第22話 迫る決断

「な、なんとか食べ終わった……うぷっ」


 アリアと黒崎の分の冷やし中華を見事完食した俺。お腹が膨らんでしまうほどに食べすぎてしまい、息をするのが苦しい。こういう時に白雪がいてくれたらな〜、なんて思う。

 食堂に備え付けられた時計に目を向けてみれば、時刻は13時30分を過ぎていた。五時限目は13時40分からなので結構ギリギリである。

 すぐさま食べ終わった食器を返却口にトレーごと入れてから食堂を出る。

 すると、食堂の出入り口に見知った坊主頭の二人が立っていた。


「よぉ。遅かったな」


 仲良さそうに固まっていたのは勇男と正男だった。


(おいおい、食後のデザートとしては重すぎだろ……)


 ただでさえ満腹で苦しいというのに、臭男達の絵面は俺の腹をより一層満腹にさせる。またあの時のように間近で臭いを嗅いでしまったら吐く自信があるので勘弁してほしいものだ。


「……今度はなんの用だ?」

「決まってんだろ。例の件だよ」

「……」

「お前、なに普通に赤坂達と連んでんだよ。この前警告したはずだぜ? それを分かったうえでの行動だというなら……こっちもそれなりにやらせてもらうぞ?」


 ずいっと距離を縮め、険しい顔を近づけてくる臭男達。その迫力に押された俺は後退りしてしまうが、食堂の外壁にぶつかり逃げ場を失う。そんな俺を挟むように詰めてくる臭男達。前方から臭い吐息と体臭が俺を苦しめる。

 そんな臭い臭いの刑に処されている俺は、この場から一旦逃れようとやや強引に臭男達の隙間を抜けようとするが、向こうも強引に突破口を防ぎ始める。勘弁してくれ……。


「おっと、逃さねーぜ? まだ話は終わってねぇんだからよ」


 あまりのしつこさと理解不能な行動に思わずため息をつきそうになった俺だが、なんとか噛み殺す。


「……昨日も言ったが、アリア達に振り向いてもらいたいなら自分達で行動すればいいだろ。誰のものでもないんだから」

「お前って物分かりが悪りぃな? お前の存在が邪魔だから俺達の入り込む余地がねぇんだろうが」

「……」

「さっきお前は二人にあんなひどいことをしたっていうのに嫌な顔ひとつすらしねぇ。それどころか、お前のフォローに入った」

「……」

「お前が二人になにかしでかせば、多少はお前の事が嫌いになると思ったのによぉ」

「……そんな理由で、二人を巻き込んだのか?」


 思った以上に低い声が出てしまう。そんな俺の問いに勇男は迷う素振りなく答えた。


「そうだが?」

「ッ––––––」


 プツン、と頭の中で一瞬何かが切れた感覚を覚えた。すると心の底から煮えたぎるように熱の温度が上昇していく。いつの間にか両手は握り拳をプルプルと震わせていて、それは昨日こいつらをぶん殴りたい怒りの感情と似ていた。

 あの時は白雪が一人で成敗したから俺の出る幕はなくなったが、あの時と違って白雪はいない。

 ここで俺が手を出せば、今度こそ殴り合いが発生することだろう。不意打ちでこちらから仕掛ければ一発ずつは喰らわせられるかもしれない。


 ––––––だが、本当にそれでいいのだろうか。


 俺がここで暴力を振るうことは、こいつらにとって大打撃となるのかは正直に言って微妙なところだ。拳一発の痛みなんて一瞬だ。時間が経てば傷も痛みもすぐに治る。それに後で倍返しなんて展開も見え見えだ。それじゃあ本末転倒だろう。これまでの仕打ちを考えれば割りに合わない。


 ––––––じゃあ、俺はどうする? 俺は一体、どうするのが正解なんだ?


