第21話 不審な動き
午前中の授業を終え、昼休みになった。
アリアと黒崎の三人で食堂に着くと相変わらず大勢の人集りで賑やかだ。
俺達は三人揃って冷やし中華を注文して受け取り、前を歩いている二人の後を追いながら席へ向かおうとする。
––––––その時だった。
「えッ!?」
足が何かに引っかかり、バランスを崩した俺は盛大に倒れてしまう。トレーの上に乗せていた冷やし中華は宙を舞い、そして––––––。
––––––バシャッ。
……まるでいたずらドッキリを仕掛けたかのように、二人は俺が運んでいた冷やし中華を頭から盛大にかぶってしまう……。
「「…………」」
アリアと黒崎の頭の上には数本の麺と少量のもやしやきゅうり、ハムや紅生姜などの具材が乗っかっており、毛先からはスープがポタポタと垂れていた。
さっきまで賑やかだった食堂が会話一つ聞こえないほどに凍りつく。それもそうだろう。わざとじゃないとはいえ、滑って誰かに冷やし中華をぶっかけるという事故はそう起こり得ることではない。
ましてや、その被害者が学園内でも屈指の人気を誇る美少女なら尚更に。
いつもなら女の子らしい香りがする二人ではあるが、今は華やかな香りは微塵も感じずスープの臭いしか感じない。
食堂にいる全員から注目を浴びる。かなり気まずくて恥ずかしい状況だ。今すぐ死にたいほどに。
床には悲惨な状態でばらまかれた具やスープ。床からもスープの匂いが漂っていた。幸いだったことがあるとすれば、二人以外に被害者はいないということぐらいか。
目の前に映る悲惨な光景に頭の中は真っ白になって言葉が出ない……。
普通ならすぐに謝るべきだ。だが今の俺にはそんな当たり前のことですら出来なくなっていた。まるで金縛りにあっているかのように動けないでいる。呼吸をすることでさえ忘れてしまうほどに。
被害にあってから未だにこちらを振り返らない二人。アリアと黒崎は……今どういう心情なのだろうか。
俺のことを嫌いになってしまったのだろうか。違う、違うんだ! 俺は誰かにはめられたんだ! そいつのせいでこのような事故が起きてしまったんだ!
頼む……嫌いにならないでくれ……離れないでくれ……! お願いだ!
俺はこれからもお前達と一緒にいたい! ずっと仲良くしていたい!
俺は二人のことが––––––!!
「ふふふっ。全く、派手にやってくれたわね」
「そうだね〜。おかげで全身冷やし中華まみれだよ」
アリアと黒崎は両手に持っていたトレーを近くの空いている席に置いた後、ようやくこちらへと振り返る。
幻滅され怒りに満ちた顔をしているかと思いきや、二人にそんな色は微塵もなく、むしろへらへらと開き直っているかのように清々しい表情をしていた。とても冷やし中華を浴びた人とは思えない。普通であればキレてもおかしくない状況なのに。
それどころか、二人は制服のポケットからハンカチとティッシュを取り出して––––––。
「大丈夫? ケガはない? あ、ここ汚れているわよ?」
アリアが俺の制服についたタレを拭いてくれた。
「アリア……?」
「私、トイレからトイレットペーパー取ってくるね。あ、私のハンカチとティッシュは自由に使っちゃっていいから」
黒崎が床に溢れたものを掃除する為に必要な物を取りに行ってくれた。
「黒崎……?」
二人は俺を責めるどころか、自分のことなど後回しにして手を差し伸べてくれた。
「ほら、なにボーッとしているのよ。あなたも手伝いなさい」
「あ、あぁ……っ」
俺も自身の制服のポケットからハンカチとティッシュを取り出し、床の掃除に取り組む。一人分の冷やし中華をきれいに掃除するには当然足りなくて、大量の紙類が必要だった。
「取ってきたよー」
ちょうど大量の紙類が必要だというタイミングで黒崎が戻ってきた。両手には3ロールのトイレットペーパーが。
「ありがとう。黒崎さん」
「どうってことないよ。さ、とっとと片付けちゃいやしょうぜ?」
「……その口調はアニメの悪党か何かなの?」
「おっ、赤坂さんも分かるようになってきたね!」
「あなたが変な口調をし出したら大体アニメか漫画の影響だというぐらいにはね」
「その調子でどんどんこちらの世界に来ちゃいなYO!」
