第7話

 「お帰りなさい」


 いつもと変わらない、優しい声で母はマキを出迎えてくれた。


 マキは、玄関前に着いてからしばらく帰るべきなのか悩んでいた。その間に日は完全に落ちきり、母は調理を終えていた。


 「ご飯出来てるよ」


 「…うん」


 ダイニングに向かうと、四角い食卓の上には色とりどりに盛り付けがされたお皿が並べられていた。


 お米にハンバーグ、キャベツとプチトマトにコンソメスープ。そして卓の中央には、苺のホールケーキ。


 「真姫、25歳の誕生日おめでとう」


 「…」


 きっと、間違いだらけの25年間だった。正解なんてきっと3割もないだろう。追試も受けることのできない人生で、マキは間違いなく赤点だった。


 「天網恢恢疎にして漏らさず…」


 「それ、いつも言ってるよね」


 先月50を迎えた母の顔には、今まではなかったシワが浮かんでおり、頭髪は所々白くなっていた。


 「世界にさ、私はいなくてもいいんじゃないかな」


 マキは、ホールケーキの上に置かれた“お誕生日おめでとう”と書かれたプレートを眺めながら言う。


 「私が特別だと思ってやっていた、悪を退治する魔法少女なんて必要がないくらい世界は平和だった」


 「良いことね」


 「うん、良いこと。この上なく良いことだよ。悪い人がいても、それを誰かが私よりも早く注意している」


 「いい人ね」


 「うん、いい人だった。それに比べて私はさ、勘違いしてばっかりだし、見て見ぬふりをしちゃうし、これでよく人助けをするだなんて言えたものだよね」


 「…」


 「ねぇ、私って、必要な存在なのかな」


 25年間生きてきて、誰にも何かを求められることがなかった沙手茂真姫。


 自身の必要性を見失い、結果として求められる前に助ければいいのではという考えに辿り着いた彼女は、魔法少女名探偵マキとして、つとに日々活動をしていた。


 冷ややかな視線もものともせず、ただ誰かを助けようと生きてきた。


 「何が天網恢恢疎にして漏らさず、だ」


 「真姫…」


 震える声は、人生で最大限の嘲りだった。自分に対する、哀れみの声だった。


 「天網恢恢疎にして漏らさず、私は悪だ…」


 「真姫」


 「天網恢恢疎にして漏らさず、私は咎だ…」


 「違う」


 「天網恢恢疎にして漏らさず、私は、死ぬべきだ…」


 「違うよ真姫!!!」


 マキの両肩を掴み、彼女の母親はマキに目を合わせる。


 水に沈められて揺蕩う水面から見える宝石のように、マキの瞳は母親を写し出していた。


 「あなたは悪でも咎でも、死ぬべきでもない!」


 「でもママ、私…」


 「今の世の中で、必要でない人なんていないわ!きっとどこかの誰かがあなたを求めている」


 「誰が、私を」


 「目の前にいるじゃない」


 いつもの、優しい声で母は言った。


 「目の、前?」


 「そう」


 「ママ、は、私が必要なの…?」


 「うん、手がかかって仕方がない、可愛い真姫が私の人生には必要なの」


 初めてだった。初めて必要だと、面と向かって言われた。


 どうして警察官の彼には自分の持っていない友人を持っているのか、どうしてあの女は生徒から慕われているのか、不思議で、そして羨ましくて、妬ましくて、でもその理由をマキは理解した。


 「今まで私は、」


 自分だけを必要としている人を見ることをしてこなかった。


 「天網恢恢疎にして漏らさず。人が自分を必要としているのに、見放すなんて悪だ…」


 「うん、真姫は悪い娘。ママを無視するだなんて」


 「天網恢恢疎にして漏らさず、天網恢恢疎にして漏らさず、天網恢恢、疎にして、漏らさ、ず…う、うあああああああん」


 マキの瞳に溜まりきった涙は、最後の堤防を突破して漏れ出した。


 「真姫は、ママの心を支えてくれる魔法少女だよ」

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天網恢恢疎にして漏らさず ナガイエイト @eight__1210

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