第6話:郷に入れば郷に従え

「エミール様。こちらこそ突然押しかけてきて申し訳ございません」


「いえいえ、こちらこそなんの用かな? 」


 シャルル隊長が礼をするとエミールはにこやかに笑顔を向けた。彼は常に道化師のような張り付いた笑みを浮かべているのだろうか。むしろ常にまで来るとその笑顔が不気味にすら思えてくる。


 いや、違う。不気味さに紛れて並々ならぬ邪悪な気を感じた。名もなき旅人は旅という名の逃避行を通して様々な人々に出会ってきた。だからこそ相手の表情や雰囲気を読み取ることでエミールの邪悪な気を感じ取ることが出来るのだ。


「脱走したアンリという女の子を見つけましたよ。ギリギリ間に合って良かったです」


「そうだね。迷惑をかけて申し訳ないよ。それよりも……そこにいる男の子は? 」


 エミールはアンリに目もくれず名もなき旅人をじっと見つめる。


「どうやらこいつは旅人のようでな。ガキだからここに連れてきた。青雲の肆フォース・ファイトは人が多くて楽しい方がいいだろ? 」


「はぁ……」


 エミールはため息をつくと名もなき旅人に近づいてくる。彼の音もさせない歩き方に思わず猫を連想させた。


「全くシャルルくんは青雲の肆フォース・ファイトをなんだと思ってるんだい?余興じゃないんだよ」


「あの……青雲の肆フォース・ファイトとはなんなのか? 」


 名もなき旅人は話に割り込むように2人に訊ねた。元から知っているがここで聞かなければ怪しまれてしまうと思ったからだ。石橋を叩いて渡るくらいのリスク管理はしておいても損は無いだろう。


青雲の肆フォース・ファイトは子供が大人の階段を上るだけでなく処遇も決まる大事な儀式なんだ」


 エミールは食い気味に答えてくれる。まるで聞いてくれたことが嬉しかったように。しかしそんな態度など名もなき旅人にとってはどうでもよかった。


「まぁ話は長いからお茶でもしながらするとして……キミたちはもう2人を離しなさい」


 エミールの命令で名もなき旅人とアンリの両腕が自由になる。少し腕に力を入れてみたがまるで両腕の感覚が無くなったのか力なくだらんとなってしまう。


「さてとシャルルくんに借りを作っちゃったね。お金がいいかい? それとも……地位かい? 」


「いいえ、エミール様には色々して貰っているので結構ですよ。青雲の肆フォース・ファイトを無事に終わらせることが1番ですからね」


 シャルル隊長はニヤリと笑う。


「そうですか。謙遜けんそんしてばかりでは肆天王してんのうの夢が遠ざかるけどいいのかな? 」


 肆天王してんのう――

コーシャスでは総統の下に肆天王してんのうと呼ばれる幹部達が仕えている。昔は偵察部隊・儀式部隊・軍隊・管理部隊に別れていたが今は変わっているようだ。


「大丈夫です。肆天王してんのうになる夢は半ば諦めていますから」


「全く欲がないねぇ。あっ、今から総統に報告に行くんだよね。ついでにこの書類を渡してくれないかな」


「はい、分かりました。では失礼します」


 シャルル隊長はエミールに書類を受け取ると部下を連れてファーブロス管理学校パブリックを出ていく。

 名もなき旅人は固まったまま軍隊を見送っているとエミールが突然アンリの頬を叩いた。


「キミ、脱走するとはボクを侮辱しているんだね」


 今度はアンリにパンチが飛んできた。鳩尾みぞおちに突き刺さったのか胃液を吐き出すとその場に崩れ落ちる。

 名もなき旅人はふと彼女を庇いたい思いに駆られアンリとエミールの間に立つ。冷静に考えたらここはかばわず静観するところだがもう我慢の限界だった。


「邪魔だ! 」


 エミールのパンチが飛んでくる。それと同時に名もなき旅人の意識が飛びかけた。恐らく側頭部にパンチを食らったからだろう。


「旅人さん! 」


 アンリが悲鳴に近い声を上げた。

しかしその声をかき消すようにエミールの蹴りが飛んでくる。名もなき旅人息が詰まり体が吹っ飛ぶような感覚を覚えた。

 それでも名もなき旅人はグロッキーになりながらも立ち上がる。こうなったのも全て生半可な気持ちでかばった自身の過失だ。


「アンリちゃん、キミは部屋に戻ろうね。そして……旅人くんは今からボクが部屋を案内するよ」


 しばらくしてエミールは見下すような目で見ながら2人に言い放つ。アンリは怯えながらも後ずさりすると左側にあったドアから出ていった。

 名もなき旅人は膝から崩れ落ちると心の中で安堵あんどする。これ以上食らうことを覚悟していたがこの程度でならまだ優しい方だろう。容赦ない暴力を加えられ、半殺しにされるよりは。


「キミ、立てないのかい? 」


 エミールはいつも通り張り付いた笑みを浮かべている。名もなき旅人が立ち上がると右手首を掴み耳元でささいた。


「ボクは忙しいんだ。時間を無駄にさせるんじゃないよ」


 それから名もなき旅人は手を引っ張られながらとある部屋へ連れていかれた。


 通されたのは質素な一室だった。

真っ白なシーツのかかったベットだけでなく質素なテーブルと椅子が目に入る。


「ここがキミが今日泊まる部屋だよ」


 名もなき旅人はエミールの言葉に耳を疑った。こんな綺麗な部屋に通されるとは思っていなかったからだ。今日のみならこの部屋を通してもいいという判断なのだろう。

 いや、そんな単純なわけが無い。その思いが名も無き旅人の脳内に響く。どんな理由か全く分からない。だが彼の邪悪な気からして恐らくろくでもないことだろうというのは推測できる。疑いすぎと言われればそれまでだが彼の怪しさが名もなき旅人を疑うように仕向けているように思うのだ。


「今から旅人くんの軍服を取りに来るよ。キミ、この子を見張っててくれないかな」


「仰せのままに」


 エミールは見張っていた女性に命令をすると部屋を出ていった。ドアを閉めた音と同時に部屋が静まり返る。名もなき旅人は無言で女性を見ていた。変に話かけると警戒されるだろう。しかし無言で耐えることはそこそこの苦痛だった。

 名もなき旅人は軽くため息をつくと上を見上げる。色々なことが頭を回るが本当に思っていることは1つだけだった。


 ……アンリは無事だろうか。

そんなことを思っても状況に何も変化がないことはわかっていた。彼女の様子を見に行くことなども出来ない。ここから逃れたとしても彼女が今どこにいるのか分からないのだ。


「さてと、見張りをさせて悪かったね」


 しばらくするとエミールがいつもの笑みを浮かべながら帰ってくる。彼の片手には名もなき旅人の分の軍服を持っていた。


「キミは今から1分でこれに着替えて。着替えなかったらあとは分かるよね? 」


 エミールは名もなき旅人の足元に緑色の軍服を投げつけるとニヤリと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る