第30話 秘密

「兄妹で焼肉、それに『兄貴』……か。ひとまず仲直りはできたようだな。よかったよかった」


 そのことに安心した俺は思わずほっこりしてしまう。

 俺はスマホを取り出して画面に表示された時刻を確認する。


「あと1分で18時30分か。俺もそろそろ行くか」


 屋上のドアに背を預けていた俺は、やや駆け足で階段を降りて朝比奈先生の元へ向かう。

 駆け足で降りたのは佐藤兄妹に見つからないようにするため。

 そして安全圏まで来てしまえば、あとはゆっくりと歩いて朝比奈先生のいる生徒指導室へ向かうだけだ。

 ただ、この時間に屋上から生徒指導室へ向かえば朝比奈先生との約束の時間には間に合わない。

 これは佐藤兄妹の結末を最後まで見届けようとしたから遅れたわけではなく、意図的によるもの。

 それでも俺は一切慌てることなく、薄暗い校舎内を進んでいく。

 廊下には俺一人の足音しか聞こえないが、生徒指導室の方からは微かに男達の声が聞こえる。


「どうやら、終わったようだな」


 俺は足を止め、その場でスマホゲームをしながらさらに5分ほど時間を潰す。

 その後、俺はスマホをポケットにしまってから生徒指導室に向かい、ドアを開いた。


「あ、やっと来た! もぉ〜! 10分の遅刻だよ?」


 室内には高級感漂う革製のソファが向き合うように置かれており、朝比奈先生はそこに退屈そうに腰を深くして座っていた。

 室内に飾られている時計に目を向けてみれば、針は18時37分を指している。正確には7分の遅刻だが、朝比奈先生は繰り上げで10分と解釈したそうだ。


「遅れてすいません。次からは気をつけます」


 俺が軽く頭を下げて、謝罪する。


「素直でよろしい!」


 朝比奈先生はソファから立ち上がり、元気な声を発したと思えば俺の頭を優しくなでなでしてきた。予想もしていない対応に俺の心臓はドキッと跳ね上がる。幸いなのは顔を下げているから心情がバレなかったということ。

 俺は気持ちを落ち着かせ、何事もなかったかのように涼しい顔を装う。


「まぁ遅刻はダメだけど、今回のケースの場合は特別に許してあげる」

(今回のケース?)

「林くんが遅れてきた理由は、あの三人と鉢合わせしたくなかったからでしょ?」

「!!」

「あ、今の反応……図星だな〜?」

「……ええ、まぁ」


 朝比奈先生が可愛い小悪魔の笑みを浮かべながら、俺の頬をツンツンする。朝比奈先生は教職員でありながらも生徒との壁を感じさせないそのユーモアさに距離を縮めやすく、その結果職員と生徒の両方からも絶大な人気を誇っている。

 こんな俺に対しても気持ち悪がることなく接してくれるのだから、朝比奈先生が人気の理由を今、身をもって感じた気がする。

 すると、朝比奈先生が急に背伸びをし、顔をこちらに近づけジーっとこちらを観察し始めてきた。


(え、なに? チュー? チューなの!? チューしちゃうのぉッ!?)

「……あ、ごめんね。見つめちゃって! ささっ、こっちに座って座って?」

「あ、はい。どうも……」


 さっきのはなんだったんだ? と内心疑問を抱きながらソファに座る。


「今お茶を入れるね〜?」

「あ、お気遣いのほど、ありがとうございます」

「いいのいいの。私が呼んだのだから、お茶出しぐらい当たり前だよ。気にしないで」


 朝比奈先生は事前にお湯を沸かしていたポットを使い、茶葉をセットしたきゅうすにお湯を注いでいく。

 1分ほどで出来上がったお茶を二人分のコップに注いでいき、お盆に乗せ、ソファの間に置かれているテーブルへと置いた。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 俺へのおもてなしが済んだところで、朝比奈先生は俺と対面する形でソファに座る。

 朝比奈先生は自身のお茶を一口飲んでから本題に移った。


「さっき彼達からも事情を確認したけど、全部認めるそうだよ」


 彼達、とは臭男達のこと。


「案外あっさりと認めたんですね」


 最後の最後まで悪あがきをするかと予想をしていたが。


「それは認めるしかないでしょ〜。というより、認めざるを得ないと言った方が正しいかな。それは林くんが一番分かっているんじゃないの? その右ポケットにあるス・マ・ホ♡」