「……そのラップ音も影響のせいなの?」
二人がトイレットペーパーを使って床掃除をしながら、日常の軽いやり取りが行われている。
それを目の前で見聞していた俺はいつの間にか掃除する手が止まっていて、傍観してしまっていた。理由は分かっている。
「……なぁ」
俺がようやく声を出すと、二人は会話を止め視線をこちらへと向ける。
「怒って……ないのか?」
俺がそう問うと、二人は呆れ口調で答える。
「怒るわけじゃないでしょ。わざとじゃないんだし」
「うんうん。不慮の事故なんだから気にすることないよ」
二人はあくまでも、今回の事故は偶然によるものだと認識しているらしい。
それもそうか。事故の瞬間、二人は俺より前を歩いていたから気づいていないのも仕方がないことだ。
––––––だが、当の被害者である俺は知っている。
あれは偶然の事故なんかじゃない。
あれは––––––意図的によって起きた事故だ。
「おいおい、大丈夫かぁ?」
背後から優しい口調で現れたのは……臭男(くさお)こと勇男(いさお)だった。その横には正男がいる。美佐男(みさお)は休みなのか、この場にはいない。
「食堂はたまに床が滑るから気をつけないとだめだぜ?」
「あなた達は……」
二人は料理を乗せたトレーを空いている席に置いたあと勇男がアリアの隣に、正男が黒崎の隣にさりげなく位置を取りしゃがみ込む。そして驚くことに、トイレットペーパーを手にして一緒に床掃除を手伝い始めた。
「大変だろうから俺達も手伝うよ」
「え、ええ……っ。ありがと……?」
アリアが戸惑いながらもお礼を言う。一瞬顔が険しくなったのは臭いからか。きっとそれもあるのだろうが、大きく関係しているのは臭男達の印象変化によるものだろう。それは黒崎も同じようだった。
アリア達から見た臭男達の第一印象はあまり良くない。それは俺が初めて臭男達に連れて行かれるところを止めようとした時点で分かることだ。
(なるほど。それが狙いか)
俺の足を引っ掛けこのような状況を作り出したのは、アリア達から見た臭男達の印象を良い方向へシフトする為だ。
人が相手に好印象を与えることができれば、それだけでパーソナルスペースは縮まる。
つまり臭男達は俺を出しにつかい、アリア達から好印象を抱かれるようにしてから徐々に距離を縮めていく算段というわけだ。
実際、床掃除をしながらも俺に向けてくる顔には『チクったらぶっ殺す』とでも言いたげだ。
やがて綺麗に掃除を終えた俺達。
アリアは手伝ってくれた臭男達にお礼を言う。
「ありがとう。助かったわ」
「いいってことよ! 同じ一年同士、これからよろしくな!」
「今度機会があれば俺達とも一緒に食べようぜ! なっ!?」
「え、えぇ……機会があれば……」
「ほんじゃ、またな! お二人さん!」
アリアと黒崎に向かって手を振り、立ち去る臭男達。二人は空いている奥の席に座って食事に取り掛かった。さっきの挨拶に俺が含まれていないのはそれだけ嫌っている証拠だろう。
臭男達に手を振られたアリアは小さく手を挙げるだけで、黒崎は手も振り返さずにずっと黙ったままだった。
残った俺達も食事を再開しようとするが……。
「……う〜ん、今は食事よりも着替えなきゃだよね?」
「……そうね。このままでは席を汚しちゃうし、何より全身スープまみれで気持ち悪いわ……」
二人はスープがたっぷりと染み込んだ制服を気にしながら言う。
「……二人共、ごめん。俺のせいで……」
「いいえ。気にしていないわ。それよりも、林くんにはお願いしたいことがあるのだけれど」
「お願い?」
「私達の分の冷やし中華を代わりに食べてくれるかしら? これから私達は着替えないといけないから」
このまま食事に取り掛かれば五時限目の授業をそのまま受けることになる。そんな状態では気持ち悪いし授業に集中など出来ないだろう。臭いも周囲に迷惑をかけてしまう。
「ああ。分かった」
「それじゃあ、行きましょうか。黒崎さん」
「うん。じゃあまたね、きよ君」
「おう」
互いに手を振り合って解散となる俺達。俺は二人が注文した冷やし中華を受け取り、席に着いた。
(た、食べきれるか……?)
