第5話 黎明の魔女

 帝都の空に鐘の音が朗々と響いたわ。一斉の羽ばたく鳩たち。続いて上演の終わった劇場の扉が一時いちどきに開放されて行った。

 劇場隣りの高い鐘楼から、通りに溢れ出す観客たちを眺めていると、なんだか無性におかしくなって来る。


「幾ら着飾っても、ああもぞろぞろと地べたを歩いていたんじゃ、空を行く鳩の優雅さには遠く及ばないわね」


 でも鳩か人間かと問われれば私は人間の方が遥かに好き。丸裸にして野に放り出したら人間ほど頼りない生き物もそうはいない。人間はその足りなさを知恵と力と勇気で補って来たわ。その結果が今、眼下に広がるこの景色ってこと。


「かつて一つの王国が滅び、帝国に呑まれ、けれどもくすぶ熾火おきびからは反乱の炎が生まれた。牙を剥いた男は死に、妻はその後を追って、混迷の時代を生きた英雄も既に物語とはね――。彼はどこへ消えたのかしら? 辻で歌われ、こうしてお芝居にもなっているけれど、どれを取っても最後には杳として行方知れずなのよ」


 風が吹くと、連れがお気に入りの臙脂えんじ外套マント掛帽フードを被せてくれた。砂漠色サンドベージュ長衣ローブを着て、子供のなりをした私とは真逆の、悔しいくらい美貌の大人。


「お母様は彼の行方が気になるのですか?」

「いいえ、そうじゃないわパニィ。見てご覧なさい、この都を。私があっちこっち奔走してネビュローサという国を作ったのは二世紀半も前のことよ。共和政から帝政に切り替わったり、何度も戦争を繰り返して来たけれど、こうして眺めていると、それでも随分平和になったとは思わない?」

「それもこれも皆、お母様の努力の賜物ですね」

「パニィ。外でそう呼ぶのはよしなさいって言ったわよね? 見た目子供の私を大人の貴女がそんな風に呼んでたら悪目立ちしちゃうわ」

「それではフルネームでお呼びしても?」

「何でそこでフルネームよ!? おかしいでしょ。通りに出て私のフルネームなんか連呼してご覧なさい。とんだ騒ぎになるんだから」

「うふふ。魔女大公ストレガータは今でも皇帝より上の権限を持っていますものね」


 パナイースは口元の笑みを上品に隠した。パニィってのは愛称、仲間内からはパねぇなんて呼ばれてもいるわね。プラチナの長い髪がとっても似合う子。

 私は目深にかかった掛帽フードを上げて、人差し指を右に左に振って見せたわ。


「ちっちっち、それは少し違うわね。正しくは皇帝に命を下す権限であって、他の者に直接あれこれは言えないの。でもまぁ確かにそう。皇帝に命じられる立場から物を言えば、従わないと言う者もないのだわ」

「なるほどです。ところでこれからどうしましょう? お空をお散歩して魔女大公領まで戻りますか?」


 否! 断固拒否よ。即座に立ち上がって手の平を突き出したわ。


「そんなのいやよ。今から降りて行って街歩きをするの! 見てご覧なさい、まだ昨日までの春の祭典の余韻が残ってる。たまには羽を伸ばしたって構わないでしょ。パニィなら付き合ってくれるわよね?」

「勿論です。お母様とデートできるだなんて嬉しいです」

「こら、また貴女は。お母様はやめて団長とでも呼んどきなさい」

「はーい、お母様」

「パニィ!?」


 じゃれるように鐘楼を降りて行くと地上階は広々とした殿堂。ここは劇場隣りの精霊聖堂よ。

 数多の精霊を祀って感謝と祈りを捧げる聖所――。なんてのは表向きの話で、実際には一部の人間が精霊に神だなんて概念をおっ被せて、現世利益を追求する俗な集団の拠点――とまで言ったら言い過ぎかしら? でも大して変わらないわ。