 アリア達と一緒にいれば俺の学園生活が脅かされる。アリア達と離れれば手出しされることはないが保証はない。俺一人の力でねじ伏せることは出来ない。他言も許されない。


「…………」


 考えろ。俺の唯一の武器は自頭だろ。なにか打開策があるはずだ……。

 思考を巡らせているうちに、熱を帯びた怒りの感情は徐々に冷めていき、暴力による制裁の選択肢は頭の中から消えていた。


「まっ、自分で決めたことだ。今後の学園生活……覚悟しとけよ?」


 勇男が俺の胸ぐらを掴みながら握り拳を見せつけてくる。俺が今日アリア達と食堂に行ったということは、俺自身ひどい目に遭う選択をしたという意味合いに繋がる。そうなれば今後の学園生活は地獄が確定だ。


「ちょっと待ってくれ」

「あぁん?」

「分かった。俺はアリア達と二度と関わらない。だから俺のことは見逃してほしい」

「……嘘だったら今度こそぶっとばすぞ?」

「約束する。もし俺がアリア達と絡んでいたら暴力でもなんでも受け入れる。それで許してくれるか?」


 臭男達が不適な笑みを浮かべる。


「いいぜ? お前が約束を守るなら俺達もお前に手出しはしない。ただし、二人に俺達のことを暴露したら容赦しねぇかんな」


 アリア達に対して口封じを要求してくるのは、自分達の印象が悪く映ってしまうのを懸念しているからだ。そこまでして自分達の印象を良くしようと企むのだから、よっぽど好意を寄せていることが分かる。


「分かった」


 期待していた返事を聞いて満足な様子の臭男達。


「あなた達、そこでなにをしているの!?」


 校舎内の通路から声を荒げ、小走りでこちらへと近づいてくる大人の女性。あの桃色の髪は……。


(朝比奈先生!)

「一体どうしたの? 事と場合によっては先生が許さないわよ!?」


 朝比奈先生が少しだけ息を切らしながら厳しい顔つきで臭男達と対峙する。


「いやだな〜先生。ちょっと男だけの話をしていただけですよ〜」


 へらへらと作り笑いを浮かべながら弁明する勇男。


「なっ! はやしくん!」


 すると、俺の肩に腕をまわして仲良しアピールを見せつけようとしてきた。プラス、顔には「話を合わせろ」と言わんばかりの不気味な笑みを向けてくる。


「……はい」


 先生に正直に話したい半分、穏便に済ましたい半分の気持ちで頭の中が混乱してしまい、思わず敬語で返事をしてしまう。


「そう。なら早く教室に戻りなさい。授業に遅刻するわよ」

「うぃ〜っす。んじゃ、またな。はやしくん!」


 勇男が先陣を切って歩き出すと正男が後に続く。

 残された俺と朝比奈先生。勇男達の姿が見えなくなったあと、朝比奈先生は心配そうな目で俺を見つめてくる。


「大丈夫だった!? なにかひどいことされてない!?」

「え、まぁ……はい」


 傷などがないか確かめるようにずいっと顔を近づけてくる朝比奈先生。その距離の近さに思わずドキッとしてしまい、反射的に顔を引いてしまう。朝比奈先生は二十代という若さもあるからか、見方によっては大学生とも認識できる。そのうえ見た目も可愛らしく仕事のできるOLのようでもあり、上司にしたい人ナンバーワンに選ばれていそうだ。そこにとろけてしまいそうな優しい雰囲気がムンムンと醸し出されているのだから、帝学園でも人気なのは納得の一言。アリア達とは違う、大人としての魅力がそこにはあった。あと胸も大きい。