 朝比奈先生が俺のズボンの右ポケットに指を向ける。


「よく見ているんですね」

「だって、もっこりしていたから♡」

「言いかた!!」

「ごめんごめん。でも、こうなることは目に見えていた。違う?」

「……まぁ、こっちは証拠を握っていますからね。相手がどうあがこうと無駄ですよ」

「もぉ、分かっていながらはぐらかすんだから〜。林くんも意地悪なところあるね〜」

「あはは……」


 別にはぐらかすつもりはなかった。ただ今回の騒動について、自分の行為を改めて振り返り、少しだけ罰を感じているだけだ。


「もしかして、後悔している?」

「っ……」


 確信を突かれたその問いかけに俺は黙り込んでしまう。そんな俺を見て朝比奈先生が優しく言葉をかけてくれた。


「先生はいいと思うな」

「えっ」

「だって話を聞いた限りだと、彼らが一方的に悪いことは明白。林くんは自分を守る為に、そして赤坂さん達を救う為に退学まで追いこんだ。そうでしょ?」

「はい……」


 今回の計画については事前に朝比奈先生に相談していた為、細かい説明は必要ない。


「過程はどうであれ、林くんのおかげで誰かを守れた。その事実は確かだよ」

「そうかも、しれないですね……」

「うん。だから胸を張って……とは言えなくても、ちょっとは自分の事を褒めてあげてもいいんじゃないかな?」


 朝比奈先生は決して俺の事を否定しない。気遣っている様子もなく、それは本音で言っているかのようだ。

 だから俺は自尊心が刺激され、自分の行いは正しかったのだと、そう認めてしまうのだった。


「そうですね。ちょっと自分に自信を持てた気がします」

「うん。それなら良かった」


 そんな俺の言葉に、朝比奈先生は喜ばしそうに笑みを浮かべた。


「でも、先生も特別棟で聞いた時は本当に驚いちゃったなぁ」


 数時間前の記憶を振り返る朝比奈先生。

 その後、急に立ち上がり、何か用事でも思い出したのかと思えば……俺の側に寄ってきて––––––。


「!」



 優しく包み込むように、俺を抱いた。



 フローラルな香りが俺の鼻腔をくすぐる。さらにキューティカルでさらさらな桃色の髪が頬に当たり、柔らかい凹凸が俺の胸に接触する。

 そんな予想もしていなかった展開に、頭の中が真っ白になった。


「先生に相談してくれて、ありがとう」

「あさひな……せんせい?」

「食堂に駆けつけた時、林くん何もないって言ったでしょ? 先生、本当は何かあるって気付いていた」

「……」

「でも、強引に踏み込むのも違うと思って……。そしたら、どうしたらいいのか分からなくなって……」

「先生……」

「だから、林くんから相談してくれるのを待つことにしたの」

「そうだったんですね」

「誰かに相談するのだって、とても勇気がいることだって分かっていたのに……私、教師として失格だわ」


 俺は朝比奈先生の身をゆっくりと剥がす。朝比奈先生は今にも泣きそうな表情をしていた。


「そんなことはありません。先生はあの時、駆けつけてくれました。俺はそれだけで十分心が救われましたよ」


 多くの教員は服装チェックなどには常にアンテナを張っているくせに、いじめに関しては見てみぬフリをする。

 相談しても口先だけで真面目に取り組まず、最終的に問題をあやふやにして解決させようとする。

 それは単純に自分の仕事量が増えるのを避けたい反面、学校側としても問題にしたくないという意図が込められている。

 それに比べたら、朝比奈先生がどれだけ善のある人間か。もはや言うまでもない。


「朝比奈先生が寄り添ってくれたから俺は相談出来たんです。本当にありがとうございました」

「ううん、いいのよ。生徒の相談に乗るのは担任として当然のことだから」


 その当然と言える事をしてこなかったのが、俺の今ままでの担任だ。顔を思い出すけで、殺意が込み上がってくる。


「これからもなんでも相談してね? 先生で良ければ今回のように力になるから」

「はい。その時は、またよろしくお願いします」


 朝比奈先生は素敵な人だ。相談に乗ってくれるだけではなく、俺の計画にまで協力をしてくれるのだから。ここまで付き合ってくれる人など、そうそういない。


「そうだ。せっかくなので一つ聞きたいことがあるのですが、いいでしょうか?」

「うん。なんでも聞いて?」

「今週の火曜日、朝教室に入ったら俺の机が倒されていたんですよ。机の中身も無惨に散らばっていまして」

「それはひどい……! もしかして、それも彼らが!?」

「いや、どうでしょう。多分あの三人の仕業かと思うのですが、これといった証拠がなくてですね。何か知っている情報があればお聞きしたかったのですが」

「う〜ん、ごめんね。先生も分からないな」

「そうですか。では、もし何か分かりましたら教えて頂けませんか?」

「いいけど……もし誰だか分かったら、どうするの?」

「先生の前で言うことじゃありませんが、今回のような措置を取らせて頂くことになるかもしれませんね」

「それはつまり、退学にさせるってこと?」

「時と場合によりますね」

「……そうなんだ。でも、先生には否定する権利はないかな。だって、林くんにこうして協力しちゃったんだもん」


 朝比奈先生は臭男達を退学にさせるという俺の計画に協力してくれた。今さらになって俺を咎めることは立場上しづらいのかもしれないな。


「でも、平和に解決できるところは平和に解決しましょうね?」

「もちろんです」


 臭男達を退学にさせたのは、救いようのない人間だと判断した為だ。素直に改心さえしてくれれば退学まで追い込むことはしなかった。


「では、俺はそろそろ帰りますね。今回は色々とありがとうございました」

「ううん。先生のほうこそ、相談に乗ってくれてありがとう。今回のことは内密にね?♡」

「はい。こちらとしても、そうして頂けるとありがたいです」

「ふふっ。二人だけの秘密が出来ちゃったね?♡」


 口元に人差し指を当て、色気のある大人を演出する朝比奈先生。今は密室で誰もいない。だから、そういう誘惑は大人の女性と関わりがない俺にとって性的刺激には抜群だった。それでも理性で無理やり抑え込む。


「あははっ、そうですね。では、俺はこれで失礼します」

「うん、気をつけて帰るのよ?」

「はい」


 ドアの前で一礼し、俺は生徒指導室を出る。朝比奈先生はそれを笑顔で見送った。


「さて、私も片付けて早く帰ろうっと」


 テーブルの上に置かれたお茶を台所まで持って行き、スポンジに洗剤を染み込ませ、洗い始める。


「良かった。机の件、覚えていてくれたんだ」


 朝比奈先生は俺の為に用意したコップを洗いながらつぶやく。


「退学にさせる、かぁ。残念だけど、それは無理だよ」


 泡まみれのコップを水で綺麗に洗い流し、水切りかごに置く。


「だってその犯人は」


 手についた水を、タオルで綺麗に拭き取る。




「––––––先生なんだから」

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たまに本音か冗談か分からない事を呟く、隣の席のアリア。 御船ノア @kiyomasa_eiyo

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