第3話 ナディーンのプロローグ

 そう言えば劇場に入る前、私ったらこんなことを言っていたのですわ。


「何故この私が南部の詩劇なんかを鑑賞しなくてはなりませんの? コーディリア様から招待状が届いた時には思いもしなかったことですわ。帝室お抱えの劇団が、まさか南部を舞台にした劇を上演するだなんて」


 だってそうですわよね? 私たち北部貴族は共和政時代からの国家の権臣。かつて南部の野蛮人たちは帝国と敵対する道を選び、敗れ去って併合された後も反乱で国を乱そうとしたのです。そんな者たちを主題に据えたところで、一体どんな芸術が生まれると言うのかしら。はなはだだ疑問だったのですわ。


「ナディーン様、お声が大き過ぎますわ。招待されて文句を言っていたなんて知られたら、皇女殿下から次のお誘いを頂けなくなってしまいます」

「そうですわ。それに南部と言っても今日の演目はブランペインの物語。キャメロンとエカテリーナの深く哀しい愛もあれば、王殺しの英雄ダグラス様の活躍だって観られますのよ。その上、帝室お抱えの劇団ともなれば端役に至るまで美形揃い! 絶対に観ておいて損はありませんわ」


 口々に言うのは我がカーブラック公爵家と懇意にしている貴族の令嬢たち。

 ウラノメトリア侯爵家のビアンカは母の姪に当たる従姉妹。

 ブルースタージンガー伯爵家のリンジーはビアンカの幼友達で、私との付き合いはここ三年くらいになるかしら。

 二人とも昨年の秋から帝国大学寮アカデミーで共に過ごしている、気の置けない友人たちですわ。

 勿論、彼女たちの言うことも分かるのです。帝国の真の敵は北のヘールボップ王国。そしてその王国を主軸とした北部同盟なのですわ。

 その昔、北部同盟に踊らされた南部諸国は今や偉大な帝国の版図に収まっているのですから、共に手を取り合ってこそ未来が開かれるというもの。そのことは私も分かっているのです。

 けれど、北部ほど洗練されていない南部では未だに奴隷制度の名残もあると聞きますし、何かにつけ私たち北部を目の敵にして来る困り者たちなのですわ。

 何より許せないのは、一昨年催された私の社交会デビューのパーティーでのこと。公爵家という立場もあることですから南部の有力貴族も幾らか招待さぜるを得なかったのですけど、あの連中と来たら私の赤いドレスをこれ見よがしに笑ったのですわ。あまつさえ、


「カーブラックのお嬢様なら烏の羽根の黒い衣装がお似合いよねぇ」


 ですってぇ!?

 ええ、ええ。絶対に許しませんとも。貴族の子女にとって何より大切な一生に一度の機会をわらわれておいて、そのまま泣き寝入りするような私ではありませんことよ。


「貴女たちの忠告も助言もなおざりにする気はないけれど、私は根っからの南部嫌いですの。二人ともその理由は分かっているでしょ」


 とまあこんな調子で、肩を怒らせながら観覧席に着いたのですけれど――。




 ***




「私、感激してしまいましたわ!」


 カーテンコールを見届けて直ぐのこと。ご招待下さった第三皇女殿下、コーディリア様の元へご挨拶に出向いた先で、私ったら我がことながら呆れるほどの手の平返しを披露してしまいました。この手首と来たら球体間接も真っ青の可動域を有していたようですわ。


「楽しんで貰えたようで何よりだわ、ナディーン。私もブランペインの物語は大好きなの。波乱万丈の運命に呑まれて破滅へと突き進む姿は悲劇だけれど、とてもその一言で表現しきれるものではないもの」


