第20話 クイナが俺から離れない




 水晶の部屋から外に出てすぐに、クイナの姿を発見した。

 少し遠くで何だか非常にソワソワしている様子だったが、俺を見つけるなりすぐに小さく跳ねて駆けだしてくる。


「アルドっ!!」

「ぉわっ?!」


 盛大に飛びついてきたクイナから強めのタックルを受けて、俺は思わず尻もちをついた。


 胸の中に滑り込んでくるフワリと温かい体温と、俺の胴体にギュッとしてくる小さな手。

 今の勢いでフードが外れ、ピンと立ったケモ耳が目下に姿を現す。


 何かがワッサワッサとしてるなと思えば、コートの裾を押し上げて黄金色の尻尾が揺れていた。

 少なくとも歓迎モードだ。

 そう思えば、とても微笑ましくて、嬉しくって、くすぐったい光景だなって……って、ん?

 


「バッ! お前っ、耳としっぽ!!」

「ハッ!!」


 俺の叫びにクイナが「マズい!」と頭を隠した。

 でもね、クイナさん。

 お陰でケモ耳は隠れたけれど、尻尾はまだ丸見えだよ。


 これぞまさしく『頭隠して尻隠さず』の典型――なんて言ってるような場合じゃない。



 俺は慌てて押し上げられてたコートの裾を引っ張って尻尾を隠す。

 が、覆水は盆に返らない。



 額を汗がタラリと伝う。

 

 今まで様々な社交場に立ちそれなりの経験を積んできた筈の俺だけど、今ほど手の施しようがない事態に出会ってしまった事はない。


 どうしよう。

 せっかくここまで来たっていうのに、結局俺はこの子を無事に安全地帯へと連れてく事さえ出来ないのか。


 そう思った時だった。


「ここはもう、ギリギリですが確実にノーラリア共和国の中ですよ」


 そんな風に声を掛けられて、俺は「へ……?」と少し間の抜けた声を上げた。

 

 ゆっくり顔を上げると、そこにはあのダンディーな微笑みがあって。


「運がよかったですね。この国では、彼女がたとえ人族でなくとも誰も何も言いはしません」

「あ……」


 そうだった。

 ノーラリアに入ってしまえばもう大丈夫。

 そしてここはノーラリア。

 俺は今正に、国境を越えてきたのだ。




 安堵に思わず頬の筋肉が力無く緩み、深い息が漏れて出た。

 するとそれを真似したように、クイナも同じく息を吐く。


 体の力が抜けたんだろう。

 胸の上でグッタリだけどホッとしたクイナのせいで、体に伝わる重みが増した。



 そんな俺達の脱力具合に、ダンディー・ダンノは可笑しそうにクスクスと笑い、地べたに押し倒されたままの俺にスッと手を差し出してきた。

 

 それをありがたく受けながら、俺はゆっくりと立ち上がる。


 その時に空いた方の手でクイナの頭を「どいてくれ」とポフポフ撫でてみたんだが、まったく退く気配が無かった。

 そのお陰で俺の腰に、クイナがデローンと付いてくる。


 ぶら下がる結果になったとしても今の俺に寄っかかるスタンスを崩すつもりは無いらしいクイナは、きっとさっき「鍋にされる!」と心臓が縮み上がるような思いだったんだろう。

 気が抜けてしまったのは、仕方が無いのかもしれない。


 仕方がない。

 そう思いつつ、俺はその頭をワシワシしながら再びダンノに目を向けた。



 今もすかさず手を貸してくれたダンノは、そういえばさっきクイナを見つけた時もすぐ近くでメルティーと一緒に俺を待っててくれてた気がする。

 もしかしたら兵とちょっと話し込んでいる様子だった俺に配慮して、クイナを宥めてくれていたのかもしれない。


「ありがとうございます」

「いえいえ別に、そんなお礼を言われるような事は一つもありませんでしたよ?」

「でも、クイナの事は見てくださっていたでしょう?」


 だからと言えば、彼は「律儀な人ですね」と言って笑った。


 そんな彼に「出来る事なら嫌われたくはないよなぁー……」と思いつつ、今までの無礼を謝罪する。


「それからクイナの事、ずっと黙っていてすみません」

「ソレについても気にしていません。状況が状況でしたし、少しビックリしたくらいですよ」


 そもそもここでは獣人なんて、珍しくもなんとも無いですしね。

 彼はそう言い、隣にいる娘のメルティーの頭にポンっと手を置く。


 そこで初めてメルティーの様子に目が行った。

 そして俺はその顔を見て、ちょっとギクリとしてしまう。


 そこには、驚きの表情を浮かべた彼女が立っていたからだ。



 ダンノからは、偽りの気配を感じない。

 多分本当に驚いただけで、隠し事をしてた俺もクイナも、悪くは思っていないだろう。


 しかし彼がどう思っても、メルティーはメルティーだ。

 彼女がどう思うかは、また別の問題である。


 せっかくクイナと仲良くしてくれていたし、出来れば二人の仲もこのまま……と願いたくなってしまう。

 もしここで拒絶されたら、クイナだってきっととっても落ち込むに違いない。



 と、クイナを見れば、彼女も隠していた事を後ろめたく思っているのか。

 耳も尻尾もしょんぼりとさせていた。


 その様子を少し心配しながら見てると、やがて驚き顔のメルティーが「……クイナ、ちゃん」と口を開いた。


 彼女の声に、クイナの耳と肩がビクリと跳ねる。


「あの、その……」


 クイナが俺の服の裾を握った。

 その手の上から包むようにして握ってやれば、裾から俺へと彼女の熱が乗り替わる。


 


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