「さっき教室に向かう途中で赤坂さん達と会ってね」

「アリア達、ですか」

「……うん。二人が手提げ袋を持ってどこかへ行こうとしていたから、そこで事情を聞かせてもらったの」

「そうなんですね」


 アリア達がどこまで話したのかは知らないが、少なくともここに来るということは話しの全体は聞いていることになる。


「あとで林くんにも聞いてみようと思って教室を見たら林くんがいないからさ。もしかしてと思ってここに来てみたの」

「そうだったんですね。すいません、ご迷惑をおかけして……」

「ううん! いいのいいの! 先生が勝手に動いているだけだから気にしないで!」


 朝比奈先生はぶんぶんと手を振りあたふたする。そういったお茶目な部分も人気の一つなんだろうな。心との距離が縮まったような気がする。


「でも、本当になにもされてない? 林くんって大人しいイメージがあるから、一人で抱え込んでいるんじゃないかなって心配で……」


 朝比奈先生は担任としての責務もあり、ここまで心配してくれるのだろう。純粋に困っている人を見かけたら放って置けない優しい性格なのかもしれないが。


「はい、今のところは大丈夫です。なにかあれば先生に相談しますので、その時はどうかよろしくお願いします」


 ひとまず今回の件は伏せておくべきだろう。後で捜索されて大ごとになっては困る。それに、臭男達に念を押されたばかりだしな。


「そう? なにかあれば些細なことでもいいから先生に相談するんだよ? 林くんは私の大事な生徒なんだから! ねっ?」


 朝比奈先生が柔和な笑みを浮かべながら俺の両手を優しく包み込むように重ねる。触れた肌はほんのり冷たかったが、すぐにじんわりと温かくなっていった。


「先生……!」


 さっきまで俺の心は恐怖と不安で怯えていたが、今は全てが救われたかのように心が軽くなった。これも朝比奈先生が持つ魅力の一つなのかもしれない。


「約束して? 一人で抱え込まないって。先生がなんでもするからさ」


 ん? 今なんでもするって……。

 心が救われいつもの調子を取り戻した俺は、人の恩を変態思考へと変換させてしまい、すぐに払拭させた。でも、『なんでも』って言われると、ついそっち系に思考が寄ってしまうのが男というものだよねっ☆(開き直り)


「先生、本当にありがとうございます!」

「うん! いつでも相談してね?」


 なにかあればすぐに朝比奈先生に相談する約束を交わし、俺は五時限目の授業に向けて駆け足で戻る。

 朝比奈先生が担任で良かったと心から思った。朝比奈先生は困っている人に寄り添ってくれる心強い味方だ。それを知れただけでも大きな収穫となった。

 俺は人生で初めて、担任の先生に好感を持てた。



     ★



 なんとか間に合った俺は、五時限目の授業であるオーラルの授業を受ける。

 教壇にはスラっとした日本人女性とガッチリとした体型の外国人男性の先生二人が、俺達クラスメイトと時折英語を交えながらコミュニケーションを図っている。


「それじゃあ、今度は色んな人と『将来について』英語で話し合ってみましょう」


 授業の流れで先生がクラス中にそう指示すると、席に座っていた生徒達のほとんどが一斉に立ち上がり、色んな人と英語だけで喋り始める。

 日本語は禁止というわけではないが、帝学園の生徒であれば日常会話を英語で話すことは容易い。

 基本人見知りしでコミュ障部類の俺にとって最悪のイベントではあるが、教室で浮かないために俺も誰かとコミュニケーションを図ろうと席を立つ。しかし、残念ながら最優先候補であるアリアと黒崎は授業に出席していない。体の清潔感を取り戻すために念入りに行っているのだろう。神林も今日も風邪で休みのため、帰宅部メンバーは全滅だ。

 そこで俺は、唯一残された希望である白雪に声をかけることにした。


「白雪」

「……おう、林か。なんだ?」

「いや、良かったら俺の話し相手になってくれないか? 白雪以外に話せる相手がいなくて」

「……分かった。私も相手を探すところだったし丁度いい」


 白雪はそう言うが、実際のところ席に座ったままで探すような素振りはなかった。どこか上の空という感じで授業にも集中出来ていない。

 その原因が『苛立ち』によるものだという事を、俺は知っている。

 周りの生徒達はペラペラと英語で会話をしているため、俺達も英語で会話をすることに。


【何かあったのか?】

【……なんのことだ?】

【さっきから様子が変だからさ】


 食堂から教室へと戻ってきた際、すぐさま席に座っている白雪の姿を目にした。廊下側の一番後ろの席だから自ずと視界に映っただけなのだが、その時の白雪は爪先を噛みながら苛立っている様子だった。

 声をかけるか迷った挙句、授業開始のチャイムが鳴ってしまいその機会は失われた。

 こうして授業中に白雪と話せる機会を得られるとは思わなかったが、授業の目的は英会話なのでサボりには入らないだろう。

 白雪もそのことを察したのか、観念したかのように喋りだした。


【……私が屋上で飯を食っていた時、あの野郎が現れてな】

【あの野郎? おい、もしかしてそいつ、美佐男だったりするか?】


 名前も出さず、『あの野郎』と呼ぶからには俺と白雪の共通認識である人物なのは明白。

 その人物は言わずとも『臭男三兄弟』の誰かだ。


【正直、あいつら似たような顔してっから誰が美佐男なのか把握していないが、少なくともお前を連れ出した三人の一人であることは確かだ】

【なら、そいつは美佐男だ。残りの二人は食堂にいたからな】


 白雪は誰がどういう名前なのかは興味なさそうではあったが、残りの二人が食堂にいたことには反応した。

 白雪は続ける。


【そうか。なら、その美佐男って奴がだな、急に現れたと思ったら早々と私にカメラを向け続けてきたんだ。その場で飯も食いながらな】

【カメラ?】

【ああ、スマホのな。カメラを撮っている確かな証拠はないんだが……カメラレンズが付いている方を私に向け続けてきやがった】


 白雪が突っ掛からなかったのは、先ほど言ったようにカメラを撮っているという証拠がないからだろう。ただカメラを向けているだけという線もあるからだ。そこで白雪が文句や手出しでもすれば冤罪になりかねない。


