第2話 ガラテア・ザ・モンスターキラー
長距離を馬で行く時、基本は
そこで一段ギアを上げて
一時間走って三十分の休憩。後はポルックスの調子を見ながら必要に応じてギアの上げ下げ。そうして旅の初日は八時間の移動と三時間ほどの休憩で実に八〇キロを稼ぎ出した。
「お疲れ様ポルックス。今日の調子で行けばあと九日で帝都に着くよ。でも、私もおまえもだんだん疲れがかさんで来るから、日にちは気にせず無理しないで行こう」
両手で首筋を撫でながら、額を合わせて互いを労う。相棒を厩舎に残してこの日の宿へ戻ると、宿の主人、背中の曲がったお婆さんが待っていた。
「今日は他にお客さんもないから、どこでも好きな部屋で寝ていいよ。うちは宿と言っても元々がただの牧場だから、独り立ちした息子や嫁いだ娘の部屋なんだけどね」
「でも立派なお家です。本当に金銀貨一枚で泊めて貰えるんですか?」
騎士として恥ずかしくないよう、大叔父の下で必要な知識は学んで来た。だからお金の価値だってちゃんと分かる。路銀は地図と一緒に机の引き出しにしまわれていたもの。かなりの額なので小分けにしていた。
大叔父によれば木賃宿の相場は金銀貨二枚。金銀貨は金の周りを銀で囲った硬貨で、銀貨の倍、金貨の五分の一の価値がある。これだけしっかりした造りの家なら、木賃宿の代金に一枚上乗せしてもいいくらいだ。ひょっとして、大叔父が私と過ごした十四年間に世間の相場は変わってしまったのかも。
「いいのいいの。後を継いだ息子夫婦は隣りに新しく家を建てたでしょ。ここは年寄りが一人だから、誰かが泊ってくれるだけで嬉しいのよ。ああ、マリーの部屋だわ。ここがいい。ほら」
開かれたドアから中を覗くと、きちんと掃除された奇麗な部屋。
「広い方がよけりゃ次男坊の部屋があるけど、あんた女の子だから娘の部屋の方がいいでしょ?」
何故だか女に間違われた。騎士を志す私が女な訳ない。
「お婆さん、私は男です」
「あらまぁ、そうだったの? 顔立ちは整ってるし髪も奇麗だからてっきり。あらら、いやだよ。悪いこと言っちゃったね。気を悪くしないでね」
「大丈夫です。それに部屋は寝られさえすればどこでも」
「だめだめ。男の子なら男の部屋がいいに決まってる。でも待ってぇ、ちょっといいかい?」
お婆さんは鼻にずり落ちていた眼鏡を直すと、私の腿や腕、お腹の辺りをベタベタと触り始めた。
「な、何ですか?」
「うん、しっかりてる。これは確かに男の子の体だ」
「鍛えてますから。何ならこんなことだってできちゃいます」
「あらやだ、ちょっと、やだよあんた」
お婆さんを軽々お姫様抱っこして奥の部屋へ。ドアの前で降ろすと「やだねぇ、まったくもぅ」と可愛く照れていた。
「先にお湯を沸かしちゃうから、体を拭いたらキッチンへおいで。あんた、好き嫌いはあるのかい?」
「いえ、何でも食べます。ありがとうございます」
***
届けて貰ったお湯で今日の汚れを拭い取って、寝間着兼用の麻の部屋着に着替えた。いつもは襟足で無造作に縛っている髪も、今は乾かす為に解いたまま。
この光沢のある長い水色の髪は今までに何度も切ろうと思ったことがある。だって剣を振る時の邪魔になるから。けれど大叔父は私の髪色を
「でもこれ、本当に邪魔っけなんだけどなぁ」
髪をいじりながらキッチンへ向かうと、何やらお婆さん以外にも人のいる気配。
「突然来て何を言ってるんだい、おまえ。今夜はお客さんがいるってのに」
「だけどお袋、本当に何かがいたんだって。夜になって牛が鳴くから様子を見に行ったんだ。そしたら仔牛が一頭やられてて、森の方に赤く光る眼が二つ!」
「そんなものおまえ、見間違いでもしたんだろ?」
「この目で見たんだぞ!? 何を見間違うってんだ? もしあれが
「そんなこと言ったって、こっちは今からお客さんの食事なんだよ」
どうにも慌ただしい場面に顔を出すと、お婆さんの他にさっき話に出た別宅の跡取夫婦らしい二人がいた。
「何かあったんですか? 今、悪霊憑きがどうのこうのって聞こえましたけど」
「ああ、おまえが今夜の客か。まったく間の悪い時に……」
無遠慮で
「はい。一晩お世話になります。ついでに私でよければ力になりますよ?」
「おまえが? 話を聞いてたんなら分かるだろ。相手は悪霊憑きかもしれないんだぞ?」
「私はまだ若いけど騎士です。体は鍛えてますから、拳でも剣でも貴方よりは戦えます」
「そうそう。この子ったら体中筋肉で凄いのよ。あたしなんかそりゃもう枕みたいに軽々持ち上げられちゃったんだから」
跡取り息子は今度は値踏みするような目付きになって、
「戦えるのか? 化け物相手に」
「はい。大丈夫です」
「武器は?」
「
「……待ってくれ。少し考える」
跡取り息子はモジャモジャの顎髭を拳で擦りながら黙り込んだ。
息子さんは大叔父とは比べ物にならないけど、それでもガッチリとしたいい筋肉をしていた。労働者の筋肉だ。あとで騎士の筋肉との違いについて語り合えたりしないかな?
