第19話 親友
「あいつらは確か、野球部の人だね」
黒崎さんがつぶやく。
コミュニケーション能力が高く、顔が広い彼女は他クラスの情報も入手済みのようだ。
林くんが謎の男子集団に連れて行かれるところをただ心配そうにじっと見守ることしかできない私達。助けに行こうとしたところを彼に止められ、思わず指示に従ってしまったけど……やっぱり助けに行くべきだろう。
そう決意した私は林くん達の進んだ方向へ足を踏み出そうとすると、後ろから腕を掴まれた。
「……なにかしら? 黒崎さん」
「行ってどうするの?」
「決まっているでしょ。林くんを助けるのよ」
「どうやって?」
「どうやってって……それは、口で言って……」
「私の経験上、ああいう輩は素直に言うことを聞かないよ。むしろ反感を買うだけ」
「じゃあ、何もしないで見捨てろって言うの?」
「そうは言ってないでしょ? ただ、今は行かない方がお互いの為って意味だよ」
「……どういうこと?」
黒崎さんの言っている意味が分からず、私は険しい顔をしてしまう。黒崎さんはそんな事を気にせずに説明し始める。
「さっきの輩達が進んだ方向からして向かったのは特別棟だと思うんだけど、そこは放課後になると人がいないから何か企むのに打ってつけの場所だったりするんだよね」
赤坂さんを陥れるために佐藤先輩とよく落ち合っていたから分かる。あそこは授業や特別の用事がない限り人が出向くことはない。
「そんな場所に私達が行けば輩に目を付けられるどころか、巻き込まれて被害に遭うかもしれない」
「…………」
「それをきよくんが望んでいると思う? きよくんが私達を止めたのは、そういう意味も含まれているんだよ。赤坂さんもきよくんの去り際の顔を見たでしょ?」
確かに見た。林くんは連れて行かれる前、私達に『大丈夫だ』と言っているかのような妙に自信に満ちた顔をしていた。何か考えがあるのか、それとも虚勢を張っているだけなのか分からない。
仮に考えがあって私達を止めたのであれば、黒崎さんの言う通り私達が出向くのはかえって足手まといになる可能性がある。だから、きっとそれは正しい判断なのかもしれない。
「でも––––––!」
それが例え合理的であったとしても、私は助けに行かなければならない。
腹の底から熱く煮えたぎる感覚を覚えた私は、その熱の勢いに身を任せ冷静な判断が出来ずに感情だけで動こうとしていた。まるで喧嘩した子供のようにやけになってしまいそうだ。
「赤坂さん!」
「ハッ––––––」
自分のことだけに頭が回っていた私は黒崎さんの強い声をかけられ我を取り戻す。すると、熱くなっていた頭の中が徐々に冷めていくような感覚を覚え冷静さを取り戻す。
そんな私の両肩に優しく手を乗せた黒崎さんは柔和な笑みを向けて言った。
「助けたい気持ちは分かるよ。それは私も同じ。でも、今はきよくんを信じて我慢する時だよ」
黒崎さんの手はわずかに震えていて力んでいた。それを見て私はようやく理解した。
––––––本当は黒崎さんも、すぐに助けに行きたいのだと。
でもそうしないのは、林くんを信じているからであって。
「なにも見捨てるわけじゃない。詳細については明日にだって聞けばいい。そこから私達が支えになってあげられるところを支えてあげればいいんじゃないかな?」
「…………」
私が床をじっと見つめながら逡巡していると、数秒後の末ようやく決断を下す。
「……そうね。私達に出来るところをしてあげればいいよね」
「うんっ」
私が理解を示した返事をすると、黒崎さんは安心した顔を浮かべる。
その後、黒崎さんはうってかわってこんな提案を出しはじめた。
「じゃあ、今日はせっかくの女の子同士の帰宅ってことで、帰りにカフェでも寄って行かない?」
「へ?」
思わぬ提案に、私は素っ頓狂な声を出してしまった。
★
学園から徒歩20分弱のところに目的地のカフェはあった。そこはカフェ店に詳しくない私でも知っている『スターバックス』だった。
中は落ち着いた色の照明で照らされていて、心安らぐジャズが流れている。客層は大学生みたいな若い男女が多く、ノートパソコンを開いて作業している者や集中して勉強に取り組んでいる者もいる。
現状店内で制服姿なのは私達だけだからか、店内の人達の視線を強く感じる。きっと自意識過剰なだけだと自分で納得し余計な思考を振り払う。
