第6話 夢と妄想

 楽しい時間はあっと言う間ですわね。帝都にある別邸タウンハウスに着いた時にはもうすっかり暗くなってしまっていて、コーディリア様が持たせて下さった書状がなければ両親から大目玉を喰らうところでしたわ。


「よう姉貴。随分と遅かったじゃねーか。いいご身分だよなぁ」


 部屋に入ろうとしたところで声をかけて来たのは私の弟、フレディです。

 弟は一つ下なのですけど、年頃のせいか近頃は妙に肩で風を切る風で、余りお上品とは言えませんわね。お母様譲りの黒髪だけが唯一の共通点で、後は何から何まで似付かない姉弟ですわ。


「フレディ。そんな無頼を気取った口を利くものではなくってよ。貴方も秋から帝国大学寮アカデミーに入るつもりなら、万が一にも態度で弾かれることのないよう慎むべきですわ。慎々ゆめゆめカーブラックの名に瑕を付けないようお気を付けなさい」

「そいつは御親切にどーも。だがそう言う姉貴だってアカデミーじゃ派閥を作って好き勝手やってるって聞くぜ?」


 ぎくっ。


「な、何を言っていますの? そんな根も葉もないこと」

「どーだかな。俺の耳に入って来た話じゃ、根も葉もありそうだったが」


 何を突っかかって来るのかは知りませんけど、私はピシャリと言ってやりました。


「冗談をお言いなさい。貴方のお気楽なお脳が想像するようなことではなくってよ。私は私のサロンを開いて、気の合う友人たちと有意義な時間を過ごしているだけですわ。もうこれくらいでいいでしょう。私は休みます。貴方も早く寝ておしまいなさい」


 ドアを閉じればゆったりとした私だけの世界。着替えが済んで侍女もいなくなったら、何もかもが自由なのですわ。

 それにしても今日という日は素晴らしい一日でした。ついさっき余計なおミソが付きましたけれど、そんなものいつまでも気にしたりはしません。


「確か書棚に史学の本が……」


 棚に並べた本の背表紙をなぞりながら目当ての一冊を引っこ抜きます。そう、ちょっとエレガントさには欠けますけれど、弾む気分に合わせて引っこ抜く。それがいいのですわ。


「ぶ、ぶ、ブランペイン。この辺りですわね」


 歌と音楽に彩られた詩劇。更にはコーディリア様のお話をなぞりながら、指の赴くままにページを捲り返します。ベッドの上に転がる姿は、ちょっと他人様にはお見せできませんわ。


「やっぱり私は、裏切り者のキャメロンよりも英雄ダグラスが好みですわ。エスメラルダ様の肖像画はお若い頃のものも見たことがありますけれど、ダグラス様はどんな方だったのかしら? 挿絵は……ありませんのね」


 史学の本ですからそこは仕方ありません。これまで南部に全く興味のなかった私。書棚にはそっち方面の物語なんて一冊もないのです。


「明日にでもテレスかアリスに買いに行って……。ああ、ダメですわ。明日はもうアカデミーへ戻る日ですもの。八時発の精霊列車エクスプレスに乗って、寮に着いたら荷解きも」


 帝国大学寮アカデミーは秋から始まる前学期と春からの後学期に分かれています。その合間には冬と夏の長いお休みがあるのですけれど、今は後学期中間の春の祭典に合わせた小休暇。お祭りの期間に前後二日を足した春休みなのですわ。


「あ、でも待って。明後日は魔女の日でお休みですわよね。なら一日帰りを遅らせることもできますわ。そうしましょう。向こうに着いてからが慌ただしくなるけれど、そのくらいは我慢できますわ」


 魔女の日は一週間の始まりの日。アカデミーに限らず、世間一般大抵のお仕事も定休日になっています。カレンダーはどこの国も別なく、


 一年は十二箇月。

 一箇月は四週間。

 一週間は八日間。


 この内、一週間のそれぞれの日には、魔女霊ストレガ感情霊アドフェークに由来する名前が付けられているのですわ。


 魔女の日。守護は魔女霊ストレガ。何はなくともお休みの日。

 歓喜の日。守護は歓喜霊フェリス。喜びが見つかる日。

 怒りの日。守護は憤怒霊フローレ。怒りを吐き出す日。

 嘆きの日。守護は悲哀霊ドローレ。涙を許される日。

 逸楽の日。守護は享楽霊ピアーチェ。好きなことをして楽しむ日。

 相愛の日。守護は愛憎霊アマリリス。愛を確かめ合う日

 悔恨の日。守護は怨恨霊ランコレー。恨んだことを悔いる日。

 交感の日。守護は交感霊アセンティオ。誰かと心を通じ合える日。


 アカデミーは歓喜の日から悔恨の日までが講義の行われる日です。交感の日は講義がありませんけれど、全館自由に利用できる開校日となっていますわ。サロンの開催が集中する日でもありますわね。