 精霊聖堂は世界に精霊信仰を広めようとする組織だけれど、その内実は様々な派閥に分かれている。

 帝国派と王国派の二大勢力は常に対立して、国際情勢同様、聖堂内も明確な二分構造になってしまった訳。

 そんな精霊信仰とは別にある種、宗教色を持つものとして、昔から民間で根強く支持されているのが魔女講まじょこうよ。

 魔女講は魔法の粋を極めた魔女たちを敬い、何かの折には頼りとするもの。魔女は古来人間の味方として、中でも男性社会に於いて立場の弱い女性たちの支援に熱心だった。昔はそれこそ通りで子供たちと遊ぶ魔女や、街角に店を構える魔女が当たり前にいたものだけど、ここ百年ほどの間にそうした魔女を見かける機会も随分減ってしまったわ。


「百年前に派手にやったお蔭で、北部同盟や王国派精霊聖堂が目くじら立てちゃって――。近頃はホントお忍びばっかり。いやになって来るわね」

「でも、お忍びってなんだかワクワクしちゃいます」

「あ、それは分かるわ。こう、コソコソする感じかいいのよ。大手を振って歩くのとはまた違った楽しさね。遊び心と言うか……何て言うの?」

「悪戯心?」

「それ!」


 会釈する精霊聖堂の司祭を素通りして、私たちは賑やかな大通りへと繰り出した。話し声に笑い声。馬車の往き来する音。そうした喧騒が一度に押し寄せて、さぁ、これからがお楽しみの時間よ。


「まだ夕餐には早いけど、他の子たちも呼んであげた方がいいかしら?」

「それですと漏れなくドンチャン騒ぎになります」


 明確な回答にピタリと足が止まったわ。


「……そうね。止めておきましょう。あの子たちが騒ぐと貴女まで騒がしくなるものね」

「私は暴れたりしません」

「するのよ。事態を収めようとして貴女は確実に暴れるの。拳の魔女アイアンフィストの名は伊達じゃないんだから」

「ご心配には及びません。ソフトにえいって、コツンてやりますから」


 知ってる。でもそのコツンで相手は吹っ飛んで行くんだから始末に負えないって言ってるのよ。

 なんて思っていたら私たちの前を立派に仕立てた白い馬車が過ぎて行ったわ。正方盾タージュを四つに割って四季の花を配し、中央に山猫を描いたそれは帝室の女性紋。中から漏れて来るのは賑やかなりし若い声たち。


「あれは第三皇女の馬車みたいね。優雅で羨ましい限りだわ」

「女子会ですね。きっと恋バナで盛り上がってるんですよ。今度私たちも女子会を開きませんか?」

「パニィ、それをやったら魔女会ワルプルギスよ。呑めや歌えの大騒ぎで、女子会と言うには程遠い絵図になるわ。やっても構わないけど、後片付けまできちんとやらせなさいよ?」


 言うだけ言って、何となしに足が向いたのは馬車の去って行った方向。


「第三皇女も観劇してたんでしょうか?」

「でしょうね。それで思い出したけどさっきの話。ダグラス・ブランペインはエスメラルダの為に、南北の架け橋にもなれる男だったと思うのよ」

「なるほどです」

「それをユージーンなんておバカが台無しにして。あの男は今でも北部同盟に匿われているんだから」

「それはよくありません。なんならピュンと行ってコツンてしてきましょうか?」

「あっはっは。やってご覧なさい。また戦争よ。――ん?」

「どうかしましたか?」


 立ち止まったら人通りから守るようにして、パナイースはどうも私を見たまんまの子供扱いするのよね。


「お母様?」

「あれを見てご覧なさい」


 そこを行くのはお馬さん。パッカパッカと走るお馬の背に、巡邏の衛兵とも違う如何にもなお上りさんが乗っていたわ。


「凄いわね。絵に描いたようなかっぺ・・・を見たわ」

「埃まみれですけど、よく見ると顔立ちは奇麗でした」

「女顔ってヤツかしら。でも腕や脚の筋肉は相当だったわよ」

「あの子、第三皇女の馬車を追いかけてるように見えませんか?」

「へぇ……。丁度いいわ。何だか面白そうだし、街歩きのついでに追いかけてってみましょ」


 草臥れた服装に似合わず、凛と背筋を伸ばした騎馬のお上りさん。それを目印に人混み掻き分け進んで行ったわ。いずれ帝室の馬車を追っているなら宮殿前広場で追い付くでしょう。




