気象予報士の日 後編


 下手に理解しようとして。

 じっくり見つめれば見つめるほど。

 

 不思議な世界へいざなわれる。



 高い天井を走る梁の模様を眺めているだけで。

 一時間は楽しめそう。


 そんな古民家の畳には。

 机が四つほど据えられていて。


 俺は、秋乃の隣に腰かけながら。

 味のある、手漉き和紙を前に。


 いっそこの町を見た感動でもしたためようかと考えていた。


「…………立哉君も、まだ決まらない?」

「テーマは決まったんだがな。じゃあどう書こうかってとこ」

「こ、このお家の事? それとも、町全部?」


 さすがは秋乃。

 俺のこと、よく見てやがる。


 話してもいないのに。

 テーマをあっさり見抜かれた。


 そんな秋乃が、自分の鼻先をくすぐっているのは。

 下ろしたばかりの、毛筆用の筆。


 誰もが筆ペンを渡される中。

 無理を言って、硯と墨を貸してもらって。


 買ったばかりの筆に、墨をつけずに。

 鼻の頭をこしょこしょこしょ。


 そんな仕草も、秋乃予報士の俺には分かる。


 鼻の頭の天気記号は真っ白だから。

 快晴マークでご機嫌な空模様。


 桔梗の座布団と、水仙の座布団。

 もう、三十分もこうして座ってるのに。


 何を書こうかと楽しむ俺たちは。

 まだまだ、長い事お邪魔していることになりそうだ。


「じゃあ……、人じゃなくてもいいの?」

「あ、そうか」


 メッセージを書くようになって、本来の意味が薄れて行ったとは言っても。

 もともとは、死んだ方へ送り届けるものなわけで。


 町に対しての感想を書くのはおかしな事だろうか。


「改めて聞いてみようか。……すいません」


 俺たちのような観光客へ。

 和紙を配って歩く、和服姿のお姉さんに声をかけて。

 ルールを教えてくださいとお願いすると。


 ちょうど、同じテーブルのお向かいに腰掛けたカップルが。

 私たちも聞いていいかと話に混ざってきた。


「もちろんどうぞ」

「ありがとねー!」


 そんな二人に。

 和服のお姉さんが、和紙を手渡しながら話しかける。


「観光ですか?」

「この人の地元が近所でさ! 見せておきたいー、とか意味深なこと言われちゃそりゃ足運びたくなるでしょ!」


 黒縁めがねの元気なお姉さんが。

 お隣りに座る、細身で優しそうな彼氏さんを指差しながら言うと。


「あら、素敵なお話ですね。ゆっくり楽しんでいってください」


 和服のお姉さんは。

 幸せそうでいながらも。

 ちょっと含みを持たせた笑顔で返す。


 さすがに照れたお兄さんは、彼女さんをつんつん肘で突いているけど。

 彼女さんの方は、意にも介さず大はしゃぎ。


「言うだけのことあるわ、素敵なとこね! まるでフィクションみたいなロケーション!」

「誘った甲斐がありました。そう言ってもらえて嬉しいです。小さな頃、毎年遊びに来ていた隣り町のお祭りなのですよ」

「そうなんだ。でも、誇るなら自分のふるさとのお祭りにしなさいよ」


 ごもっともな発言だと思ったんだが。

 お兄さんは、事情を知っている空気を醸し出した和服のお姉さんと、顔を見合わせて苦笑い。


 これにはもちろん、彼女さんはやきもちをやいたみたいで。

 大人っぽいラインの頬をぷっくり膨らますと。

 そんな自分の顔を、なぜか携帯で自撮りしてから文句を言い出した。


「なになに!? ちょっとジモピトークが腹立つんですけど?」

「ああ、ごめんなさい、愛さん。実はですね、こちらの祭り人気に対抗すべく、うちの地元でも名物祭りを始めようとしたことがあったのです」

「あ……、やっぱりあれ、そういう意味で開催したんですね?」


 和服のお姉さんが相づちを打った夏祭り。

 それは何かと聞きたいようで。

 秋乃がうずうずしている様子が伝わって来る。


「どんなお祭りやったのよ。うまくいかなかったの?」

「話題には、なったのですけど……」

「じゃあいいじゃない」

「それがですね? 話題になったせいで、炎上しました」

「え?」

「無許可で、人気アニメのキャラを祀ったんですよ」

「それぜったいやったらあかんやつ!」

「うはははははははははははは!!!」


 呑気で優しい彼氏さんと。

 元気で明るい彼女さん。


 二人の独特なテンポのトークに、つい聞き入って。

 没頭してしまったせいで、思わず大声で笑っちまった。


 常識知らずの秋乃ですら。

 俺をつねるというこの失態。


 でも、彼女さんは、ぶかぶかの黒メガネを押し上げながら。


 一緒になって大笑いしてくれた。


「分かる分かる! あたしも、突っ込む前に大笑いしそうになったわよ!」

「ああ。逆の立場だったら、俺が突っ込んでた」

「逆の立場って!? 和久君の彼女になりたいの!?」

「うはははははははははははは!!!」


 なんだこのおもろい姉ちゃん。

 さっきから笑いが止まらねえ!


