第26話 天使だと思ったら聖母だった……が。



 2人して串を食べつつ、俺達は夕日に向かって歩いていた。


 別にセンチメンタルな気持ちだったからじゃない。

 もっと実用的な事を心配してだ。



 そして見つけた。


 『天使のゆりかご』


 そう書かれた建物を。




 ダンノさんに教えてもらったその宿は、「洗練されている」という言葉がピッタリな外観だった。

 何というかこう、飾りっけが一切無い。

 もしかしたら「人を呼び込む気が無い」と言い変えても良いかもしれない。


 他よりちょっと大きな民家という風貌で、もし看板が無ければ宿屋だとは思わなかっただろうと思うくらいだ。


 そんな感じだから、申し訳ないが今の所は名前負け感が否めない。



 しかしまぁ、せっかくダンノさんが教えてくれた宿である。

 他にツテも無いんだし、俺もそれほど高望みはしていない。


 だからクイナの手を引いて、明かりが漏れるそのドアにゆっくりと手を掛けた。




 押し開くと、外が暗かったからだろうか。

 室内の明かりが少し眩しい。

 瞑るまでは行かなくとも、思わず目を細めながらドアをくぐる。


 と、その瞬間。


「あ、お泊り希望の方ですか?」


 ――天使に出会った。

 そう思った。



 もっと具体的に言えば、まるで天使かと思うような慈愛に満ちた微笑みの持ち主が、背中に白い羽を背負しょってそこに居た。

 これを「天使」と言わずして、一体何と言えばいいのか。


 ……否、分かってる。

 彼女が天使じゃないって事くらい。


 ここは他種族国家であり、種族の中には翼を持つ種族も居る。

 名を、天族。

 古い伝記では、それこそ神の御使い・天使と表現される事だってある種族だ。



 が、ここで一つ小さな謎が氷解した。

 宿屋の名前の一部の事だ。


 それに一人で納得していると、多分ずっと反応しない俺を不審に思ったんだろう。


「あの……?」

 

 「どうしましたか?」と聞きたげな黒瞳がこちらを見てくる。

 それでやっと、俺の方も我に返った。


「あ、すみません。宿泊希望なんですが空いてます?」

「はい大丈夫ですよ」


 俺の答えに彼女は安堵と喜びの表情を覗かせながら応じてくれた。

 そしてちょうど手に持っていた白いシーツをカウンターの脇に置きつつ、更にこう聞いてくる。


「何泊のご予定ですか?」

「あ、その辺まだちゃんと決まってなくて。定住の為の下見に来たようなものなんですけど……」

「あぁそうなんですね! ここの定住者は比較的穏やかな人が多いので、お子さん連れでも安心ですよ。きっと気に入ってもらえるんじゃないかなぁ」


 嬉しそうな顔でほのほのと笑う彼女に、俺は心臓のど真ん中をズガンッと撃ち抜かれたような気持ちになる。


 可愛い。

 可愛すぎる。

 もし手を繋いてなかったら、クイナの存在を忘れてしまったかもしれない。

 そのくらいの衝撃だ。


 ごめんクイナ、許してくれ。

 確かにお前は愛嬌のある良い子だが、それとこれとは別腹だ。



 いやいや、というかそんな事より。


(何なんだ、この今までに感じた事の無いトキメキは……!)


 立場上、今までどれだけの女性からアプローチを受けてきたか分からない。

 その誰もが懸命に着飾り、丹念に化粧をして磨き上げて。

 中には俗に言う「美女」という人たちも沢山居た。


 しかしそれでも、こんなにもトキメいたのは初めてだ。



 何故だろう。

 目の前のこの人は、全く着飾ってはいないのに。


 接客業だからそれほど汚い恰好をしている訳でもないが、着ているのは平民の普段服だし。

 捲られた袖とか、邪魔にならないようにと結わえ上げられた髪から少し落ちてる後れ毛とか。

 そういう所はむしろ生活感があると言って良い。


 なのに何故かこんなにも、俺の目を引いてやまない――って、もしかして。

 

(……否、むしろそれが良いのか? 俺はそういう、ガッチガチの戦闘服よりも隙がある格好とか笑顔とか、そういうのの方が好みなのか?!)


 王子である時は、結婚は政略の為の手段だった。

 だからそんなものを大して意識もしてこなかった。

 だけどまさか、こんな所で自分の好みと初対面とは。


 これだから人生分からない。



 廃嫡されて以降俺は、何度か新しい自分に出会った。

 しかしその中でも、これは一二を争う革新的な発見だ。


 ……と、何だか良く分からないテンションのまま俺が胸を躍らせていた、その時だ。


「あれ? お客さんかな?」


 カウンターの奥の方から、少し気の弱そうなコック服のメガネの男がひょっこりと顔を出してくる。


「えぇそうなの! この街に定住するための下見なんですって!」

「へぇ、それは嬉しいな」


 彼女の言葉にすぐさま相槌を打った彼は、彼女ととても気心が知れているという感じだ。

 俺を見ると、目じりにシワのある顔で「お客さん、是非ゆっくり見ていってくださいね」と言ってくれる。


「あ、はい。ありがとうございます」


 そう言葉を返すと、それで満足したのだろうか。

 彼はまた奥へと引っ込んでいった。



 この宿のコック……だよな?

 そんな風に思っていると、その機微を察したのか彼女がすぐに教えてくれる。


「彼はこの宿の店主で、ズイードと言います。そして私はその妻のマリアです」


 そうか、この人はマリアさんというのか。

 天使かと思ったら、まさか聖母だったとは――って。


「えっ」


 そこまで考えて、俺は思わず声を上げる。



 今何って言った?

 『妻』?


「妻、というと……」

「はい、この宿は夫婦で切り盛りしているですよ!」


 そうじゃない。


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