第7話 ブランペインの落とし胤

 同じ日に大叔父様の熱烈なファンが誕生していたことなど露知らず。何の縁か出会ったばかりの二人と帝都郊外にある帝室墓所までやって来た。


「真っ暗だ。私は野宿で問題ないけど、ステラは本当にお家に帰らなくてもよかったの?」

「全く問題ないわ。子供じゃないのよ」

「子供に見えるけど……」

「貴女には何を言っても無駄みたいね。そんなことより――」


 この辺りは何もない場所だ。農地ばかりが広がる中に取り残された森。それが目当ての墓所で、周りぐるりを立派な鉄柵に囲まれていた。


「夜と言ってもここは帝室の聖所だから、ほら、正門に見張りが立っているわ」


 自分で言っておきながらステラはまったくの無頓着で駒足を止めろとは言わない。鉄柵沿いに回り込んで行くと、チラチラと松明だか篝火だかの炎が揺れていた。


「本当に無許可で入れるの? 大体こんな時間に。見張りの人にはどう言って通して貰うつもり?」

「バカね、黙って入るのよ」

「え?」

「まぁ見てなさい。ちょっと背中を預けるわよ」


 倒れて来た体を六つに割れた腹直筋で受け止めると、ステラはベルトに通した革製のスロットから銀色の何かを引き抜いた。


「それは?」

「あら、見て分からない?」

「初めて見るけど」

「本当に? 子供の頃、シャボン玉を作って遊んだりしたことはなかったの?」

「シャボン玉?」

「ないのね。いいわ。これはポイって言うの。普通はこれを石鹸水に浸すんだけど、私のシャボンは魔法のシャボン。こうやって振るだけで――」


 ステラは得意気な顔をして、グンと伸ばした腕を右から左へ。まるで虹を描くようなラインに沿って薄く光る膜が流れた。


「わっ、これは?」

「だから魔法よ。そのままじっとしてなさい。下手に動いたらパシャン! せっかくの魔法が解けちゃうんだから」


 シャボンの薄膜が体をすり抜けて、相棒ポルックスもパナイースさんも、みんなまとめ包み込まれた。


「シャボンフライト」


 ステラの言葉で、中にいる私たちごと巨大なシャボン玉が浮かび上がる。


「浮いてる! これが魔法? 本のお話に出て来るあれ?」

「ちょっと、動いたら落ちるでしょ。そうよ、どんなお伽噺を読んだかは知らないけど、魔法は作り話なんかじゃないの。貴女以外、世界中が知っていることだわ」

「世界中!?」


 世界、広過ぎませんか?

 何だか急に、自分がどうしようもなくちっぽけなものに思えて来た。私、今のままで騎士になんてなれるのかな……。

 そんな不安を置き去りに、シャボン玉は空から入って聖所の中へと降り立った。着地と共に弾けるシャボン。嘘みたいな本当の出来事。


「エスメラルダの廟は一番新しいから……、あっちね」


 我知り顔で先を行くステラは何をするにも堂々としてて、こっちは引きずられるように付いて行くだけ。

 夜の闇に姿を見せたのは初代皇帝を中心に代々、輪を描くようにして建てられた霊廟群。どれも大体造りは同じで、違いと言えば吹き放しの柱の彫刻や、門扉に刻まれた紋章が異なっている程度だ。数段のきざはしを上ると門扉の手前に献花台。そこには春の祭典の期間に捧げられたまだ新しい花束が積み上がっていた。


「さてと、パニィはここでお馬さんと待ってなさい。巡回がないとも限らないから見つからないようにね」

「はい、お母……、じゃなくて団長」

「それはもういいわよ。ほら貴女、何してるの。入るわよ」

「入るって?」


 献花台を見れば門扉の前で拝跪はいきすることは誰にでも分かる。固く閉ざされた鉄扉は私の筋肉でも早々開けられそうにない。なのにどうやって中に入る?