二人用席に対面する形で座った私達は注文した『キャラメルフラペチーノ』と『ダークモカチップフラペチーノ』をテーブルの上に置く。
黒崎さんが注文したダークモカフラペチーノを一口飲んだので、それにつられて私もキャラメルフラペチーノを飲む。一息ついたところで黒崎さんが話し出した。
「こうして赤坂さんと二人きりで飲む機会が訪れるなんて思わなかったなぁ」
黒崎さんはどこか懐かしむように視線をテーブルに向けている。
「……本当はね、今日どうしても赤坂さんには言いたいことがあって。それでさっき半ば強引に連れ出したというのが本音なんだよね」
今度は気まずそうな、申し訳なさそうな表情に変えて言う。
私が林くんの元へ行こうとしたのを止めたのは、この場を設けたかったからだと黒崎さんは言っているのだ。その点に内心驚きと疑問を隠せないでいた私だったけど、あの時説得していた黒崎さんの言葉は本心でもあったことは理解していたので黒崎さんをとがめるようなことはしない。その思いがあるからこそこうして居た堪れない姿を見せているのだから。私は黙って黒崎さんの話に耳を傾ける。
「自分勝手でごめんね。––––––でも、今日どうしても二人っきりで話をしたくて」
「気にしていないわ。黒崎さんの言っていることも一理あったわけだし。––––––それで? 話したいことってなにかしら?」
私が問うと、黒崎さんは一度真剣な目つきをこちらに向けたあと、テーブルに額をくっつけるスレスレの所まで頭を下げ始めた。
「今までのこと、本当にごめん!」
告げられたのは謝罪の言葉。『今までのこと』というのは言うまでもなく、黒崎さんが私にしてきた悪事の事を指している。
思わぬ一言に私はどう返答したらいいのか慌ててしまい、頭の中が混乱してしまった。そんな思考がまとまらない状態で出た言葉はテンプレートとも言えるもので。
「いや、もう気にしていないから! 顔をあげて!?」
あたふたしながら黒崎さんに返答すると彼女は顔をあげてくれた。そんな彼女の顔は泣いてしまいそうなほどに弱々しくて、何かフォローの言葉をかけてあげないと逆にこちらの心が痛んでしまう。
「私も、そのっ……あなたにはちゃんとこうして謝りたいと思っていたから。こちらこそ、本当にごめんなさい……」
私と黒崎さんの立場が入れ替わるように頭を下げる。すると黒崎さんも「ううん! 私も気にしていないから顔をあげて!?」と気を使ってくれた。
顔をあげる私。すると、ふと黒崎さんと目が合ってしまい、それが何故かおかしくてお互いに吹いて笑ってしまった。きっと、言葉も態度も同じだったからかもしれない。
「赤坂さんには、本当に多大な迷惑をかけちゃったね」
「本当よ。どれだけ大変だったことか」
「あはは……」
私は腕を組んで頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。その姿を見て苦笑するしかない黒崎さん。私はすぐに元の顔に戻し正面を向いたあと告げる。
「でも、あなたには感謝しているわ」
「えっ?」
「あなたは、私の目標への原動力でもあったから」
私の言っていることが理解できていないため、黒崎さんは疑問符を頭に浮かべている。
「どういうこと?」
「あなたは中学時代、中間試験や期末試験でいつも一位を取っていたわよね?」
「……うん」
私の中学では試験の合計点が高いトップ30位は学内掲示板に張り出される仕組みになっていて、一位の座には黒崎さんが『常に』いた。それも満点。そして続く二位の座には『常に』私がいた。ほとんどが数点差によるもの。
「あなたは知らないだろうけど、私は陰でいつもあなたを超える事を目標にしていたの。あなたを超えられないようでは帝学園に合格することができないって暗示をかけてね」
勝手に黒崎さんを超えるべき目標としたことで、それが勉強のモチベーションにも繋がっていた。
「でも、結局あなたには一度も勝てなかったわね……。それでも帝学園に合格できたのはそれも関係しているの。私、こう見えて結構負けず嫌いだから」
「……ぷっ」
黒崎さんが吹き出す。
「な、なによ……?」
「こう見えてって、どう見たって赤坂さんはそうでしょ」
「なっ!」
思わぬ指摘に、私は雷に打たれたかのような衝撃を覚える。
「いっつもツンツンとした雰囲気を醸し出しているし、体育の時だって容赦ないし、きよくんにはいつも手刀を繰り出しているし」