 秋乃も、くすくす笑った後。

 急に真剣な表情浮かべてわたわたしてるけど。


 バトルじゃねえから。

 面白いことしようとせんでいい。


 今日ばかりはゲスト。

 俺たちは、お客さんだ。


 お返しなんかせずに。

 笑って過ごせばいい。



 ……結局、その後。

 和服のお姉さんから説明を聞いている間も。

 面白いことを連発する彼女さん。


 そんな様子に困り顔を浮かべた彼氏さんも。

 たまに天然ボケをかますもんだから、俺はずーっと笑いっ放し。


「だから、何を誰に書いても構わないのですが。もともと灯籠流しは、死者の魂を弔うための物だということも考慮してくださいね?」

「じゃあ……、死んだ人に書くのがここは正着手ね!」

「手すきの和紙は貴重なので。こっちの紙に試し書きすると良いようですよ?」


 そう言いながら。

 優しい彼氏さんが、メガネの彼女さんに半紙を手渡すと。


「……この枚数ボケろと?」

「そんなこと言ってないのですよ!?」

「大丈夫よ! ちゃんと真面目に書くから!」


 そう言いながら。

 一瞬だけ考えた後。


 豪快に、彼女さんが書き殴ったセンテンス。



 すいません。島が流せないので、灯籠をお送りします。


 ナポレオンへ。



「うはははははははははははは!!! 結局ボケとる……っ!!!」

「あれ? 違った?」

「島流しの意味が違う! まあ、島の資財以上の品を送られ続けたらしいけどな」

「お? 博識じゃん。これの意味が分かるとは、やりよるな?」


 そんな、面白彼女さんの隣で。

 困った顔して頭を掻く彼氏さん。


 でも、一歩引いたとこにいる顔して。

 こいつも天然かますからたまらない。



 帽子被るのが遅くなってごめんなさい。


 毛根へ。



「うはははははははははははは!!! く、くるし…………っ!」

「……和久君。気にしてると、どんどん迫り来るって言ってるでしょ?」

「で、でもね? やっぱり男子としては気になるわけなので……」


 そう言いながら、頭頂部をいじる彼氏さんの手を。

 彼女さんがぺしりと叩くと。


 こっちのチームでも。

 同じように、ぴしゃんと手の甲を叩く音。


「いてえな。何するんだよ」

「わ、笑い過ぎ……」


 おっと、確かにそうだったな。

 こいつは失礼だった。


 それに。

 俺たち以外にもお客さんがいるんだ。


 ここは静かにせねばとおちついて。

 秋乃の手元を覗いてみれば。



 お餅だけだと、栄養が偏って絶滅するので気をつけて?


 ウサギさんへ。



「うはははははははははははは!!! 川の水、ルナへ!」


 どんだけ流しても届かんわ!

 

「起動エレベーターで吸い上げる……」

「手法以前に、そもそも酸素も無しでどう生きて行けばいいんだよ、ウサギ」

「杵を掴めるほど進化したウサギなら、あるいは……」

「いいか? 月の影がウサギに見える国はそもそも少なくてぐへっ!?」


 大笑いした後だから、うんちくも大声になっていたんだろう。


 秋乃はそれを止めてくれたようなんだけど。

 それにしたってお前。

 首絞めるか?


「握ると、うんちくが止まるツボ……」

「うんちく以外にも、もろもろ止まるわ」

「静かにしましょう」

「文句はあるが、その点に関しては了解だ」


 俺のテンションが下がったことを確認した秋乃が。

 ツボから手を放すと。


 メガネのお姉さんが。

 楽しそうに話しかけてきた。


「あはは! 仲いいの? 悪いの?」

「俺もたまに分からなくなる」

「へえ……。なんだか、あなた達見てると懐かしい気持ちになる」

「なんで?」

「ずっと見てたのよ。君たちみたいな、キツネとタヌキの化かしあいみたいな光景」


 化かしあい。

 そんなふうに見えるんだ。


 でも、どうしてかな。

 照れくさい評価だよな。


 俺は、同意を求めようと。

 秋乃へちらりと視線を向けると。


 どうやら、俺以上に照れてた秋乃が。

 筆で鼻の頭をこしょこしょこしょ。



 ……そんな筆先には。

 既に炭が付いていたわけで。



「あははははははは!」

「ぷっ! ……ふふふ!」

「うはははははははははははは!!! 天気記号が雨天っ!!!」



 鼻の頭を黒くした化け狐。

 あるいは化け狸が。


 筆先を見て短い悲鳴を上げると。


 顔を隠しながら。

 慌ててトイレへ駆けて行った。


「……アライグマだったか」

「あははははは! 楽しい子! 今の、わざとなの?」

「俺にも分からないんですよ」

「ふうん……」


 メガネのお姉さんは。

 どこか遠くへ思いを馳せるように、視線をさまよわせていたが。


 秋乃が恥ずかしそうに戻ってくると。

 優しい笑顔で迎えながら。

 おもむろに筆をとった。


 そんな彼女が書いた言葉に。

 宛先は無い。


 でも俺は、秋乃と一緒にそんなメッセージを見つめて。

 思わず頬を緩ませる。



 ずーっとそばにいたい!



