第3話 旅立ちの時、見送り一人。



 部屋から王城の出入り口までは、案内という名の監視が着いた。

 しかしそれも門を出た所で無くなった。

 


 やっと自由の身になれた。

 今までの柵から解放された様な気分になって、その場でうーんと伸びをする。


 空が青い。

 新たな門出としては、これ以上に良い日和も無いだろう。


「……さぁ、行くか」


 目指すは隣国・ノーラリア。

 その為にはまず足をどこかで確保して――。

 

「アルドっ!」


 後ろから声が掛かり、苦笑しながら振り返る。

 


 幼い頃から慣れ親しんだ声である。

 誰かなんて、見なくてもすぐに分かってしまう。


「こんな場所で今の俺に声をかけるなんて、お前にしては軽率だな? シン」

「だってここで呼び止めないと、次にどこで捕まえられるか分かったもんじゃないだろうが」


 俺の事なんて全てお見通しの彼が、呆れ混じりにそう言った。


 こげ茶の髪に青の瞳をした彼は、俺の乳兄弟で数少ない友人だ。

 俺が自分の事を『俺』と呼んだりする事も、素の話し方が全く王子然としてない事も、多分コイツのせいである。


 職性も見た目もスタンダードな文官タイプ。

 そのくせに口が悪いんだ、コイツ。


 しかし仕事には真面目なやつだ。

 この時間にこんな所をほっつき歩いている筈が無い。

 多分どこかで「俺がもう出ていくらしい」という話をどっかで小耳に挟んだのだろう。

 

「見送りか? 駆けつけてきてくれたのが女の子だったら絵になったのに」

「てめぇ、俺に、内緒で、大事、やらかしやがって……コノヤロウ」

 

 軽口を叩いたら、それを叩き落とすかのような睨みが刺さる。


 運動不足の文官のくせに全力疾走してきたんだろう。

 肩で息をするシンに、新鮮で珍しい。

 それがちょっと擽ったくて、思わず俺は笑ってしまう。



 彼は俺を『王太子』なんてものを抜きにして見てくれる、数少ない人間だ。

 だからこそ俺が内緒で事を起こした事に怒ってるんだろうけど。


「いやまぁお前を巻き込むのはなぁ」


 嫌だったんだよ。

 そう言って笑ったら、シンが苦い顔になる。


「だからそれが水臭いって言ってるんだよ。しかも結局最悪の事態になってるじゃねぇか」

「お前も知ってるだろ? 俺は策略とかには向いてない」

「あぁ知ってるさ。お前はお人好し過ぎる。元々が裏工作を誰かを騙したり悪だくみしてるみたいで好かないからそういうのに消極的で、結局手際が悪くなる。その為の俺だろうが」


 そう言われて、俺は返す言葉が無い。

 確かに裏工作に負い目があるのも手際が悪いのも自覚はあった。


「今回は流石に博打すぎだった。他貴族への影響力を買われて婚約者に抜擢されたバレリーノとバカ正直なお前じゃぁ、最初っから勝負にならない」

「俺が信じたのは自分の能力じゃなかったんだよ」

「じゃぁ何」

「国王陛下」


 俺は敢えて、あの人をもう『父親』とは呼ばなかった。


 もうその縁は切ってきた。

 口には出して言わなかったが、俺の手を払ったあの時からもう俺に『父』は居ない。



 肉親を心から切り捨てた事をシンは感じ取ったのか、「はぁ」とため息を吐いた。

 そんな彼に、俺は真面目にこう告げる。


「俺が勝手に陛下を信じて自滅したってだけの話だ。最初からお前を巻き込むのは無しだった。それはお前が役者不足とかじゃなくて、仕事が出来るヤツだからだ。このまま行けば出世できる。間違いない」

「……何だどうした、いつもは絶対にそんな事言わないくせに」

 

 俺の褒め言葉を前に照れてるのか、気まずいのか。

 フンッと鼻を鳴らしたシンに、俺は「まぁ、言える内に言っとかなきゃな」と言って笑う。



 これから俺は国を出る。

 この先何が起きるのかも分からないし、この国に再び戻るつもりも無い。


 今生の別れになるかもしれない。

 それなら多分今の内に言いたい事を言っとかないと、後で絶対に後悔する。


 なんて事を、心の中で呟いた時である。


「どうせ『コレが最後かもしれないし』とか思ってるんだろうけどな」


 シンはやはり、俺の心が読めるらしい。

 

 ピンポイントで言い当てた彼にちょっと驚いていると、不服そうな声色で「一体何年お前と一緒に居ると思ってる」と言われた。


 確かにその通りだった。

 物心付いた時から本当の兄弟よりも余程兄弟らしく育った相手だ、思考を読まれるなんて事も、今に始まった事じゃない。


「例えどこに住むか分からなくたって、俺はここに居続けるんだ。手紙くらいは出せるだろうが」

「えっ」

「……何だよ何か文句があるのか」


 思わぬ事を言われて思わず声を上げたら、シンの片眉がツンと跳ね上がる。

 慌てて「いや、そういう訳じゃないけどさ」と取り繕えば、シンは「それで良いんだよ」と言わんばかりにそっぽを向いて頷いた。


 しかし俺にとっての手紙とは、ずっと『社交相手に媚を売るためのもの』だった。

 だからどうしても、それを彼に送る事に違和感しかなかったのだが。


「旅に出るなら手紙を書くは、至極当たり前な事だぞ?」

「そうなのか?」

「そうなんだよ」


 そうなのか。

 このやり取りでやっと思考をそこに着地させて、しかしすぐに懸念が生まれる。


 ――罪人扱いの俺が手紙を出してしまって、迷惑を掛けたりしないだろうか。


「たとえお前にどんな噂があったとしても、使用人も含めて誰一人として我が家にお前を悪く言うヤツは居ない。それに万が一周りに手紙のやり取りがバレたとしても、真正面から何か言えるようなヤツは居ないさ」


 バレリーノのところと並ぶ影響力を持つ公爵家の次期当主を侮るな。

 つべこべ言わずに手紙をよこせ。


 そう言ってきたシンに俺は、思わずポロリと本音を溢す。


「お前、運動神経は壊滅的なくせに、そういう所はかっこいいよな」

「それは喧嘩売ってるって事で良いんだな?」

「違う違う。アー、コンナ友人ヲ持ッタ俺ハ、ナンテ幸セ者ナンダー」

「……思いっきり棒読みじゃねぇかアホタレ」


 俺の脳天に、ズビシと手刀が突き刺さった。

 


 これを断ったら出発させてくれない気がするので、結局手紙は了承した。

 確かに俺は、今日を持って『王太子』としての柵から解放されるが、俺として持っていたものまで全て捨ててしまうつもりは無い。

 シンが良いと言うならば、こちらとしても俺史上最も気心の知れた友人との関係を切りたいとは思わなかった。


「じゃ、あっちに着いたらとりあえず一通書くよ」

「書いたら返信が来るまで動くんじゃねぇぞ? じゃないと俺の手紙が届かなくなる」

「あぁ分かってる」


 俺がそう返事をした所で、俺達の間の会話が途切れた。


 多分、言いたい事は一通り言ったということなのだろう。

 そしてそれは、俺も同じだ。



 彼からクルリと踵を返し、俺は軽い口調で挨拶をする。


「じゃぁちょっと行ってくるわ」

「おう」


 帰ってきたのはたった二文字。

 俺より余程お手軽だ。


 しかしそれは「コレで縁を切るわけじゃない」という互いの無言の意思表示だった。


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