本日の試験では本校の二年生が楽曲の演奏を担当します。ダンスパートナーは一年生。開始前、終了後、パートナーに対する敬意をきちんと払いましょう。プール内での会話は控えるように。心で通じ合うのがダンスです――。一つアドバイスしておきますが、技巧だけでなくパートナーへの配慮も重要な審査ポイントになります。呼吸を合わせること。最後まで気遣いを忘れないこと。この二つを特に心がけましょう。それでは第一グループ、ゼッケン一番から六十番までの受験者は各プールへ移動して下さい。始まりの合図があるまで、同じゼッケンのパートナーと向かい合って待機です」




 ***




 それにしてもお仕着せの衣装には愛想というものがありませんわ。デザインはパッとしないどころか大人し過ぎて、これではせっかくの気分が盛り上がりません。色も地味なピンクアーモンドですし、幾ら脇役でも受験生が着るロータスピンクの方がマシですわ。そもそも女性イコール、ピンクという謎の迷信。私のような暗色系の髪にピンクは似合いませんのに。


「あら、ナディーン様。その色もお似合いですわね」


 げっ、ですわ。


「あら、ダルシー様。それなり、と言うものですわ。選べないのですから文句を言っても始まりませんもの」


 貴女もお似合いですわね、とは言えないのですわ。地味なピンクとはいえ、スノーホワイトの髪とは相性がよくって、悔しいことに本当に似合っているんですもの。くぅぅ!


「気になるなら黒い羽根飾りでもお付けになったら如何? そのくらいは審査員の先生方もお許しになって下さるかも」

「結構ですわ。今日の私たちはあくまでも脇役。引き立て役ですのよ。目立つ要素を持つべきではありませんでしょう」


 がっでーーむ!

 よくもいけしゃあしゃあと黒い羽根の話をしましたわね! ああっ、あの日の記憶が甦って来る! 今にも憤怒霊フローレが舞い降りて来そうですわ。

 だというのに性悪女狐は半歩前へ出て、もう私のことなど気にもかけていない様子。

 第一プールに気になるペアでもいるのかしら? いえ、その視線はプールの向こう。私たち同様、反対側の壁際で待機している受験生たちを見ているようです。


「あっ、三六六番はあの方ね。うーん、背は高いけれど、それほどハンサムではないみたい。少しがっかりだわ」


 なるほど。ご自分のパートナーを探していたんですわね。


「ナディーン様のお相手はどちら? ゼッケンはお幾つ?」

「え、私? 私のゼッケンは三六九ですわ」


 全て三の倍数でどことなく縁起のいいゼッケンを引きましたのよ。ふふっ。

 でも早速性悪女狐に捕まりましたけれど……。


「三六九、三六九……。あ、見付けましたわ。ほら、あの方!」

「え、どこですの?」


 それはもうダンスのお相手ですから、気にならないと言うことはありません。女狐の指差す方を追って、大勢いる中にたった一人のパートナーを探しましたわ。ゼッケンの位置は右胸と背中。 


「えっ、あの髪色は……」


 誰もがプールの側を向いてる中で、一人だけ背を向けている髪の長い男性。襟足で縛った髪が揺れる内に、見え隠れしていたゼッケンが覗かれて――。

 でも、そんなことはいいのです。ただその髪色がだけが気になりました。


「フォーゲットミーノット……」


 その色は春の祭典を終えた帝都でたった一度だけ見かけた少年の――。いえ、その時は少女かとも思ったのですけど、もし同じ人物であるならやはり少年だったということ。その髪色を私は、想像の中のダグラス様に重ねて見たりしたのですわ。その彼がまさか、私のダンスパートナーになるだなんて……。


「つまらないわ。せっかくナディーン様のパートナーを見つけたのに、あの子ちっとも振り向かないじゃない」


 みっともなく組みかけた腕を所在無げにしているダルシー嬢。言葉も少し乱れて、地金が覗いていますわ。お里が知れましてよ。


「後のお楽しみ、と言うことですわ。もう第四グループが終わりそうですし、待つと言うほどのこともありませんわよ」


 対照的に私の方は俄然、盛り上がって来ましたわ。だってあの日、コーディリア様たちと貴種流離譚だなんだと盛り上がったあの少年が、私のパートナーかもしれないんですもの。

 いいえ、もう間違いありませんわ。あの鮮やかな勿忘草色フォーゲットミーノットの長い髪。絶対にあの時の彼ですわよ。身なりが変わった今は貴族の雰囲気も感じられますし、こうなったら全力でサポートして差し上げなくてはいけません。直接名前を聞くのはマナーに反しますけど、尋ねたら教えてくれるかしら?




 ***




 二度目の円舞曲ワルツが終わって、第六グループがプールからはけて行く。さあ、いよいよ私の番が回って来た。


「それでは次のグループ、ゼッケン三六一から四二〇まで。プールへ」


 白線で仕切られた長方形のプール。一歩踏み込めば外野の喧騒はたちまち消えて、周囲は懐かしい森の邸の庭になった。そこでなら私は、どうとでも自由に踊ることができる。

 既に第三グループの時に演奏された輪舞曲ロンドは頭に入れた。主旋律の間に何種類かの旋律が入り混じるパターン。テンポ自体は三拍子だからワルツのステップで踊ればいい。


「開始の合図があるまで、パートナーと向かい合って待機」


 庭の古びた噴水の前で、目を閉じて待つ。

 葉擦れの音。

 小鳥たちの声。

 それから小さな足音。

 その足音が目の前で止まって、体の向きを変える気配。その瞬間を捉まえて、私は緑の庭に現れたパートナーの前に、膝を折ってかしずいた。

 刹那、伝わって来るパートナーの躊躇い。

 それから小さく息を呑む音。そこへ右手を差し上げる。


「私の姫君。どうか手をお許し下さい」


 一拍の間を置いて静かに重ねられる柔らかな手。


「許します」


 その手を僅かに引いて、許された甲に軽く唇を触れた――。


「それでは、演奏を――」


 試験官の声が舞踏館に響く。立ち上がると同時にオーケストラが一斉に楽器を構えた。

 初めて目を合わせたパートナーは私よりほんの少し背が高くて、夜のように深い黒髪。それから宝石のように輝くダリアパープルの瞳をしていた。

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