 余韻冷めやらぬ桜色の頬。サンシャインイエローのブロンドにマゼンタの瞳。コーディリア様は今日もお美しいですわ。


「はい。正にコーディリア様の仰る通りでしたわ。そう言えばキャメロンと結ばれたエカテリーナ様は偶然にもコーディリア様と同じ第三皇女でしたわね」

「ええ、そうよ。私も愛する人の後を追うような、二つとない恋に身を捧げてみたいものだわ」


 などと女同士で盛り上がって、コーディリア様の計らいで宮城へ場所を移すことに。

 コーディリア様は今年で十六歳におなりで、私たちよりも歳は一つ上。公爵家の娘である私は、ほんの小さい昔からこのように仲良くして頂いているのですわ。


「ラベンダーグレイのドレスがとっても似合っているわね、ナディーン」

「そう言って頂けると嬉しいですわ。何しろ私はこの髪ですから、何を選んでも合わせるのが大変で」

「そうかしら? 私はそのインディゴの色合い、とっても好きよ」


 インディゴほど明るければまだしも、私の髪はいっそ黒髪ならよかったと思えるほどに濃いミッドナイトブルー。地味なくせに主張が強くて、合わせる色がほとんどない癖物ですわ。子供の頃から他人のブロンドや赤毛をどんなに羨んで来たことか知れません。

 帝国劇場を出た私たちは皇女殿下の馬車に乗り込みました。四頭立ての白馬が牽く帝室の女性専用の白い四輪馬車キャリッジです。コーディリア様と私が差し向いに座って、ビアンカは私の隣り。リンジーはコーディリア様のお隣り。


「でもコーディリア様。ナディーン様ったら開演の直前まで、南部のお芝居なんか観たくもないなんてことを仰っていたんですのよ。こう、目を三角になさって」

「あら、そうだったの?」


 馬車が動き出して間もなく。窓の外に流れる通りを眺めていましたら、私の従姉妹が唐突にいらぬ暴露話を始めて蒼白ですわ。


「ビアンカ! 貴女はどうしてそう直ぐにばらしますの! それに私、三角の目なんかしていなかったですわよ」


 ビアンカの口を封じにかかる私を見てコーディリア様はクスクスと、食わず嫌いだった私の心変わりを笑って許して下さいました。


「そう言えばコーディリア様」

「何かしら、リンジー」

「コーディリア様も今年で十六歳におなりになられて、そうされますと秋からの一年間、私たちと同じく帝国大学寮アカデミーにお通いになられるのですよね?」


 帝国大学寮アカデミーは国内最高と言われる国立の学府です。帝国貴族を始め、大商家おおだなや大農といった平民の資産家たちは、こぞって子弟子女を通わせようと躍起になります。

 十四歳から十六歳までの三年間が既定の就学期間になりますけれど、特定の分野に於いて有能と認められた方や、一定の成績を修めた希望者には既定の期間以降も数年間の在学が認められます。一般に大学生と呼ばれる方たちですわね。

 何しろ国内最高峰の学府ですから、元より家庭教師を付けるなどしてしっかりとした基礎学力を身に付けていないことには、入学試験で惨憺たる結果を味わうことになりますわ。まぁ人によっては財力に物を言わせて裏門を叩く、なんて話も耳にしますけれど。

 ともあれ、アカデミーには皇族の方々も通われます。一年という限られた期間の社会勉強といった位置付けですけれど、過去には大学者の道へ進まれた、なんてお方もいらっしゃいました。


「ええ、そうよ。さすがに寮生活は許されないのだけど、アカデミーに程近い離宮から通わせて貰うことになるわ。貴女たちと違ってたった一年間のことだけど、学生気分を味わえるかと思うと今から楽しみなの。皆さん、アカデミーでも仲良くして頂戴ね」

「はいっ」

「勿論ですわ」

「それに、こうしてご懇意にして下さるコーディリア様がいらっしゃれば、ナディーン様の派閥もますます大きくなって、余所は置いてきぼりですわね」


 ピシッ――。

 また私の従姉妹が余計なことを口にしましたわ。この娘の口は縫い付けてしまった方がいいかもしれません。


「派閥? 学内にはそういったものまであるの?」


 ビアンカがまたおかしなことを口走る前に肘鉄で黙らせて、殿下のご質問には私が返答します。私くらいになると人前でそうと悟られないよう肘鉄を入れるくらいはお手の物ですわよ。