「……それがどう負けず嫌いと関係しているのよ?」
「アニメや漫画でも、そういう特性を持つキャラは大体負けず嫌いな人が多いんだよ」
「アニメと現実を一緒にしないでほしいのだけど……」
確信を持って告げてくるかと思えば、大して当てにならない事を言い出す黒崎さんに苦笑を浮かべるしかない。黒崎さんはアニメや漫画が好きというのは林くんから聞いているから、思考がそっち系に寄ってしまったのだと勝手に納得させた。
「でも、これは今だから言えることかもしれないけど、あの時の悲劇は味わっておいて良かったなと思うわ」
「え、どうして?」
「だって、こうして素敵な人達に巡り合えることが出来たんですもの」
「––––––!」
満面の笑顔でそう告げてくる赤坂さんを見て、私の胸はドキッと跳ね上がる。正面からそのようなセリフを言われると……恥ずかしいような、照れちゃうような。
それが誰とは口にしなくても、両者の頭に浮かんだのは帰宅部メンバーであることは明白だった。
「そしてあなたは……そのっ…………私の……っ」
「?」
赤坂さんが急に顔を赤く染め始め、落ち着かない様子で告げてきた。
「初めての––––––『親友』だから!」
まるで告白をされているかのような錯覚を感じてしまい、私も赤坂さん同様に顔を赤くし落ち着かない態度を取ってしまう。
周りのお客さんは落ち着いて過ごしているのに、ここの席だけそわそわと落ち着かない様子で変に目立っていることだろう。
その現状を少しでも緩和させたくて、それを隠し通すように私はいつもの悪い癖が出てしまう。
「……ふ〜ん?」
いつものイタズラな笑みを浮かべて。
「なっ、今度はなによ……?」
「いま、『親友』って言った?」
「……い、言ってないし」
「いいや、言ったでしょ」
「言ってない」
「言った」
「言ってない!」
「言った!」
高校生とは思えない子供の言い合いを始める私達。
お互いに羞恥心からくる影響によって本音を隠し通そうとし、中々素直に戻れないでいる。
いつまでも平行線で終わりのないやり取りに黒崎さんは最終手段に打って出た。
「……親友だったら、嬉しかったなぁ……」
「…………〜〜〜〜〜〜ッ!!」
しゅんと落ち込む姿を見せつける黒崎さん。わざとなのか、本気なのか分からないその姿に私の心がズキンと痛んでしまう。私が頭を悩ませながら最終的に出た結論はもう一度だけさっきの言葉を告げることだった。
「い、一回だけだからね……!? 今度はちゃんと聞いてよ!?」
「うん!」
私がそう言うと、ニパァと表情を明るくする黒崎さん。その純粋無垢な笑顔に押し負けてしまった私はもう後に引けなくなって。
「あっ、あなたは……私の親友よ。黒崎さん」
慣れないセリフに恥ずかしさを感じながらも二度目の告白を伝えることに成功。
すると、何やら『ピコンっ』という音が黒崎さんの方から聞こえてきた。
「はい、言質取りました〜」
「んん?」
満足そうな様子の黒崎さん。いつの間にかスマホを手にしており、なにやら画面を操作している。やがて操作を終えると再生マークのボタンが表示された画面を見せつけてきた。
黒崎さんが再生ボタンを押すと音声が流れて––––––。
『あっ、あなたは……私の親友よ。黒崎さん』
「ッ!?」
スマホから流れたのは紛れもなく私の声で、しかもさっき告白した台詞だった。
「ちょっ––––––!?」
とっさに黒崎さんのスマホを奪おうとするが、その動きは読んでいたのかあっさりとかわされてしまう。
黒崎さんは両手で包んだスマホを大事そうに胸に当てながら告げる。小悪魔の笑みを浮かべながら……。
「へっへっへ。お前の音声は預かった。返して欲しければ私と親友になれ」
悪い顔をしながら脅し文句を告げてくる黒崎さん。脅すわりには内容が可愛らしいものなので微塵も恐怖を感じない。
急に茶番が始まり出して困惑を隠しきれない私だけど、音声が人質(?)に取られているいじょう、削除してもらうためにもここは茶番に付き合うことにした。
「分かったわ。あなたと親友になる。だからその人質(?)を解放しなさい」
「人質? なに言っているの?(笑)」
「親友やめるわ」
この後、黒崎はめちゃくちゃ謝って音声を削除し、二人は親友関係を取り戻した。
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