「シャボンスルーター」


 銀製のポイ振りかざすと私はステラとまたもシャボン玉の中。そのまま歩いて壁に当たるかと思いきや、ヌルッと壁の内側へ入り込んでしまった。


「わ、壁を通り抜けた。これも――」

「魔法よ」

「ステラ、君は一体誰なの?」

「それ、もう言ったわよね? それより何よりそれはこっちの台詞よ。ガラテア、貴女は一体何者なのかしら? カルデネ州から遥々帝都へやって来て、ここへは大叔父様の遺言で――。エスメラルダは歴代の中でも高い名声を誇った女帝よ。いつも真っ直ぐに前を見据えて、とってもさとい娘だった」


 ステラがポイを振りかざすと、煌々と輝くシャボン玉が幾つも放たれて、真っ暗だった霊廟の内部が大理石の照り返しに浮かび上がった。

 正面には皇帝ダリアの花枝と錫杖を手にした黄金の女帝像。その後ろで巨大なタペストリーが赤々と燃えるように波打っている。列柱の合間に置かれた幾つものガラス棚には、生前の女帝を飾ったと思われる宝飾品が並べられていて、空気はどこまでも厳かで静かだった。


「私のことはまたの機会においおい詳しく話すとして、とにかく今は貴女のことよ」


 ステラは腕組をしながら、値踏みするような視線を投げて来た。私の何を知りたいんだろう?


「聞きたいことがあれば聞いて貰って構わないけど」

「それはありがたいことね。是非ともお言葉に甘えさせて頂くわ。でも私は分かってる。貴女の正体をね。ただ、本当にそんなことがあるのかしらって、そんな風に思うのよ。軽く戸惑ってるって訳」

「私の正体?」

「ああ、ごめんなさいね。ちょっと気が逸って言葉を違えたわ。私が知っているのは貴女の大叔父様の正体――。ダグラス。そうだったわよね?」

「うん、それが大叔父様の名前。でも……」

「でも?」


 続く言葉を言ったものか少し迷った。迷う間に脳裏をよぎって行ったのは大叔父と二人で過ごした時間。


「今思うと大叔父様のことは、本当に名前くらいしか知らないんだ。騎士だったことは知ってる。そのことだけは本当かどうかなんて確かめる必要もない。大叔父様は私を騎士にしてくれた。本当にはまだだけど、騎士を目指す道を示してくれた。それは本当の騎士だからできたことだと思う」


 本当に自分でもびっくりするほど、私は大叔父のことを何も知らなかった。それは多分、二人の日々が、余計なことを知らなくても十分に幸せだったから。


「そうね。そのことは間違いないわ。騎士で、ダグラスの名を持つ、カルデネ州に所縁ゆかりの者。そしてエスメラルダとの間にもえにしがある――。何も知らないガラテア。貴女に教えてあげる。カルデネは古くはそれと違う名前の王国だった。王国を治めていた王家の名も同じ。王家の名はブランペイン――」

「ブランペイン?」


 その名を口にした途端、体の中で何かがうねったような気がした。

 それからステラが滔々と語った物語は、まるで身に覚えのない遠い異国のお話に思えて、半分も理解することができなかった。

 私に理解できたのは、大叔父が実際に物語として語られるほどの英雄で、エスメラルダ帝に永遠とわの忠誠を捧げた騎士だったということ。


「それがそう?」


 問われて初めて、無意識に封書を取り出していたことに気が付いた。大叔父に託されたエスメラルダ帝への手紙。


「エスメラルダに読んで聞かせてあげなさい」


 言われるままに女帝像の前へ進み出て、少し気後れを感じながら封を切った。中には折り畳まれた手紙。取り出すと、折り目からこぼれ出たのは古びた勲章。十字の意匠を施された、金でも銀でもない、ただの鉄の勲章だ。


「帝国正騎士十字勲章――。騎士勲章でも、騎士十字勲章でもなく、帝国臣民にとって最高の栄誉とされる勲章よ。二百七十年に手が届くネビュローサの歴史の中で、その勲章を授与された者は三十人にも満たないでしょう。帝政に移行してから戦争続きのこの国で、平均して僅か十年に一人――。私はね、戦争なんて大っ嫌いよ。本当に大っ嫌いだけど、戦場に赴く者には常に敬意を払って来たわ。貴女の大叔父、ダグラス・ブランペインに対してもそう。彼は騎士の中の騎士よ。だから今の時代にも大勢から愛されてる」


