第5話
その後、マキは秘乃目から手錠を外してもらい、ココアを提供してもらった後に厳重注意を受けた。
威厳のようなものが無い彼が怒っている姿は全く怖くなかったうえ、それ以上に可愛く見えてしまった。
なので別れ際に警察官よりもアイドルの道を進むことをオススメしたのだが、結果それは「逮捕しますよ」という脅迫により一蹴された。
「秘乃目君のような人がいれば、日本は安泰だね」
それは心から思った本心の想いだったのだが、それを秘乃目に伝えることは、マキはしなかった。
ああいう優しいひとには、余計な言葉なんていらない。下手な言葉を言えば、調子に乗ったり、変に曲がってしまうかもしれないから。
想いというのは、言わないからこそ想いなのだ。それがマキの考え方だった。
必ずしも伝える必要はない。
マキは落とし物を拾って交番に届ける少年を見かけた。
それはついさっきマキが飛び越えた落とし物だった。
時刻はお昼ご飯が欲しくなってくる午後一時。
ただ残念なことに、マキは一文無しだ。お金がないこともないのだが、それはステッキに差し込んだSuicaだけだ。
まぁ、売れば500円は返ってくるので実際には一文無しではないのだが、しかし売ってしまえば帰りは歩きになってしまうため、暑い夏の日にこんな格好で歩くのは体力的にもキツ過ぎるので、そんな考えは露程思い付かなかった。
なのでマキには、現状お昼ご飯を食べる術はなかったし、そんな術を考えることは直ぐ様やめた。
「こんなことなら、交番でカツ丼でも食べてくればよかった」
きっと、交番や警察署をカツ丼の出てくる定食屋だと考えている成人女性は、世の中でマキだけだろう。
腹の虫が鳴る。
昔マキは、この表現をそのままの意味で解釈していた。
胃の中に大きな虫がいて、そいつはお腹が空くと「早く飯を入れなければ内臓を食い荒らすぞ」という警告の為に鳴いているのだと勘違いして、それに怯えていたマキは少しでもお腹が鳴ると大量のご飯を胃の中に流し込んでいたのは、恥ずかしい思い出だ。
その所為で中学生の頃の体型は豊満なワガママボディになってしまい、その体型は高校に進学する際も継続され、周りから随分と虐められてしまったものだ。筆頭はスポーツが大好きなカースト上位の女子だった。
「天網恢恢疎にして漏らさず。いつか会ったらボコボコにしてやるわ」
そんな物騒なことを呟いたマキは、無事空腹で倒れることなく舞ヶ浜駅に到着した。
おもちゃのステッキに差し込まれたSuicaを改札口に当てて、マキはホームへと入った。
「今日は早く帰ってご飯にしましょ。今晩ママは何を作ってくれるのかな」
まだお昼だというのに、もう晩御飯の事を考えている彼女は、ガタンゴトンと音を鳴らしながらホームへと入ってきた電車に乗り込んだ。
マキは老婆に席を譲る女子高校生を見かけた。
自分は座ったままだった。
マキは、特に何を考えるでもなく目眩く景色を眺めていた。
見間違いかもしれないが、マキは公園の木に引っ掛かっている子供の帽子を取ってあげる大人の姿を見た。
自分には到底手が届きそうもないので、もしあの事態に直面したら誰かに頼むことを進めるだろうと思った。
視線を電車内に向けた。
電車の中で走る子供を止めて、優しく注意をする主婦を見た。
自分はおそらくいつも通り「天網恢恢」なんて言って、大声で叱るのだろうと思った。なんならステッキで殴るかもしれない。
そんな自分を想像するのが嫌で、マキは目を閉じた。
脳内で、虐められている自分を助けてくれた中学生の少年を思い出した。名前は、なんとか
もしも自分が彼の立場であったなら、年上の虐め現場があまりにも怖すぎるため、走って逃げ出していただろう。
電車が停まった。
どうやら最寄り駅に着いたようで、マキは急いで電車から飛び降りた。
その瞬間、明らかに品行方正から逸脱しているであろう容姿をした金髪でスカート丈の短い女子高生が、珍妙な格好をした自分に、「忘れ物ですよ」と言ってステッキを渡してくれた。
「あり―――」
ありがとうを言い切る間も無く、扉は無情にも閉められてしまった。
マキは、ステッキを改札に当てた。
まるで魔法かのように、改札口は自動で開閉した。
感情が渦巻き、まるで魔法かのように、マキの目にはしょっぱい水が生まれていた。
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