「いえ、まぁ何と申しますか。サロンのことを派閥と呼ぶことがあるのは事実ですわ。確かに競い合う一面はありますけれど、それが皇族の方々を煩わせるようなことは決して御座いません。アカデミーに於いては学生同士、身分の上下なく接するという付則も御座いますから、どうぞお気になさらないで下さいまし」


 何か言いたげなビアンカの膝小僧をつねりながら、当たり障りなく返しておきました。

 アカデミーには個人主催のサロンが幾つもあって、お茶会を楽しむこともあれば、講師を招いて自主科目を学ぶこともあります。

 そもそもアカデミーの学業は必須三学、主要四科、選択科目、そしてサロンによる自主活動から成り立つものなのですわ。

 何事も生徒主導で行われるサロンには、生徒の自主性や主体性を引き出すだけでなく、社会性や協調性といったものを育てるものとして、一定以上の評価が与えられているのです。


「おい、離れろ! 不敬だぞ」


 その時ですわ。馬車の後ろに立って乗る従者が、何やら誰かに叫んだのは。

 何事かしらん?

 窓の外に目をやると栗毛の若駒に跨った一人の……少女? いえ、少年?

 ちょっと身なりはアレですけれど、春の陽射しに勿忘草色フォーゲットミーノットの煌めく髪を揺らして、何だかとても印象的な姿でした。


「誰かしら? 誰かあの方をご存知?」

「いいえ」

「私も」

「心当たりはありませんわ」


 コーディリア様のご質問に皆、口を揃えて首を振りました。


「でも何だかちょっと」


 リンジーが漏らすと、


「そうね、ちょっと気になる方でしたわ。だってあの方、男の方だったのかしら? それとも女の方?」


 ビアンカの疑問にそれぞれ頷いて、しばらくは劇からそちらの話題へと移りました。

 確かに色々とおかしかったのですわ。野暮ったく草臥れた服装からすれば平民なのでしょう。けれど平民が騎馬で通りを行くなんて先ずあり得ないこと。しかもこの帝都でですわよ?

 それから風貌も。パッと目にしただけですけれど珍しい髪色といい、顔立ちもどこか美しく整っていて、私はそれで女性の印象を深めたのですけれど、体付きの方はしっかりとして男らしい――少なくとも女らしくはなかったのですわ。


「結局どっちだったのかしら?」

「私は男性に一票。奇麗な顔の男の子とならお近付きになってみたいですもの」


 コーディリア様の問いにパッと答えたのはビアンカ。私、呆れてしまいました。


「ビアンカ。貴女、少しは節操をお持ちなさい。どういう訳か馬には乗っていましたけれど、あの様子は平民ですわよ? 侯爵令嬢のお相手として、ちっとも相応しくありませんわ」


 するとリンジーが、


「ナディーン様ったら早とちり。私には分かりますわよ? 私たちお芝居を観て来たばかりなんですもの。物語の中では身分違いの素敵な恋が沢山ありますでしょ? きっとビアンカはそういう気持ちから言ったのですわ」


 なるほど。それならば一理ありますわね。


「物語に例えるとしたら、差し詰めあの男性とも女性ともつかない若者は、貴種流離譚の主人公と言ったところかしら?」

「さすがはコーディリア様。だとしたら身分を偽って追っ手から逃れている男装の麗人?」

「違うわよリンジー。恋した街娘と逢瀬を重ねる、平民に身をやつした王子様よ」


 きゃーきゃーわいわいと賑やかですこと。

 でも私たちの年頃はいつだってこうした話題で盛り上がるのですわ。そこには帝室だの公爵家だの、身分の垣根もなくなって、女の子同士、ちょっと背伸びした心持ちで、自分が主役の華やかな恋物語を空想して楽しむのです。


「宮殿の門に着いたわ。今日は夜まで賑やかに過ごせそうね」


 コーディリア様のお言葉に頷いて、私たちは再び、宮殿内の一室で観劇の感想を語らいながらお茶と夕食を楽しみました。

 それにしてもさすがは皇女殿下。ブランペインの物語については好きが高じて微に入り細を穿った知識をお持ちで、私たちも随分と勉強になりましたわ。

 他にも話題は様々な演目にまで及んで、今から次の観劇が楽しみです。

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