 手の中で、勲章の重みがズシリと増した瞬間だった。この勲章は大叔父の、騎士の魂なんだと、そう感じられた。


「私の知ってる大叔父様は、大きくて、優しくて、ちょっと融通の利かないところのある森の熊。頭に大きな戦の古傷があって、時々ワーワー騒いだり、言葉がおかしくなったりして大変なこともあったけど……。そんな大叔父様が最期の時にははっきり、途切らせもしないで話をしてくれた。帝都へ行け。広い世界を見ろ。そう言って背中を押してくれたんだ」


 あの日の大叔父の顔が瞼の裏に浮かんで来る。どうしようもなく、別れるしかなかった大好きな大叔父。


「本当はちょっと怖かった。それでもここまで来れたのは、ポルックスだけじゃない、この勲章に大叔父の魂が宿って、ずっと一緒にいてくれたから。そんな風に今は思える」


 ステラは何も言わない。だから私は勲章を像の台座にそっと置いた。それから半歩下がって折り畳まれた手紙を広げる。すると本人が言ってた通り、ミミズののたくったような字が目に飛び込んで来た。でもちゃんと読める。懐かしい大叔父の字だ。


「陛下。この身に余る頂き物をお返しする時が来ました。どうか――」



 どうか不具となり果てた愚かな騎士が御許に参りますこと、お許し頂きたいのです。


 陛下のお姿を一目拝して、私には分かりました。この方だと。


 触れずとも。見えずとも。主と従の絆厚くして、ただ邁進。ひたすら邁進。そうして分不相応の功を立てたこともありました。


 その折、手ずから授けて頂いたこの勲章をよすがとして、いつか体の朽ちた日には、そこに込めた想いと共にお返しし、お側に置いて頂きたい――。それが僅かの望みです。


 お叱り下さい。お笑い下さい。騎士にあるまじき未練です。ですが陛下にだけはお分かり頂けるはず。


 私の誓いは終生の誓いではありませんでした。


 私が陛下に捧げた誓いは永遠不滅の誓いです。


 終生の誓いであれば死して解き放たれることもありましょう。しかし永遠不滅の誓いは、死して尚、陛下の騎士であり続けるということ。


 今ならば申し上げてもよろしいでしょうか。


 陛下。エスメラルダ様。この身は貴女様を心よりお慕い申しておりました。



「陛下の騎士、ダグラス・ブランペイン――」


 ああ、大叔父に違いない。そんな想いと、これが本物の騎士かという驚きが混ざり合って、幼稚な私の頭では説明の付かない感情が、ただただ頬を流れ落ちて行った。

 だけど手紙には二枚目がある。

 一枚目を後ろに回して、二枚目の冒頭に目を走らせた時、喉元から思わず嗚咽が漏れ出した。


「ガラテアへ……」


 鼻声の後に啜り上げると、ステラはその先を読み上る必要はないと言った。でも私は読み上げることにした。今この時の感情で読み上げる内容を、誰かに聞いておいて欲しかった。


「初めに言っておくが、私はおまえを、ずっと我が子と思って育てて来た。そしてこれも確信していることだが、おまえは必ず、いい騎士になる」


 立派でも偉大でもなく、ただ、いい騎士。大叔父らしい言葉で書かれていたことが嬉しかった。素直に信じることができたから。


「さて、どう書いたものか――」



 だが今更悩んでみたところで変わるものでもない。おまえの出生について簡潔に書き記しておく。


 父親の名はユージーン・ブランペイン。


 祖父は我が兄、キャメロン・ブランペイン。


 ブランペインは古くはカルデネとワズンの二州に跨る領土を治めた国。その王家だった。帝国に敗れた王家は侯爵家となり、後にキャメロンが帝室の姫君と結婚したことで公爵家にもなった。