「さぁ、そうと決まったら今夜は想像で楽しみましょう。今日の役者も結構な美男でしたけれど、私の趣味とは少し違ったのよね」


 ダグラス・ブランペインを演じた役者は声も芝居も堂々としていましたけれど、まるっきり北部の貴族然として、南部の匂いを欠片も感じさせませんでした。


「んー、そうですわね。ダグラス様は南部の方なのだし、今日の役者よりもっと日焼けをした浅黒い肌だったのではないかしら? 王殺しの英雄なら体は隆々として熊のよう……。いいえ、違いますわ。体格はいいにしてもきっと引き締まった細身なのですわ。だってエスメラルダ様と通い合う心をお持ちなんですもの。ここはスラッとした美男子で間違いないでしょう」


 そんな風にイメージを修正したのは、想像の目的が別物にすり替わって行ったからですわ。

 私は私の側で私の支えになってくれる騎士を探しています。そのような方を私は必要としているのです。ダグラス様のように忠誠心に富んだ強い騎士こそ理想ですわね。

 そう、私には夢があるのです。

 帝国では五代ルシンダ帝を始めとしてアデライン帝、ヴィナス帝、エスメラルダ帝と、これまでに四人の女帝が国家を指導して来られました。そのお蔭か、公爵家の娘である私にも嫡女として家督を継ぐ権利が与えられているのですわ。けれど私はお父様の後を継いで女公爵になろうとは思いません。

 私は私で帝国貴族として爵位を得て、新世界と呼ばれる開拓途上の西部に、ほんの小さなものでもいい、私自身の領地を持ちたいと、そう願っているのです。それこそが私の夢。

 私がアカデミーでサロンを主宰するのもそうした将来を見据えてのことなのですわ。有望な人材を確保して、来たるべき日に備える――。

 でも私だって女ですもの。挫けそうな時に支えてくれる私だけの騎士。そんな方に傍にいて欲しいと願ってしまうのです。


「私もエスメラルダ様を見習えば、いつかダグラス様のような騎士に出会えるのかしらー? ふふふっ」


 はしたなく足をバタつかせて枕に顔をうずめていたら、何故かしら? ふと想像したダグラス様の髪色が、今日馬車の中から見かけた少年とも少女ともつかないあの者の髪色と重なったのですわ。

 春の陽を柔らかく照り返す、儚げな勿忘草色フォーゲットミーノット――。


「ああー、ダグラス様! 夢の中でも構わないからお会いしたいっ、なんて、きゃーっ」

「お嬢様キモイです」

「ふぁーっ!!?!」


 衝撃に跳ね上がって裏返る私の超絶ウルトラD。まるでベッドがトランポリンですわ。


「お休み前のお水をお持ちしました」


 平然と言ってのけたのは私付きの侍女テレス。三角形の黒縁眼鏡をして、普段から中々表情を覗かせませんの。


「なっ、なっ、なっ」

「ななな? ななな、なーなな、なーなななー♪」


 踊り始めましたわ。


「違ーう! なんでノックもなしに入って来るのよ! 馬鹿テレス!」

「馬鹿で申し訳ありません。ノックでしたら三回はしたのですが、すっかり梨のつぶてで御座いました。それに、夜ですから余り大きな声でお呼びする訳にも参りませんでしょう?」

「むー」

「あら、枕を抱えてお可愛らしい。お小さかった頃を思い出します」


 テレスはこのように意地の悪いところがあります。年も十歳上で、ほんの子供の頃から私のお世話係。そうなると多少頭の上がらない部分も出て来てしまうのですわ。

 テレスはもう一人のお付きであるアリスと共に、私の世話の一切を取り仕切る優秀な侍女。身元もしっかりしていて、出自は皇帝陛下のお膝元、テンペル州にあるフラウンホーファー子爵家です。アカデミーの卒業生でもあることから、向こうでは本当に頼りになりますわ。なので日頃から感謝はしているのですけれど。


「んもぅ、水差しを置いたら出てって頂戴」

「はい。それはそれとしてお嬢様。本日のお芝居、随分とお楽しみだったようですね」

「それが何か?」

「いえ、幾つか単語が聞き取れたものですから」

「立ち聞きしてるんじゃありませんわよっ」


 枕を投げてやりました。それを避けずに受け止めてクルッと回転。そのまま投げ返して来るんですから憎らしいったら!