「はやくおしよ。お客さんを待たせるんじゃないよ」
「お袋は黙っててくれ!」
「はいはい。ささ、あんたは今の内に食べちゃいなさいな」
完全に一人だけ空気の違うお婆さん。けれど移動中は大した物を口にしてなかったから、これから体を動かすなら食べておくことは必要だ。
「今夜はポトフですね」
「田舎料理だけどお代わりもあるよ。遠慮しないでたんとお上がり」
「ああ、美味しそう。大叔父もよくこれを作ってくれました」
お婆さんが斜向かいに椅子を引いて、一緒になって「頂きます」。周りは少しゴタゴタしてるけど、初めて大叔父以外の人と囲む食卓だから新鮮だ。味の方も、うん! 美味しい。
「よし決めたぞ。街へはメリル、おまえが行ってくれ。俺はこいつと一緒にもう一度牧場の様子を確かめに行く。お袋は食べ終わったら屋根裏部屋だ。分かってるよな?」
「洗い物を済ませてからでもいいかい?」
「おい、頼むから直ぐに行ってくれよっ」
***
「あなた、あの女の子と二人で本当に大丈夫なの? どう見たってまだ子供よ」
「ああ、俺も武器が剣一本ってんなら相手にしなかったさ。だが一式揃えてるってこたぁ、それなりかそこそこかは知らんがやるんだろう。獣の一匹や二匹なら俺がいればどうにかなるし、悪霊憑きだと分かったら家に立て籠って応援を待てばいい。とにかくおまえ、急いでくれよ」
「分かったわ。じゃあ後でね。無茶だけはしないでよ」
戸口での会話が済んだ。奥さんが馬に乗って去ると、残った跡取り息子は早速牧場へ行くと言い出した。私は途中厩舎へ寄って、馬具と一緒に藁山に降ろしてあった武器を小脇に抱えた。
「ポルックス、ちょっと出て来るけど心配しなくていいからね。明日も一日中歩くから、おまえはここでゆっくり休んでて」
軽く嘶く相棒に手を振って牧場へ向かうと、柵の前に手斧を持って立つ跡取り息子と合流した。私が手斧の代わりに
「俺の体格ならそっちの方がよかないか?」
「
「そうゆうもんか。分かった。遅くなったが俺はロドニーだ。おまえは?」
「ガラテアです」
「いい名前だ。それで、どれくらい鍛えてる?」
「生まれてからずっとです」
「……はっ、そいつはいい。なら行くか!」
片手剣をベルトに差してランタンを手にロドニーが先を行く。私はいつでも前へ飛び出せるよう、半歩下がって斜め後ろ。
「こいつだ。生後一年も経たない内に可哀相なことをしちまった」
草叢に横たわる仔牛は三箇所に目立つ傷を負っていた。
一つ目は背中。脊椎狙いの大きな噛み痕だ。肉食獣が大柄な獲物を狙う場合、運動能力を削ぐ狙いから背骨に喰らい付くことが間々ある。
二つ目は右側の後ろ脚。これは逃げ足を殺す為。
三つ目は喉笛。とどめの一撃。
食害は脇や肩、腿に集中。柔らかかったり肉厚だったりと、どれも食べでのある部位だ。
グルルッ――。
「おい、今の聞こえたか?」
「はい。向こうの茂み辺りから」
仔牛の前に屈んだ姿勢からサッと立ち上がって、喉鳴り声のした方に身構えた。視界を邪魔しないよう、切っ先はまだ下げたまま。
牧場を囲う森は夜の闇を吸って炭のように黒い。その下藪から微かな音が続いている。
「少し下がってて下さい」
「あん? だがもし悪霊憑きだったら――」
「大丈夫ですから」
この世には悪霊憑きと呼ばれる
ドラゴンだとかミノタウロスなんかの怪物は私の知る限り全て物語の中の創作だ。妖精や幽霊は本当にいるって大叔父から聞かされていたけど、自分の目で見たことはない。
私はこれまで熊や狼を相手に何度も戦って来た。追い払うにしても向こうが諦めない時には当り前にとどめを刺した。悪霊憑きと戦った経験も過去二回ある。
最初は十歳の時。相手は狂った
二度目は去年の秋のこと。熊の死骸に悪い
だから今度の相手が悪霊憑きだとしても、怖れる気持ちは欠片もない。