 おまえの祖母エカテリーナはネビュローサの一族。故にガラテアよ、おまえの体には滅んだ王家の血と帝室の血の両方が流れている。


 だがそのことは単なる事実に過ぎない。だから何も案ずるな。何を知ろうと、血筋がどうだろうと、おまえは自分の思うおまえのままでいいんだ。


 ただ、いつ如何なる時も用心は怠るな。それは騎士として当然の心がけ。おまえを血筋だけで見ようとする者がいつ現れるとも知れない。


 思い出せ。私はおまえに生きる術を叩き込んだ。できるな? 筋肉を甘やかすな。いつでも準備万端にしておくんだ。


 いいか。本物の騎士は簡単に死にはしない。戦場でコロッと倒れる奴はどれも偽物だ。騎士は己の主を見い出す日まで己を生かし、剣を捧げてからは主の為に生き続ける。


 私の晩年はおまえに剣を捧げた。私がどう果てたかは見届けたな? 



「生き抜くのだ。我が子よ。命数尽くしてベッドに横たわるまで、まだまだ道のりは長い。父、ダグラス――」


 読み終えてしばらくは、黙ったまま静寂に身を委ねた。

 読んでいる間は自分の声がこだまになって、大叔父の声を返して来るかのように感じていた。

 そして何より、大叔父は最後の最後に書いてくれた。ずっとそう呼んでいいのか迷って来た私には、例え死後でもそれを許されたことが幸せだった。


「父様……」


 噛み締めるように呟く。一目でいいから、もう一度会いたいと――。


「あー、泣いたわ。よかったわねぇ。いい手紙だったじゃないの」


 感傷を掻き回したのは、最後まで黙って聞いていてくれたステラ。


「うん、私もそう思う」

「それにしても、まさか筋肉の話が出て来るとは思わなかったわ。貴女も貴女で普通に読んでたし、てっきり聞き間違いかと思ったわよ」

「大叔父様は筋肉に関してはうるさかったから」

「いやそーゆー話でもないけどね? 普通は最期の手紙に書かないわよ? 筋肉の話は。まぁいいけれど」


 それっきりステラは興味を失くした顔をして、女帝像に向かって踵を返した。手を触れて、二言三言話しかけるような素振り。それが済むと真っ直ぐこっちに歩いて来た。


「さぁ、過去のことは一旦置いて、問題はこれから先、貴女が一体どうするかよ。何かプランはあるのかしら?」

「それは、急に言われても……」

「そーよねー。なら私が考えてあげる。構わないわよね?」

「ステラには何か考えがあるってこと?」

「当然よ。貴女、私を誰だと思ってるの?」


 フラッシュバック――。


「それ。結局ステラは何者なの?」

「いや、だから言ったけれどね? それを盛大にスルーしてくれたのは貴女でしょ」

「確か大公で魔女団で共和政の立役者?」

「覚えてるんじゃないの。でもそのことより今は、先に私のナイスな考えを聞きたくない?」


 得意そうな顔はそれ以外の選択肢を選ばせようとしない。


「それも気になる」

「なら聞いて。貴女は世間知らずのおバカさんだから、これからは帝国大学寮アカデミーに通いなさい。それが現時点で取り得るベストな選択よ」


 また耳慣れない単語が舞い込んで来た。


「アカデミー? アカデミーって何?」

「うん、知ってた。そこからよね。とにかく今夜は私の邸に泊まって行きなさい。アカデミーに関してはノープロブレム! 手続きから何から一切合切任せとけばいーんだから」


 一人勝手にあれこれ決め込んで、ステラは鼻唄混じりに帰りのシャボン玉を出した。

 仕方ない。大叔父の遺言を果たした今、私には具体的な次の目的もなければ行く宛の心当たりだってない。知り合いと言えるのは今日出会った魔女と名乗る二人だけ。ここは一旦ステラのプランに乗ってみることにしよう。

 私は黄金の女帝像を振り仰いで、隣りに立つ大叔父を幻視した。


「大叔父様。どうか私のことは心配しないで、エスメラルダ様と二人、ここで安らかに眠って下さい。私は私で、私の思う騎士の道を歩んで行こうと思います。それから――」


 今まで本当にありがとう。父様――。

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