 ……そして。

 彼女さんが何を書くか。

 まるで知っていたよう。


 秋乃に肘で突かれて。 

 彼氏さんの手元を見てみれば。



 ずっとこの旅行が続くといいね。



 ……やれやれ。

 お熱い話だ。



 俺は、ほっこり幸せな心地で。

 自分も、歯の浮くような事でも書こうかと筆をとったんだが。


 秋乃が、小さな声で。


「ずっと……?」


 不安そうに聞いてきたから。

 思わず表情を硬くした。


「うん。何か変か?」

「そう、ね。……ずっとじゃ、無いんだね」


 一瞬、秋乃が何を言っているのか分からなかったんだが。


 なるほど。

 ずっと、という不可能な単語を聞いて。

 逆に不安になった訳か。


「……人間、誰とだってずっと一緒にはいられないだろ?」

「それ……、困る……」

「困るって言われても。そもそも……」


 秋乃は、理論的思考が出来る。

 だから俺は、理詰めで納得させようとしたんだが。



 どうやら、ここにも。

 うんちくを止めるツボがあったのか。


 急に、ぎゅっと。

 手を握られたから。



 俺はそれきり。

 なにも言えなくなったんだ。





 ~´∀`~´∀`~´∀`~





 さて。

 昼間は、いろいろあった。


 面白いカップルと出会って。

 一緒に夕食を食べて。

 彼女さんが俺たちのご近所さんだと知って。

 明日も一緒に回ろうと約束して。


 そして、アツアツな二人にあてられて。

 秋乃との距離も。

 なんとなく、縮まったように感じながら。



 目まぐるしかった一日の。

 疲れを取ろうと開いた扉のその先に。



「アイスのせいか……」



 常識知らずの世間知らず。

 こいつにチェックインを頼んだのが間違いだった。


 秋乃の手には。

 鍵が一つだけ。


 そして部屋には。

 俺のスポーツバッグと秋乃のキャリーケースが並んで置かれて。


 ついでに言えば、バラの花びらが床に撒かれているけどなんの真似だ。


「そ、掃除しないと……」

「第一声がそれか?」


 二部屋取れって言ったのに。

 チェックインする時、こいつがダブルの達人を目指していたせいでこうなったんだ。


「せめてツインだったらなんとかなったのかもしれんが」


 部屋は一つ。

 ベッドはダブル。


 こんなもの見せられたら。

 ドキドキの時間が再び始まるのも仕方なし。


 でも、昼間に散々鼓動を打って心筋はへとへとなんだ。

 明日筋肉痛になったらどうする気だよ。


 花びらを拾ってゴミ箱へ捨てる秋乃を放っておいて。

 フロントに電話をしてみたが。


 まるでシナリオと言わんばかり。

 部屋は未使用部屋から従業員室に至るまで全て貸し切ってしまったらしい。


 それきり、ベッドのことは後にまわして。

 風呂を済ませて戻ってみれば。




 ……さて。


 この、目の前に広がる映像がどういうことなのか。

 ちょっと落ち着いて考えてみよう。



 ここは、深夜の観光ホテル。

 窓から漏れる一筋の光に照らされてベッドに潜っているのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 その長いまつげが小刻みに震えているのは。

 明らかに、まだ起きている証拠。



 俺は、秋乃のことが好きだ。

 でも、なんか嫌いな時もある。

 初めてできた大切な友達で。

 アイドル姿のこいつに惚れて。

 化学と工作が大好きで。

 俺の作る弁当を美味しそうに食べて。

 毎日のように俺に罪を擦り付けて。

 廊下に立たされるようになったのはこいつのせいで。


 でも、大好きで。

 彼女にしたくて。

 お嬢様で。

 誰よりも優しくて。


 回る記憶と未来予想図。

 眩暈が起きて、立っている事すら危うくなる。


 目をつぶって考えて答えを出して。

 目を開いて秋乃を見つめると、答えが全て吹っ飛んで。


 ずっとずっと。

 長い時間立ち尽くして考え抜いて。


 最後の最後に、俺がたどり着いた答え。




 それは。




「…………人体実験されそう」




 今、感謝すべきは。

 ホテルに廊下があったこと。


 そして今、感謝すべきは。

 それっぽい言い訳が出来たこと。



 俺は、朝までの数時間を過ごすべく。

 後ろ手に扉を閉める。


 すると、高級ホテルではありえない事だから。

 なにかの幻聴であることは明白なのだが。



 扉の向こうから。


 長い長い。


 安堵のため息が聞こえてきたような気がしたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る