普段から人並みの量しか食べない俺にとって冷やし中華の二人前は厳しい。ここの食堂はサービス精神が良く、一人前の量が一般的なものより一回り多いのだ。
(……食べるしかないか)
覚悟を決め、具材一つ残さない勢いで食らいつく。側から見ればやけ食いのように映っていることだろう。
久しぶりの孤食。
今までの俺だったらなんともないはずなのに、今の俺にとって一人での食事は心細かった。
★
黒崎さんと一緒に食堂を出た私達は、自分達の教室から体操着の入った手提げを持ってグランドに備え付けられた水道に向かう。それは着替えるだけではなく、髪を水洗いする目的もあるからだ。さすがに髪がベタついたまま授業を受ける気にはなれない。
一階の渡り廊下を進みグランドが見えてくると、前方から私達の担任である先生がこちらへと向かって歩いて来ていた。片手には風呂敷に包まれた女性らしい小さな弁当箱を手にしていることから、昼食を済ませた帰りといったところか。
「あら? 赤坂さんに黒崎さん。こんにちは!」
「「こんにちは」」
柔和な笑みで明るく接して来たのは『朝比奈陽菜(あさひなはるな)』先生。
私達Dクラスの担任で普段は担当科目である化学の授業を受け持っている。
背中まで伸ばしたキューティカルな桃色の髪。服越しからでも分かる適度についた脂肪。見るからに柔らかそうだ。美しさと可愛さの両方を兼ね備えた若妻のようでありながらも、いつも明るく元気いっぱいで優しい雰囲気を持ち、些細な悩み事でも打ち明けてしまいそうになるほど親しみやすい朝比奈先生は子供から大人まで大人気だ。
基本警戒心の強い私ですら心を許してしまいそうになる。
そんな朝比奈先生は私達が肩に掛けている手提げを見て疑問に思ったのか、首を傾げる。
「二人共、手提げ袋なんて持ってどこかに行くの?」
「はい、ちょっと……」
「ん〜?」
私のはっきりとしない返事に朝比奈先生は怪訝な顔を浮かべる。
「……そういえば二人共、良く見たら髪の毛とか制服がベタついているね。なんか臭いもするし……」
朝比奈先生はまるで不衛生な物を見るかのように若干引いている様子。やはり私達の取った選択は間違っていないことを改めて知った。
朝比奈先生の指摘に苦笑を浮かべることしか出来ない私達。
朝比奈先生は少しだけ考える素振りを見せたのち、心配そうな表情で聞いてくる。
「もしかして、誰かにいじめられているの?」
「!」
『いじめ』というワードを耳にした瞬間、私の心臓がドキッと跳ね上がる。それは過去にいじめを受けていたトラウマによって過敏になっていることが原因だろう。
中学の時、こんな風に気づいてくれる先生がいてくれたら……なんて、考えるのは無駄か。
それに今の私はいじめに遭っているわけではないし、何より味方がいる。
私の隣にいる黒崎さんを見て、不思議と心は落ち着いてきた。
「いいえ、いじめなど遭っていません。これはちょっとした事故によるものです」
私が感傷に浸っているうちに、黒崎さんが答えてくれた。
「事故? あのっ、もし良かったら先生にも聞かせてくれる? 担任として一応聞いておきたくて……!」
世間はいじめに対して敏感になっている。その件数の多くが『学校』であり、ここ最近ではいじめが原因で自殺をする者も増え続けている。事件は起きてからでは遅い。世間から見た学校の評判を良好に保つためにも、帝学園の職員は些細なことでもいじめに関与していそうな状況を見かけたら逃さないようにしているのかもしれない。
私と黒崎さんは自然と目を合わせる。アイコンタクトで信頼性の高い朝比奈先生には話しても問題ないと判断し、うなずいて合意しあう。すでに私達の悲惨な姿を見られてしまっているため、隠し通すのも無理だと思ったからだ。
私達は食堂での事情を話す。
「なるほど、林くんが……。それは悲惨だったね……」
林くんがつまずいて、トレーの上に乗っていた冷やし中華を前にいた私達が浴びてしまったことを聞いた朝比奈先生は心配そうな様子。
ただ勘違いしないように、林くんは意図的にやったわけではないという事と、それに対して怒りや不満などは微塵も感じていないことは伝えておいた。
「だから、これからグランドの水道で髪を洗ったあと、着替えようと思っているんです」
「確かにそうした方がいいかもね。ありがとね、話してくれて」
「いえ」
「もし五時限目に間に合わないようだったら私に言って? 私の方から担当の先生に事情を説明して遅刻欠席扱いにさせないようにするから」
「「ありがとうございます!」」
気遣ってもらった朝比奈先生に頭を下げてお礼をしたあと、私達はすれ違うようにグランドへと向かう。
すれ違う瞬間、朝比奈先生が怪しい笑みを浮かべていた気もするが、きっと気のせいだ。
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