「おいたはいけません、お嬢様。せっかく私のコレクションをお貸しして差し上げようと思いましたのに」

「コレクション?」


 するとテレスは三角縁の眼鏡にスッと手を添えて、


「私、十代の頃から今に至るまで恋物語には煩い方でして。当然ながらお嬢様のお嫌いな南部を舞台にした作品についてもそれぞれ一家言が御座います」


 何やらのたまい始めましたわ。けれどその内容は今の私のリクエストと完全に一致。


「え、それはブランペインの物語も持っているってこと?」

「オフコーース! メイザースの原作初版は勿論のこと、フレットニーの戯曲は幾人かの演出家が手直しした物までズラリ。数々の作品を抜粋した詩集や画集もとくとご覧あれ!」

「きゃーっ! 凄いわテレス、見せて見せて!」


 拍手喝采ですわ!


「ですがお見せするには条件が御座います」

「じょ、条件?」


 侍女が主人に条件を出すって言うんですから、本当にテレスだけは侮れませんわ。もう一人の私のお付き、アリスは年も近くて素直ですのに。


「何かしら、条件て?」

「一つ」

「待って、その条件とやらは幾つありますの?」

「そうですね。今回はまぁ……二つに留めておきましょうか」


 今回はってなんですの。空恐ろしいですわ。


「では一つ目。よろしいでしょうか?」

「いいわ。言ってご覧なさい」


 ベッドの上に座り直すと、テレスは片側だけスカートの裾を摘まんで仰々しく一礼。そしてこう言ったのですわ。


「今後、観劇等の際は必ず私をお供にお付け頂けますこと。今回のようにご招待の際は已むを得ない場合も御座いますが、それ以外に付きましては是非! 他の者でなくこの私を」


 厚かましい。友人と誘い合わせの時でも当然のように席を用意しろという訳ですわね? 今はまだあれですけど、先々殿方とご一緒するような時にも、ということですわね?

 恐ろしい。でも今はそんな先のことより本が読みたいの。


「分かったわ。二つ目は?」

「はい。春の祭典が過ぎて春休みもこれで終わりになります」


 あら、今度は何の前振りですの?


「そうね、それで?」

「実のところ、お嬢様の派閥とハイペリオン侯爵家のダルシー嬢の派閥との間に角が立っておられますこと、お父上様、お母上様のお耳にも入って御座います」


 ぎくぎくっ。


「か、角ってそんな。言うほど大したものではなくってよ?」

「はい。ただ、秋からは第三皇女殿下もアカデミーにて学ばれます。先の事となりますと何が問題となるかも分からないことですから、お嬢様には何分ご自重頂けますよう、私からくれぐれもお願い申し上げます」


 神妙な物言いですわね――。

 ダルシー・ハイペリオンとの間に水面下の確執があることは確かなこと。私の社交デビューを先陣切って物笑いの種にしてくれたのが彼女ですもの。幾ら時間が経とうと、あの日の屈辱を忘れたりはしませんわ。

 南部出身者をまとめるダルシー嬢は侯爵家と言っても元を辿ればハイペリオン王家の血筋。ですから家門の扱いは我がカーブラック公爵家と比べて見劣りするものではありません。互いの派閥を比較しても拮抗していると言えるのですわ。

 例の一件さえなければ正に好敵手。けれど現実は好敵手から好の字が転がり落ちてしまっている状態ですわね。


「お嬢様。難しいお顔をなさってますよ」

「! ……少し考えていただけですわ」


 確かにテレスの言う通り、コーディリア様の目の届く範囲でみっともない諍いなどする訳には行きません。相手の出方がどうであれ、こちらだけでも配慮しておく必要はあるでしょう。それは帝室に近しい我が家なら取って然るべき対応。

 ダルシー・ハイペリオン。あの猫っ被りのアバズレ女……。いえ、失礼。でも本当ならとことんまでやり合って差し上げたいところですけど、ここはダグラス様に免じて、もとい、テレスに免じて手控えておくことにしましょう。


「分かったわ。心に留めておきます。心配してくれてありがとう、テレス」


 感謝を口にしたら時折覗かせる微笑みを浮かべて、何だか私、テレスの手の平の上で転がされているみたいですわ。

 まぁそれはそれとして――。


「さぁ話は終わったわね。なら次こそ本題よ。そう本よ! 今直ぐに持って来て頂戴!」

「畏まりました。お嬢様」


 そんなこんなでこの夜は、テレスと二人してあの本この本とページを捲り続けました。取り分け画集を捲り返して、想像と合致するダグラス様のお姿を探したり、お互いの好みなんかを言い合ったり。

 テレスと一つのベッドに転がっていると、なんだか昔に戻ったような気分になって、知らず知らずの内に二人、折り重なって眠ってしまったようでした。

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