「オイッ!!」
大声を放つと後ろからロドニーの驚く様子が伝わって来た。それと同時に藪間から飛び出して来たのは黒い塊り。シルエットは狼だ。ただし、仔牛ほども大きくてゴツゴツしてる。体は光沢を帯びた黒。逆立つ毛は針山のよう。
「多分、
「毒だと!? 離れろってんならそうするが、おまえは? 行けるのか!?」
「大丈夫です」
悪霊憑きは大抵力押しに攻めて来るから、この際見え見えでも構わない。こっちも力任せに横一線の斬撃を放ってやる。
「来いっ!! こっちだ! ほら、どうした。かかって来い!」
声帯群筋を絞って放つ声も騎士に求められる素養の一つ。大きな声が戦場で役に立つということもあるけど、それ以前に、気迫を乗せた声は否が応でも相手を釘付けにしてしまえる。
敵を引き付けて他を守る。それが騎士の戦い方だ。
ゴオォォォォォオオロロ――。
悪霊憑きの咆哮がお腹の底に響いた。ゴリゴリと岩を擦るような音。やはり
精霊は本来、何かを傷付けようとする恣意を持ったりはしない。けれど清らかな場所には友好的な、淀んだ場所には攻撃的な精霊が現れるとも言われている。
悪霊憑きは元の生き物が何であれ気性が極端に荒くなる。
「おい、来るぞ! 来やがったぞ! 本当に大丈夫なんだろうな!?」
見れば分かる。狙い通り、真っ直ぐ私に向かって来てる。
よしよし、いい子だ。そのまま私の刃圏に飛び込んで来い。
ザンッ――。
刹那、悪霊憑きが地面を蹴った。月を背に宙を舞った影が頭上から落ちて来る。こうなると縦方向へ切り上げる為の軌道変化が必要だ。つまり、地面が邪魔。
「ならこっちだって飛べばいい!」
腰を落とした状態から
強烈な推進力を得て高々とジャンプ!
剣を振り回すスペースが確保できたら影と重なるタイミングで一気呵成に振り抜くだけ。
「喰らえっ、グレートッ――」
剣が触れた瞬間、ガツンと堅い岩の感触。
解き放った
「ディヴァイダーッ――!!」
直後にズバンッと重い手応えがあって、勢いのまま振り抜くことができた。着地した背後にドスン、ドスンと、真っ二つに泣き別れた胴体の転がる音。
「おおーい! やったなぁ! 何をどうやったんだ今のは!? 跳んで斬って、物凄かったなぁ!」
振り返れば目を丸くして駆け寄って来るロドニー。
「
「真騎士……? てゆーか、おまえ一体何者なんだよ!? 幾ら鍛えたからって、見ろよこれ、真っ二つだぞ真っ二つ! おお、今頃震えが来やがった。鳥肌だよ。こいつはおまえ、もう伝説だぞ!?」
「大袈裟じゃないですか?」
「バカッ、何が大袈裟なもんか! よし、そうだ。おまえに一つ称号をくれてやろう」
「称号?」
ロドニーは「待てよ、待て待て」と眉間に皺をたくさん寄せて、それからおもむろに手を打って頷いた。
「ガラテア・ザ・モンスターキラー! どうだ? カッコイイだろう?」
「そのまんまじゃないですか。でも、ありがとうございます。これでもう安心ですね」
「おう、死骸の方は街の連中が来たら片付けておく。おまえは明日発つんだろ? なら後は任せて、早いとこ部屋へ戻って休め」
「はい。あと、
「了解だ。ボロきれならお袋に言やぁ適当なもんをくれるだろう。しかしまぁ何て言うか……。本当に助かったよ。ありがとうな、ガラテア・ザ・モンスターキラー!」
親指を突き立て、取って付けた称号を高らかに叫ぶロドニー。
「やめて下さい。恥ずかしいです」
でも悪い気はしない。寧ろ喜んで貰えて嬉しい。たった一度でもこうして騎士らしい行いができたことは、何よりこれからの励みになる。
さぁ、この晴れやかな気持ちのまま、明日はまた帝都を目指して旅をしよう。
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