【そいつは私から距離を置きながらずっとその状態だ。それ以外は何もしてこねぇし、口も開かねぇ。何が目的かさっぱりだ】


 美佐男が白雪にカメラを向け続ける。その目的はおそらく……。


【これは俺の考察だが、多分カメラを向けること自体に目的はないと思う】

【どういうことだ?】

【白雪、お前もしもこれからの学園生活で今日みたいなことがずっと続けばどうする?】

【どうするって、そりゃあ嫌だからぶっとばすに決まってんだろ。あんな奴らにやられっぱなしなんてごめんだぜ】

【そう。それが奴らの狙いなんだよ】


 カメラを撮っていないとはいえ、本人の許可なしに『撮影している風』を相手にされれば、誰だっていい気はしない。

 ポケ●ンGOみたいにスマホを向けるゲームもあり、たまたまそこにいた人が盗撮されていると勘違いして揉め事に発展したというのもある。相手はその気がなくとも、されている側はどうしても疑ってしまうものだ。

 白雪はまだピンときていない様子だった。


【それに苛立って仮に白雪がぶっとばしたとしよう。––––––で? そいつらがカメラを撮っていなかったら? あとは先生にチクるなりして、冤罪を申し出ればお前の負けだぞ、白雪】


 白雪はハッとなり、ようやく理解した様子。


【まぁ、これはあくまでも考察にすぎないからなんとも言えないんだがな。あくまでも条件から想定できる範囲内で考察しただけだ】

【……よくそんな事を想像できたもんだな。割と合っていそうだから正直驚いている】

【……頭だけが取り柄なんで】

【だが仮にそうだとして、受け入れることは出来ねぇな。それってつまり、手出しが出来ねぇってことだろ?】

【ま、そうなるわな】


 そこが難しい点ではあるのは確かだ。


【くそっ、だからあいつ……!】

【まだなにかあるのか?】

【ああ。そいつが帰り際に『お前も俺達に歯向かった事を後悔させてやるよ』って言ってきやがったんだ。どうりで余裕な面をしているわけだ】


 ……お前『も』?


【念のために言っておくが、多分林のことも言っていると思う】


 ちょっと待て。それだと臭男達と交わした約束は最初から『嘘』ということになるんだが……。


【確かに言っていたのか?】

【ああ。聞き間違いなんかではない】

【……そうか】


 仮にそうだとするならば、白雪と共に俺の学園生活が脅かされることになる。俺ならともかく、白雪までが被害を負う必要はない。

 そもそもこれは、『俺が』引き寄せた事件だ。

 アリアも黒崎も、白雪も……全部『俺という存在』が不幸を引き寄せたことでもあるのだ。

 俺がいなければ、アリアも黒崎も悲惨な目に遭うことはなかったし、白雪も目を付けられることはなかった。


 ––––––俺が、みんなを巻き込んだのも同然なのだ……。


 教室内は会話で賑やかなはずなのに、心臓の鼓動だけが鮮明に聞こえる。



 今この瞬間、心の底に眠るもう一人の『オレ』が目覚めようとしていた。



「林?」


 今までの人生で、『こんなこと』を考える日はいくらでもあった。でもそれを実行するには抵抗が必ず生じ、込み上がる欲望を理性で無理やり抑え込んでいた。

 それを実行してしまえば、俺は人としての道を踏み外すことになるからだ。

 でも、『それ』をしなかった事による後悔も心の底で感じているのだから不思議なものだ。

 人はやった後悔より、やらなかったことに後悔するのだという。

 だから俺は過去から学び、後悔しない為にも実行してみようと思う。

 これまでの後悔と共に––––––俺は新たな第一歩を踏み出す。


「おい、はやし……?」


 もうあいつらに信用できるほどの価値などない。このままではあいつらの好き放題にされるだけ。それならやることは一つだ。



 喜べ、臭男達よ。




 お前達は––––––初の実験体になってもらう。

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