 ***




 帝都ネビュラの門を潜ったのは旅を始めてから十二日目のこと。門衛によると昨日まで春の祭典と呼ばれるお祭りだったらしくて、帝都の目抜き通りは今も大勢の人で溢れ返ってた。


「ポルックス。おまえ、こんなに人がいて嫌だったりはしない?」


 相棒はへっちゃらだと言わんばかりにブルルッと鼻を鳴らした。


「ふふっ、私もお前と一緒だから平気だよ」


 それにしたってどこもかしこも人、人、人。一体これだけの人間がどこから湧いて来るんだろう?

 建物だって軒並み凄い。どれもみんな驚くほど大きくて、見上げてる内にくらくらと眩暈めまいがして来た。

 そうした中、ゆっくりと並足で進んで行くと、途中、吹き放しの柱が並んだ大きな建物から、急に大勢の人が流れ出して来た。

 男の人はステッキを持って、頭には背の高い帽子。女の人は飾り付けも華やかな色とりどりのドレス。まるで物語の挿絵から飛び出して来たみたい。

 通り過ぎてからも肩越しに眺めていると、しばらくして真っ白な馬車が私たちを追い抜いて行った。


「何だろう? 通りの人たちがみんなあの馬車に向かって手を振ってる。よっぽど人気者が乗ってるのかな? ポルックス、ちょっと追いかけてみよう」


 軽く馬腹を蹴ると相棒は駈歩キャンターで馬車を追い始めた。箱型の白い四輪馬車キャリッジ。少し離れた位置から覗いて見ると、中には四人の女の子たちがいて、これがまた物語の中のお姫様のように着飾っている。中でも一際目に着いたのは夜空のようなミッドナイトブルーの髪の姫君。


「おい、離れろ! 不敬だぞ」


 突然だった。驚いて顔を上げたら、バッチリ目が合ったのは馬車の後ろに屋根を掴んで立つ男の人。何しろ物凄い目付きで睨んでる。


「何かまずいことをしたみたい。ポルックス、もういいよ」


 速歩トロットにギアを落して更に常歩ウォークへ。馬車はどんどん遠ざかって、真っ白な屋根だけがいつまでも見えていた。


「何だったんだろう? それにしても素敵なお姫様たちだったなぁ」


 夢のように着飾った美しい姫君たち。いつか私も、あんな素敵な姫君を守って戦う日が来るんだろうか――。

 空想する内に目抜き通りも終わりに近付いて、ポルックスの蹄は噴水広場の石畳を踏んだ。水柱の向こうに透ける煌びやかな門。その奥に聳え立つのは見たこともない巨大な建物だ。


「わぁ……あれが皇帝陛下の宮殿か。見てご覧ポルックス。大叔父様が腕を曲げて上腕二頭筋を盛り上げてるみたいじゃない?」


 思わず呟いたら、年の近そうな帝都の女の子たちがクスクスと笑いながら通り過ぎて行った。何だかちょっと恥ずかしい。旅疲れた服はクタクタだし、今更ながらに凄い場違い感――。


「おい君」

「はい?」


 声の主は制帽を被って立派な軍服に身を包んだ衛兵さん。実用性のない派手さからすると儀仗兵と言うヤツだろう。


「君、ここは宮殿前広場だぞ。直ちに下馬しなさい」

「はい。すみません」


 ポルックスから下りて向き合うと、向こうとこっちの余りの身なりの違いに、なんだかいたたまれない気分。


「この広場は宮殿と関わりない車馬の侵入を禁じている。直ぐに別の場所へ移動するように」

「あの、ちょっと待って下さい」

「何だ?」

「お尋ねしますけど、帝室の墓所へはどう行けばいいですか?」

「帝室の墓所?」


 衛兵は妙な顔になって、こっちの頭から爪先までジロジロと見て来た。あんまり気分のいいものじゃない。


「随分と草臥れた格好だが、君はどこから来た?」

「カルデネ州のクレサークからです」

「それは遠かったな。急いで来たんだろうが惜しかった。春の祭典は昨日までで終わったぞ」


 随分ちぐはぐな答えが返って来た。春の祭典が昨日までなのは市門で聞かされた話だ。


「あの、私は帝室の墓所のことを尋ねたんですけど」


 すると衛兵は苦笑して、


「帝室墓所なら帝都の郊外にある。そこは春や秋の祭典といった祝祭の期間は開放されているが、普段は厳重に警固されていて、入るにも許可が必要だ」

「入るだけで許可が必要なんですか?」

「そうだ。昨日までなら何事もなく入れたが、今日はもう許可が要る」


 それで春の祭典の話になったのか。ひと手間増えちゃったけど、過ぎたことは仕方ない。


「その許可は誰に言えば貰えますか?」

「見えるか? 正門脇に守衛所があるだろう」


 正門の両側にある門塔バービカンには戸口が付いていて、そこを同じ制服の儀仗兵が出入りしていた。


「手続きは簡単だ。今ここで簡単に身元と目的の確認を済ませて、内容に問題がなければ守衛所で許可証を発行する」


 本当に簡単そうだ。


「それじゃあお願いします」

「よし。帝室墓所へはどんな用向きで行くんだ?」

「先帝エスメラルダ様の墓前に届け物をした来ました」

「うん? 届け物?」

「大叔父様の遺言で、遥々クレサークから手紙を届けに来たんです。あと、お返しする物もあって」


 何か言い方を間違ったのか、衛兵は妙な顔をして少し考える風だ。


「なるほど、大叔父御の遺言ということだな。それは立派な理由だな。次は名前の確認だ。君と大叔父御の名前と、両方を言ってくれ」

「私はガラテア。大叔父様の名前はダグラスです」

「ガラテアね。女の子が一人で長旅は大変だったろう」


 まただ。帝都までの道中、何度かこれと同じことがあった。まったくどうかしてる。騎士を志す私が女な訳ないじゃないか。


「いえ、私は男です」

「男?」

「この筋肉を見れば分かるでしょ?」


 腕を曲げて上腕二頭筋を誇示してやった。どうだ、これで分かったか。


「……そうか。まぁそれはいい。それで、家名は?」

「カメイ?」


 何だろうそれ。聞いたことない。カメイ? カメイ……。


「ヒラメ筋なら知ってますけど?」

「何を言っている。君の家の名を尋ねてるんだ」

「家の名前!? 帝都では一軒一軒、家にまで名前が付いてるんですか?」


 青天の霹靂だ。どうしよう? 大叔父と住んでいた邸にも名前があったってこと? そんなの十四年暮らしてて一度も聞いたことない。


「違う違う! どんな勘違いだ。いや分かってないのか……。そうだな、例えば私の名はウォルター・アドコックと言う」

「どうも初めまして」

「いや、それはいい。聞け。いいか? 私の場合、ウォルターが名前で、アドコックが家名だ。それは分かるな?」

「…………さぁ?」

「何がさぁ? だ! 大丈夫かお前!? 道中馬から落ちて頭でも打ったんじゃないのか!?」


 何を馬鹿な。私とポルックスはいつだって阿吽の呼吸だ。天地がひっくり返ったって落馬なんかあり得ない。


「いや、待て待て――。ああ、そうか!」


 なんだか知らないけど納得することがあったみたい。


「君、出身はカルデネ州のクレサークってことだよな?」

「はい」

「なるほど。南部だと下層民でなくとも、平民にはまだまだ家名が浸透してないんだったな。すると君は平民か。騎馬で乗り付けて来たからてっきり――」


 さすがにこれは聞き捨てならない。


「何言ってるんですか? 私は騎士です!」

「騎士!? 君は騎士なのか?」


 素っ頓狂な声を上げて。何がそんなに疑わしいんだ。


「見れば分かるじゃないですか!」

「無茶を言うな。見ただけ分かるか。確かに馬を持っていて、鞍には剣がかかっているが、そんなヨレヨレの服を着た騎士がいるか? 騎士だと言うなら身分を証明するものがあるだろう。それに、普通は平民上がりの一代騎士でも家名を与えられている筈だぞ」


 またよく分からないことを言い出した。証明? 家名? めいめいめいめいうるさいな。おまえは羊か。


「家名のことはよく分かりませんけど、私が騎士であることは間違いのないことです。あと、服のことはとやかく言わないで下さい。これの他は部屋着しか持って来てないんです」

「いや、分かった。それはいいよ。とにかく身分を証し立てする物を見せてくれ。領主館発行の証明書とか何かあるだろう?」

「そんなものはありません」

「ないのかよ!? じゃあどうやって騎士だと証明するつもりなんだ?」

「勿論この筋肉でですよ!」

「言い切ったなぁ、おい!? そう来るのかよ」

「さっきも見せたじゃないですか! ウォルターさんはあれを見てどうして私が騎士じゃないと思うんですかっ」

「おまえ凄いな。これでしばらくは飲み会の話題に事欠かないぞ。だがいい加減にしろよ? さっきから何だ? おまえは俺を馬鹿にしてるのか? 筋肉だ? ふざけるな! まったく……相手をして損した気分だよ。もういい。墓参りは諦めて帰るんだな」


 は? どうしてそうなるの?


「何でっ」

「何でもクソもあるかっ、筋肉じゃ許可は下りないんだよ! もう一度言っておくか? おまえの、その筋肉じゃ、帝室墓所への立ち入り許可は、お、り、な、い、の! 分かったら回れ右だっ」

「…………」


 ウォルター・アドコックはそれっきり背を向けて遠ざかって行った。私はその場に取り残されて、みじめなくらいほったらかし。


「どうして……。騎士なのに……」


 勿論分ってる。私は騎士を志す者というだけで、叙任された訳でもなければ、大叔父のように勲章を貰った覚えもない。

 だけど、それでも私の心は騎士だ。筋肉を苛め抜いて鍛えたこの体と不撓不屈の揺るがぬ精神。それはあの大叔父だって騎士そのものだと褒めてくれたんだ。

 でも、じゃあどうすれば……。

 どうやったら私は本物の騎士になれるんだろう? この人と思う主に剣を捧げるには、一体どうしたら……。


「なーにしょぼくれた顔してんのよっ、貴女大丈夫?」


 不意の声に振り返ると、臙脂えんじ色の掛帽フード外套マントを着込んだ女の子が紫恋花ヘリオトロープの瞳で私の顔を覗き込んでいた。まるで妖精のように浮世離れした花の容貌かんばせ


「えっと、君は?」

「私はステラ、後ろにいるのはパナイース。それで? 貴女のお名前は?」


 チラッと窺うと、砂漠色サンドベージュ長衣ローブに身を包んだ女性も驚くような美人だ。高い背丈から長いプラチナの髪を滝のように流して、彫像かと疑うほど整った顔立ちに柔和な微笑みを浮かべていた。


「私はガラテア」

「あら、そうなのね。パニィ、やっぱり女の子だったみたいよ」

「なるほどです。奇麗な顔立ちをしていますもの」


 気分が沈んでるところへ、うんざりして来るこのパターン。


「私は男だけど?」

「えっ? だって貴女、その顔とその名前……。そりゃあ確かに逞しい体はしているけど、それだって細マッチョの域だし、やっぱり女の子なんじゃないの?」

「他所ではどうか知らないけど、私はガラテアっていう名前の男なのっ」

「随分と言い張るわね。パニィ、貴女の見立ては?」

「そうですね。本人が男の子だって言ってますし、それはそれでいいんじゃないでしょうか?」


 随分適当な答えが返って来たけど、ステラは「そうね」と頷いた。納得して貰えたようで何より。


「ところで貴女。そのお馬さんをどこか他所へやらないと、また儀仗兵に絡まれるんじゃないの?」


 そうだった。この広場は馬や馬車の侵入が禁止されているんだった。


「と言ってもお上りさんには右も左も分からないか――。うん、いい場所があるわ。貴女、その連れて付いてらっしゃい」


 見ず知らずの相手だけど、今は断るにも気力が萎えていて、言われるままに後を付いて行った。そんな様子を見かねたのか、ブルルッと頬を寄せて来る相棒。


「ありがとうポルックス。直ぐに立ち直るから心配しないで」

「ほらほら、こっちよー!」


 移動した先は緑の植え込みをふんだんに配した庭園のような場所。私が立ち木にポルックスを繋いでいると、ちょこまかとどへ行っていたのか、ステラは両手に見たことのない食べ物を持って来た。


「クレープ! 美味しいわよぉ。かっぺ・・・さんはどうせ食べたことなんかないんでしょ? そこのベンチで一緒しましょ」


 差し出さるままに受け取って白いベンチへ。すると真ん中に陣取ったステラは勢いよくクレープとやらにかぶり付いた。


「うん、アークトゥルスのクレープはいつもながらに絶品ね! 貴女も早く食べてみなさい。屋台物だけど帝都で一番人気のクレープなんだから」


 ステラに倣って薄焼きの生地を、中に包まれた白い何かと一緒に頬張ってみる。


「ぶほっ!!」

「ちょっと!? 何で吐き出したの!?」

「甘すぎてびっくりした……」


 衝撃の甘さだった。余りの衝撃に考える前に吐き出していた。


「あっはっは! バカねぇ、甘いものは正義なのよ? パニィなんか甘いって聞いたら毒でもなんでもペロなんだから。ねぇ?」

「ダイエット中ノ私ニ話シカケナイデ下サイ。シクシク……」

「泣くくらいならやせ我慢しないで食べればいいじゃないの……。まぁいいわ。貴女、今度は慌てずゆっくり味わってご覧なさい」

「うん」


 言われるままに二口目を頬張る。すると薄い生地から柔らかな甘味が押し出されて、舌をくるむようなクリーミィな味わい。更には苺のスライスからほとばしる淡い酸味が絡み合って、得も言われぬ味のハーモニーを奏で始めた。


「美味しい! 何これ? 砂糖の甘さと全然違う!」

「でしょ? 私のお薦めに間違いはないのよ」

「イイナ、イイナ、シクシク……」


 何だかステラを挟んだ一つ向こうで怨念のようなものが立ち込めてるけど……。


「あの、パナイースさんは甘いものを断って、何か願掛けでもしてるんですか?」

「タダノダイエットヨ、話シカケナイデ。シクシク……」

「パニィのことはほっとけばいいわ。ところで貴女、随分長いこと儀仗兵と一緒だったけど、馬の件だけでああはならないわよね? 何があったか話してみる気はある?」


 見た目はまるっきり子供なのに、ステラは不思議と大人びた物言いをして、するとこっちも聞いて貰ってもいいのかな、なんて気持ちになって来た。


「実は――」


 ついさっきの出来事を順を追って話して行くと、まだ話し終えない内にステラはお腹を抱えて笑い出した。


「だーっはっは! 家名、家名が建物の名前って。ひー、おかしい! ぶははははっ。大体ヒラメ筋て何よ? 寧ろ私の腹筋がよじれ過ぎてやばいわ」

「お母様、笑い過ぎですよ」

「だって無理よこんなの。ぶひゃひゃひゃひゃ! 筋肉見せて騎士の証明って貴女。そんなおかしな騎士、どんなバカげた物語にだって出て来やしないわよ!」

「お母様、もうそのくらいで」

「ああ、うん、失礼。…………ぶふっ、貴女のこと筋肉騎士マッスルナイトとでも呼んだ方がいいのかしら? くくくっ」


 凹んだ。これまでの人生でこれ以上ないってくらい凹んだ。

 でも、私が物事を知らないのはその通りで、騎士に必要な知識があっても常識がない。それじゃあ駄目なんだということは身に染みて分かった。

 生まれ故郷を飛び出して世界を見た気になっていたけど、蓋を開けて見れば私には何一つ見えていなかったし、分かっていなかった。

 そうやって反省の心が生まれると、ステラの底抜けに無遠慮な笑いも気にはならなくて、それとは別に気になったことを尋ねてみることに。


「あの、さっきからパナイースさんがステラのことをお母様って呼んでるけど、親と子供があべこべじゃない?」

「あっ、違うんです! お母様じゃなくて団長、団長です!」

「パニィ、今更よ」

「団長って?」


 お母様も変だとは思ったけど、団長ってなんだろう? 団長……、団長……。


「えっ、まさか騎士団長!?」

「だーっはっは! やだもうこの子。貴女どんな発想からそうなるの? ある意味偉大ね。尊敬するわ。貴女の頭の中って騎士と筋肉しか詰まっないのね。初めからただの田舎者じゃないとは思っていたけど、まさかここまでとは」


 散々な言われようだけど、こっちの謎は一つも解けてない。


「でもステラは何かの団長なんでしょ? どんな団なの?」

「そうね、貴女の反応が楽しみだから特別に教えてあげる」


 ステラはベンチを立つと外套の裾を片側だけ広げて見せた。


「私の名はステラ・オーラニア・メテオリリーマ。世間では黎明の魔女なんて呼ばれているけど、正式な魔女名は円珠の魔女ザ・スフィアよ」


 夕風が吹いて騒めく梢。どこかでひと声、鳥が鳴いた――。

 私に言えることはそう多くはなかった。


「え? あ、初めまして。よろしくね?」

「ちょーっと待ちなさい! 何なのよその反応は!? おかしいでしょ!? 貴女ちゃんと聞いてたの? 今私メテオリリーマって言ったのよ?」

「? そうなの?」

「そのトボケ顔止めなさいったら! 私はこの国で唯一の大公位! メテオリリーマ魔女団団長! 共和政ネビュローサ建国の立役者! それより何より、この世で最古にして最初の魔女なんですからねっ」


 そんな剣幕で捲し立てられても知らないものは知らないし。魔女や魔法に詳しくない私には何を言われてるのかサッパリだ。


「魔女って本当にいたんだ。本の中だけかと思ってた」

「んがっ!! …………もう、何よそれ。あーあ、がっかりだわー。こんなにもがっかりしたのは生まれてこの方初めてよ。まったく、バカバカしいったらないわね」


 フラフラッと後退りながら大袈裟なジェスチャー。


「なんかごめん。筋肉や騎士の話なら盛り上げられたと思うんだけど……」

「そんな話題こっちが付いて行けないでしょ! もういいわ。さ、自己紹介も終わったことだし、早速行くとしましょ」

「行く? 行くってどこへ?」

「あらあら暢気さんね。帝室の墓所へ行くって話だったんじゃないの?」

「今から? だって許可もなしに行ってどうなるの?」

「そんなもの私がいれば何とでもなるわ。ほら、早く早く」


 ステラはポルックスの横に立って鞍をポンポンと叩いた。私は私でどうにも要領を得なかったけど、とにかく鞍に跨った。こうなったらもう勢いに任せてしまおう。


「ちょっと! 私を乗せなさいって言ってるの! 貴女騎士なんでしょ? こんな子供を歩かせて自分一人馬で行こうってつもり?」

「ああ、ごめん。誰かを乗せたことがなかったから」

「仕方ないわね。ほら、手を取って、引っ張り上げて頂戴」

「仰せのままに、お姫様」

「あら、ようやく分かって来たじゃない。それでいいのよ。ふふっ」


 前に乗せて背中を預かると、ステラは満足気に腕を振りかざして、


「出発進行! 全速力よっ。パニィも適当に付いてらっしゃい」

「はーい」

「えっ、パナイースさん徒歩だけど?」

「パニィは襲歩ギャロップでも振り切れやしないから気にしなくたって平気よ。あの娘には風巨霊トルヴィーナが付いてるんだから」


 トルヴィーナ? それって物語に出て来る風精霊シルフィードなんかより偉い風の精霊じゃなかった? ひょっとしてパナイースさんは物語の終盤に出て来るような大魔法使い? だとしたら彼女を従えているステラは一体……。

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